◇After Story第18話◇ 『宝石級美少女と江ノ島旅行【まずは入浴】』
ホテルに到着した頃には日付が変わっていた。無事に部屋に戻った二人は、とりあえず今日買ったお土産やら水着やらを片付け、心を落ち着かせる。
これはホテルに戻ってから気づいたことだが、二人の体は割と限界を迎えていた。ベッドに何気なく腰を下ろしたら、ドっと今日一日分の疲労感が押し寄せてくるのがわかる。よくこんな状態で、琥珀も夜まで歩き続けられたなと素直に驚きだ。
「――庵くん」
「あっ、はいっ!」
とはいえ、まだ落ち着くには早い。それどころか、ここからが正念場と言っても過言ではないだろう。
琥珀の呼びかけに庵は飛び跳ねるように体を起こし、視線を向ける。そこには布の袋を抱えた琥珀が立っていた。
「お風呂湧いたので、先にお風呂、入らせてもらいますね」
「そっ、か......りょーかい」
心なしか、琥珀の声が少し震えているように思えた。しかし、それを指摘するほど庵はデリカシーのない人間ではない。
「......」
琥珀が背中を向けて、部屋にあるお風呂に向かっていく。庵はシャワーだけでも良かったのだが、琥珀は毎日湯舟につからないと落ち着かないようで、今日は湯舟にお湯が張ってある。
ということはつまり、琥珀の残り湯につかれる可能性が――、
(って、そんなん考えてる場合じゃないだろ!)
今はそんなレベルの低いことを考えている場合ではない。お風呂が終わって、いざ就寝の時間になったときのことを考えなくては。
頭を掻きむしりながら、必死に考えを張り巡らせる。いや、このお泊りについてはずっと色々なことを考え続けてきたはずだ。まず整理しよう。
「――冷静に考えて、琥珀もお泊り=エッチなことみたいな感覚は持ってるはずなんだよ。持ってるはず......持ってるよな? え? 本当に?」
一瞬にして過去の自分の考えを疑い出した。ここは大前提とした上で、色々作戦を練っていたので、ここが崩れればすべてが成り立たなくなる。しかし、今日の琥珀の雰囲気や言動といい、エッチなことを想定しているようには一度も見えなかった。
いや、そもそもその考えが間違っている。エッチなことを想定している雰囲気や言動ってなんだ。琥珀はそんなのを表に出すような女ではないだろう。
「落ち着け......落ち着け、俺」
思考がぐちゃぐちゃになったので、一度リセットする。最初から疑っていても仕方ないので、とりあえずお泊り=エッチという感覚が琥珀に備わっていると仮定しよう。
「琥珀から俺を誘うことは......ないな」
これだったら最高なのだが、琥珀の性格からして自分から誘ってくるようにはとても思えない。なのでこの可能性に縋るのはなしだ。
「映画を見て雰囲気づくり......いや明日も早いのに映画なんて見てる場合じゃないだろ」
以前、琥珀と映画を見てだいぶ良い雰囲気になったことがあるが、今回はそれは使えない。もう夜もだいぶ深まっているので、時間はかなり限られている。
「わざとコンドームを床に落としといて、それを琥珀に拾わせる......? いやそれは俺きもすぎだろ!」
最悪の案に、庵は己の頭をがつんと殴ってしまった。琥珀だけに恥をかかせるような真似は当然できない。こんな案が思いついてしまった自分を恥ずかしく思い、すぐに頭から消し去る。
結局どうするのが正解なのだろうか。いや、おそらく正解だろうものは分かっている。庵は一度大きく溜め息をつき、自分の手のひらを不安げに見つめた。
「――やっぱり、俺から素直に誘うしかないのか」
変にひねらず、これでいいことは分かっている。だけれど、それをする勇気がないことも分かっていた。本当、男として情けないのはそうなのだが、庵にはトラウマがあるのだ。
