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宝石級美少女の命を救ったら付き合うことになりました  作者: マムル
最終章・前編

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◆第185話◆ 『過去最大級の駆け引きは突然始まりました』


「ふーっ」


 長いようで短かった新学期初日は終わり、放課後になった。南条という陽キャが「カラオケ行こうぜ」なんて言葉で周囲の人間を引き寄せているのを横目に、庵は黙々と帰宅の準備を進めていた。帰宅部エースとして模範的行動だ。


「――」


 リュックに荷物を詰め終え、それを背負おうとしたとき、隣の朝比奈がぼーっと虚空を見つめていることに気がついた。よく観察すると、どこか様子がおかしい。


「朝比奈? どうした?」


「――」


「なんか目元赤いけど......具合でも悪い?」


「......ほっといて」


 顔は合わせてくれない。言葉も冷たい。

 まだ新クラスに不満を募らせてイライラしているのだろうか。しかし、朝とは様子がだいぶ違う。朝の時点では、嫌々ながらも、庵と会話してくれるくらいの状態ではあったのだ。それと比べて今、気持ちの整理がついていないような呆然とした瞳をしているのは少し不自然に思えてしまう。


「お前、どうしたんだよ」


「......」


 つまり、今朝比奈がこんな状態にあるのは、また別に理由が――、


「――庵―。何してんだよ。さっさと帰ろ」


「あぁごめん。今行くわ」


 3組までやってきた暁に呼ばれ、庵は朝比奈を置いて教室を出る。彼女のことは気になるが、あの様子だと絶対に話してくれなさそうなのでどのみちだ。とにかく、何か深いわけがありそうなのはわかったが、これに庵が介入していいかはまた別の話なので、とりあえずは忘れておくことにする。


「ぁ」


 廊下を出て、ふと後ろを振り向くと、教室から琥珀が小さく手を振ってくれた。嬉しくて思わず口元が緩んでしまう。


「僕の前でいちゃつくなよ。嫉妬しちゃうだろ」


「暁はしないだろ」


 なんやかんや見知らぬところで女をたらしているこの男には言われたくない言葉だ。だが暁は誠実な男なので、あまり悪くは言えないが。


「よかったな、庵。星宮さんと一緒で」


「......そうだな、よかったよ。ありがとう」


 すぐに切り替えてそんな言葉をかけてくるので、庵は少し照れくさくなった。暁の心のこもった温かい言葉は胸にしみる。本当に良い友達を持ったと、庵はここで再確認できた。



***


 

 午後五時頃。

 琥珀が家にやってきた。毎度おなじみのお家デートだ。琥珀が庵宅に居る光景もだいぶ見慣れたものになってきて、最早庵にとって家族のような存在になってきている。琥珀の匂いも家に染み付きだして、庵の父である恭次きょうじが「芳香剤を買う必要がなくなったな」とコメントしていたのが印象深い。


 それはそうと、今日は琥珀に話したいことがあった。新学期のことについて話をするのもいいが、まず先に一つ報告したいことがあって――、


「そういえば俺、この前Netflix契約したんだよ。暁からおすすめの映画があるから見てほしいって頼まれてさ」


「えっ、そうなんですか!」


 そう、ネトフリ契約。映画やドラマが見放題の、暇つぶしに超有能な素晴らしいサービスだ。

 暁から頼まれたというのは半分建前で、本音のところは琥珀と一緒に映画が見たかった。彼女と一緒に映画を見るということに憧れがあったのだ。


「うん。だから、せっかく契約したんだから色々見たいんだけどさ。何か琥珀のおすすめある? 俺映画とかあんま見なくてわかんないんだよね」


「ありますありますっ。私もちょうど見たかったのがあるんです。じゃあ今日一緒に見ましょ!」


 しっかりと喰いついてくれた琥珀。マリンブルー色の瞳をいつもに増してキラキラと輝かせているので、契約して良かったと心の底から思えた。

 ただ一つ懸念点があって――、


「あ、でも今もう5時だし、映画見たら帰るの遅くなりそうだけど大丈夫?」


 そう、時間の問題だ。いくら琥珀が独り暮らしとはいえ、高校生の女の子を夜遅くまで自分の家にとどまらせるのは気が引ける。だから、ここの確認は絶対だ。


「大丈夫です。今日は学校から課題も何も出てないですからね。あとは、庵くんのお父さんに迷惑かけないかが心配なんですけど......」


「それは大丈夫だよ。今日は父さん夜勤だから、明日まで帰ってこないから」


「そうなんですね。なら良かったです」


 そうして、琥珀と映画を見ることに決まった庵。


 冷静に考えて、親が帰ってこない男の家で、夜遅くまで二人で過ごすというシチュエーションは、どう考えても”そういうこと”だ。だが、何度もお家デートをしてしてきた彼らは、だんだんとその認識が薄れてきていた。

