◆第159話◆ 『Re:ヒーロー』
――秋ちゃんへ。
元気にしていますか? 私は元気ですよ。でも最近、秋ちゃんが学校に来ないので少し寂しいです。一人は慣れているつもりだったんですけど、やっぱり秋ちゃんが居る環境に慣れてしまったんですかね。ちなみにですけど、この手紙は秋ちゃんを責めているわけではないですよ?
なんで手紙って思ってますよね。今の時代、文通じゃなくてLINEが主流ですから。でもなんで手紙を書いたかっていうと、こっちの方が私の気持ちも伝わるかなーって思ったんです。特に深い理由はありません。
本題を話すんですけど、今度一緒に花火をしませんか? みのりちゃんに、手紙と一緒に花火の入った小包も渡しているはずです。別に、何かを企んでいるわけじゃありません。普通に、秋ちゃんと花火がしたいんです。
でも、別に花火じゃなくても大丈夫です。私は、ただ秋ちゃんと遊びたいです。LINEでもいいので返事待ってます。
***
空には、雲一つない青が広がっている。冬の終わりと春の始まりを告げる、春一番が、優しく肌を撫でていた。枯れた木の葉が地面から舞い上がり、目の前に広がる光景に彩りを与える。それを空の上から見下ろす太陽が、全てを明るく照らしていた。
「――これで、終わりにしようぜ。俺も、お前もな」
「――っ」
静寂を切り裂くのは、落ち着いた、深い憂いのようなモノを抱えた声音。その投げかけられた言葉に対する返答は何もない。否、返答はできなかった。
「――」
緊迫した空気の中、一つの足音がこの場に近づいてくる。ボロボロの体を引きずってここまで来た彼は、目の前に広がる光景を見て表情を歪めた。その場に踏みとどまって、強く拳を握りしめる。
「――北条ッ!!」
「来るのが遅いなぁ、天馬」
これ以上、その場から動くことのできない庵を見て、北条はニヤリと嗤う。今北条が居た場所は、遮断機を越えた踏切のど真ん中。何の皮肉か、庵と星宮が初めて出会った、あの場所だった。
「ここ、呪われてんのかよ」
踏切に立つ彼は、星宮を抱きかかえている。おそらく、星宮の足からナイフを引き抜いたのだろう。血だらけのそれを、今度は星宮の首にあてがい、その様子を庵に見せつけていた。それはまさしく鬼畜の所業。
「......っ」
動けない。このまま動いたら、北条が何をしてくるかなんて目に見えている。だが動かなくとも、迫るタイムリミットは刻一刻と針を進めている。
「分かっているとは思うけどな天馬。俺達にあと一歩でも近づいたら、星宮殺すぞ?」
ナイフを持つ手に力が籠もり、星宮の首が少し切れて一筋の血が垂れる。それを見て庵は目を見開くが、動くことができない以上、どうすることもできない。星宮のマリンブルー色の瞳が、何かを訴えかけるように庵を見ていた。
「......なんでっ、なんでお前は、そんなに星宮に恨みがあるんだよっ!! 星宮がお前に、何したんだよ!!」
あまりに理不尽な現実に、声が掠れてしまうほどに感情が籠もる。庵はまだ何も知らない。星宮と、北条の――エメラルドという人物の出会いを。だが、それを今更知ったところで何かが変わるわけではないだろう。
「沢山、されてきたさ。その埋め合わせの結末が、今に至るってわけだよ。お前みたいな、たまたまこいつと接点持てたパッと出の陰キャとは付き合いが違うんだ」
「っ......なんだよ、それッ!」
北条に鼻で笑われ、庵は怒りに身を燃やす。庵と星宮は、まだ出会って半年ほどの関係。傍から見たら、まだ浅い関係と思われるのも仕方ないかもしれない。だが、二人が一緒に過ごした時間は、どの高校生カップルよりも濃密なものだった。
北条が星宮とどんな関係だとしても、星宮との関係値で庵は負けない。自分がどうしようもない陰キャだって分かっているけれど、それでも信じられないような沢山の苦楽を共にしてきたのだ。
北条は、庵は何も分かっていないと言う。それは、逆も然りだ。
「このまま電車が来るのを待つ。心中だ。これでやっと、お前ともおさらばだな」
「は!? お前まで死ぬ気かよ!?」
「あぁ、そうだぞ? ちなみに天馬がこっちに近づいてきてくれれば、早く星宮を楽にしてやれるぜ?」
「お前、本当に頭おかしいって」
動いても最悪、動かなくても最悪。今の北条は、近づいても時間が経っても刺激しても作動するどうしようもないバクダンといったところか。笑えない冗談まで口にされ、改めて今の最悪の状況に歯噛みする庵。
(どうする。どうするどうするっ、どうするっ、どうするどうするどうする、どうしたらっ!)
