◆第144話◆ 『届かない思い』
「お前......前、星宮いじめてたやつだろ」
「あの、なんでもいいから私についてきて。話は走りながらするから」
「......」
「今あんたの彼女が北条くんに攫われてるの。あんたも薄々気づいてるんでしょ。黙ってないで、早く立って! 時間がないの」
久しぶりに会って何を話し出すかと思えば、朝比奈は”星宮を助けたい”という話を庵に持ち出した。しかし、庵も直ぐにはいそうですかとは勿論ならない。何せこの女は、庵の大嫌いな女子だからだ。無論、私情で朝比奈の手を跳ねのけようとしているわけではない。
「......誰がお前の話なんか信じるかよ。そうやって適当言って、甘音みたいにまた俺を騙す気だろ。てか、北条と仲良いお前がなんで北条を裏切る真似すんだよ」
「ちっ、めんどくさ! なにこいつ!」
「あ?」
庵に冷めた視線を向けられ、朝比奈が分かりやすく舌打ちをする。しかし、ついさっき甘音に裏切られたばかりの庵が、朝比奈を疑うことは仕方のないことだ。甘音の件はまだ記憶に新しいので警戒心はだいぶ強まっている。そして朝比奈は以前星宮をいじめていた、憎き相手。何も知らない庵からしたら、朝比奈からは香ばしい匂いがプンプンとするのだ。
「あぁもうっ! この間に星宮が北条にエロいことされてるかもしれないのよ!? あんた、それでもいいの!?」
「っ!」
「言っとくけど、これ脅しでもなんでもないから。あの男なら、まじでヤるわ」
さすがにそう言われると、庵の心が大きく揺れた。星宮が自分じゃない誰かに汚されるなんて考えたくもないし、絶対にあってはならない。もしそんなことが起きれば、星宮は一生のトラウマを負うと断言できるだろう。
「じゃあ......お前が、星宮の敵じゃないって証拠はあるのかよ! それがないと、俺はお前の言ってることなんか信じれるわけがない!」
「っ。そんなの......!」
朝比奈はそれを証明する手段を持ち合わせてはいない。昨日、ようやく星宮と和解できたばかりなのだから当たり前だ。朝比奈が敵でないことを証明することができるのは、星宮だけ。
「――星宮にLINEで聞いて」
「は? 星宮にLINE送っても既読つかねぇよ。てか、お前に都合の良いLINEを送らせるように星宮脅したり
してねぇだろうな」
「っ。じゃあ、通話は!?」
朝比奈が声を荒げる。とても芝居には見えないが、庵の警戒心はまだ解けない。
「いや、LINEの既読もつかんのに通話かけても意味ないだ――」
「そんなの、やってみなきゃ分かんないでしょ!! やる前から諦めてんじゃないわよ!」
ものすごい剣幕で怒鳴られ、庵は言葉を詰まらせた。そして朝比奈の言っていることにも一理ある。癪なので朝比奈には何も言葉を返さなかったが、無言でスマホを取り出し、星宮とのトーク画面を開いた。
「......星宮に通話とか、一回もかけたことないぞ」
ふと気づいたことを呟いてから、通話ボタンをタップした。星宮のアイコンが画面上に大きく表示され、呼び出し音が鳴り始める。ごくりと、その画面を二人で凝視した。
「――」
もう、十秒は経ったか。未だ、星宮は通話に応答する気配はない。
「......やっぱり」
そう、諦めかけたとき、呼び出し音が止まった。通話時間が00.00秒から刻まれ始める。そして画面の奥から聞こえてくるノイズに、庵と朝比奈は呼吸を詰まらせた。
『――もしもし、天馬くんですか?』
ずっと聞きたかった宝石級の声色が、庵の鼓膜を震わせた。
***
聞き取れた声は、か細く、消え入りそうな声で、庵の名を呼んでいた。まさか繋がるとは思っていなかったので、庵は反応がワンテンポ遅れてしまう。
「星宮!!」
そんな庵からスマホを掻っ攫い、真っ先に言葉を返したのは朝比奈だった。腕を震わせながらスマホを握りしめ、足がガクガクと震えている。スマホを奪われた庵は、そんな挙動がおかしい朝比奈にぽかんと目を丸くさせていた。
『え......朝比奈さんですか?』
「今、あんたの彼氏からスマホ借りたっ。え、えっと、そそ、そっちは大丈夫なの!?」
どれだけ慌ててるのか、朝比奈の呂律が回っていない。通話の奥の星宮の声は、怖いくらいに落ち着いていた。
『大丈夫、っていうのはどういうことですか?』
「はぁ!? いや、あのあとあんた甘音アヤに連れ去られたでしょ! 今も、隣に北条くんかあの女が居るんじゃないの?」
『あぁ......』
朝比奈の言葉に、星宮がしばらく黙り込んだ。何故そこで黙るのか意味が分からず、朝比奈は「ねぇ、どうなの!」と追って言葉をかける。
『私は大丈夫です。もう甘音さんも北条くんも帰りました。朝比奈さんの方は――』
「......っ」
星宮は落ち着いた口調で、そう朝比奈に伝えた。その瞬間、朝比奈が力強く拳を握りしめる。
「なんで、なんで嘘つくのっ! んなわけないでしょ! あいつらがそんな簡単にあんたを見逃すわけがない! バカ言ってないで、今どこ居るのか教えなさいよっ!」
『――嘘じゃないですよ』
「嘘つきっ! なんで一人で全部抱え込むのよっ! 別に、あんたは何も悪くないんだから、私を頼ってよ。罪滅ぼしくらい、させてよっ!」
『......』
よほど感情が荒ぶっているのか、ぜえはあと大きく呼吸を乱しながら顔を赤くし、星宮に必死の訴えをする朝比奈。だが、無情にもその想いは朝比奈には届かない。
「朝比奈さんは何も悪くないですよ。悪いのは、全部私です」
「はぁ......? もう、意味が分かんないっ。あんたさ、ほんとなんなの。なんでそんなに我儘なの」
『そうかもですね。私は......ちょっと我儘なんです。だから、許してください』
「もうっ、なんで......なんで! 昨日、仲直りしたじゃん。まだ、あんたは私が信用ならないの? やっぱり、私は、まだあんたにとって......」
『朝比奈さんの事はもう気にしてません。昨日、言ったじゃないですか。私にしてきたことは許すって』
この瞬間、朝比奈がスマホを手から落とした。
「――じゃあ、さっさと助けてって私に言えよ! このバカ!」
『ごめん、なさい』
「ごめんじゃない! 助けてって一言言えばいいのよ! そしたら、助ける、からぁ.....!」
これ以上、何を言っても星宮は譲らない。朝比奈がこうまでして譲歩しないとなると、通話越しの星宮の身に何が起きているのかの不安が逆に倍増する。バレバレな嘘をついてまで、なんで星宮は庵たちを遠ざけるのか。それは、誰も巻き込みたくないという、我儘な理由だけなのだろうか。
「――」
庵は無言で朝比奈の前に落ちたスマホを取り戻した。まだ、通話は繋がっている。
「――もしもし、えっと......俺だ」
『天馬くん』
どうすれば、星宮の閉じた心を開かせることができる。どうすれば、星宮は庵を頼る。
ここで庵が星宮を動かせなければ、もう詰みだ。できるできないじゃなく、やらなければいけない。どれだけ自己肯定感が下がろうが自己嫌悪をしようが、今だけは気丈に振る舞え。言葉だけで、星宮を動かすのだ。




