◆第155話◆ 『無謀な挑戦』
「タイマン、ねぇ。なんか作戦でもあんのか?」
「......ねぇよ。シンプル男と男の勝負だ」
「ハハ、じゃあお前に勝ち目なんかないだろ。そんな割り箸みたいな腕で何吠えてんだ」
タイマンを突きつけるも、勝負にならないと鼻で笑い飛ばしてくる北条。確かに、二人の体格差を比べれば一目瞭然。だが巨人と小人ほどの差ではない。
「お前、本当にあの北条かよ。今のお前が本性なのか?」
「あぁ、これが俺だぜ? 優等生をやってた過去の自分は全て仮面を被った俺だ」
「......そうかよ」
本来ならもっと驚くべきところかもしれないが、何故か今の北条の方がしっくりときて、あまり違和感を感じない。前から、今までの北条にはどこか胡散臭いものを感じていたのだ。それがまさか、これほどの闇を抱えていたとは。
「約束しろよ北条。俺が勝ったら、星宮を返せ」
タイマンを張る上での絶対条件。これだけは絶対に譲れないので、改めて条件を口にする。
「――あぁいいぜ。天馬が勝ったら、な?」
ニヤけた表情で条件を飲んだ北条。その高圧的な態度からして、自分が負けるビジョンは見えていないのだろう。正直、庵も勝てるビジョンが見えていない。
「アヤ、お前は休んでろ、邪魔してくんな。これは俺と天馬のタイマンだ」
少なくとも真面目にタイマンは受けてくれるらしく、離れた場所にいる甘音にも介入を止めさせる。上着を一枚その場に脱いだ北条は、ポキポキと威圧的に指を鳴らした。
「天馬。1分くらいは耐えろよ?」
「うるせぇよ」
――開戦の始まりを告げたのは、北条の初動から容赦のない顔面パンチだった。
***
後方に体が浮くほどの勢いで吹き飛ばされた庵は、近くのゴミ袋の山に背中をぶつけた。遅れて、熱く、脳みそが揺れているかとも錯覚する激痛がやってくる。不幸中の幸いなのは、歯が折れていないこと。
「くっそ......容赦なしかよ」
初撃からとんでもないものを喰らったが、さすがに一発KOされるわけにはいかない。庵が、星宮救出の最後の砦なのだ。追撃がくる前に立ち上がり、ゆっくりとこちらに近づいてくる北条を視界に入れる。
「今ので戦意喪失してくれてもいいんだぜ?」
「するかよ。このクズ野郎」
次は庵がしかける番。恐れることなく、一気に加速して、北条の懐に入りこむ。そして腕を引き、拳を握った。愛利から教わった空手。そこで学んだ知識を今ここで活かす。
「ハハ。なんかの真似事か?」
「うッ」
攻撃に転じるよりも早く、北条の膝蹴りが庵の腹部を襲う。その一撃をまともに受けた庵は、その場に少し吐いてしまった。そのせいで北条が視界から外れてしまう。
「ほーらよ」
「うがッ」
容赦のない拳が、庵の横っ面を襲った。声が出そうになるのを噛み殺しながら、また後方へと転がっていく。偶然にも転がった先には甘音が棒立ちしていた。
「あーあ。ホージョーくん本気だよ。天馬くんもかわいそうだねぇー」
「う、るせぇ。黙ってろよ」
「はいはーい」
介入はするなと釘を刺されているので、甘音はのらりくらりと二人から距離を取る。しかし一度だけ後ろを振り返り、頬を赤らめながら笑みを浮かべていた。
「これはワタシの独り言だけどー......天馬くん殺されちゃうかもねっ」
そんな言葉が耳に届いた瞬間、いつの間にか眼前に迫っていた北条が庵の顎を拳で撃ち抜いた。危うく顎が外れかけ、戦闘不能に陥るところだ。一度庵は距離を取り、体勢を整える。
「おいおい大丈夫か天馬ー。超痛そうだなぁ。泣いてもいいんだぜ?」
「誰のせいだと思ってんだ......っ!」
確かに痛い。体のあちこちが悲鳴を上げている。でもここで弱音を吐くわけにはいかない。鼻血を袖で拭き取り、一度大きく深呼吸をする。目の前に居るのは、たった一人の敵。
(――星宮を助けるんだろ、俺。もっとやれるだろっ、俺!)
