◆第145話◆ 『世界中どこを探しても見つからない鍵の在り処』
――庵の名を呼ぶ星宮の声は、どこまでも透き通っていて優しさに溢れていた。
「天馬くん。体はもう、大丈夫ですか?」
「え。あ、あれかっ。あー、あれはもう全然大丈夫っていうか、ま、まぁたんこぶにはなったけど、もう全然平気、かな」
「そうですか。なら、よかったです」
星宮が言っているのは、昨日の夜、庵が北条に後ろから襲われたことだ。ここ数時間でいろいろありすぎて、すっかりとその事を忘れていたのできょどってしまった。しかし、今となってはそんなことはもうどうだっていい。
「あ、えっと、俺の話は別よくてさ」
「はい」
「......星宮は、今何してるんだ?」
星宮の話題を切り上げ、庵は早速本題に移る。声のトーンも少し落とした。少しの沈黙が、通話越しに流れる。
「何もしてませんよ。今日はちょっと体調が悪いので、学校休んでます」
「嘘、だよな」
「嘘じゃないですよ」
分かっていたことではあるが、もちろん正直には話してくれない。それは何故か。話してしまったら、庵を不安にさせてしまうから。迷惑をかけてしまうから。およそそんなところだ。
だが、最早そんな話は今更だ。
「じゃあ昨日、星宮が公園から居なくなったのはなんでか聞いてもいいか?」
「それは――」
「北条が来たんだよな。それで俺ぶん殴って、お前を拐ったんだろ。......もう、朝比奈から聞いたよ。癪だけど、多分全部あいつの言うとおりだ」
「――」
くだらない星宮の嘘に付き合っている場合ではない。星宮側に何が起きているかは分からないが、朝比奈のおかげでほぼ確信に至ってしまった。星宮は今、最悪の魔の手に襲われ、被害を最小限に抑えるよう庵たちを突き放している。情けないが、それが現状だ。
「星宮......今どこ居るんだよ。助けに行くから、教えてくれ」
「......天馬くん。そろそろ朝礼が始まる時間じゃないですか?」
「話逸らすの下手かよ。俺の言ってること、聞けよ」
また逃げようとする星宮に少し語気を強めてみたが、いまいち星宮の心には響いてなさそうだった。それは会話をしている庵が一番実感していること。星宮の口調はずっと変わらず穏やかではあるが、その奥深くには決して譲れないものがあるのだと察せられる。
星宮はガードが硬いときはとことん硬いし、チョロいときは本当にチョロい。その線引きの基準は、星宮の気まぐれなんかじゃない。基準には特に”自分のせいで誰かを傷つけたくない”という思いが、顕著に現れているのだ。
――だからこそ分かる。これ以上、何を言ったって星宮には何も響いてくれないと。
「星宮......なんで俺を頼ってくれないんだよ」
「天馬くんはとっても頼りになる人ですよ。なんたって、私のヒーローなんですから」
”ヒーロー”そんな懐かしいワードを出されて、庵は呼吸を詰まらせた。それは過去の朝比奈のいじめから庵が星宮を救ったとき、星宮が庵に対して抱いた感想だ。ほとんど北条に頼りっぱなしで、最後の良いところだけを庵が持っていったのが実際ではあるが、それでもあのとき星宮のヒーローとして立っていたのは庵だった。そしてそのヒーローは今、また星宮のピンチに直面している。
「......ヒーロー?」
「はい。天馬くんは私のヒーローですよ?」
”ヒーロー”ってなんだ。彼女が大ピンチの時にとんでもないヘマかまして、一人で弱音吐いて蹲っているような奴が”ヒーロー”なのか?
星宮がヒーローというワードを出すたびに、胃が重くなる。そんな大層な言葉、絶対に庵には似合わない。更に自分への自信が消失していき、掠れた声しか出なくなる。
「じゃあ、俺がヒーローなら、ヒーローらしくお前を助けさせてくれよ」
「......今回は、大丈夫です。大切なヒーローさんに迷惑ばっかかけるわけにはいかないですからね」
「はは、なんだそれ」
今回は、なんて言うけれど、今回じゃなかったら次はいつ庵を頼ってくれるのか。今回は助けないなんて、そんなの”ヒーロー”と言えるのか。
庵はひしひしと感じる。まるで自分の背丈よりも高い巨大な石を、己の腕力だけで動かそうとするかのような無謀さを。しかも腕力はどんどんと萎んでいく。星宮は優しく庵に言葉を返してくれるが、”庵を頼る”という選択肢は絶対に取ってくれない。それが何を意味するのか理解して、更に辛くなる。
(俺は、頼りがいがないのか......)