また、あのときみたいになってしまうのではないかと恐れてしまう。あのトラウマが再来したら、せっかく満点な旅行が一気に台無しだ。庵は明日、琥珀と目を合わせられなくなるし、きっと琥珀にも沢山迷惑をかけてしまう。
それをするくらいなら――、
「別に、しなくてもいいのかな」
逃げなのかもしれないが、きっとこの選択も間違いではない。そういう経験は庵たちには早かったということにして、先延ばしにしても悪くはないだろう。
「いやいやでも、さすがに......」
なんて考えをしておきながら、やっぱり本能には抗えない。怖いという感情で今あふれかえっているのに、それとは別として『性欲』は確かに存在していた。星宮琥珀という、誰もが認める宝石級美少女とのワンチャンスが到来したのだから、それは当然のことなのだろうが。
「――ぁ」
風呂場からシャワーの音が聞こえる。あの扉の奥にはきっと、一糸纏わぬ姿の琥珀が居るのだろう。こんな考え事をしている最中でも妄想が捗ってしまい、庵は普通に興奮してしまった。
そんな自分を情けなく思い、両手で顔を隠す。色々と考えすぎて、頭が痛くなりそうだ。
そんなとき、庵のポケットに入っていたスマホが振動した。着信だ。
「......暁?」
恭次だろうと思ったら、相手はまさかの黒羽暁だった。おそらく旅行の途中経過でも聞きにきたのだろう。
庵は震えた手つきで暁からの着信に応答した。
『――お。もしもし庵ー? 今ちょうどホテルついたとこ?』
「そうだけど、なんで知ってんだよ」
『いや星宮さんのストーリーがさっき上がっててさ、二人でしらす丼食べてたんだろ? 時間的に夜食かなと思って、そろそろホテルについたんじゃないか読みをしたってわけ』
「天才かよ」
完璧な暁の推測に、庵は素直に驚かされた。そしてずっと一人で悶々としていたので、今はこの明るい声が心の安定剤になってくれる。
『それで、どうだったよ江ノ島は。楽しかった?』
「いや今それどころじゃないから」
当然それを聞いてくるだろうと思った。なのですぐに庵の口から言葉が飛び出る。電話越しの暁は少し困惑した様子になり、声がワントーン下がった。
『どうした? エマージェンシーか?』
「あぁエマージェンシーだ。もう、俺はこっからどうしたらいいか分からない」
『――。あぁ、なるほど。僕は今すべてを理解したよ』
庵の焦りから何かを察したのか、親友は言葉にせずとも状況を把握してくれた。庵はその頼れる男に胸を撫でおろし、もう一度己に冷静を促す。
二人いれば、もしかしたら何か結論を得られるかもしれない。
『今星宮さんは?』
「部屋の風呂に入ってる。多分まだ時間かかると思うけど」
『そっか。でも、時間は限られてるな』
琥珀がお風呂に入ってもうすぐ10分が経つ。以前、琥珀の家に訪れたときの琥珀の入浴時間は約30分程度だった。とはいえ、あれは足を怪我して、まだその生活に慣れていなかった状態での時間。そこから推測すると、実際はもっと短いのかもしれない。
とにかく暁の言うことはもっともで、時間は限られている。琥珀の前で暁と悠長に通話するわけにもいかないので、作戦会議するなら今のうちだ。
『とりあえず、庵は覚悟決まったの?』
「それ、なんだよ。情けないのは分かってるけど、ここまできておいてまだ覚悟決まってないんだ」
『あー......』
馬鹿にされても構わない。庵は正直に打ち明けた。すると、暁はどこか納得した様子でうなっている。
『やっぱり、また拒絶されちゃうかもとか、星宮さんがその気じゃなかったらどうしようとか、そういう星宮さんに対する不安?』
「あ、あぁそう! まさにそれ!」
胸の内に抱えていた不安を暁がうまく言語化してくれて、庵は少し感情が昂った。この複雑な心境を理解してもらえて、作戦云々を考える前に、純粋に嬉しい。
