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宝石級美少女の命を救ったら付き合うことになりました  作者: マムル
第三章・後編

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◆第135話◆ 『対最恐無謀応戦(3)』


「――ぁ」


 前頭部に石をぶつけられた星宮が、悲鳴すら出せずその場にぶっ倒れた。雪色の髪を無造作に広げ、無表情の顔だけ横になる。血に濡れた前髪が表情を隠し、マリンブルー色の瞳はもう何も映さない。伸ばされた朝比奈の腕が、虚しく空気を掴んだ。


「な、んで」


 迂闊だった。北条に一泡吹かせることができたから、周りが見えなくなっていた。もっと警戒していればきっと星宮を助けられたのに。気を抜いてるつもりはなかったけど、警戒する視野が狭かったのだ。そもそも、北条ほどの男がそう簡単に膝を折るわけがないだろう。


「ストラーイク」


「――っ」


 倒れた星宮に対し、片腕でガッツポーズを取ってみせる北条。そんな彼からは、今さっきまでの辛そうな様子が嘘のように消えている。おそらくこちらの油断を誘うためのブラフだったのだろう。


「北条くんッ!! あんた、マジでふざけないでよ!」


「ふざけてねーよ。俺は真面目に星宮ボコしたぜ? いやぁ、ナイスパス、ナイスパス」


「っ。ほんっと、なんなのよ、あんた!」


 どこまでも舐め腐った北条の悪辣さに、朝比奈の怒りが限界を超える。爪が食い込んで血が滲みそうになるくらい拳を握りしめて、目の前の男を睨みつけた。この怒りを発散しなければ、もう頭が狂ってしまいそうだ。朝比奈は無意識のうちに、さっき落とした石を拾い直していた。


「おいおい、もう石の投げ合いはやめよーぜ。遠距離からチクチクしてくんなよ」


「うるさい! うるさい!」


 感情に任せて、何の考えもなしに再び石を投げつけた。しかし、この行動が全くの無謀というわけでもない。北条は未だ尻もちをついたままだし、左手は顔面を抑えてるので片手しか使えない。極めつけは、夜という視界の悪さだ。目が慣れてきたとはいえ、暗闇の中で小さな石の塊を目で追うのは至難の業。


 つまりこのシンプルな一撃も、今なら十分に勝算が――、


「ないな」


「っ」


 嗤いながら、当たり前のように片手で石をキャッチしてみせた北条。渾身の一撃が不発し、朝比奈の表情が歪む。これでは敵にわざわざ武器を渡してしまったようなものだ。改めて北条がバケモノだということを再認識させられる。


「ちょっとおとなしくしとけよ。お前ら、興奮しすぎな」


 すぐさま北条がカウンターが放つ。朝比奈の数倍はあろう腕力で、石が投げ返された。音を置き去りにする速さで、小さな塊が急接近する。避ける、なんて思考をしている時点でもう遅かった。


「あぁッ!」


 北条みたいにキャッチなんて高度な技術ができるわけもなく、棒立ちの朝比奈の肩に石は直撃した。鈍い音が鳴ってから、遅れて新しい激痛がやってくる。なんとか堪らえようと歯を食いしばってみるが、それじゃなくても満身創痍である今。普段から鍛えているわけでもない朝比奈は、がくりと膝を折った。


「終わりか? お前らの必死の抵抗は」


「く......痛ッ......」


 立ち上がった北条が、膝を折った朝比奈を見下ろす。そんな朝比奈は、解けた藍色の髪がボサボサになって、服は煤まみれ、顔の下半分は血まみれで、全身の骨や筋肉が悲鳴を上げていた。さっきまで動けていたのが嘘と思えるくらいボロボロの状態だ。


 分かっていたことだけれど、朝比奈と星宮じゃ到底この男に及ばなかったのだ。


「まぁでも、正直ビビった。お前らが連携して俺に石ぶち当ててくるとは思わなかったし、威力も申し分なかったな。あとは最後の最後まで油断しないってことが重要だぜ。詰めが甘かったな、朝比奈」


 そう、聞いてもいないアドバイスと称賛のようなものを口にする北条の顔面には、紫色の大きなアザができていた。血の滲んだ痛々しいアザは、朝比奈の投石にどれだけの魂がこもっていたかがよく分かる。

 

 でも、それでも足りなかった。一歩や二歩どころじゃない。数十歩くらい、この男には及ばなかった。朝比奈は戦意を失った虚ろな瞳で、地面を、虚無を見つめる。


「どうだ? 俺が怖いか? もうこんな思いしたくないなら、俺のところに戻ってきてもいいんだぞ?」


「――」


「まぁ、また裏切らないようにしっかり躾けてからだけどな」


 北条が悪魔の手を差し伸べてくれるが、勿論そんな手を今更掴むわけがない。仮に北条のところへ逆戻りしたとして、何になるというのだ。北条と一緒に居ても明るい未来はない。そもそも、もうこの裏切りからは引き返せないと朝比奈は理解している。


 何を言われても、何をされても、この信念は曲げない。このクソみたいな運命を抜けた先に、朝比奈の夢見る未来があると信じて。例えその未来を掴む途中で倒れてしまっても、後悔はない。信念を曲げてまた悪魔と契約するくらいなら、どんな絶望でも味わってやる。


