◆第176話◆ 『祝勝会』
「――あ、きたきたー。琥珀ちゃーん、こっちだよー」
人混みが一番激しくなる時間帯の店内に、よく通る甲高い声が琥珀の名を呼ぶ。その声が聞こえる方向へ、庵は琥珀の小さな手を掴みながら先導した。時折後ろを確認しながら、琥珀がどこかに体をぶつけないかも注意する。
「い、庵くん。もういいですよ」
「了解」
目的の席へまではあとちょっと。はぐれないようにと手を繋いでいたが、ここまで来ればもうそんな心配もいらないだろう。
「うわぁ、いきなりイチャイチャを見せられてアタシなんか複雑〜。やっぱ2人とも帰ってもらおっかな」
「今日の主役を早速帰らそうとするなよ。てか、別にこれくらい普通だろ」
「へー、言うようになったね庵先輩。かっくぃー」
横に長い長方形のソファが焼肉用のテーブルを挟んで2つ。そこには、前島愛利と黒羽暁が既に席についていて、庵と琥珀の来店を温かく迎えてくれる。
「いつぞやの庵先輩がもう懐かしいわ。アタシの蹴りを喰らって『もうやべでくだじゃい〜!』って泣き叫んでたのがつい最近だってんのにさ。いやー、あっぱれあっぱれ」
「琥珀の前で勝手な過去を捏造すんなよ。琥珀、今の違うからな。俺、あんなダサいこと言わないから」
「え、あ、はい」
椅子に片足を組みながら座る愛利が、顔だけこちらに向け、ケラケラと肩をすくめながらからかってくる。そんな生意気な後輩に庵は小さくため息をついてから、愛利と反対の席に座るもう一人の方に視線を向けた。
「2人とも久しぶり。元気してた?」
黒羽暁。愛利とは違って、しっかり体ごとこちらに向けて、気持ちの良い挨拶をしてくれる。その爽やかな声は、聞いているこちらも気分が良くなる。その横、話しかけられていない愛利の方が何故か一番過剰に反応していたのは置いとこう。
「黒羽くん......病院で会った日以来ですね。私はお陰さまでだいぶ元気になりましたよ」
「そっか。ずっと心配してたから良かったよ」
「心配ありがとうございます。黒羽くんも元気そうでよかったです」
「まぁ僕は、良くも悪くも一番被害が少なかったっぽいからね」
小さく笑い合いながら、お互いの無事を確認する暁と琥珀。そんな二人の様子を見て、あれここの二人ってこんな気軽に話せる関係だったっけと少々の疑問が浮かぶが、別に問いただすほどでもないので、浮かんだ疑問は心の隅に追いやっておく。
「庵も元気にしてたか? まぁ、お前のことだし大丈夫だとは思うけど」
「俺のこともちゃんと心配しろよ。......まぁ、まだ絶賛骨折中で包帯もぐるぐるで固定中だけど、だいぶ慣れたし、問題はないかな。強いて言えば包帯交換するのが面倒くさいだけ」
「あーあれ面倒くさいよな。僕も小学生のとき跳び箱の授業で指ぽっくり逝ったことあって、毎日包帯交換してたときあったよ。あれは大変だったなぁ」
「なんか唐突にらしくないエピソードが飛び出してきたな」
暁の跳び箱エピソードはさておき、庵と暁もお互いの無事を確認することができた。さて、これにて顔合わせは終わり、ようやく本題に入っていくわけなのだが――、
「――あの」
ちょんちょんと、庵の裾を軽く引っ張ってくる琥珀。目を合わせると、少し不安そうな視線が返ってくる。隣にいる彼女は、実はさっきからずっと戸惑いの表情を浮かべていたのだ。
「そろそろ説明してもらってもいいですか。なんでいきなり焼肉店に......私、今日お金持ってきてないですよ」
「そうだよな。ごめんごめん。今説明するから」
実はまだ、琥珀だけが今日のこの集まりについて何も情報を持っていない。
今、庵たちが居るのは地元では少しお高いと噂の焼肉店。そんなところに、琥珀は何も知らされず突然連れてこられたものなので、混乱してしまうのも無理はない。正直なところ、琥珀に隠しておく意味はあまりなかったのだが、愛利がどうせならサプライズにしようというので、こうなっただけなのだ。
「――今日は愛利と暁の奢りで、焼き肉をするんだ。最近いろいろあったし、一回みんなで顔を合わせてお互い腹を割って色々と話そう的な感じの集まりだよ。題してっ......えーと、なんだったっけ」
