◆第131話◆ 『裏切りの結果』
更新だいぶ空きました、すみません
北条と星宮の間に割って入った朝比奈。
この悪手としか思えない行動は、何か考えがあってのものではない。ただ、朝比奈の中で抑えきれなくなった衝動が、いつの間にか星宮を庇い、怪物相手に一人で立ち向かおうとしていたのだ。
そして朝比奈は直ぐに後悔をする。おとなしくしていれば痛い目を見るのは星宮だけで済んだのに、これでは朝比奈まで身の危険が大だ。バキバキに開いた北条の狂った瞳が、ぎょろりと朝比奈を映す。
「そうかよそうかよ。やっぱ、そっちにつくんだな、朝比奈美結」
「違う。このままじゃ、ほんとに星宮が壊れちゃうから――」
「はいはい。言い訳はいいから。てか、今更言い訳したってもうおせーよ」
朝比奈の中では星宮の身を案じて仕方なく寝返ったというていなのだが、北条からしたらそんなことはどうだっていい。北条からしたら朝比奈は既に――、
「――とりあえずそこどけ、ブス」
「!?」
瞬間、躊躇なく伸びた北条の腕が、朝比奈のツインテールを乱暴に掴んだ。反射的に朝比奈は北条の腕を振り払おうとするが、朝比奈の二倍はあろう腕はピクリとも動かない。朝比奈の頭皮が、悲鳴を上げだす。
「展開的には熱いけど、今お前には興味ねーんだよ。消えろ」
「あぁッ!」
あまりにも冷たい言葉が静かに言い渡された瞬間、朝比奈の視界はぐわんと一変した。北条は、ツインテールを掴んだまま乱暴に朝比奈を地面に叩きつけたのだ。受け身も取れずに倒された朝比奈は、落ち葉の地面に仰向けになる。ぽろりとヘアゴムが髪から外れ、いつも束になっている藍色のツインテールが無造作に解けていた。
「朝比奈、さんっ!」
眼の前で暴力を受けた朝比奈に対し、星宮は掠れた声を上げる。霞む視界、感じたことのない激痛の走るお腹。そんな中でも、星宮は朝比奈が心配で仕方がない。これから朝比奈まで自分のように苦しめられるのかと思うと、それだけで胸が張り裂けそうになる。
「いっった......まじで容赦なさすぎでしょ。髪抜けるかと思ったんだけど」
「虚勢張んなよ。だいぶ本気でお前のことぶっ飛ばしたぞ? おとなしく寝とけよ」
「はっ。私、意外と体丈夫なのかもね」
「......」
むくりと体を起こし、直ぐに北条と向き合い直した朝比奈。その度胸は尊敬だが、状況は何も変わっていない。ここでいくら朝比奈が時間を稼いだとて、朝比奈が倒れれば再び狂気は星宮を襲う。時間稼ぎだけじゃ、何も意味がない。
「朝比奈、さん。やめてください。朝比奈さんじゃ、どうしようもないんでしょ。私を庇ったって、朝比奈さんが損するだけですっ」
「あんたさ、人の心配じゃなくて自分の心配しときなよ。あんな筋肉バカに腹パンされて、無事なわけないでしょ。ったく」
星宮の心配の声に、朝比奈は視線すら向けない。朝比奈の視線の先にあるのは、北条康弘という存在ただ一人のみ。朝比奈はごくりと息を飲む。
「朝比奈。一応言っておくが、俺のところに戻るなら今のうちだぜ? 痛い目みたくなきゃ、さっさと諦めろよ」
「は。もしかしてビビってる? 私があんたの本性を暴露してしまうのが怖いの?」
「笑わせてくれるなぁ。確かに、俺の裏の顔が他の奴らに知られるのは困るけど――んなことなる前に、お前が俺の従順な犬になるように教育し直してやるよ」
「......やってみなさいよ」
切って落とされた火蓋。戻るなら今のうちとは言ったが、そんな情けを北条がかけてくれるとは到底思えない。朝比奈に今までに感じたことがない緊張が走り、呼吸が少しずつ深くなる。
「朝比奈、さん。逃げてください」
「あんたもう黙ってて」
星宮は、弱々しくも何度も朝比奈の心配をする。だが朝比奈は聞く耳すら持たず一蹴してしまう。でも、当たり前だ。あれだけ格好つけた台詞吐いた上で星宮を置いて一人逃げ出すなんて、いくら朝比奈が捻くれているとはいえできるはずがない。それに、裏切った状態にある朝比奈を、北条がそのまま野放しにするとは考えづらいだろう。逃げたところで、また捕まってしまうのがオチだ。結局、朝比奈はもうこの状況から逃げることはできないのだ。
それなら――、
(あいつを――北条康弘をここで終わらせる)
北条と戦うなんて、腹をすかせたライオン相手に、体に好物の肉を巻き付けて素手で戦うような無謀だ。朝比奈に勝ち目なんて、1%すらないだろう。しかし、これは暴力で勝負した場合の話。
暴力で勝てないのなら、頭を使え。朝比奈は頭は良くないが、悪知恵は働く。このどうしようもない絶望を切り抜ける、最善の一手を見つけ出せ。
「――なんか、悪巧みしてそうな顔だな。朝比奈」
「っ」
朝比奈の考えをまるで見透かしているかのような口ぶりで、北条は不気味に嗤う。しかし、そんな朝比奈を北条は止めたりしない。まるで、何かやれるものならやってみろとでも挑発しているようだ。
(私じゃ、北条くんには勝てない。なら、私たちが勝つための道は......!)
