◆第190話◆ 『継承者』
まず見えたのは南条。彼は高身長で、新クラスメンバーの中でも特に印象に残っていたので、人混みの中でも視界に入った瞬間すぐ名前が頭に浮かんだ。
そして問題は、南条のすぐ傍に居る琥珀。琥珀は、南条に腕を掴まれて苦笑いを浮かべていた。一体どういう状況なのか、大体察しはつく。
「お前、何琥珀の腕掴んでんだよ。琥珀困らせんなよ!」
二人の間に割り込み、威勢よく吠えた庵。玄関付近の生徒の注目が、一斉に庵に集まる。南条は何故自分が怒鳴られているのか理解できていない様子で、ぽかんと首を傾げていた。
「え。なんすか」
困惑混じりの声で、庵を見つめる南条。それもそのはず、南条には琥珀を困らせている自覚はない。
南条は威嚇してくる庵の顔を、首を傾げながらジーっと見つめて――、
「あー、君あれだ。あの、帰宅部エースの人」
「......」
ハッと何かに気づいた面立ちになり、庵の存在を思い出す南条。一応、同じクラスのメンバーとして覚えてはもらえていたらしい。思い出され方は少々不本意だが。
「俺のことはいいから、琥珀から手を離せ。何のつもりかは知らんけど、気安く触んなよ」
「気安くって。別に触りたくて触ってたわけじゃないけど」
庵から二度言われ、少々不満げに琥珀から手を離す南条。そのせいで少し空気が悪くなってしまい、庵は背中がひやりとするのを感じた。琥珀も気まずそうに庵に視線を向けていて、何かを言いたげだ。
「あの、庵くん。心配してくれるのは嬉しいんですけど、別に嫌なことされてるとかじゃないです。むしろ、ちょっと助けてもらったりして......その、とにかく私は大丈夫です」
「え?」
琥珀の言葉を聞いて、ようやく自分が何か誤解をしていることに気づいた。体が熱くなって、琥珀のために勢いよく飛び出したことを後悔したくなる。
「あー、何か事情があった感じ......でしょうか」
先ほどの勢いは消えて、語気穏やかに話しかける。内心はちっとも穏やかではないが。
「いや、もういいわ。オレ邪魔者っぽいし、帰る。さいなら」
「あ......」
冷え切った態度で庵たちに背を向け、玄関に向かい出した南条。どうやらだいぶ気を悪くしたようで、もう帰宅するようだ。
その大きな背中を見て、庵は安堵と後悔の両方を感じる。とりあえず、南条からの好感度はだいぶ下がったと見て問題なさそうだ。
「南条くんっ。その、誘ってくれたのはありがとうございました。でも、私付き合ってる人がいるので......ごめんなさい」
「そうなん。まぁ、お幸せにー」
最後に琥珀が正直に打ち明けるも、南条は一度も後ろを振り返ることなかった。興味なさそうに、靴を履き替えて外へと出て行ってしまう。いきなり冷たくされると琥珀も心配になってしまうが、今更呼び止めることなんてできるはずがなかった。
「行っちゃったな」
「行っちゃいましたね」
そうして取り残された二人。
目先の問題が片付いたのはいいが、本当の問題はここからだ。金曜日の出来事があってから、今日初めて顔を合わせたのだ。いざ二人きりとなると、また色々と思い出して何を喋ればいいか分からなくなってくる。それに、琥珀と何を話すのかまだ何も決めてない段階で南条との現場を見つけてしまったから、口下手な庵にとってだいぶピンチだ。
「琥珀、大丈夫だった? 俺、あんま何があったとかよく分かってないんだけど」
とりあえず、無事かどうかを聞いておく。パッと見は何も異常はない。
「私は大丈夫ですよ。腕を握られていたのは、私が転びかけたのを南条くんが助けてくれてただけで、あの人に悪意はなかったですけど」
「えっ。マジで?」
「マジです」
真実を知り、がっくりと肩を落とす庵。どうやら庵は南条の善意を知らぬうちに踏みにじっていたようだ。南条が庵に対して機嫌悪そうにしていたのもこれで納得できる。
「ごめん南条......」
余計なことをして、また更に黒歴史を増やしてしまったのか。ただでさえ琥珀のことで頭いっぱいなのに、次は南条という不安材料ができてしまった。新学期は感情の落差が激しくて、情緒がおかしくなる。
「でもですね、いきなり一緒に帰ろって誘われてちょっと困ってたので、庵くんが来てくれて助かりました。おかげさまで一安心です」
「そっ......か。なら良かった」
「はい。ありがとうございます」
しかし、事情はどうあれ琥珀が困っていたのは事実。それを助けられたのなら結果オーライだ。
そうして南条の危機は過ぎ去ったわけだが、琥珀が少し気まずそうに庵にちらちらと視線を向けている。何かを言おうとしているが、言われなくても分かった。
「じゃあ、一旦場所変えて話すか」
「......そうですね」
話したいことも、謝りたいことも沢山だ。それをすべて上手く話せるかは分からないけど、これからも円満な交際関係を築いていくにあたって、お互いの気持ちに向き合うことは必要不可欠。だから勇気を出して、一歩踏み出すことを決意する。