今一度目的を思い出し、そして星宮の笑顔を思い出して自分を鼓舞する。まだ無傷な北条に対して庵は既にボロボロ。目に見えて分かる、明らかな力の差だった。
「あぁ、そうだよな」
でも、庵はまだ諦めていない。否、諦めるはずがない。
「っ、星宮は俺の彼女だぁぁっ!!」
地を蹴り、再び北条に直進する。次北条の一撃をまともに喰らったら、今度こそ戦闘不能になるかもしれない。だが攻めなければ勝機はない。ニヤけた表情を崩さない北条を視界に捉え、愛利の言葉を思い出す。
『庵先輩。アタシがタイマンでの必勝法を教えてあげる。これを使えば、格上でもイチコロってわけ』
北条を真近に捉え、先程同様腕を一度引く。拳を使った攻撃のモーションだ。もちろん、相手からしたら拳の方に意識は向けられるはず。
『それは――ブラフでーす』
拳は引っ込めたままに、庵は回し蹴りを繰り出した。まさかの意識外からの攻撃に虚を突かれた北条は、しっかりと庵の一撃を脇腹に受け、初めて表情を崩した。大ダメージとはいかなかったが、大きな前進の一歩となる一撃だ。
「ハハっ......フェイントかよ。ちょっとはやるな、天馬」
「はぁっ、はぁっ」
ようやく一撃を入れた。その事実は喜ばしいことだが、ここからは一撃だけではなく最終的に北条に勝たないといけない。まだ慢心してはだめだ。
「――でもな天馬、俺だって星宮が好きなんだぜ?」
聞き捨てならないことを口にしながら、再び接近してくる北条。拳を振り上げ、再び庵の顔面が狙われる。しかし同じ手を何度も食うわけにいかないので、間一髪で回避してみせた。
「ふざけんなっ! 星宮に暴力振るって、泣かせて、傷つけてるお前が、星宮を好きなわけがないだろっ! こっちはもう朝比奈から全部聞いてんだっ!」
「愛にも色々な形があるだろ? てか、朝比奈の言葉なんか信じないほうがいいぞ」
北条の攻撃を最小限に受ける努力をしながら、こちらも攻撃に移すチャンスを伺う。幸いだったのは、昨日何かあったのか、北条が既にそれなりに疲労していることだった。もし本調子であったならば、庵は既に惨敗していたことだろう。
「朝比奈が信用ならんのは同感だけど、少なくともお前よりは信用になる。あいつが居てくれなきゃ、今ごろ俺はまだウジウジしたままだったっ」
「へぇ、ずいぶんあいつのこと買ってんだな。いつかの星宮のイジメの主犯っていうのにな」
「それは星宮ももう許してるし、朝比奈も謝ってんだよっ! 反省してるだけ、お前なんかよりずっとマシだ!」
朝比奈は許せても、この男だけは絶対に許せない。拳一振り一振りに想いを籠めて、全力を解き放っていく。ボルテージが高まってきたのか、少しずつ北条の動きが見切れるようになってきた。
「反省、な。お前が朝比奈をどう思おうが勝手だが――一つ教えてやるよ」
「あ?」
タイマン中だというのに、息も荒げず平然と会話を続ける北条。闘志に燃える庵の瞳が、隙を見つける。そこに拳をぶつけようと、今度は予備動作を最小限に――、
「――お前の母親が殺されただろ?」
「は?」
「あれは全部、朝比奈美結の仕業だ」
今放たれた言葉を理解しようとしたが、脳がフリーズし、庵は固まった。まるで時間が停止したかのような錯覚。母親? 朝比奈? この二人に一体何の関連性があるというのだ。
「何ボケっとしてんだよ」
「がぁッ!?」
顔面に拳が飛んでくるも、それに気づいたのは直撃を受けたあとだった。凄まじい衝撃を感じた後、庵はその場に仰向けになって転ぶ。