北条の言葉に動揺を隠せないが、朝比奈は土壇場で一つ案を思いついた。思いついた案は、暴力で語りあうものと比べたら、断然勝算がある。というか、よくよく考えたらこれしか手段はない。面倒なことになるけど、これが一番手っ取り早い方法。
(......110番。もう、警察沙汰にしてやる)
そう、警察を呼べばいい。子供だけの力でどうしようもならないなら、大人の力を使えばいい。星宮も朝比奈も、北条の前では無力だ。なら、彼を超える人間に助けを求めるしかない。
「何かするんなら、早くしろよ。まさか俺に殴りかかってくるわけじゃないだろ? まぁ、それでも俺は大歓迎だけどな」
「......さぁ。正直、まだ何もあんたに勝てる案は思いついてないかも」
「へぇ。そりゃ困ったな」
薄ら笑いを浮かべる北条。警察に通報するなら、完全に油断している今がチャンス。興奮する頭を落ち着かせて、冷静に状況を判断する。失敗は許されない。一挙手一投足が命取りだ。
(問題は私のスマホがライト代わりに地面に置かされたから今手元にないこと。でも、スマホまでの距離は大股二歩もあれば届く直ぐそこ。あるのは私の背後だから北条くんに近づく必要はない)
朝比奈の手元にスマホはない。約1.5メートル前方に北条。約0.5メートル後方に星宮。そして約2メートル後方にスマホ。これから朝比奈がしなければいけないことは、北条に勘付かれる前にスマホを回収し、110番をかけること。うまくいくかは未知数だが、何をしようとしているか勘付いた瞬間、北条は必ず朝比奈を全力で止めるはず。
――一秒一秒が、命取りだ。
(星宮にスマホを取らせるってのも考えたけど、それじゃ絶対間に合わないしリスクがありすぎる。私が絶対にやらなきゃ)
何度でも言うが、もう引き返せない。そして朝比奈では北条に勝てない。この状況を打破するには、助けが絶対に必要なのだ。絶対に、ミスるな。朝比奈の足に、力がこもる。
「――あ、天馬庵!」
「は?」
朝比奈から放たれた唐突な一言。そのブラフは、確かに北条の心を揺らし、朝比奈に対する警戒を一瞬だけ解かせた。その隙に、朝比奈は北条に背を向け、スマホに向かって直進する。
「――ッ!」
星宮の横を一瞬で過ぎ去り、眩しく光を放ち続けるスマホを一瞬の手際で回収する。この間約二秒。北条との距離は約3メートルもある。呼吸すら忘れて、朝比奈はスマホの画面にかじりついた。残す行程は本命、110番。
「これで――」
キーパッドも出した。あとは3回ボタンを押すだけだ。朝比奈の指が、キーパッドに触れる。押し間違えなんてしない。全集中を今ここに注いで、一秒でも早く助けを――、
「――まぁ、俺を追い詰める手段はそれしかないよな」
「あッ!?」
悪魔の声が聞こえた瞬間、朝比奈の手にあったスマホは鋭い衝撃を受け、硬い音と共に吹き飛んでいた。通報は間に合っていない。しかも吹き飛んだ先は、不運にも北条の直ぐ足元だった。本当に一瞬の出来事。何が起きたのか分からず、朝比奈は傾けた視線もそのままに、硬直した。
「どうせスマホ使ってなんかどっかに連絡するんだろって思ってた。てか、スマホしかお前の持ち物なかったもんな。まぁ取れる手段が少なかったとはいえ、俺の予想通りに動いてるんじゃ、思うようにはいかせないぜ? 当たり前の話だけど、な」
淡々とした口調で、約3メートル先にいる北条は語りだす。いつの間にか、手には数個の石が握りしめられている。おそらく、それを朝比奈のスマホめがけて投げつけたのだろう。光のない暗い林の中だというのに、何故そんな命中精度が出せるのか。改めて、北条はバケモノだった。
「......嘘」
「今更言っても意味ないけど、警察は星宮が嫌がるからやめといた方がいいぞ」
そんなことを口にしながら、北条は足元に落ちている朝比奈のスマホを拾い上げた。未だにライト機能で光り続けるスマホは、この暗い林での唯一の灯り。そして、画面には『110』と打たれたキーパッドが映っている。北条は、ギュッとスマホを握りしめ、朝比奈に嗤いかけた。
「――あと一歩だったな、朝比奈」
朝比奈の努力を踏みにじる言葉とともに、朝比奈のスマホはどこか遠くへと投げ飛ばされた。
唯一の望みが、唯一の光とともに消えていく。朝比奈は地面に手をつき、呼吸を詰まらせた。望みが消えたということは、もう朝比奈にできることは何もない。朝比奈は負けた。一歩届かなかったのだ。
「......詰んだ」
ポツリと、朝比奈の口から言葉が漏れる。最早表情なんてない。目がおかしいくらいに開いて、解けた髪が視界を塞いで、何も見えなかった。でも、絶望は見える。
「んじゃ朝比奈。意気消沈してるとこ悪いが、第二ラウンドだな」
「......ぁ」
「俺を裏切った罪がどれほどのものか、教えてやるよ」
いつの間にか直ぐ側まで近づいていた北条。その姿をゆっくりと見上げた瞬間、朝比奈の頬に一切の容赦のない握りこぶしが叩き込まれていた。余程の衝撃だったのか、一瞬で歯が抜け落ち、血が溢れ落ちた。そして息つく間もなく胸元を掴み、痛みに喘ぐ朝比奈を容易く持ち上げる。
「か、あァ......!」
「痛みは最高の”躾”になるんだ。お前が二度と俺に歯向かわなくなるよう、今から徹底的に躾けてやる」
苦しいのは朝比奈だけではない。この最悪の光景を、何もできずただ見ていることしかできない星宮も、今朝比奈が受けている苦しみと同じくらい、苦しんでいたのだ。