それはそうと、琥珀との気まずい空気は、何度味わっても慣れることはなさそうだと今日も今日とて悟ってしまった。
***
人目の付かない場所といえば校舎裏ということで意見が一致し、二人は校舎裏に移動することに。もしかしたらどこかの部活動が使っているかもという懸念点あったが、そんなこともなく、ぽつぽつと雑草の生えただけの何でもない空間だけがそこにあった。
座る場所もないので、庵が校舎の壁に背中を預けると、琥珀も真似して庵の隣にやってくる。距離間としては手と手が触れ合うほどの距離だが、どちらも視線が足元に向いていて、目を合わせることはしなかった。
「金曜日はごめん。約束破ったのもそうだし、怖がらせて、本当に悪いことしたって思ってる。本当にごめんなさい」
まずは謝罪をした。体を琥珀に向けて、琥珀の横顔を見ながら頭を下げる。できるかぎり誠意を見せたくて、五秒以上頭を下げた。
「やめてください庵くん。別に、庵くんに謝ってほしいとか私思ってません。私も、悪かったって思うところはあります」
「いや、琥珀は何も――」
「私の話も聞いてください」
琥珀に非はないというのが庵の考えだ。だから咄嗟に顔を上げて琥珀の言葉を否定しようとするが、琥珀の有無を言わせぬ圧に、押し黙らされた。
「あとあと振り返ってみて、確かに”そういう空気”を作ってたのは私です。元をたどれば、私が悪かったんですよ。あのあと庵くんの気持ちとかも理解できて......なんか、ほんとに私の配慮が足りなかったなあって思うところが多い気がしました」
「それは違うだろ。琥珀も俺との約束があったから、ずっと付き合ってくれてて、あの日も信じてくれていたわけだろ。琥珀が何をしたとしても、裏切ったのは俺なんだから、悪いのは俺だよ」
琥珀が”そういう空気”を作ったのは事実だが、庵が約束を破ったのも事実。ただ、琥珀は庵が約束を破らないという信頼の元、”そういう空気”を作ったから、その前提である約束を破った以上、悪いのは庵だ。
だが、勿論琥珀はそうは思ってはいなかった。
「約束を破ったって言いますけど、その約束ってまだ私たちが全然恋愛感情がないときの頃に作ったルールみたいなやつですよね。確か、過度なスキンシップは禁止とか、週二でデートするとか......みたいな」
「そう、だな」
「最近というか、結構前から週二でデートとか決まった日程ですることはもうなくなってますし、スキンシップも色々しちゃってる気しますし......あのルールって、なんというかもう形骸化しちゃってると思います」
「......」
正直、それは庵も感じていることだった。付き合いたての頃に作ったあのルールは、お互い恋愛未経験でしかも恋愛感情がないという特殊すぎる状況が故にできたものだ。ただ、今はあの時とは状況が真逆。わざわざ自分たちをルールで縛る必要性がなくなってきて、かなり自由な感じになりつつある。これは形骸化していると言っても過言ではない。
とはいえ、ルールの中でもエッチなことは禁止という部分は琥珀に強く言われていたので、それだけは庵の中で今でも印象強く残っていた。だからこそ、琥珀の絶対踏んではいけない地雷はこれだという思い込みをしていたのかもしれない。
「私はあのルール、もういらないって思ってます。私も、庵くんも、お互いを縛りたくないですよね」
「それはいいんだけど......じゃあ、俺が琥珀を押し倒したときのこと、約束破ったのは全然気にしてなかったのか?」
「気にしてない......って言ったら嘘になりますけど、別にあの約束破られたからってそんなに怒らないですよ。私が庵くんを突き飛ばしちゃったのは、もっと別の理由です」
形骸化したルールとはいえ、エッチなこと禁止という点においてはやはり琥珀の記憶にもまだ残っていたようだ。ただ、琥珀が庵を突き飛ばした理由はそこにはない。
「これまだ庵くんには話してなかったと思うんですけど、北条くんとの騒動の最後の日、私北条くんにベッドに押し倒されて、本当に襲われる寸前までいったんです。そのときのことが割とトラウマで、軽度のPTSDになったんですよ。だから、庵くんに押し倒されたとき、色々とフラッシュバックしちゃって......」
「北条に......! 琥珀それ、大丈夫だったのか!?」
初めて知る情報に驚きを隠せない庵。あんな筋肉の塊に押し倒されるなんて、想像するだけでも鳥肌が立つ。そして琥珀は襲われる寸前までいったというが、そんな状況でどう逃げ切ったのか想像がつかない。最悪の場合も考えてしまい、庵は不安で語気が荒くなってしまう。
「だ、大丈夫でした。まだその、誰ともしたことないですから」
「それは......ほ、本当だよな」
「当たり前ですよ。庵くんがあのとき私に通話をかけてくれたから、乗り切れたんです。あれがなかったら危なかったかもしれないですけど......」