星宮を人質にされたこの状況。どれだけ頭をフル回転させようとも、庵一人の力じゃ何もできそうにない。なんとか隙を見つけて星宮救出を狙おうと足を踏みだしても、それはあまりにもハイリスクだ。
「――天馬くん」
息を荒げながら頭を掻きむしる庵の耳に、何度も聞いてきた鈴の音のような優しい声音が届いた。庵が慌てて星宮に視線を向けると、そこには不器用に笑う儚い表情があった。
瞬間、庵は恐怖する。今の星宮が何を言い出すのか、という恐怖だ。何があろうと星宮を救うことに全力を出し切るのは変わらないが、ここで星宮に”もういいですよ”なんて諦めの言葉を言われたら、きっと心を掻き乱す。ただでさえどうしようもない状況なのだ。ここまできて諦めるような言葉は聞きたくない。
雪色のセミロングヘアが風に靡かれ、そしてゆっくりと桜色の唇が開いた。
「天馬くんは、私のヒーローですよ?」
「......え?」
「あ?」
今、またその言葉を投げかけられるなんて誰が予想できただろうか。何の脈絡もなく放たれた星宮の言葉は、ゆっくりと庵の鼓膜を震わした。
『あんなヒーローみたいな格好良い助け方されたら、好きになっちゃうにきまってるじゃないですかっ!』
”ヒーロー”というワードが庵のオーバーヒートしかけていた頭を一度リセットさせ、今までの固定観念を取っ払う。どこからか湧き出てくる自信が、今一度体を奮い立たせた。
「――そうだ」
天馬庵はヒーロー。今がどんな絶望の底だとしても、きっと何とかしてくれる。そんなご都合展開は、ヒーローにとっては当たり前のことだ。
おもむろにポケットからスマホを取り出し、画面をスワイプして一瞬で通知を確認する。そしてごくりと、生唾を飲み込んだ。脳内に、無数のパズルのピースが現れだす。
「――星宮を、舐めんなよ」
「こんなやつ、舐めたくねぇよ」
スマホをポケットにしまい、庵は北条に視線を向ける。星宮を抱えながら目を細める北条は、肩を小刻みに震わせながら嗤った。
「そろそろ、時間だな」
踏切の信号機が点滅しだし、警告音を出しながら、いつの間にか直っていた遮断器が下がっていく。それは全ての終わりを告げる、明確なカウントダウンの始まりだった。
***
――コハは、私の友達だ。
友達。それ以上でも、それ以下でもない。ある日、いきなり”一緒に帰らないですか?”なんて言われたのが始まりで、そこからはコハの猛烈なアタックでトントン拍子に仲良く(?)なっていってしまった。
別に私には友達なんて必要なかったけれど、居るに越したことはないとは思う。ただ、私は自分でも相当だと思うほどに自己中だし、自我が強い。コハが居ても自分を隠すつもりは一切ないし、正直コハよりもオタ活のほうが最優先だ。
私は、よく変わっていると言われる。それは自分でも理解している。そのおかげで今まで沢山の人をドン引きさせてきたが、私は群れる女と周囲に足並みを合わせる行いが大の苦手なので、いつも一匹狼を好んでいた。
どうせコハも私がどういう人間かを知れば、すぐに離れていくと思っていた。でも違った。コハは私の趣味とは無縁の生活を送っているだろうに、私がどれだけ自分をさらけ出しても、決して引いたりはしなかった。そんな人は、私にとって初めてだった。
コハの良いところは、完全に私に合わせているわけじゃなくて、言いたいことはちゃんと言ってくるし、何より私が一緒に居て何の苦にもならない存在だったということだ。おそらくコミュ力が高いのだろう。コハとの学校生活は正直、やりやすかった。コハとオタ活、どっちを取るかと言われればオタ活になってしまうが、コハの存在は完全に私の生活の一部になっていた。
