◆第165話◆ 『宝石級美少女の部屋にお邪魔しました』
琥珀の退院の許可が下り、庵と琥珀は恭次の車で帰宅することになった。
後部座席に庵と琥珀が並んで座っていて、特に何か話すわけではなく、お互い窓越しの夜景を見たりボーっとしたりしている。話したいことならまだ沢山あるが、親の前では気まずくてお互いに遠慮していた。
「いやぁ、父さんも何がなんだか未だに頭の整理がついてなくてなぁ。ほんとびっくりだよ」
「――」
「えっと、彼女さんの方はもう大丈夫なのかい?」
「あっ、私はその、大丈夫ですっ。......助けてもらったので」
「大丈夫ではないだろうけどなぁ......でも、今日中に家に帰れて良かったな。ったく、とんでもない奴が学校に居たもんだ」
恭次にも今回の一連の流れの説明はしてあるが、未だに理解が追いついていないらしい。クラスの男子が息子の彼女を殺そうとしていたなんて現実味のない話、理解しろという方が無理のあることかもしれないが。
「そういえば、明日は臨時休校になるらしいぞ。まぁ、今頃学校の方もてんやわんやだろうし、仕方ない話だろうがなぁ」
「え、マジか。まぁ明日学校あっても行かんけど」
どうやら学校側にも今回の件についての報告がいったらしく、しばらくは休校になるらしい。文化祭が近づいていたが、それはまた別日に延期になるのだろうか。
「まぁ庵も星宮さんも、今日明日はゆっくり休んだほうがいい。父さんも、今日はもう疲れた」
恭次の言葉に、庵はちょっとした安心感を覚える。激動の一日があったからこそ、平和な明日が訪れることに安堵しているのだろう。隣の琥珀も、心なしか少し表情が和らいでいるように見えた。
「よし、ここだな。ついたよ星宮さん」
「あっ、ありがとうございますっ」
ポツポツと会話している内に琥珀のマンションまで到着した。琥珀は恭次にぺこりとお礼を言い、庵の方に視線を向ける。
「えっと、それじゃあ庵くんも今日はありがとうございました」
「そだな。今日はお疲れ。ゆっくり休めよ」
「は、はい。そう、ですね」
別れの挨拶を交わしたはずが、琥珀はまだ何か言いたげに庵の顔をジッと見ていた。庵が不思議に顔を傾げると、琥珀は顔を俯かせる。
「あの......」
「え?」
「さっき、私がコンビニで言おうとしていたことなんですけど......」
コンビニで言おうとしていたこと。それは琥珀が「やっぱりなんでもないです」と言うのを止め、庵にもやもやを残したままになった会話の一つだった。
「ぁ、っと......」
「――」
今になって言うのかと思いきや、なかなか次の言葉が出てこない琥珀。よほど言いにくいことなのだろうか。指をちょんちょんとしながら、視線があっちこっちに彷徨っている。
「――あー、庵。まだ何か星宮さんと話があるなら、庵もここで降りるか?」
突如、恭次が割り込み、そう提案をしてきた。庵は琥珀から視線を逸らし、素っ頓狂な声を上げる。
「うぇ!?」
「帰りたくなったらLINEを送ってくれ。そしたら迎えに行く。けど、あんま夜ふかしはするなよ」
答える間もなく、庵もここで降りることが勝手に決められる。想定外のことにあたふたとするが、琥珀は何故か平然としていた。否、平然というよりも、どこかむずむずとしていて――、
「ちょっと、お話しませんか?」
「え。ま、まぁ、別いいけど」
恭次のアシストもあってか、星宮が庵の腕を弱々しく引っ張ってきた。その上目遣いに耐えられず、庵は頭が回らなくなって、いつの間にか首を縦に振っている。そうすると、琥珀はどこか安心したような顔つきに変わった。
「星宮さん怪我してるし、あまり困らせるなよ。お前は男なんだから、しっかりフォローしてやれ」
やれやれといった様子で恭次は微笑み、サイドウインドウを閉じる。
夜風が吹く寒空の下に立つ庵と琥珀は、恭次の車が段々と視界から遠ざかっていくのを意味もなく見届け続けた。琥珀と共に取り残された庵は頭をポリポリと掻きながら苦笑いを浮かべる。
「あ」
ボーっとしていると、裾をくいっくいっと引っ張られる感覚があった。その感覚の先には、寒さからか恥ずかしさからか、わずかに頬を赤らめて視線を合わせようとしない琥珀の姿があって――、
「寒いので、とりあえず私の家に来てください。私も庵くんも、風邪引いちゃいますよ」