「俺の通話? あんなのが何かの助けになったのか?」
「気持ちの面で助けられたんです。もう諦めようとしてたときに、庵くんが通話をかけてくれたので、それでまだ頑張ってみようと思えたんです。本当、ぎりぎりでしたけど」
素直にそれは良かったと喜べない話ではあるが、意図していない行動で最悪の場合を防げたようで、庵は静かに胸を撫でおろした。まだ本当に琥珀が処女なのか不安は残るが、琥珀の言い方的に、とりあえずは信じても大丈夫そうだ。
「ちょっと話が逸れたので戻しますけど、とにかくルールを破ったみたいなことはもう気にしないでください。私も、気にしないですから」
「......分かった。ありがとう、琥珀」
「それと、変な空気を作った私に責任がありますけど、でも私だけに責任があるって言ったら庵くんは納得しないと思うので、今回はお相子ってことにしておきましょう」
「琥珀がそれでいいなら......分かった」
「あと、それと......」
話題の軌道修正をして、話をまとめていく。庵にも大方納得してもらって、あと確認しておくことは他にないだろうか。桜色の唇に指先を当て、琥珀はみのりの言葉を思い出した。
『やっぱり私が一番重要だと思うのはお互いの気持ちのすり合わせだと思うんですよ~。二人の間にちょっと曖昧な部分とか、触れずらい部分があると、大体そこから亀裂が入っていくんですよねぇ。恋人と言っても所詮は他人なので、言われなくても察しろとか無理な話なわけでー。だから私は、もし彼氏ができたら、気持ちのすり合わせは絶対しようって思ってます。ちょっと恥ずかしいですけどねー』
みのり曰く、関係を不透明な状態にしておくのは良くないらしく、事前にお互いの許せる線引きを明確化しておくことで、円満な交際関係を構築できるらしい。
本当に元カレゼロ人なのか疑いたくなるような鋭いアドバイスだったが、みのりはどこでこの情報を仕入れたのだろうか。とりあえず、姉とは本当に真逆の性格をしている。
「庵くんは、その......」
「うん」
「庵くんは、その、私と、そういう......」
早速、みのりに言われた通り、琥珀が気持ちのすり合わせをしようとする。でも、なかなか言葉が出ない。恥ずかしいからだ。
「その......えっ?」
そのとき、突然琥珀のスカートのポケットが振動した。手を入れて確認すると、振動の正体はスマホなことが分かる。画面を見ると、見覚えのある名前からLINE通話がかかってきていた。
「電話? 誰から?」
「みのりちゃんです。秋ちゃんの妹さんで......え、どうしたんでしょう」
通話をかけてきた相手は秋の妹、小岩井みのり。つい最近LINEを交換したばかりで、まだそこまでやり取りもしていない。だというのに、いきなり通話をかけてくるなんて何用だろうか。思いつくのは、この前、小岩井家にお邪魔したときの話の続きくらいだ。
いろいろ考えても仕方ないので、とりあえず通話に出る。そうして、通話時間は00:00から一秒ずつ刻まれ出した。
『――あ、もしもし! 星宮さんですか!』
「はい私ですけど......どうしたんですか?」
勢いの良さはいつも通りだが、今のみのりは鬼気迫る勢いといった様子だ。何やら嫌な予感がする。そしてその悪い予感はすぐに的中して――、
『大変です! 星宮さんの同級生の朝比奈さんが、さっき廊下でいじめられてるの見かけちゃったんです! あれ、絶対やばいですよ!』
***
夕日が差し込み、茜色に照らされている空き教室。そこで一人の少女が机に直に座りながら、長い足をぶらぶらと楽しそうに揺らしていた。少女は鼻歌を歌いながら、己の長い黄髪を櫛で優しくとかしている。
「――そろそろ、かな」
少女はぽつりと呟いた。スマホを確認すると、時刻は5時32分。少女が待ち望んでいたそのときは、ゆっくりゆっくりと、訪れようとしている。
「いやー、ドキドキしちゃうなぁ。ワタシにうまくできるかなぁ」
少女はスマホをポケットに戻し、楽しそうに独り言を続ける。ずっとずっと待ち望んでいた時がようやく来るというのだから、少女にとってはこれほど嬉しいことはない。まるでクリスマスを待つ子供のように、心を躍らせてしまう。
「――」
ハンカチでくるまれた、少女にとって大切なものをぎゅっと強く握りしめた。それから瞼を閉め、手元のそれを己の頬に優しくこすりつける。ハンカチ越しに、硬い確かな感触が伝わってきた。これが、少女に勇気を与えてくれる。
そしてゆっくりと瞼を上げて、聖母のような笑みで小さく微笑んだ。沈みつつある太陽の日差しが、少女の座る机を、幻想的に照らしてくれる。
「始めるよ、ホージョーくん。あなたが、あの日叶えられなかった願いは、私が代わりに叶えるから」
◇宝石級美少女tips◇
宝石級美少女は重度のマザコン
この回、ありえないくらい難産でした。