いつの間にか私の中で大きくなっていったコハの存在。その大きさに気づいたのはつい最近。
朝比奈に『あっきー役の声優のサインが入ったアクリルキーホルダー』を盗まれ、不登校を強要されていたとき。ありあまった時間でみのりにドン引きされるほどにオタ活に入り浸っていた私は、静かに怒りを覚えていた。
もちろん、大切なグッズが奪われた怒りもある。でも、コハとの日常を奪われたことに対する怒りもまた大きかった。
今になって、こう思う。いつも自己中でコハの前でもやりたい放題する私だけど、たまにはコハと足並みを合わせてみたいって。友達だから、そう思う。だから、それを叶えるために、また普段通りの日常を取り戻したい。
***
「――コハっ!」
「あ、秋ちゃんっ」
踏切の警告音が響くなか、庵にとって聞き馴染みのない女の声が飛んできた。後ろを振り返れば、小岩井秋が、藍色のサラサラなショートヘアを揺らしながら、こちらに向かって走ってくる。そして、手には何やら物騒なものを抱えていて――、
「はっ!? ちょ、おまっ、止まれよっ」
「あっ、お前はコハの彼氏」
庵をチラ見してからそのまま踏切に突っ込んでいこうとする秋を、後ろ襟を掴んで何とか静止させる。すると、振り返ったジト目が庵をめんどくさそうに映した。
「何」
「何じゃねーよ。お前がそれ以上近づくと星宮がヤバいんだよっ!」
「え......あー、ほんとだ。あれナイフじゃん。やっぱ、あの男ヤバい奴だったか......」
「反応薄いな!?」
今更星宮が北条に人質にされていることに気づいたのか、ナイフを首元に当てられる星宮を見て小さくリアクションする秋。友達が絶体絶命だというのに一体どういう神経しているのか。
「なるほどなるほど。今の状況をアニメで例えるとすると、最終話でヒロインが黒幕に人質にされている場面ってわけか。いいね、燃える」
「お前、その手に持ってるやつはなんだよ」
KYな秋はさておき、庵が気になったのは秋の手元にある野球のバッドくらいのサイズの不気味な筒。どこか既視感のあるそれを見て、庵は嫌な予感しかしなかった。
「あ、これ? 普通にロケラン。これぶっぱなしてあの男ぶっ飛ばす」
「バカなのか? ロケランって、星宮ごとぶっ飛ばす気かよ! てかそれ、どう見てもおもちゃだろっ!」
やはり、秋が持っていたのはまたもやおもちゃの銃だった。さっきのBB弾といい、どこまで本気でどこまでふざけているのか分からない。尚、本人はふざけているつもりは一切なかった。
「じゃあ、どうすんの。ロケラン撃つより、良い作戦があるの?」
「ロケランは論外なんだよ......でも、”俺ら”なら何とかできる」
「俺ら?」
策は、ある。なかったら今の庵はこんなに落ち着けていないし、もしかしたら一か八かのロケランを撃っていたかもしれない。しかしそんな暴挙にはでなくて済みそうだ。ただ、星宮救出の盤面の目処が立っているとはいえ、庵の中で集まったピースはまだ不十分。
「――外野が賑やかだな、星宮。あと一分もしない内に電車が来るぞ。俺はもう、覚悟を決めた」
「い、嫌っ......」
鳴り止まない警告音。もうそろそろ、カウントダウンは終わりを迎える。秋とコソコソ話をしている庵を見て、北条はニヤリと嘲笑を浮かべていた。
「おいお前っ! ロケラン以外に他にガラクタないか? なんかこう、相手の気を引くような、さっ!」
