◆第150話◆ 『宝石級美少女の反逆』
助けてって本当は言いたいけれど、それを自分の心が許してくれない。
「私は大丈夫です。もう甘音さんも北条くんも帰りました」
自分のせいで、関係のない人まで巻き込んでしまう。そんな過去と同じ過ちを犯してはいけない。自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならないのだ。
『なんで、なんで嘘つくのっ! んなわけないでしょ! あいつらがそんな簡単にあんたを見逃すわけがない! バカ言ってないで、今どこ居るのか教えなさいよっ!』
「――嘘じゃないですよ」
『嘘つきっ! なんで一人で全部抱え込むのよっ! 別に、あんたは何も悪くないんだから、私を頼ってよ。罪滅ぼしくらい、させてよっ!』
どうせ、もう星宮が助かる未来なんてない。今更「助けて」なんて言ったって無駄なのだ。無駄だから、北条も星宮にわざわざ通話なんかさせているのだろう。
「朝比奈さんは何も悪くないですよ。悪いのは、全部私です」
『はぁ......? もう、意味が分かんないっ。あんたさ、ほんとなんなの。なんでそんなに我儘なの』
「そうかもですね。私は......ちょっと我儘なんです。だから、許してください」
もう、そっとしておいてほしい。自分のことを心配してくれるのは嬉しいけれど、それに甘えたら更に被害が拡大されるだけだ。
私が全部背負う。一人で抱え込むなって、いっつもみんな言うけれど、それでも背負う。
『じゃあ、さっさと私に助けてって私に言えよ! このバカ!』
「ごめん、なさい」
......分かってる。
一人で抱え込むなんて、無理だ。虚勢を張ってる自分の顔は、全然うまく笑えていない。怖いし、今にも逃げ出したい。助かる未来がないなんて思いたくない。まだまだこれからの人生、もっといっぱい楽しみたい。
でも、自分のせいで大切な人が傷つくのなら、救いの手なんか掴めるわけないだろ。
***
――星宮の名を呼ぶ庵の声は、震えて、音量を上げなければ少し聞こえづらかった。
今の庵は、他の人が聞いたらバカにしそうな情けない声をしているかもしれない。でも、星宮は誰よりも庵を知っている。本当の庵はこんな声をしない。もっと元気で、ハキハキ喋れて、人の話をしっかり聞いてくれる。他が何を思おうと、星宮だけが本当の庵を知っているのだから、それでいい。
だから、いつも通り星宮は庵に話しかけた。
「天馬くん、体はもう大丈夫ですか?」
『え。あ、あれかっ。あー、あれはもう全然大丈夫っていうか、ま、まぁたんこぶにはなったけど、もう全然平気、かな』
昨日の喧嘩のことなんて、気にしない。結局どっちも悪くなかったんだから、それでおあいこだ。
『あ、えっと俺の話は別よくてさ』
「はい」
『......星宮は、今何してるんだ?』
予想通りというべきか、やっぱり庵も同じことを聞いてくる。朝比奈が今星宮の身に起きていることを庵にも伝えたのだろう。さっき朝比奈が通話に出た時点で予想していたことなので、別に驚いたりしない。
「......」
何を返すかは決めていたけれど、それをうまく言葉に出せなかった。朝比奈にはすんなりと言えたのに、庵には何故か言葉が詰まる。
でも星宮の中に他の選択肢はないので、少しの逡巡のあと、事前に考えていた言い訳を口にした。
「何もしてませんよ。今日はちょっと体調が悪いので、学校休んでます」
見え透いたバレバレの嘘。もちろんこんな適当な嘘が庵に通用するはずがなく、星宮に本当のことを言わせようと更に問い詰めてくる。星宮は必死な庵に対し、申し訳ないと思いつつも、庵を傷つけないように丁寧にはぐらかし続けた。これは庵を思っての行動。
庵は母親の件で傷がまだ完全に癒えたわけではない。きっと、未だに傷はジクジクと傷んでいる。その責任は星宮にも少なからずあるのだから、これ以上は巻き込めない。
『俺がヒーローなら、ヒーローらしくお前を助けさせてくれよ』