俺を頼れ、なんて言葉は虚勢を張ればいくらでも言える。でも、庵は喉に言葉が詰まってそれが言えなかった。自分なんかが、という自己嫌悪に苛まれ、虚勢すら張れないのだ。
「星宮、俺が助けるか――っ!?」
「ちょっと、マイクミュートにして」
情けない声で、また意味もなく星宮に訴えかけようとした瞬間だった。視界外から伸びてきた朝比奈の腕が、庵からスマホを奪い、通話をミュートにした。突然の割り込みに、庵は目を丸くする。
「お前、何し――」
「この意気地なしっ! 何グダグダ喋ってんのよ、あんたはっ!」
気づけば、庵は朝比奈に怒鳴られていた。
***
突然の朝比奈の奇行。庵は怪物を見るかのような目つきで、近づいてきた朝比奈を押しのけた。
「は!? いきなり何すんだお前!」
「うっさい! あんな情けない声で喋って、星宮があんたを頼るとでも思ってんの!?」
「はぁ!?」
情けない声と言われ、庵はぎくりとする。確かに後半はもはや星宮の方が元気なまである声量だった。しかし、それでも庵の中では精一杯の虚勢を張って会話したつもりだ。今ここで発揮するべきではないプライドが、朝比奈に対しふつふつと怒りを湧かせる。
「もっと自信有りげに、星宮が元気になるような、そんな言葉をかけなさいよっ! こっちまでお通夜みたいな空気出したって、何も状況はよくならないわっ!」
「星宮が元気になるような言葉?? そんな都合の良い魔法の言葉があるなら、教えろよっ!」
「それはあんたが考えることよっ! 星宮の彼氏の、あんたしかできないことでしょ! 早く、考えて!」
綺麗事なら朝比奈でも吐ける。でも言葉だけでは星宮を救えないし、心を開かせられない。だというのに朝比奈は不可能を庵に押し付けようとする。
口だけ出して、自分は何もしない。そんな風にしか見えない今の朝比奈に、とうとう庵も我慢の限界となる。
「黙れよっ! 星宮いじめたお前が、何星宮を語ってんだ。お前なんかが、俺に指図するとか――」
「んなこと、私が一番分かってるわよ!!」
今日一の声量を出したつもりだが、それは被せてきた朝比奈の声量に掻き消された。
「――っ」
朝比奈の切れ長な瞳に、強く睨まれる。庵も負けじと睨み返すが、何故か体が震えていた。本気の瞳に睨まれ、庵は思わず目を逸らしかける。
「......こんなこと、私が言う資格がないってことなんて、自分が一番分かってる。あんたからしたらどの分際で物言ってんだって感じよね」
落ち着いた朝比奈の声が庵の鼓膜を震わせる。彼女の今の立ち姿は、堂々としていて力強く、悔しくも今の庵とは大違いだった。そして拳をギュッと握りしめ、「でもっ!」と言葉を繋ぐ。
「今、私しかあんたの隣には居ないでしょっ!」
「っ!」
「私が今これを言わなきゃ、誰があんたに言ってくれるのよっ!」
スッと、何のつっかえもなく朝比奈の言葉が庵の脳内に溶け込んだ気がした。今言われた朝比奈の言葉は庵の中で何も拒絶反応を起こさず、ずっと心を覆っていたモヤにまで影響を与える。
朝比奈の言葉なんかに納得したくない。でも、朝比奈の言っていることは正しい。もしここに愛利や暁が居てくれれば、きっと同じことを庵に言ってくれたのだろう。でもそんな仲間は今、ここに居ないのだ。
「――」
やっと目が覚めた気がした。今、ここに居るのは朝比奈。そしてこの状況を打開できるのは、庵。
「――自信有りげに、星宮が元気出るような、言葉」
そんな都合の良い魔法の言葉、あるのだろうか。あるわけがないと思い切り捨てるのは簡単だが、もしかしたらあるのかもしれない。
「そう。それを、星宮に言って。あいつに......希望を持たせて!」
「俺が、星宮に......」
朝比奈は軽く言ってくれるが、そんな言葉、普通に考えて思いつくわけがない。言葉だけで人を動かすなんて、繰り返すようだがとても難しいことなのだ。しかも、相手は相当こちらに壁を張っている。そんな人間の心をこじ開ける言葉は、世界中どこを探したって見つかりやしない。
「星宮は、俺を......」
――世界中を探してもないというのなら、庵は既に持っているのだろう。
――否、庵しか持てない。
「俺なんかが、これを星宮に言ったて――」
「あんたしか星宮は動かせない」
「俺は、どうしようもないやつだぞ」
「それ含めて、星宮はそんなあんたに惚れたんでしょ」
もう、勇気は溢れるほどにもらい続けていた。それを見て見ぬ振り続けたのは、庵自身。勇気に向き合うというのなら、あとはどう立ち上がるか。前を向き、胸を張れ。自信満々に、どうしようもない程にクズな自分を晒してやれ。天馬庵は、天馬庵でしかないのだ。
「......そうだよな」
迷わぬ手付きでスマホをタップし、ミュートを解除した。そして愛を叫ぶ。
「――星宮、俺お前のことめちゃくちゃ好きだっ!」
久しぶりの更新すみません。少し忙しかったです。しばらくは何もないので更新ペース上げていきます。