 だからもう、ケジメをつけよう。


「――ぇて」


「あ?」


 顔を俯かせたまま、朝比奈が何かを口にする。口内が血まみれの今、喋ることすら地獄なのに、それでも唇を震わせた。


「――最後に、一つ言わせて」


 聞き取りづらくはあったが、確かに朝比奈はこう言った。血を吐きながらで、か細くはあったが、その一声には何か決意を感じる重みが込められている。それを聞いた北条は、くだらなさそうに鼻を鳴らしながら腕を組んだ。


「なんだ、言ってみろよ」


 ボロボロの朝比奈が最後の力を振り絞り、顔を上げた。世界一憎い相手を見上げ、涙を溢す。そうすると今までの北条との思い出がまるで走馬灯のように流れてきて、少し感慨深い気持ちになった。思い出せば出すほど、北条との思い出が溢れてくる。今思えば、輝かしい思い出の方が悪い思い出よりも多かった気がした。悪い思い出は朝比奈が思い出したくないだけかもしれないけれど、それでも北条は、どんな形であれ朝比奈にとっての青春だったことに代わりない。こんなに憎いって思う今でも、心の何処かで”好き”を疑ってしまうほどだから。


 ――だから、ずっと言いたかったケジメを口にした。



「――北条くん、大っ嫌い」



 そう言い切った朝比奈は、何故か笑顔だった。そして涙がポツリと一粒、落ちる。笑顔が溢れた理由は自分自身でも分からない。でも、その笑顔には一切の曇りがなく、清々しさで溢れていた。ずっと心にあり続けたモヤモヤが今晴れて、朝比奈美結の心がリセットされる。


 朝比奈は認める。今日の今日まで、朝比奈は北条のことが好きだったのだ。こんなイカれた男だと知って尚、まだ心のどこかで好きであり続けたのだ。こんなこと認めたくなかったけど、認めるしかない。朝比奈は失恋して終わった恋だと思っていたけれど、それは朝比奈にとって都合の良い解釈に過ぎなかった。


 北条を諦めきれなかったから、こうして今も北条と関わっているのだろう。だから、こんなに苦しい思いをしているのだろう。そんな未練たらたらも、今、終わった。


(やっと、言えた)


 これでこの最悪な恋愛も終わり。もっと早く言えていたら、どれだけ良かっただろうか。でも、口にできただけよかった。きっかけがなければ、もしかしたら一生言えなかったかもしれないから。


「......嫌い、か」


 朝比奈の言葉に北条が天を仰ぐ。驚くべきことに、北条は今の朝比奈の言葉に対しては何も返答をしなかった。絶対鼻で笑われると思っていた朝比奈は、少しだけ拍子抜けを喰らった気分になる。突然真顔になった北条は、ゆっくりと朝比奈を見下ろした。


「もう、お前は使えないな」


「――は?」


 何が伝えたかったのか朝比奈には分からないが、きっと今の朝比奈の言葉に諦めがついたのだろう。それはおそらく、朝比奈の恋心を利用した策略だ。今までは朝比奈が北条に恋をしていたからこそ、北条は朝比奈の恋心を利用して手駒にできていたが、嫌われてしまってはもうこれまで通りにとはいかない。


「あーマジか」


 ふと、北条の声のトーンが変わる。今の発言は朝比奈に向けてのものではない。


「――穏便に済ませたかったんだけどな。少し、事を大きくしすぎたか」


「何、言って......」


「誰にもバレず、うまいことやるはずだったんだけどなぁ。もう修正が効かないな、こりゃ。こうなったら、俺が詰みだ」


 急に意味の分からない独り言を溢し始める北条。自分に言い聞かせているかのような口調で、少し気だるげな様子。北条に今すぐにでも半殺しにされることくらいは覚悟していた朝比奈は、この状況に困惑する。北条はもう朝比奈を見ていなかったのだ。


 そして朝比奈の困惑の答えは、北条の色の失った瞳の先にあった。



「――あんたが、北条康弘ほうじょうやすひろ?」



 暗闇の先、一人の女が堂々と立っていた。その女は、夜でも目立つ長い金髪を風に揺らし、カーディガンを腰に巻き付けながら、切れ長な瞳を殺意に染めている。女の問いかけに、北条が軽く笑った。


「そうだけど、君は誰? 星宮さんか朝比奈さんの知り合いかな? 違うなら、何も見なかったことにして帰ってもらえると助かるんだけど......」


「あのー、聞いてないことまで喋んないでくれる。殺されたい?」


「わー物騒」


 有無を言わせぬ口調で、女が北条を黙らせる。そして一切の怯みのない足取りで、北条の直ぐ側まで大股で近づいた。女は北条の顔面のアザを見ても、血で濡れた拳を見ても、何も驚かない。ただ殺意のこもった視線を北条にぶつけたまま、桜色の唇を開く。


「はじめまして、アタシは前島愛利」


 女が――愛利がご丁寧にも自己紹介をする。一切の感情がこもっていない冷徹な声に、北条は心臓を優しく撫でられたかのような錯覚を覚えた。それくらい、今の愛利の声には”重たい何か”がこめられていた。



「なんてゆーかさ、アタシ今マジでブチギレてんだけど、全然冷静なんだよね。なんかもう一周回った、みたいな?」


「へぇ。君もボコったら、星宮もっと悲しんでくれるかな」



 愛利と北条の視線が火花が飛びそうなほどにぶつかり合う。最恐との第3ラウンドが、今、静かに幕を開けようとしていた。



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