「......今回は、大丈夫です。大切なヒーローさんに迷惑ばっかかけるわけにはいかないですからね」
『はは、なんだそれ』
どんどん弱々しくなっていく庵の声。星宮はこれでいいと内心で頷いていた。遠回しな形にはなったが、庵も星宮から拒絶されていることに薄々気づいているはずだ。
(嫌われちゃいますよね、こんな露骨なやり方)
自分でも卑怯なことをしていると自覚はあったけれど、庵を危険から遠ざけるにはこうするしかない。今の星宮では、こうする以外の選択肢が思いつかなのだ。
そろそろ庵も分かってくれるだろうか。いや、分かってくれることはない。折れるかどうかだ。星宮も庵も譲る気がないのだから、どちらかが折れなければならない。
『星宮、俺が助けるか――』
「え?」
再び庵の声がしたと思ったら、急な雑音とともに庵がミュートになった。
「天馬くん......?」
***
それから約一分くらい経っただろうか。ずっとスマホの画面を見つめていた星宮は、庵のミュートが解除されたことにすぐさま気がづいた。
その瞬間だ。
『――星宮、俺お前のことめちゃくちゃ好きだ!』
急に何を言い出すかと思えば、先ほどとは打って変わった声量で愛の告白をしてきた。つい一分前とは大違いな元気の良さに星宮の耳は驚かされる。その衝撃のあと、遅れて星宮は庵の告白に目を丸くさせた。
「......え」
”好き”。
この言葉は、星宮が嫌いな言葉の一つだった。何故なら、この言葉に何度も人生を狂わされ続けてきたからだ。友達だと思っていたのに、友達ですらないのに、星宮は今までに何度も異性から”好き”を伝えられてきた。好意を向けられるのは別に嫌なことじゃないけれど、軽い気持ちで向けてほしくないし、大勢にも向けられたくない。それに自分だけじゃなく、他の女子にも向けてほしい。そうじゃないと、他の女子から嫉妬される。
今まで沢山の”好き”を伝えられた星宮。北条に告白されたときも、困惑よりも先に恐怖がきた。それだけ星宮にとって”好き”は重たいものなのだ。
「――」
だけど、今庵から言われた”好き”は違った。困惑はちょっとしたけれど、すんなりと心が受け入れている。嫌でも、怖くも、悲しくもない。
ただ、純粋に感じたことがポロリと口から溢れた。
「嬉しい」
庵の”好き”は嘘偽りなく嬉しかった。心の底からそう思える。好きな人からの”好き”は、なんて心穏やかにさせてくれるのだろう。やっと、庵は星宮の想いに応えてくれたのだ。
でも、一つ残念なことがあるとすれば――、
「でも、なんで今なんですか」
『――』
「私、今すごく嬉しいんですよ。ほんと、嬉しくて胸が痛いです。でも、今言ってほしくなかったです」
今北条に襲われてさえいなければ手放しに喜べたのに、こんな状況じゃ喜べるものも喜べない。告白してくれるなら、二人きりのときにさりげなく伝えてほしかった。星宮はちょっとだけロマンティストなのだ。
『なら、いつなら良かったんだよ』
「そんなの私が答えることじゃないですっ。馬鹿ですか、天馬くんは」
馬鹿、なんて強気に言ったけれど、星宮の声は震えていた。状況はどうあれ、先程の庵の”好き”が未だ心のなかで暴れている。さっきまで自然体を装えていたのに、いつの間にか心が揺れていた。
――そんな星宮に気づいているのか、庵は畳み掛けるように星宮に愛を伝えてくる。
『もう、ずっと星宮のことばっか考えてるっ! 寝る間も惜しんで星宮のことばっか考えてんだよっ。そんな大切な彼女が、北条に何かされてるって聞いたら居ても立っても居られないだろっ!?』
寝る間を惜しんでなんて、本気で言ってるのだろうか。もし本当ならすごく恥ずかしいけれど、星宮だって庵のことを寝る前によく考える。自分の一番の話し相手だし、彼氏だし、大切な人だからだ。お互い恥ずかしくて口にしなかっただけで、こんなにも想い合っていたのか。
『マジで今俺、辛いんだっ。星宮がずっと苦しんでるってのに、俺何もしてあげられなくてさ......しかも、昨日なんか星宮に最低なこと言っちゃってすごく後悔してる。ただでさえ辛かったのに、更に追い詰めるようなこと言って本当ごめんって思ってる!』