「『北条のクソ野郎討伐祝勝会』でしょ」
「それ不採用って言っただろ。ド直球すぎるんだよ」
この集まりの説明をしようとしたら、愛利に余計な茶々を入れられ、庵は肩を落とす。北条に腹が立っているのは分かるが、流石に不謹慎なので慎んでほしいところだ。
「――この場は僕が提案して作ったものだよ。康弘関連でいろいろあったからさ。みんな話したいことや聞きたいことがあると思って、勝手にセッティングさせてもらったんだ。僕としては星宮さんにも事前に伝えておきたかったんだど......こんな突然伝える形になっちゃってごめんね」
庵と愛利を差し置き、代わりに暁が丁寧な説明をしてくれる。その柔らかい物腰に、琥珀は若干の申しなさを感じつつも、今の説明以前にどうしても気になることがあるのでそれをまず先に聞く。
「えっと、それは分かったんですけど、さっき前島さんと、黒羽くんの奢りって聞こえたんですけど......それは大丈夫なんですか?」
それは先程庵がしれっと口にしていた”二人の奢り”という部分。焼き肉を奢ってもらえるなんてすごい太っ腹だと思えるのだが、同時にタダメシを食らうことへの罪悪感も芽生えてしまう。そんな不安に、暁は苦笑混じりに言葉をかけてくれて――、
「大丈夫だよ。僕もバイトしてるしね。というか、普段からあまりお金を使う機会がないから、使い所をちょうど探してたんだよ。まぁ、ほんとは僕一人で全部奢るつもりだったんだけど......」
「だって、暁くん一人に全部奢らせるとか可哀想じゃん! ここの焼き肉ちょー高いんだから!」
「いやそんなに高くはないんだけどね。でも、前島さんがどうしても割り勘してくれるっていうから、二人でお金を出し合うことにしたんだ。ありがとね、前島さん」
「あっ、うん......これくらい全然お安い御用とゆーか、全然大丈夫っす」
”大丈夫”という旨の返答が返ってきたはいいが、眼の前で暁と愛利が意味深なやり取り(主に愛利)をしだすので、いまいちこれ以上の深堀りがしにくくなってしまう。さすがの琥珀も、この二人の様子には何か察するものがあった。
「えっと、庵くん。二人はこう言ってますけど、本当に良いんですか。私、あとで全然お金返しますけど......」
「別にいいだろ。俺も最初は遠慮したけど、暁がどうしてもって言うからさ。ここは言われた通り、おとなしく奢られたほうがあいつらも喜んでくれるって。まぁ、愛利に関してはよく分からんけど」
「そう、ですか......」
庵が説得するも、あまり納得のいってなさそうな琥珀。そんなどこまでも優しくて遠慮がちな彼女を見て、思わず頬を緩めてしまう。
「琥珀は優しすぎ。俺だったら、男に二言は言わせないためにも、めちゃくちゃ高い肉食いまくって暁の財布をすっからかんにさせるけどな」
「そんなことしたらだめですよ。黒羽くんが困っちゃいますから」
「まぁそうだけど、遠慮ばっかだと人生損するぞ。せっかく振ってきたチャンスは、俺は最大限利用したいって考えちゃうな。俺ん家に初めて琥珀が凸ってきた日みたいに」
「きゅ、急に変なこと言わないでくださいっ」
決して冗談ではないのだが、少し冗談めかして過去を掘り返してみたら、琥珀は唐突なフラッシュバックに少し頬を赤らめてしまう。そんな二人のやり取りを、愛利はジトーっとした視線で眺めていて。
「はいそこ、いちゃつかない。そろそろアタシぶん殴るよ」
「いちいちうるさいな。お前もお前で大概だろ」
「ぶん殴るよ」
「――」
愛利の有無を言わせぬ覇気に、一度は反論を試みるも、すぐに白旗を上げる。いつだって物騒な後輩にもそろそろ慣れてきたところで、下手に反論するのは悪手だとそろそろ理解してきた。
「......黒羽くん、しつこくて申し訳ないんですけど、今日は本当にご馳走になってもいいんですか? こんなに高そうなお店なのに」