「......マジで? 俺、星宮の家行っていいの?」
正直期待していなかったわけではないが、琥珀に初めて家に招待された。行く気は満々なのだが、心の何処かにある不安が一応確認を取るよう訴えている。
「別に大丈夫ですよ。庵くんの部屋みたいに、面白いものは何もないですけどね」
「マジか......え、夜だけど、それは大丈夫なのか?」
「......? 私、一人暮らしなので別に大丈夫ですよ?」
「......」
何もなくはない。庵にとって夜に女子と家で過ごすということは、お泊りデートとほぼ同義であるのだ。つまり、あんなことやそんなことが起きてしまう、そういうリスクを孕むということ。
「星宮ってもしかして結構警戒心薄い?」
「......あー、そういう」
ようやく琥珀も理解したのか、もじもじとしながら庵にジト―っとした視線を送ってくる。
「ちょっとお話して、お願い事聞いてもらうだけです。庵くんにしてもらうのは、それだけです。変なことはなしですよ」
「あー、そうだよな。ごめん、なんか」
変なことはなしと言われているのに、お願い事と聞いて良からぬ妄想をしてしまう。今日は激動の一日であったが、どうやら今日という日はまだ終わらないらしい。二人は足並みを揃えて、琥珀の自宅のあるマンションへと向かっていった。
「あと、また”星宮”に戻ってます。別にいいですけど」
「あ、ごめん」
ちょっと声のトーンが低かったので、別によくはなさそうだ。
***
「これが......女子の部屋!」
そうして、ついに”まともな形””で初めて訪れることに成功した琥珀の部屋。女子の部屋に入るという人生においての実績を解除した庵は、感動に胸を震わせていた。
「ヤバい、この部屋めっちゃ星宮の匂いする」
「嗅がないでくださいっ。私の部屋ですから、当たり前じゃないですか」
つい思ったことを口走ったら、案の定琥珀に怒られた。
「......適当に座ってもらって大丈夫ですよ。あ、私の勉強机にお菓子置いてあるので、それ勝手に食べても大丈夫です」
「お、おう。分かった」
庵は琥珀の勉強机に恐る恐る座り、普段とは違う環境であることによる居心地の悪さをしみじみと感じる。だが、別に嫌な感覚ではなかった。それは勿論、琥珀の家だからである。
「えっと、それじゃあ私、今からお風呂入ろうと思うんですけど、ちょっと待っててもらっててもいいですか?」
「おおお、お風呂!?」
「な、なんでそんな驚くんですかっ」
唐突な琥珀の言葉に、何の身構えもしていなかった庵はオーバーな反応をしてしまった。そのせいで琥珀も変に意識してしまったのか、ほんのりと頬が赤くなっていく。
「あっ、いや、ごめん。大丈夫。待っとくよ」
「......もう」
琥珀がそっぽを向いてしまう。焦った庵は、何か気の利いた言葉でもかけようとして――、
「あ、浴槽とか洗わなくて大丈夫か? もしよかったら俺が――」
「今日はシャワーで済ますので大丈夫ですっ」
「あっ」
若干怒った様子で、琥珀は着替えを手にして庵の前から颯爽と(松葉杖にしては)姿を消してしまった。さすがに女子の使う浴槽を洗うという提案はキモかったかもしれない。変に気まずい空気を作ってしまったことを後悔し、庵は頭を抱えた。
***
――琥珀のお風呂待機中。
琥珀の勉強机はシンプルなもので、整理整頓がきちんと行われ大切に使っていることが一目見て分かる。庵も持っている学校の教科書が琥珀の机にもあるのを見て、やっぱりここは琥珀の部屋なんだなと改めて再認識させられた。
それはそうと、今、庵の意識は琥珀の部屋にはない話をしよう。
「......生々しいな」
壁が薄いのか、風呂場が近いからなのかは分からないが、シャワー音が割とダイレクトに聞こえてくる。今頃、シャンプーをしているくらいの時間が経っただろうか。その間、庵はスマホを一切いじらず、何もせずにただ耳をすましていた。
「そうだよな。星宮も風呂入るよな」
星宮も庵と同じ高校生であり、違いは性別だけ。だというのに、なぜか当たり前のことで妙に納得してしまい、庵は不思議な感覚に陥る。
「......なんか、すごいドキドキしてきた」