そんなこと責めなくてもいいですよと、笑顔で声をかけてあげたい。星宮は自分でも心が広い方だと思ってるし、最低なことと言ってもそれはお互い様だ。確かに星宮は辛い日々が続いていたけれど、庵だってつい最近大切な親を亡くしたばかりだろう。
『あ、あと俺星宮からバレンタインもらってないっ! ちょっと期待してたんだから、俺星宮のチョコ欲しいよっ! いろいろ片付いたら、えっと、待ってます』
そういえば、いつの間にかバレンタインは過ぎていた。本当は手作りチョコに挑戦して庵にプレゼントするつもりだったけれど、そんな余裕はなかった。庵は遅れてでも欲しいようだが、残念なことにもうプレゼントはできない。したくても、できないのだ。
「......私のこと、そんなに考えてた...んですね」
『あぁ、当たり前だろ』
先程の自信のなさそうな庵はどこへやら。今まで話してくれなかった沢山の想いを語ってくれて、星宮は嬉しいやら恥ずかしいやらで言葉を詰まらせる。これではさっきと立場が逆転だ。
「......私も天馬くんともっと一緒に居たいです。でも、私には私の事情があるんですよ。だから、その、なんて言えばいいんですかね......」
でも惑わされてはいけない。どれだけ心が揺れようと、庵を巻き込んではいけないのは変わらない。それは今までの教訓で分かっているはずだ。揺れる心を奮い立たせ、星宮は言葉に迷いながらも再び庵を折らそうと話を誘導しようとする。
しかし、庵はそんな隙を与えてくれなかった。
『俺、今度の文化祭星宮と一緒に回りたい。一緒にいろんな出し物見て回って、最後に写真撮りたい』
「......え」
『春休みになったら、一緒に旅行もしてみたい。愛利とか、暁とか、星宮の友達も誘って思い出を作りたい。一生みんなの記憶に残り続けるような、そんな思い出を星宮と作りたい』
夢物語みたいな、喉から手が出るほど欲しい未来が庵の口から放たれる。想像するだけで、胸が痛くなるほどに楽しそうだ。でも、そんな未来は来ないって何回も言い聞かせたはず。夢じゃなくて、現実を見なくては。
夢じゃ、なくて――、
「突然、何言ってるんですか」
星宮から一筋の涙が溢れ、頬を伝う。今、ここに庵が居るのなら優しくコツンとパンチをしてやりたい。せっかくけじめがついたのに、なんでまた心を揺らしてくるのだ。そんな眩しい未来、手に入れたいに決まってる。こんな最悪な現実より、最高の夢を追いたいに決まってるだろ。
『今言ったのは、俺のしたいことだよ。でも、一番にしたいのは――』
まだ、何かあるのか。これ以上はやめてほしい。これ以上言われたら心が壊れてしまう。もう既に、涙で何も見えないから。
『星宮のこと、琥珀って呼びたい、かも』
それを言われて、星宮の呼吸は止まった。声にならない声が漏れて、苦しくなる。なんで、なんで今そんなことを言うのか。琥珀って、琥珀って。
ずっと上の名前で”星宮”と呼ばれ続けていたけれど、本当は下の名前でも呼んでほしかった。琥珀って何気ない顔で呼んでほしかった。そして星宮も、”庵くん”って呼びたかった。
ある意味、それが星宮の直近の一番の夢だ。その夢が今、手を伸ばせば届く位置にある。
「......ぃ」
声がうまく出せない。いろんな感情がごっちゃ混ぜになって、もう自分が抑えられそうになかった。
「ズルい、ズルいですよ天馬くん。本当に、なんで今更そんなこと言うんですか。卑怯です、卑怯すぎます」
『嫌、だったか?』
「嫌なわけ、ないじゃないですかっ。どれだけ私も天馬くんのことで悩んでたのか、天馬くんは知らないですよね」
『星宮も、悩んでたのか』
「そんなの当たり前ですよ。ほんと、天馬くんはばかです」
こんなにも心をかき乱してくる庵が許せなくて、少し怒った口調で責めてしまう。最早、自分でも何をどうしたいのか分からない。今の状況、何をどうするのが正解なのだ。分からない。分からない。