そして馬乗りにされ、身動きが取れなくなった。
「ふっざ、けんなっ! 適当言ってんじゃねぇよ!」
「生憎とこれが本当なんだな。お前も、朝比奈が少し前まで天馬のこと超恨んでたのは気づいてただろ? 暴走した人間は、俺みたいに何やらかすか分かんないもんだ」
何も抵抗ができない庵に対し、北条が庵の腕を掴んだ。
「まぁ、信じるも信じないもお前次第。とりあえずこのタイマンは俺の勝ちだ。すげぇぞ天馬、1分どころか3分は耐えてたぜ?」
そんな称賛になっていない称賛を口にしながら、北条が庵の指に力を籠める。瞬間、灼熱のように熱い痛みが指を通して伝わってきた。
「あ、うがぁぁぁ!」
「指の骨って柔らかいよな」
痛すぎて視界がチカチカとする。これはまさしく拷問。朝比奈や星宮のことなんかすぐに頭から吹っ飛び、強烈な”痛み”だけに頭が支配された。
「は、なれろッ! はなっ、や、やめろッ! や、やがッ」
「ハハ、俺もやってて目が痛いぜ」
「あッ、くそっ、がぁッ......っ」
一本、一本と折られ、計3本折られた右の手の指。その必要以上の拷問には一体何の意味があるのか。体をよじらせても、無駄にたくましい腕の拘束からはそう簡単に逃げられない。
「さて、そろそろお前と遊ぶのも疲れたな。んじゃ、お前のかわいい寝顔を星宮に見せてあげる約束だから、そろそろ眠ってくれ」
「はぁっ......はぁっ......」
どこまで自分勝手なのか、完全に戦闘不能となった庵に理不尽な敗北を突きつけようとする。抵抗したくとも、指があらぬ方向に曲がった状態じゃ受け身すらまともに取れない。これでは完全に詰みだ。
「く、そっ......」
分かっていた。北条と庵では力に雲泥の差があることも。どの面から見ても、北条のほうがハイスペックだ。勝ち目なんて最初からなかったのに、無謀にも戦いを挑んだ。その結果がこれだ。
(ごめん、星宮。やっぱり無理だ......)
太陽の光が眩しいのか、それとも幻覚が見えて視界がチカチカとしているのか分からない。もう、何も考えたくなかった。心の中で星宮に謝罪をして、敗北を受け入れる。ワンチャンス勝てるかもなんて甘い願望は、いとも簡単に砕かれた。夢はいくらでも口にできるが、それを叶えられるかどうかはまた別の話しだ。
「まぁまぁ楽しかったぜ? 星宮の元彼の天馬」
「だま、れよ」
だが、心のどこかで自分はまだやれると吠えている。負けは確定しているのに、それを認めない我儘で惨めで――勇敢な自分はまだ生きていた。
「星宮は、俺の彼氏、だ。何回でも言ってやる。お前なんかには、渡さない、から」
「あぁはいはい。負け犬の遠吠えってやつか。――さっさと口閉じて寝ろ」
トドメの一撃が庵に振るわれる――その瞬間、庵の下半身が軽くなった。ついさっきまで感じていたはずの北条の重量が、一瞬にして消え去る。
「あ?」
首を横にすれば、何故か北条は数メートル先の地面に膝を付いていた。何が起きたか分からず混乱しそうになるが、その答えはすぐ側まで迫っていて――、
「大丈夫か庵っ!」
「っ。な、んで」
この場に新しく、そして庵にとって最も聞き馴染みのある男の声が耳に届く。北条を超える国宝級のイケメンの颯爽とした登場に、庵はごくりと息を飲んだ。今目の前で起きていることは幻覚などではない。これは紛れもなく現実。
「さすがに間一髪だったな......僕も焦ったよ」
庵の唯一の男友達である黒羽暁が、悠然と隣に立っていた。




