◆第126話◆ 『大好きの証明』
最悪なことに、星宮の庵に対する誤解はさらなる誤解を生んでしまい、庵にまで怒りが伝染してしまった。お互いにかかった浮気疑惑はどちらも不本意なものであるのだが、頭に血が上ってしまった二人は、そのことに気づくことができない。
涙で潤んだマリンブルー色の瞳と、ギラギラと不気味に光る黒瞳が、火花を散らすように見つめ合う。庵の指がビシッと星宮を指した。
「一つ言っていいか? 星宮は俺が浮気してるって思ってるっぽいけど、そういう星宮こそ浮気してるよな? 自分のこと棚に上げて俺を責めようとするなよ」
「っ。それは......っ!」
「北条に浮気してるんだろ。逆に俺が気づいてないとでも思ってたのかよ」
「......っ」
立場は逆転し、次は庵が星宮を責めだした。星宮は庵の言葉に何か反論したそうな表情をするが、なかなか言葉が出ず悔しそうな顔をする。それが、逆効果だった。
「自分は堂々と浮気してるくせに人には浮気するなとか言うとかどういう考えしてんだよ。星宮ってそんなワガママ言う女子だったか?」
「......私は、浮気なんてしてません」
「いやその嘘は今更無理あるから。星宮が北条と一緒に登下校したり、ご飯食べたりしてるって話は暁から既にいろいろと聞いてる。今日だって北条と仲良さそうに歩いてただろ」
「......」
星宮の浮気の証拠は数多く、最早疑いの余地はない。庵からしたら、ここまで証拠が揃っているのに否定されて、往生際が悪いとまで思ってしまう。頭に血が上った庵は、もう完全に星宮が『悪』だと決めつけていた。
庵の強気な視線が、星宮を怖がらせる。一歩ずつ星宮が後ずさっていく。庵は、そんな星宮の肩を掴んで、まっすぐに視線を合わせた。
「なんで、北条に浮気したんだよっ! 星宮!」
庵の叫びが、夜の静寂を破る。それに対する星宮の返答は、小さく、か細い声だった。
「......んて」
「......なんて?」
「浮気なんて、してません。何度でも言います」
ぽそりと、蚊の泣くような声で言葉を口にした星宮。声こそ小さかったが、その言葉にはある程度の重みを感じられ、真実を口にしているように庵には聞こえた。だが、今更「浮気してなかったのか。ならよかった」とはならない。
「浮気してないって......北条と登下校したりしてんのは浮気じゃないとでも言いたいのかよ」
「......はい」
「......むちゃくちゃすぎだろ。意味が分からん」
確固たる証拠を口にしても、浮気はしていないの一点張りを貫く。庵はそんな様子を見て強情だとは思ったが、開き直りだとはどうしても思えなかった。少しずつ庵も冷静さを取り戻し、辛そうに顔を俯かせる星宮を見て一度咳払いする。
「......あのな星宮。もしかして浮気の意味が分かってないのか? 浮気ってのは、彼氏が居るのに他の男とイチャつくことなんだ。俺の目から見たら、星宮と北条はイチャついてるんだよ......星宮はそうは思ってなかったとしても」
もしかしたら星宮が浮気の意味を正しく理解してないのではと思い、簡単に説明をした。庵は分かりやすく簡潔にまとめたつもりだったのだが、言い終えた瞬間、星宮の様子が一変する。放っているオーラが何やら不穏なものになった。
「っ。イチャついてなんかっ」
「え?」
「私は、あの人とイチャついてなんかいませんっ! 私はっ! 私、は......!」
イチャついてないと、先ほどの口調とは打って変わって堂々と口にした星宮。まだ何か言いたそうだったが、何故かその先は続かない。一度首をブンブンと振った星宮が、目尻に溜まった涙を袖で拭い、庵と目を合わせ直す。
「......私の話は一回放っておいてください。最初に質問したのは私です。天馬くんこそ、なんで甘音アヤさんなんかに浮気したんですか」
「っ。話を変えるなよ」
「最初に話を変えたのは天馬くんです」
「......」
星宮の浮気話は有耶無耶なまま、話題の矛先は再び庵へと移る。もう少し星宮の浮気について問い詰めたいところだったが、最初に庵が浮気について聞かれたのは確かなので、渋々話に付き合う。
「俺は、星宮と違って甘音なんかに浮気してない。甘音はただのクラスメイトだ」
「っ。嘘付かないでください」
「は?」
正直に答えたら、一秒も経たず嘘だと言われた。また涙で滲んでいるマリンブルー色の瞳が庵を映す。
「私は、甘音さんから直接聞かされたんですよ!? 『ワタシは天馬くんの彼女だ』みたいな話をっ。二人のプリクラまで見せられたのに、今更天馬くんが否定しても信じられませんっ」
「なぁ!?」
初耳で予想外の情報が庵の耳に入り、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。プリクラを撮った話は確かに事実なのだが、庵に甘音の彼氏になった覚えはない。つまり、『彼女』という部分は甘音のでっち上げ。甘音は星宮に嘘を吹き込んだということだ。どうりでここまで星宮が取り乱しているわけだと、庵も納得がいく。
そもそも、何故甘音が星宮に嘘を吹き込んだのかというのも疑問だが、その疑問はとてもじゃないが今解消できそうにない。まずは誤解を解かなくては。
「ちょっと待ってくれ、それは誤解だっ!」
「何が誤解ですか! 今日だって二人で密着しながら楽しそうに歩いてたくせに!」
「......それは、あいつが勝手にっ」
「見苦しい言い訳はやめてください。もう、いいんです。今更否定されても、どうせ私はもう天馬くんを信じられない!」