「ロケランとさっきの銃しか持ってきてないけど。あ、でもあれならある」
「あ、あれって?」
秋は、肩にかけていたショルダーバッグから何かを探し出す。すると、今度はカラフルな筒と細い棒のような物が沢山出てきて――、
「花火。この前、コハから貰った」
「こ、これっ」
筒型の打ち上げ花火が一つと、手持ち花火が十数本。どれも、まだ新品だ。庵はそれを手にして、目を見開いた。あと一個埋まらなかったピースが、カチリと音を立てて埋まる。
「ライターとか、花火に火付けるやつは持ってるか!?」
「もちろん。焔はオタクのロマンだから常に常備して......って、花火なんかでどうすんの?」
秋からなかなかに中二病が入ったデザインのライターを受け取り、庵は空いた拳を握りしめた。まったく庵の考えが読めない秋は、きょとんと首を傾げている。
「これ、だ......!」
そしてついに、視界の端に電車が見えてくる。あとは時間との戦いだ。
***
――琥珀ちゃんは、アタシの可愛い後輩かつダチ。
初めての出会いは庵先輩の浮気現場(浮気相手ア・タ・シ)で、けっこーヤバめな感じで知り合ったけれど、なんやかんやあって、今となっては仲良くして......はないかもしれない。
だって琥珀ちゃん、頭良さそうに見えてすごくバカなんだもん。普通、DV受けた男とまだ仲良くしようと思う?? しかも顔面パンチだよ? 歯折られてんだよ? アタシがもしされたら、そんな男絶対別れてやる。てかアタシなら半殺しにしてやりますけど。
まぁでも? 今は庵先輩も反省してるっぽいし? なんか琥珀ちゃん守るために空手教えてくれとか言っちゃってたし? だから一応アタシ的には許したんだけどさぁ、なんか釈然としないっつーか......
まぁ、庵先輩も琥珀ちゃんも、どっちも見ててイライラすんだよね。なんつーか、どっちも面倒くさい性格してるっていうか、ただ単にアタシが気に入らないのか......
庵先輩は、まぁ分かりやすくゴミだよね。勉強できないし、スポーツできないし、琥珀ちゃんに暴力振るうし、ブサイクだし? あ、あれ! ネットでよく出てくるチー牛ってやつ!? アタシあんま詳しくないから使い方あってるか分からんけど。
琥珀ちゃんは、まぁ.......バカだよね。勉強もスポーツもそれなりにできるらしいけど。それ以外がバカだよね。小動物みたいで見てる分には可愛いんだけど、あれ割と性格捻くれてる。ずーっと遠慮がちで、自分よりも他人優先で、すっごく愛想笑いばっかしてそうな女。マジで変な男に引っかかりやすそうなタイプに見える。
まぁ、こうやってグチグチ言ってるアタシの方が捻くれてるって思われるかもしれんけどさー。ま、これはアタシ個人の意見だから。
んで、アタシがあの二人を嫌いかってって聞かれたらそれは違う。好きでは絶対にないけれど、何かと首を突っ込みたくなっちゃうんだよね。まぁ、これじゃアタシがカマチョみたいだけど。
あんま認めたくないけど、なんやかんやアタシは琥珀ちゃんと庵先輩が放っておけない。”アタシだけの正義”を捻じ曲げたあの二人を、それなりには応援してあげたいの。
だって庵先輩も琥珀ちゃんも、アタシの――、
***
鳴り止まない警告音が、この場に居る全員の鼓膜をガンガンと震わせる。電車が目の前の踏切を通過し、今までの努力を全てを無に返すゲームオーバーは直ぐそこまで迫っていた。残された僅かなタイムリミットを最大限に有効活用して、庵たちは最後の賭けに出る。