 正常性バイアスとも言いかえれるだろうか。琥珀の警戒心は、今日も変わらずゼロに等しかった。庵に絶対的な信頼を抱いているのも、大きな理由の一つだろう。


「......」


 ただ、庵だけは違う。もちろん、今日琥珀を襲ってやろうなんて邪な考えは一切ない。ないのだが、それでも今日はさすがに意識せざるをえなかった。

 夜遅くなるかもと言っても、親が居ないと言っても、何一つ表情を変えなかった琥珀。そんな琥珀を、庵は警戒心が薄いとは思わない。だって、庵は琥珀から絶対的な信頼を向けられていると気づいているから。


 そういう意識はしても、手は出さない。そもそもだいぶ前に決めたルールで、琥珀にエッチなことは禁止と釘を刺されている。


 琥珀の信頼を裏切りたくない。もう二度と、琥珀を泣かせたくない。それはもちろんだし、これから先も変わらない思いだ。


 ただ、庵だって一人の男子高校生。琥珀の前では下ネタや下品な話題は一切出さず、性欲ないですよアピールを日々努めているが、ぶっちゃけ全然そんなことはない。正直、いくら強い信念があるとはいえ、こんな可愛い彼女ともし”万が一のシチュエーション”が起きようものなら、自分を抑えられる自信があまりなかった。


「ふふん。楽しみですねー」


 今日も今日とて、変わらぬ屈託なき笑顔を浮かべる琥珀。これを見て、庵は頭をぶんぶんと振って煩悩を捨てた。何も気にかける必要はない。今日も一日、いつ戻り幸せな時間を噛み締めよう。そう、心に誓った。



***



 庵の部屋には今まで使っていなかった19インチの小さなテレビがあった。今日はこの小さなテレビで琥珀おすすめの映画を見ることに。

 リビングのテレビはもっと大きいのだが、何となくリビングに琥珀を呼ぶのは気が引けるので、庵の部屋で鑑賞している。なんやかんやでここが一番落ち着くのだ。


「――」


「――」


 琥珀が選んだのは有名な洋画だった。ジャンルはラブロマンス。海外の映画というのは庵は少し抵抗があったが、見てみると意外と面白い。吹き替えで聞いているので、内容もスッと頭に入ってくる。


(うぁ......)


 洋画あるあるというべきか、物語の要所要所にキスシーンだったりラブシーンが多く出てきた。ジャンルがジャンルなのでそういうシーンが多いのは当たり前なのだが、女子とみるには気まずいからやめてほしい。


「――」


 ただ、琥珀はそうは感じていないようだった。端正な横顔は表情一つ変えず、ジッと画面を見つめている。お菓子とジュースを用意していたけど、口にしていたのは物語の序盤だけだった。会話も、全然していない。


 これは少し、意外だった。琥珀はこういうラブシーンを見たら恥ずかしがりそうな勝手なイメージを持っていたが、どんなシーンが来ても、何も動じなかった。庵と違い、しっかりと物語にのめりこんでいたのだ。


 それに気づくと、庵は途端に自分が恥ずかしくなってくる。いちいち心臓をドキドキさせている自分は、琥珀と比べて子供だなと、そう思わされた。


「――ぁ」


 クライマックスシーン。主人公と思いを寄せる女性が奇跡の再会を果たし、めでたく結ばれた。涙こそ出なかったが、しっかりと感動できるストーリーだったと言える。


「......」


 隣に座る琥珀が、何も言わず頭を庵の肩に乗せてきた。ふわりと良いシャンプーの香りが庵の鼻孔をくすぐる。表情は見えないけれど、琥珀も感動しているのだろう。


「よかったな」


「そうですね......」


 エンドロールが流れ出す。余韻にも浸れる、素晴らしい映画だった。



***



 そうして映画鑑賞が終わった。庵はテレビの電源を消して、テーブルの上のお菓子も片づけてしまう。それからフーっと深く息を吐いた。


「終盤の、主人公がマリーのことを走って探しに行くシーンが良かったです。なんかすごく、愛だなって思いました」


「わかる。あそこ本当に良かった。あの状況で動けるのほんとすごいよ」


 今はベッドに隣り合わせで座って、感想を語らいあっていた。琥珀は未だしみじみとした表情で、映画の余韻に浸っている様子だ。それくらい、あの映画は琥珀にとってドストライクだったのだろう。


「最後はみんなが主人公のこと助けてくれて、ほんとに報われる最後で良かったなって......」


「うん。ほんと、わかるよ」


 感想は止まらない。内容が本当によくできていて、あと数時間はこの話を続けていられる。それに、このどこかふわふわした空気が心地よかった。


「愛って、すごいですね。あんなに愛されていたら、すごく幸せなんでしょうね......」


「......」


 突然そんなことを言うので、庵はとっさに言葉を返せなかった。今の琥珀の言葉にはなんと返すのが正解だったのだろうか。あの映画風に言うなら、”だったら俺が幸せにしてやる”が正解なのだろうが、庵にはそんなことを言う勇気はない。


