◆第162話◆ 『恋する乙女』
「よっ。おつかれ、庵先輩」
「愛利」
「もう琥珀ちゃんとは話してきたー?」
星宮の病室から出て、一度父親の元へ戻ろうとしている最中。後ろからかけられた言葉に庵は足を止めた。病院には場違いな金髪ギャルが、患者服を着てにへらと笑っている。
「まぁ、ちょっとは話してきた。やっぱあんま元気なさそうだったけど、俺に迷惑かけてごめんって謝ってくれたよ。もう、一人では抱え込まないだとさ。まぁ時間は少しかかるかもしれないけど、あれならすぐ立ち直ると思う」
「へー。琥珀ちゃん、自分が反省するべきとこちゃんと分かってんじゃん。そうそう、別にアタシらは琥珀ちゃんの味方なんだから、別にいくらでも頼ってくれていいわけ。分かればいいの分かれば」
「お前、つい最近まで星宮のこと”面倒くさい”だの”バカ”だのいろいろ言ってなかったか?」
「まぁでもそれは事実だし? てか、あんたと琥珀ちゃんってそういうとこ似てるよね。いつまでもウジウジして、勝手に一人で泥沼にハマってくとこ」
似た者同士と言われ、庵は心底不快そうに頭を抱えた。女がうじうじしているのはまだ分かるが、男がうじうじしているとこほど見ていて情けないものはない。だが内容はともかく、星宮と似ているという部分だけは言われて嬉しかった。
「まぁでも、琥珀ちゃんがまた自分を追い詰めるようなことにならんくてよかったわ。正直、こっからはアタシらに負い目を感じすぎた琥珀ちゃんが鬱になって、それをみんなで助ける第二章が始まるかと思ったんだよね」
「おい、縁起でもないこと言うなよ。星宮はそんなことで鬱にならんし、もっと強いから」
「うわー言うねー。彼氏面アピですかぁー? そういうのだるいんだよねぇ、ったくさ」
「......」
彼氏面とか関係なく無意識に反論をしたつもりなのだが、何故か嫌な顔をされてしまう。さっきも秋にボソッと愚痴を言われたので、もしかしたら庵の無意識は人を不快にさせるのかもしれない。一応、発言には注意をしたほうがよさそうだ。
「んで、お前の方は大丈夫だったのか?」
「アタシ? アタシの心配してくれんの?」
「一応するだろ」
そう言うと、愛利が病院の壁に背中を預けて、少し神妙な面持ちになった。
「アタシはまぁ、お腹にナイフぶすってされたけど、ジャージとかモコモコとか色々着てたし、刺さりどころも良くて、全然軽症だった。ちょっと油断してたのがいけんかったなー」
庵は愛利がどういう怪我を負っていたのか何も知らなかったので、今ここで初めてそれを知り、大きく目を見開いた。お腹にナイフぶすっなんて可愛らしい表現をしているが、よくよく考えれば、いやよくよく考えなくても大惨事だ。
「ナイフぶすってお前、大丈夫かよ!?」
「大丈夫大丈夫ー。さすがに刺されたときは焦ったけど、でも直ぐにアタシ助けられてさ」
「助け? 誰が......」
庵が質問を投げかけようとしたタイミングで、一つの足音が庵たちの元に近づいてきた。その瞬間、愛利の様子が一気におかしくなり、顔が真っ赤になってしまう。
「――庵、こんなとこに居たんだな。怪我は大丈夫だったか?」
「あ、暁。まぁなんとか大丈夫って感じだな」
このタイミングでやってきたのは、庵の唯一の男友達の黒羽暁。暁も、星宮救出に貢献してくれた、庵のピンチを救った功労者の一人だ。尚、暁は特に負傷していないので私服のままである。
「前島さんも居るじゃん。前島さん、怪我は大丈夫だった?」
「え、えぇっ。あ、うんっ。大丈夫、だった」
「そっか、なら良かったよ」
普通に会話をする暁と愛利(愛利はだいぶ様子がおかしいが)を見て、庵は当たり前の疑問が浮かんだ。
「え、暁と愛利って知り合いなの?」
「知り合いっていうか、昨日会ったばっか。前島さんが公園で血流しながら倒れてたからさ、僕が助けたんだよ」
どんな出会い方だよと突っ込みたくなるが、その前に庵は合点が行った。今さっき愛利が助けられたと言っていた人物とは暁のことだと。
「あー、そういう......だから暁も助けに来てくれたのか」