「――正攻法が通じないなら、通用するのは想定外だろ」
「なにそれかっこいい」
スマホを手にし、庵は強気に笑ってみせた。盤面は整ったのだから、あとは実行に移すだけ。本来であれば絶望的な状況であるはずなのに、庵の表情は崩れない。そんな庵を見て、星宮はパチリと目を輝かせる。
「――私の好きな、天馬くんの顔です」
真近に居る北条にすら届かない声で、ひっそりと抑えきれない今の感情を溢す星宮。今が命の危機だとは分かっているのに、いつの間にか恐怖が薄れている。それだけ、庵への信頼は厚いものだ。きっと庵なら何とかしてくれるって、信じていたから。
「......」
それに対し、北条は静かに思考を巡らせていた。本来であればどうすることもできない絶望的な状況下であるというのに、庵はというと妙な落ち着きを見せていた。彼女の死の危機だというのに、今の庵の様子はあまりにも不穏。きっと何かを企んでいると察せられる。
だが電車が来るまで、あと30秒といったところ。そんな短い時間で何ができるというのだろうか。
「――仕方ねぇな」
たかが、30秒。されども30秒。悩んでいる暇があるなら確実な手段を取るべきだと北条は判断する。
手に持つ血まみれのナイフの持ち手に力を籠めた。人間の皮膚などいとも容易く切り裂く鋭利な刃は、星宮の細い首など一瞬にして裂くことができる。そんな凶器が、ゆっくりと星宮の首の皮を裂いていって――、
「これを見ろ北条っ!!」
瞬間、庵の叫び声が上がる。それと同時に、踏切の警告音すら小さく感じる爆音が辺り一帯を包んだ。北条が理解が追いつかず視線を上げると、そこには信じがたい光景があって――、
「......は? 天馬お前、ふざけてんのか?」
放たれた爆音の正体は、真昼の空に華麗に打ち上がった花火。もくもくと煙を上げながら、何度も豪快な火花を散らすそれは、この場にいる全員の注目を奪う。秋も、北条も、星宮も、今打ち上がった場違いな花火に心を鷲掴みにされていた。
だからこそ、この想定外は誰も気づけない。気づくことはできない。どれだけ警戒しようとも、この花火の真の狙いには――、
「愛利っ!!」
――そして、この爆音と衝撃に紛れ、真打ちが登場する。
「――はあぁぁぁぁぁぁっ! このクソ野郎ぉぉぉっ!」
「なっ!?」
それは、意図的に巻き起こされた想定外。北条の”後ろ”から現れた前島愛利が、華麗に舞って、綺麗な弧を描きながら過去最大級の回し蹴りを解き放つ。北条がそれに気づいたのは、横っ面に愛利がの回し蹴りの直撃を受けたあと。
「え、きゃぁっ!?」
狙い通り、北条は抱きかかえる星宮から手を離した。何も理解が追いついていない星宮は、そのままガタガタの線路に頭から落ちかける。だが、それも想定済み。
「コハっ!」
しかしギリギリのところで秋が、踏切越しに星宮の体をキャッチしてくれた。間一髪で星宮の大怪我も回避される。ここまでは事前に考えていた流れのとおりだ。
しかし庵はまだ花火を打ち上げただけ。何故、庵が星宮のキャッチを秋に任せたか。それは、今この瞬間のためにある。絶対に星宮を救うと決めた、ヒーローにしかできない最後の王手。
「あぁぁぁぁぁッ!!!」
分かっていた。このまま北条が簡単に星宮を諦めるはずがないと。人生を賭けた復讐なのだから、北条も死ぬ気でこちらに向かってくる。不意打ちの回し蹴りを喰らおうが、星宮を手放そうが、獣のような執念が思考すら忘れて本能のまま星宮を襲う。