立場は逆転し、今度は窮地に追い詰められてしまった。今日、甘音が密着してきたことを今更後悔するが、もう遅い。反論の言葉も出せず、庵は歯ぎしりする。
「......天馬くんは、あの人の何に惹かれたんですか。私には無い何かを甘音さんは持っていたから、天馬くんは浮気したんですよね」
「いや、惹かれてなんかない。そもそも浮気もしていない」
「胸ですか。甘音さんは確かに胸大きいですよね。それに比べたら私なんてまな板同然ですもんね。やっぱり男の子って、そういうところで女の子を判断するんですか?」
「っ!? は!?」
庵の浮気の理由を勝手に胸の違いだと決めつけ、自虐を始めだした星宮。重々しい顔で、男の子が触れにくいことを言い出してくるので庵は赤面してしまう。
確かに、甘音と星宮を胸で比べたら雲泥の差と言ってしまっても過言ではない。星宮はBくらいなのだが、甘音はDはある。不慮の事後で一度庵は甘音の胸を触ったことがあるのだが、見た目通りの柔らかさと弾力がそこにあった。
胸に関しては、唯一宝石級美少女の欠点なのかもしれない。だが、それ以外は庵的に全て星宮が勝っていると思っている。顔も、声も、体型も、爪や匂い、髪、細かい全てさえもだ。故に、まさか庵が胸が理由で浮気するなんてありえない話で――、
「な、なわけないだろっ。急に変なこと言い出すなよ、マジでっ」
「嘘つかないでください。天馬くんは、甘音さんの方が私より優れていると思ったから浮気したんでしょ。その理由がどれくらいあるかしりませんけど、一つはきっと胸ですよね」
「違うって。いや、違うとかじゃなくて、そもそも浮気してないし!?」
「......っ」
こういうとき、庵はなんと言葉をかければいいのだろうか。『貧乳には貧乳の良さがある』がまず最初に思いついたのだが、言うのはリスクがあるし、これで星宮が納得するとは思わなかったので却下。『女は胸じゃない』も考えたが、星宮はあくまで胸は理由の一つでしかないと考えているようなので、あまり意味がなさそうだ。
「――どうあれ、天馬くんはもう私に興味がないんですよね」
「......は?」
ようやく胸の話が終わったと思いきや、ついに星宮は根本的な部分を触れだした。直ぐに庵は否定しようとするのだが、出ようとした言葉は喉元でグッと飲み込まれる。
それを言うなら、”星宮こそ”だろう。
「星宮こそ、俺のこともう好きじゃないだろ。北条のほうが好きなくせにっ」
「――」
答えを言う前に、庵は星宮に反論した。その瞬間、星宮の放つオーラがまたもや一変する。大粒のナミダが星宮から溢れ落ち、キリリとした視線が庵を貫いてきた。
「私が、天馬くんのことを、好きじゃない......?」
「そ、うだろ。北条に浮気したんだから、もう好きじゃないに決まってる」
「――っ」
その瞬間だ。星宮から伸ばされた手が、庵の腕を掴んだ。
「うぉっ!?」
腕を掴まれ、そのあとに庵の手は何やら柔らかい感触を感じる。それが何か気づいた瞬間、庵は今まで生きてきた人生で一番情けない声を上げただろう。顔も一気に赤く染まっていく。
「な、何してんだお前!?」
何せ、庵の手は星宮の胸を触っていた。それも、星宮の手によって。
触った時間は一秒にも満たなかっただろうけど、確かに布越しに柔らかい感触を感じて、とてつもない罪悪感に襲われた。そもそも星宮は色気のあるような人間ではない。どちらかといえば清楚よりだ。だからこそ、甘音の時よりも庵の中の動揺と罪悪感が膨れ上がる。心臓の鼓動がおかしくなりそうだ。
直ぐに手を離した庵を見て、星宮は目を細める。若干、星宮も頬を赤くしていた。
「私は、今でも天馬くんが好きです。私の恋は、天馬くんが最初で最後って断言できます。だから、天馬くんのためなら、どうしてもっていうなら、本当にどうしてもっていうなら、この体を”あげる”ことだってできました。それくらいは、天馬くんのことが好きです」
「......お前、星宮」
星宮がさっきわざわざ胸を触らせたのは、本当に天馬庵が好きだということの証明。ただ嘘を並べているわけではないという本気のオーラが、ついに庵にも伝わった。だが、これで星宮の浮気疑惑がなくなったわけではない。その説明はまだ何もされていないのだ。
庵は、さっき星宮の胸を触った右手に視線を下ろす。未だ、ついさっきの衝撃がそこには残っている。直ぐに視線を戻して、おずおずと星宮を見上げた。
「天馬くんも、私のことがまだ好きっていうなら証明してください。甘音さんよりも私の方が大好きって証明を」
「しょう、めい? ......そんなの、どうすればいいんだよ」
星宮が本当にまだ庵が好きだということを証明したように、庵も星宮への愛を証明しなくてはならない。しかし、どうすれば証明できるというのか。庵が答えを出せず、悩んでいると、星宮が「分かりました」と口を開いた。
「そういえば、天馬くんはまだ一度も私に「好き」って言ったことないですよね」
「そう、だったかな」
「そうですよ」
恋愛感情ゼロの交際から始まったとはいっても、なんと一度も庵は星宮に「好き」を伝えていなかった。もちろん、心の中では常に思っていたのだが、言うタイミングがずっとなかっただけ。否、言う勇気がなかっただけだ。
その事実を今、星宮が口にしたということは、そういうことなのだろう。庵がすべき愛の証明は星宮への告白。きっとそう。そう、そうだと思ったのだが――、
「――なら、今ここで私にキスしてください。私に「好き」って言いながら」
涙が滲み、震えた声が庵を試す。夜の公園に、冷たい風が二人の男女の間を音もなく過ぎ去っていった。