「ははっ、別にいいよ。そんなに気にしなくてもさ、さっきも言ったけど、この店そんな高くないし。その割になかなか良い肉が出てくるんだよ。あ、なんかすごい上から目線なこと言ったかも」
反省のつもりか、眼の前を通り過ぎた従業員に、わざとらしく手を合わせて謝罪する暁。そんな彼は、琥珀の苦笑に一役買う。
「まぁさっき庵も言ってたけど、あんま気にせず好きに注文してくれたら嬉しいな。そうじゃないとこっちも変な気遣っちゃうしね」
「そう、ですか。分かりました。あっ、ありがとうございます」
「うん。どういたしまして」
ようやく琥珀も納得したのか、少し恥ずかしそうに小さく頭を下げる。そんな琥珀に暁は頬をほころばせ、席に座るよう促した。女の扱いの天性の才能があるのか、相応の場数を踏んでいるのか、暁はなかなかにやる男だ。あっさり琥珀を丸め込んだ彼に、庵は少しモヤモヤとしたものを感じてしまう。
「......お前が俺の敵に回らないことを祈ってる」
「うん?」
庵の負け惜しみな発言に、暁は意味が分からず首を傾げる。そうして庵は一度意味もなくため息をつき、気持ちを切り替えた。そして今一度この場にいるメンバーを見渡す。
「――んで、今のとこ俺と琥珀と暁と愛利だけ、か。まぁ、そうだよな」
「え、この4人だけじゃないんですか?」
庵の言葉に、琥珀が髪を揺らしながら、驚いた面持ちでこちらを振り向く。その疑問に頷いてから、腰に手を当てて、僅かに肩を落とした。
「いや、あともう一人誘ってたんだけどさ。LINEではだいぶご立腹だったし、やっぱ来ないかな」
「ご立腹って......誰を誘っ――」
「あ、あれじゃね」
琥珀の言葉を遮り、愛利が気だるげな口調で、店の出口の先の玄関を指差す。その出口である自動ドア奥のガチャガチャコーナーには、一人の、ベージュ色のコートを羽織った藍色のツインテールの女が突っ立ていた。その特徴的な姿に、庵はすぐに合点がいく。
「え、あれじゃん。てか居るじゃん。あいつ、何してんだ」
「多分待ち合わせ場所を勘違いしてるんじゃないかな。庵、迎えに行ってあげなよ」
「ああ、分かった」
暁の言葉に従い、庵はみんなと別れて一人出口へと向かう。そして自動ドアをくぐり、目的の女の背後に立った。まだ相手は庵の存在に気づいてない様子で、スマホを片手で持ちながらボーッと眺めている。一瞬背後からぽんと肩を叩いて驚かそうかとも考えたが、そんな気安い関係ではないので余計な考えはすぐに引っ込めた。
「――何してんだよ朝比奈」
「あ」
とりあえず普通に話しかける。そうすると、女は――朝比奈美結はゆっくりとこちらを振り向き、ジトッと紫色の瞳を向けてきた。
「こんなとこにいたら寒いだろ。なんで店内に入ってこないんだよ」
「気軽に、言ってくるわね」
「ん?」
何の悪気もなく庵は話しかけたつもりだったが、朝比奈は恨めしそうな様子で睨みつけてくる。そうすると、朝比奈はツインテールを揺らしながら自動ドアの先の店内を指差し、少しだけ声を荒げた。
「そんな簡単に入れるわけないじゃんっ。私があのメンバーの中でどれだけ肩身狭いと思ってるの」
「あ、まぁそれは確かにな。でもほら、今日来てくれたってことは、お前も今日の集まりを前向きに考えてくれたってことだろ。なら、そんな気にしなくても、みんなは朝比奈のこと――」
「あんたたちが勝手に私の分まで予約したんでしょ? 私、参加しますなんて一言も言ってないけどっ。なんなの、馬鹿なの? 私が今日予定空いてなかったらどうしてたの?」
「あー......文句は暁に言ってくれ。朝比奈も誘おうって言ったの暁だから」
「アキラって誰よ!」
そうして、この集まりの最後の参加者――朝比奈美結が揃い、此度の祝勝会と今後の方針について話し合う場が開かれることになった。
お久しぶりです。
今日からまた更新を再開していこうと思います。
完結までの大体のプロットは組めたので、あとは最後までこの物語を書き切ります。
残り20話ちょい......くらいかな。わかんない。
最後の最後まで、庵と琥珀の物語、そして他キャラの動きにも注目してもらえると嬉しいです。