花火といい、奇襲といい、北条は今何が起きているのか理解が追いついていない。最早、理解する気はなかった。
爛々と血走る瞳が殺意に染まり、回し蹴りを喰らったそのままの勢いで、ナイフを星宮と秋に向けて振り上げる。それはただの殺意の塊。今まで積み重なっていた衝動が、己の意思とは関係なく体を動かし、暴走したロボットのように星宮を狙った。
「――させるかよっ、北条!!」
全て、計算に入れた。北条が最後の最後にヤケクソを引き起こしてくることさえも。だからこそ、庵に余裕が生まれる。みんなが居てくれているという安心感と、あと一歩まで詰まったこの最高の盤面が、庵のボルテージを最大限にまで引き上げる。
「さっきのお返しだぁぁぁっ!!」
放たれるのは、庵の豪快な回し蹴り。何度も、何度も身に沁みて味わってきた、庵が人生で一番怖いと思うもの。そう、これは前島愛利からの完全な模倣。愛利が星宮を守るために過去庵に振るったそれを、今度は庵が星宮を守る立場になって解き放つ。
「あ、がァっ」
「――っ」
感じた、最高の手応え。再び回し蹴りを喰らった北条は、鼻血を吹き出しながら踏切の外に倒れていった。その数秒後、轟音を掻き鳴らしながら目の前を電車が通過していく。吹き荒れる風が、全員の髪を乱暴に揺らしていた。
そして、電車が過ぎ去ったあと――、
「――”俺ら”の勝ちだ、北条!」
後ろには、星宮が五体満足で秋に介抱されている。愛利も、庵も、もう北条を逃さない。そして身動き一つ取れないほどにボロボロになった北条。それは紛れもない、庵たちの勝利だった。
「もう逃げられないし、星宮は渡さないからな。あとは警察が来るまで、そこでおとなしくしてろ」
「......はは、マジかよ」
掴み取った勝利。庵はこの場に居る誰よりも、その実感がなかった。想定していた救出方法を、一切の狂いなく完璧にやり遂げてみせた。これほど気持ちいい達成感は、久々だ。今だった昂った感情は、心臓の鼓動をドクドクと跳ねさせる。
「コハ、血だらけじゃん。大丈夫?」
「大丈夫では、ないかもですね......」
目の前までに迫っていた最悪は回避された。星宮も無事とはいえないが、少なくとも命に別状はない。
しかし、秋が隣に居ながら未だ星宮は心の底から落ち着けていなかった。その理由は、さっきから止まらない胸騒ぎによるもので。
「――」
突きつけられた敗北に、北条は尻もちをついたまま顔を俯かせ、黙り込む。手には、星宮の血で濡れたナイフがあった。それを力強く握りしめ、そして小さく、鼻で嗤った。
「ははっ」
引きつった笑いがこぼれ落ちる。その笑いにどのような感情が籠められているのか、誰も理解することはできない。短い前髪をかきあげながら、狂ったように、不気味な笑いを加速させた。
「はは、ははははははははっ!」
自嘲をしているのか、ただ絶望をしているのか。静かな田舎の風景に、北条の狂った笑い声だけが響く。庵も、秋も、そのあまりの不気味さに一歩ずつ後ずさっていた。とうとう本当におかしくなってしまった、誰もがそう思った瞬間だ。
ただ唯一、星宮だけが北条の”本当”の異変に気づいていて――、
「――ダメっ!!!」
瞬間、手を振り上げた北条が、手中のナイフを己の首へと振り下ろそうと――。
手紙? 花火? となった方は第124話の内容をご確認ください。さて、決着はつきましたが、最後の最後まで波乱は続きます。次回がおそらく、第三章という物語の大きな区切りとなります。