「これで俺がエッチしよとか言って断られたら、明日の空気もう地獄じゃん。それどころか、せっかくの楽しい思い出が黒歴史に塗り替わるだろ? そんなの、俺耐えられなくてさ......」
『ほうほう、なるほど......庵、一つ言っていいか?』
つらつらと琥珀には絶対話せない本音をぶちまける。それを聞いた暁は、心なしか少しずつ反応が適当になっているような気がした。
そして、暁が一言、庵に客観的事実を伝える。
『童貞の僕が言うのもあれだけどさ......お泊りしておいて、星宮さんがその気じゃないわけなくない?』
「は?」
若干呆れたような口ぶりで、暁はそう言った。庵はその意味がすぐには理解できず、間抜けな声で聴き返してしまう。
『だって考えてみてよ。彼氏と初めてのお泊りだよ? そんなの、エロいことするのほぼ確定みたいなもんでしょ。いくら星宮さんがうぶとは言っても、それくらい分かってるって』
「いや琥珀はなんていうか......そういうエロいことは、あんまり好きじゃない女子なんだよ。実際、俺が付き合ったときはエッチだけは禁止って釘刺されてたしさ。それに――」
『それ恋愛感情ゼロのころでしょ。そりゃ、好きでもないやつとエッチしたくないって』
「それはそうだけど、でもさ――」
『てか本当にしたくなかったら部屋別々にしてるだろ。ちょっとは考えなよ、庵』
「――」
暁の正論の押しつけに、庵は言葉を失った。まるで暁の方が琥珀のことを理解しているかのような口ぶりに腹が立ちそうになったが、それを言葉にする元気はない。
「はぁ」
――確かに、その通りだ。
さっき考えた通り、いくらうぶとはいえ、頭のいい琥珀が今日の夜何をするかを一ミリも想像していないわけがない。琥珀はお人形さんのように可愛い子ではあるが、メルヘンの世界の住人ではなく、庵と同様に同じ人間なのだ。
星宮琥珀が性欲の一切ない下心とは無縁な存在だと、誰が決めつけた。彼女もまたそういう気持ちがあるのだから、今日一緒に夜を共にすることを許してくれているのだろう。何故、それがいつまで経っても分からないんだ。
『あ、はーい。――ごめん庵、僕も風呂入らないといけないわ』
少し暁の声が遠くなったかと思えば、親から呼ばれていたようだ。リミットは琥珀の風呂よりも早かった。
「そっか。分かった。色々教えてくれてありがとう」
『気にしなくていいよ。んじゃ、あとは頑張れよ』
暁との通話が切れた。庵はスマホをポケットに戻し、今度は天井を仰ぐ。なんだか体が落ち着かない。さっきからずっと意味もなく体が動いている。
「......」
ふと風呂の扉に視線を向けると、シャワーの音が聞こえなくなっていることに気づいた。そろそろなのだろうか。庵はごくりと唾を飲み込んだ。
視線の先、ゆっくりと扉が開く。中から湯煙を上げて、頬をほのかに赤く染めた琥珀が出てきた。その様子はどこか艶っぽく見え、心臓が締めつけられる。
「あっ」
「あ」
いきなり目と目が合う。お互い、同じタイミングですぐ逸らしてしまった。別にやましいことは何もないのに。
「じゃあ庵くんもお風呂......どうぞ」
「そう、だな」
琥珀に促され、庵も風呂に入る準備に取り掛かる。鞄から家から持ってきたパジャマと下着を取り出し、それを持って行く。
琥珀とすれ違う時、びっくりするほど良い匂いがして、また心臓が爆発しそうになった。
「――」
いよいよ覚悟を決めなくてはならない。それは分かっているのに、琥珀が入ったばかりの湯舟を見てまた頭が真っ白になった。もちろん、じっくり堪能させてもらったが。
◇宝石級美少女tips◇
軽度の下ネタを言うと可愛い反応をしてくれるが、レベルの高い下ネタがくるとドン引きして何も反応してくれない。
※次回、江ノ島編最終回。エロい描写あるので苦手な方は注意してください。




