◆第134話◆ 『対最恐無謀応戦(2)』
「ったく、死に急ぎかよ」
間一髪、星宮が北条に石を投げつけたことで、朝比奈の危機が去った。頭から血を僅かに流す北条が、ゆっくりとこちらを振り返る。よくもやってくれたな、とでも言いたげな表情だ。
「――っ、はぁ、はあ」
北条がギロリと睨みつけてくる。星宮も負けじと睨み返した。北条に石を投げつけてみたはいいが、そこから何か活路が開かれるわけではない。それに星宮が未だ満身創痍なのは変わらなくて、表情全体が苦痛に歪んでしまっている。頭もお腹も背中も痛くて、最早どこが痛いのか分からなくなってきているような状態だ。そんなボロボロの星宮を数秒見つめた北条は一つ溜め息をつく。
「お前、何がしたいんだよ。そんな細い腕で俺に一矢報いれるとでも思ったのか? 笑わせんな」
「違い、ます」
「あ? 違わね―だろ。俺がお前のこと視界に入れてなかったから調子乗って石投げてみたんだろ。それでこのざま。俺はピンピンしてる。まさに飛んで火に入る夏の虫だな」
「......」
北条の言葉に星宮は歯ぎしりをする。さっきの投石は、北条をやっつけたかったからなんて大層な理由はない。ただ、星宮が我慢できなかった。抑えられなかっただけなのだ。満身創痍だとしても、体にムチを打って、やるしかなかった。
「――朝比奈さんから、離れてください」
「ん......あぁね。そういうことか」
朝比奈というワードを出すと、北条は何か納得したように頷いた。そして、その綺麗な白い歯を見せつけるように嗤う。
「つまり友情ごっこか。くだらねーな」
「......」
「こんな裏切りクソ女なんか見捨てて、おとなしくしとけばよかったのにな。そしたらもうちょい休憩できただろうし、俺もあまり手荒な真似はしなかった。知らんけど」
「......っ」
ケラケラと乾いた嗤い声を出すが、直ぐに表情から笑みが消える。再び始まろうとする戦いの予兆を感じ、星宮は足元に転がるゴツゴツとした石をもう一度拾い上げた。冷たい石の感触を、微かに感じる。己に気合を入れるため、ギュッと手が痛くなるくらい石を握りしめた。
「――さて、お望み通りお前からボコしてやるよ」
「く......っ」
北条が朝比奈から離れ、ゆっくりと星宮に近づいてきた。最初はゆっくり。星宮との距離が少しずつ少しずつ縮まっていく。あと2メートル、あと1メートル50――星宮の心臓の鼓動が、おかしくなる。対する北条は、そんな星宮の恐怖を嘲笑うかのように、変わらぬ歩幅とスピードで近づいてきた。
「手の石はいつ俺に投げるんだよ。良いとこ当たれば俺に勝てるかもしれんぞ?」
「――」
「ま、避けるまでだけどな」
瞬間、北条が加速した。星宮と北条との距離が一瞬にして0になる。北条の振りかざされた拳が、星宮の顔面を狙った。
「――あァッ!」
叫び、星宮は手に握る石を投げた。しかし、ゼロ距離で投げられた石は北条から大きく的を外し、北条の背後へと不安定な放物線を描いていく。あまりにも狙いの外れた投石に、北条の思考が一瞬硬直した。それと同時に、北条の拳も空中で停止する。
「くそ。お前、まだ動けんのかよ」
北条が後ろを振り返る。そこにはいつの間にか立ち上がっていた朝比奈の姿があった。
「――ナイスパス、星宮」
朝比奈の手には”星宮から受け取った石”がある。そう、今放たれた星宮の投石は北条への攻撃ではない。普通に投げたところで北条みたいな怪物が簡単に喰らってくれるとは思えない。だから、北条の裏を突くための一か八かのパスだったのだ。
口から血を滴らせる朝比奈が、星宮から受け取った石を強く握りしめる。
お互い満身創痍だし、戦う気力は既に削がれている。でも、星宮は朝比奈が理不尽に暴力を受けるのを見て心を奮わされ、朝比奈は自分のためにまた地獄へと足を踏み入れた星宮を見て心を奮わされた。今の二人なら、言葉を交わさずとも伝わる。北条を許さないという、共通認識。一つの目標に向けた、土壇場の超連携。一度は折られた二人の心が、互いを動かし、また奮起させる。
勝てなくたっていい。全力でこの男に、一矢報いてやる。
「いつも思ってたんだけどさ、あんた口臭いんだよ!」
朝比奈の腕が大きくしなり、石が凄まじいスピードで放たれた。感情が昂った今だからこそできる、火事場の馬鹿力というものだろう。今は痛みすら忘れて、朝比奈の出せるすべてを絞り出した。北条の表情が今日初めて歪む。
「ぅおッ」
そして、魂のこもった全力の投石は見事北条の顔面に直撃した。皮肉にも、白い歯が一本、血とともに口から飛び出ていた。
***
ぐらりと北条の体が傾く。ふらふらと何歩か歩いたあと、片手で顔面を抑えながら地面に尻もちをついた。よく見てみれば、北条は大きく息を荒げている。今の一撃が余程重かったのだろうか。しばらくの沈黙が、辺りを包んだ。
「......あぁ、いてぇな。やってくれたな、お前らぁ」
「――っ」
「――っ」
沈黙を破った北条。顔面を片手で覆っているのでその表情は見えないが、だいぶ辛そうな口調だった。もう片方の手は、地面にぺたりとくっついている。この体勢からではおそらく何もできないだろう。星宮と朝比奈が息を飲みながら、ゆっくりと北条に近づく。朝比奈の手には、もう一つ新しい石が握られていた。
「あー超いてぇ。歯、ぶっ飛んだし。ほんと、超ヤバい」
辛そうながらも、どこかねっとりしたものを感じる口調。そこに何か不気味なものを感じ、朝比奈の石を握る力が強まる。星宮とは言葉を交わさず、北条だけに朝比奈は集中した。
今が絶好の好機。勝てないと思っていた相手に、膝を折らせた。あとはトドメだ。
「――まぁでも、ほんと」
そう、最後のトドメを入れようとした瞬間、朝比奈に悪寒が走る。そして気づいた。朝比奈は手の石を思わず地面に落とし、星宮に視線を向ける。「逃げ――」ここまでは口にできたが、もう遅かった。
手の隙間から瞳を覗かせる北条が、星宮を見る。もう片方の手がピクリと動いた。
「ナイスパスだ、朝比奈」
星宮から始まり、朝比奈へと繋がって、結果北条の裏を取った、石のパス。完璧な連携で生まれた一撃は、確実に北条にとって重たい一撃を与えていた。だが、だからこそ油断していた。北条は受けた石の一撃を、あのあとキャッチしていたことに誰も気づけていない。
つまりまだ、パスは続いている。否――、前述の通り、気づいたときにはもう遅かった。
「星宮――ッ!」
投石を頭に受けた星宮がばたりと倒れ、完全に意識を失った。