「幸せ、か......」


 それはそうと、さっきから琥珀は庵の肩に頭を乗せたままだ。一度その場から離れても、ベッドに戻るとまたすぐに何も言わず頭を乗せてくる。詳しい心情は分からないが、琥珀は今そういう気分なのだろう。


 この小さな重みで、琥珀が確かに隣にいるということを実感できる。心臓は少々早く脈打つが、今はこの時間がただ心地いい。本当に、幸せな時間だ。


「庵くん」


「どうした?」


 ふと、琥珀に名前を呼ばれた。若干、琥珀の耳が赤くなっている。


「前、庵くんが私にキスしてくれたとき、怒っちゃってごめんなさい。あのとき、ひどいこと沢山言っちゃいましたよね」


「えっ。急にどうしたんだよ」


「ずっと、そのこと謝りたかったんです。ほんと、言い過ぎたなって。でも、恥ずかしくてなかなか言い出せなくて」


 突然、約一か月前のファーストキスの話を持ってきた琥珀。それは庵の黒歴史の一つだ。だが、それについて琥珀が謝ることは何一つないと庵は思う。何せ、あれは空気を読めてなかった庵が悪かったのだ。あのタイミングで突然キスをし出した庵にしか非はない。だから、この件で琥珀が申し訳なさを感じるのはお門違いだ。


「それは......悪いのは俺だよ。せめて、確認ぐらい取ればよかったって思ってるし、琥珀が怒るのは当たり前だよ。琥珀は悪くないから、謝らないで」


「......庵くん」


 琥珀は何も悪くない。そう伝えると、琥珀は庵の肩から頭を上げた。それから雪色の髪を耳にかけて、琥珀の手が庵の頬に伸びた。


「――ぇ」


 


 琥珀の小さな顔が間近に迫って、その桜色の唇が、庵の唇を奪った。長いまつ毛が、庵の視界を大きく遮る。そしてすぐ、柔らかな感触は遠ざかった。

 それはあまりにも突然で、一瞬の出来事だった。




「......えっ? え、えぇ」


 ださいと思われても構わない。もう動揺が隠せなくて、琥珀を目の前にしてテンパってしまう。今何をされたのか、それすら理解が追いつかなかった。


「......これが、私たちのファーストキスってことにしましょ」


 そう震えた声で、言葉を口にした琥珀。頬はほんのり赤く染まって、恥ずかし気に口元を拳で隠している。視線も、庵の顔からだいぶ逸れていた。 

 

「嫌、でしたか?」


「な、なわけないだろ。突然すぎてびっくりはしたけど、えっと、その、あっ、嬉しかった」


「......そうですか。なら良かったです」


 無論、嫌なはずがない。あの星宮琥珀と、宝石級美少女とまたキスをしたのだ。しかも今度は琥珀側からだ。今はまだ脳の処理が追いついていないだけで、飛び跳ねたいくらい嬉しいに決まっている。


「なんかすごく、変な気分になっちゃいますね......」


「た、確かにな。俺もなんか、変な感じだ」


「......はい」


 それから、会話が途絶える。ちょっと気まずいけれど、この時間が苦とはまったく思わない。


(はぁ......っ、はぁ......っ。っすー......はぁ)


 さっき見た映画のことなど頭から完全に消し飛んだ。もう、頭の中は今の琥珀のキスのことでいっぱいだ。まだ唇に、先ほどの柔らかな感触がよく残っている。ほんと、今こうしているのが現実なのか疑いたくなるくらいだ。


(っしぃー......)


 庵の緊張は冷めやむどころか、どんどんと熱気を帯びてきだす。だって、仕方ない。こんな空気になってしまえば、男なら誰しもが悪い考えを頭にちらつかせてしまう。その先を夢見てしまう。


 ――キスして、それで終わりでいいのか? と。



「......」


 琥珀がもじもじとしている中、庵はごくりと喉を鳴らした。そう、ついに来てしまったのだ。”万が一のシチュエーション”というやつが。


(これ、は......)


 現在時刻19時42分。親は夜勤のため不在。琥珀からは夜遅くに帰ることになってもいいと許可が下りている。


 そして、庵の机の引き出しには、いつぞやの父が買ってきた”ゴム”が保存されていた。勿論、新品の未使用だ。


(そういう、空気なのか?)


 またとない機会の到来に、理性が飛ぶ。

 今までに感じたことのない重みのある空気だ。手汗の分泌量がおかしい。頭がくらくらする。琥珀は何もしゃべってくれない。それがまるで、何かを待っているように思えてしまう。


(今、琥珀をベッドに押し倒したら、どうなるんだ)

 

 この恋愛感情ゼロから始まった交際関係において、過去最大級の駆け引きが今、始まろうとしていた。

 




ずっとやりたかった展開(その2)。

さあどうなる。


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― 新着の感想 ―
甘酸っぺぇー!最高だ!朝比奈心配してたら急にめちゃくちゃ甘くなってびっくりした
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