「今になってそんな話ばっかり、ズルいです。そんなの、私だって......!」
『――』
「でも、だって......もう、手遅れなんですよ。そんなのっ!」
そうだ。庵がどれだけ星宮に夢を見せようと、今の状況が変わるわけではないのだ。輝かしい未来が目の前にぶら下がっているだけで、手足を縛られている星宮はそれを掴むことはできない。何をどうしようと詰んでいるのだ。
そう、何度も言い聞かせたはずなのに、涙が止まらない。
『俺を頼れ星宮! 今すぐ助けに行く!』
「――っ!」
『お前は俺を巻き込んでしまうって考えてるかもしれんけど、それは違うからな!? 俺がやりたくてやってることだっ! だから、早く俺に助けられろっ! 星宮!』
力強い言葉で、すごく格好良くて、眩しかった。もうなんだっていい。この眩しすぎる夢を夢のまま終わらせたくない。こんな最悪な現実を吹き飛ばしてやる。北条が、悪なのだ。庵がそう思わせてくれたのだ。
そしてついに星宮の心が決壊し、今までの彼女なら絶対にありえなかった第三の選択肢に手を伸ばす――その瞬間だった。
星宮の手からスマホが奪われた。
「――はい。約束の五分終了ー」
「あぁッ!」
ニヤニヤとした面をして、ここぞというタイミングで奪ったとさえ思える北条の悪辣さ。確かに五分は経っていたが、まだ話したいことは沢山あった。庵の声ももっと聞きたかった。
「――っ」
残酷な形で通話を強制的に中断させた北条は、そのまま星宮に代わって通話を続けだす。その様子を星宮は力強く睨みつけた。庵のおかげで抱くことのできた希望が勇気となって今の絶望を上書きしてくれる。今北条を改めて見れば、それほど怖くない。この男がエメラルドだから、何だというのだ。
庵が、朝比奈が、まだ諦めるなと言っている。自己犠牲なんて都合の良い解釈で逃げようとしていたけれど、こんな最悪の形が正解なわけないさろう。
星宮は”エメラルド”のために犠牲なんかにならない。星宮は、星宮の道を歩むのだ。
「あぁっ」
「あがぉ――!? ぐ、あぁぁ!」
一度自分に活を入れてから、気の抜けた北条から足の束縛を解き、そのままの勢いで股間を精一杯蹴ってやった。こんなことしたくないけれど、ここが弱点なのはなんとなく知っている。
「あ、あぁ、ぁぁぁ」
だいぶクリティカルだったのか、スマホをその場に落とし、一度ベッドから飛びおりてしゃがみ込む北条。その隙に星宮はスマホを奪い返した。
そして叫ぶ。
「私の部屋です。北条くんが居ます。助けてくださいっ!」
もう声は震えていない。これからどうするか、心は決まった。今までの考え方は捨てて、この絶望に全力で足掻いてやる。
――この男との因縁を今日、終わらせるのだ。
***
昨日の夜。前島愛利が、這うようにして公園から離れた林を進んでいた。
「.......くっそ。マジであのクソ男、絶対殺す。絶対に、許さんから......!」
力強い声ではあるが、今の彼女は呼吸するだけでも精一杯の重症を負っていた。それは、タオルで縛った部分にある腹部の刺し傷。幸いにも傷は臓器にまでは達しておらず、今すぐにでも多量出血で死ぬほどの傷の深さではない。
だが、今が危険な状態にあることには変わりなかった。そうだというのに歩みを止めない。ゆっくり、ゆっくりと林を抜け、公園に近づいていく。
「った。あぁもう、最悪っ!」
動くたびに傷口が疼き、激痛が走る。だが、その苦しみを味わってでも愛利には成さねばならない使命があった。
「琥珀ちゃんが、ヤバい......助けに行かないと......!」
また歩みを再開しようとするが、いよいよ体が限界なのか動かなかった。これ以上はまずいと、体全体が警鐘を鳴らしている。愛利は息をぜえはあと呼吸を荒げ、近くの壁に背中を預けた。
「......あ?」
一分休憩しよう、そう思ったときだ。愛利は視線を感じて、顔を上げた。そこには知らない顔があった。暗くてよく見えないが、おそらく男だ。
「――えっ、君大丈夫? どこか怪我でもした?」
明日、明後日も更新します。