「うん。前島さんに庵たちを助けてって頼まれたからさ。いやでも、流石にびっくりしたよ。康弘のこともそうだけど、まさか僕の知らないとこで友達が大事件に巻き込まれてるとはさ」
何も知らないはずの暁が窮地に現れてくれた理由も、これで合点が行く。暁からしたら愛利の話を聞いてだいぶ衝撃を受けただろうが、それでも直ぐに駆けつけてきてくれて本当に助かった。
「――まぁそれはそうと、前島さん」
「ん、え!? な、なに?」
暁に名を呼ばれ、過剰な反応を見せる愛利。明らかに先ほどと比べて様子がおかしいので、庵は「なんだこいつ」という意味を込めた視線を送る。
「僕は家で大人しくしていてって言ったんだからさ、無茶しちゃダメでしょ。そんな大怪我じゃなかったとしても、怪我してたのには代わりなかったんだからさ」
「あ、えっと、それはごめん。ってか、アタシじっとしてられなくて......うん、ごめん」
「庵にも一応言っておくけど、前島さん怪我してたし僕の家で休ませてたんだけどさ、僕が目を離してる隙に庵のとこ行っちゃったんだよ。前島さん、めっちゃ元気すぎない? 結果的に無事だったけどさ、普通お腹刺されて外出歩くかなぁ」
「や。ちょっと変な言い方しないで黒羽くんっ。アタシが勝手なことしたのは悪いって思ってるからさ......」
どうやら庵の知らない内に、暁と愛利の間でもいろいろとあったらしい。しかし、今の庵は昨日二人に起きた出来事など最早どうでもよかった。庵は愛利にこっそり近づき、暁に気づかれないよう耳打ちをする。
「え、お前もしかして暁のことが好き――あだだだだだだぁぁぁッ!?」
「ど、どうした庵!?」
「気にしなくてダイジョーブ。庵先輩は大丈夫だから」
「えぇ......?」
質問の内容が愛利の逆鱗に触れたのか、足をもの凄い圧で踏み潰されてしまった。
「えっと、ちょっと話たいことあるんだけど、黒羽くんはさ――」
「――あ、ごめん前島さん。もう僕そろそろ病院帰らんといけないや。親が外で待ってるっぽい」
腕時計を確認して、唐突に別れを切り出す暁。愛利は分かりやすく寂しそうな顔をするが、直ぐに切り替えて笑顔になる。庵はそんな二人の様子を涙目になりながら傍観させてもらった。
「うん、分かった。バイバイ黒羽くん」
「うんバイバイ前島さん。あと、庵も」
「お、おう」
そうして暁が庵たちの視界から遠ざかっていく。残された庵と愛利は、しばらくその場に棒立ちした。それから何となく庵が愛利の表情を覗き込むと――、
「――お前、そんな顔するんだな」
「うっさい、黙れ死ね」
なかなかの暴言ではあるが、未だに顔が赤いし声が上ずっているのであまり迫力がない。さすがの庵もこれを見て確信した。これは完全に恋する乙女の顔だ。
「え、えっと、じゃあ俺もここらで」
変なものを見せられてしまい、居心地も悪く、そして何より今の愛利が何をしてくるか分からない。庵は恐る恐るこの場から立ち去ろうとする。しかし、そう思うようにはいかず。
「――待って、庵先輩」
「は、はい?」
逃げようとしたら、後ろから愛利に腕を掴まれてしまった。一体何をしてくるつもりなのだろう。さっき見たことは全て記憶から消せと脅されるのだろうか。もしくは物理的に記憶を消しに――、
「えっと、庵先輩って黒羽くんとダチなんでしょ」
「え? まぁ、うん」
「だったら、黒羽くんのインスタ、教えて」
「いや、俺インスタやってないから分からん」
「は? じゃ、じゃあLINEでいいからっ、教えやがれ」
どうやらもう隠すつもりはないらしく、ご丁寧(?)に庵にから連絡先を聞き出そうとしてくる。そんな可愛い後輩を見て、庵は思わず苦笑いをした。いっつも態度がでかい愛利に、上ずった声で頼み事されるのは少し気分が良い。
「えー、どうしようかなぁ。無断で教えるのもあれだし......」
「さっさと教えて。じゃないと、琥珀ちゃんにあることないこと吹き込んで、琥珀ちゃん鬱編第二章ほんとに始めるけど」
「......お前、冗談でもそんなこと言うなよ」
どうして、庵と暁でここまで態度が違うのか、庵はため息をつきながら、渋々愛利に暁の連絡先を伝えた。
次の更新は最短で明日にします(本文自体は出来上がっている)。