交際関係になって以降、琥珀について知らなかったことを沢山知ってきたつもりではあるが、今日知ったことは今までのものとは”質”が違う。風呂という、琥珀が今まで日常的に行ってきた生活の一部。それを間近で見せられ、何か見えない階段を大きく上ったような気がした。
「お」
風呂場のドアが開く音がする。風呂の音を聞いていたなんて思われたら気持ち悪がられるので、庵は咄嗟にスマホを取り出し、用もなく画面をスクロールする。
「――ん、と」
約30分くらいだっただろうか。琥珀が風呂から戻ってきた。
「おー、お、お、おお」
「え。なんですか?」
「......いや、なんでもない」
湯上がりの女子は良いと、現実では勿論、ネットの掲示板やアニメの世界でも有名な話だ。それは普段のギャップからくるものなのか、ただ単純に濡れているからエロいのか。はたまたその両方なのか。
湯上がりの琥珀は、良かった。どう良かったかといえば、頬がほんのりと赤くなっているのが可愛くて、雪色の髪がしっとりと濡れていてるのがいつもより大人びていて、でもパジャマはモコモコが沢山付いたピンク色なのが子供っぽくて。
写真に一枚収めたいくらいに、本当に可愛いかった。尚、庵は今まで一度も琥珀の写真を撮ったことがないが。
「ちょっとそこどけてもらってもいいですか。髪乾かしたいので」
「わ、かった」
庵が勉強机から立ち上がり、湯上がりの琥珀とすれ違う。そうすると、ほのかな熱気と鼻腔をくすぐる良い匂いが庵の心臓を鷲掴みにした。
「――え、あのさ星宮」
「なんですか?」
ずっと女子に聞きたかった、長年抱え続けていた疑問。今こそそれを聞くべきタイミングなのかもしれない。
「女子って、なんでそんな良い匂いするんだ?」
「っ。だから、嗅がないでください。......嬉しいですけど」
どストレートに質問したら、また琥珀にジト―っとした視線を向けられてしまう。嗅ぐつもりがなくても鼻が匂いを感知するので、これは不可抗力だ。
「ボディクリームかシャンプーの香りだと思いますけど......これ、そんなに良い匂いですか?」
「あぁ、なるほどな。めっちゃ良い匂いだぞ」
「そうなんですか。ありがとうございます。高校生になってからずっとこれ使ってるんですよねー。私もお気に入りです」
そう言って、さっきまで庵が座っていた勉強机に座り、引き出しからピンク色のかごを取り出す琥珀。そのかごから鏡、ドライヤー、ヘアオイル、くし、化粧水、乳液、美容液、謎のクリームと、多種多様のものを取り出している。
「女子ってすごいな。俺なんか髪乾かさずにいつも寝るけど」
自分に対し、これといった努力を何もしていない庵。それに対して琥珀は、毎日沢山の努力を欠かさずに行っているのだ。こんな努力の差を見せつけられると、さすがの庵もスキンケアくらいしようかなという気持ちが芽生えてくる。
「あ......ちょっと肌荒れしてます。最悪です......」
鏡で自分の整った顔を見つめ、肩を落とす琥珀。どうやら庵も見つけた右頬のニキビに気づいたらしい。とはいっても、そこまで目立った位置にあるわけではないが。
「――星宮」
「ん、なんですか?」
「俺が星宮の髪乾かしてもいい、ですか?」
「えっ?」
突然の庵の提案に、化粧水を塗る琥珀の手が止まる。庵はごくりと息を飲んで、琥珀の反応を待った。
「......やってもらえるなら、別いいですよ。お願いします」
「ま、マジで? よしっ」
「あ、でも待ってください。先にヘアオイル付けるので」
琥珀の許可が下りたので、庵が琥珀の髪を乾かすことに。庵は小さくガッツポーズをし、琥珀の後ろに立つ。そこには、しっとりと濡れる琥珀のセミロングヘアが間近にあった。琥珀は一度髪を手で束にし、それをぱさりと庵の前で下ろす。
「人にドライヤーかけてもらうの、昔お母さんにかけてもらった以来ですね」
「そうなんだ。あ、一応言っとくけど、俺女子の髪とかドライヤーかけたことないから、なんかヤバいやり方してたら言って」
「ドライヤーは近づけすぎなかったら大丈夫です」
そうして、庵は壁にあった差込口にドライヤーのコンセントを差し、琥珀の髪を乾かすため意気込む。無駄に緊張して手が震える庵を見て、琥珀はくすりと笑っていた。
そんな二人のやり取りは、傍から見たらまるで新婚夫婦のように見えただろう。
残り2話です!




