◆第119話◆ 『私にとってのすべて。大切で、かけがえのなかった存在』
中学三年生のときに受けたイジメを皮切りに、星宮の生活は一変した。エスカレートしていくイジメや、家庭環境の悪化により、精神的にも肉体的にも疲弊して、昔のような自然体で振る舞うことができなくなっていった。
そんな星宮は、高校に入ってからも中学で受けたイジメを引きずり、友達を作らず人との関わりを断つことで自分を守ろうとするようになってしまった。そうだというのに、また高校でもイジメを受けることになってしまって、どれだけ自分の不運を呪っただろうか。
そんな散々な人生を歩んだ星宮ではあるが、その全てが散々だったわけではない。初めての彼氏ができたのだ。その彼氏は、自分に興味を抱かれることを恐れていた星宮が、もう誰にも近づいてほしくないという思いで作った、恋愛感情ゼロの、パッとしなくて、部屋が汚くて、帰宅部で、自分に自信のなさそうな男子。
優れた容姿故に妬まれやすい星宮は、過去に起きたイジメが再発することを恐れ、あらかじめ適当に彼氏を作ったのだ。告白をしたのは星宮ではなく相手だが、最初のうちは、その彼氏は自分を守る道具でしかなかったのだろう。
でも結局、星宮は彼氏を――庵を利用しなかった。ここでいう利用とは、庵との交際関係を学校全体に周知させ、自分がフリーじゃないことをアピールすること。それをすれば、異性が星宮に興味を抱くことはなくなるし、パットしない男と付き合ってるのだから妬む女子も居なくなる。また過去のイジメを再発させないためには、強力な一手となったはずだ。
しかし、星宮は優しかったし、庵も優しかった。もともと星宮が人を騙して利用できない性格なのはそうなのだが、星宮の心を大きく揺らしたのは庵。不器用ながらもとても気遣いをしてくれるし、沈黙ができたら一生懸命話題を作ろうとしてくれる。いつだっただろうか。交際関係が始まってまだ間もない時、星宮が足を怪我した。そんななか、きっと緊張で苦しかっただろうに、庵は彼氏らしく、しっかり星宮を支えていた。
そんな今まで出会った異性とは違う、初めて受けた優しさに星宮の心は少しずつ罪悪感に包まれた。こんな優しい人を利用することはできないと。
そうして、曖昧な関係のまま交際関係を続けているうちに、いつの間にか恋愛感情ができてしまった。庵も自分に恋愛感情を抱いてくれていると、よくわからない確信があった。その確信ができてから、世界が明るく見えるようになったと思う。庵が唯一の心の支え。命より大事な存在へと昇華していくのは、意外とあっという間だった。
しかし、運命は残酷。謎に星宮に執着していた黒幕――北条により、星宮の今までの不幸が全て仕組まれていた事が判明した。それを知って、とても辛かったし、悲しかった。
でも、星宮は北条に対して心を折らすことはなかった。何度も見せられた地獄。それを今まで耐え続けられてきたのは、すべて庵という心の支えがあったからであり――。
***
――最悪の北条との初デートを終え、翌日となった。
今日もいつも通りに学校がある。教室は文化祭に向けた準備が進められていて、いろいろな物が壁に立てかけられていた。それ以外、特にいつもと代わりのない光景なのだが――、
「......今日も秋ちゃんはいませんね」
はぁ、と短くため息をつき、唯一の『友達』の空席に目を細める。秋が不登校になりだしてもうすぐ二週間だ。LINEで問い詰めてみはしているのだが、いつもはぐらかされてしまい、未だ理由は不明。こんなタイミングで秋が不登校になるなんて、北条の仕掛けとしか思えないが、最早そこまで気を回せる余裕は今の星宮にはなかった。何せ――、
「購買で、えっと......100円のパンくらいなら買いますか」
お金がないのだ。昨日の出来事で、一気に生活困難へと陥り、残金は雀の涙。昼ごはんすら抜かなければ、直ぐに残金ゼロになってしまうだろう。
「――」
目をこすりながら、自分の席を立ち上がる。最近はいろいろと精神的に辛い事がありすぎて、寝付きが悪くなっていた。明日になってほしくないという気持ちがなかなか星宮を寝かせてくれないのだ。そのため最近は寝不足気味。
フラフラとした足取りで、教室の扉に手をかける。
「――あっ、いたっ!」
「え?」
扉を開けた瞬間、元気な高い声が星宮の鼓膜を震わせた。まるで星宮のような、大きくてクリクリした瞳を持つ知らない女子が星宮の前に立っている。声に若干の聞き覚えがあるが、思い出せそうにない。
「星宮琥珀ちゃんだよねっ。ちょっと今時間あるかな? 少し大事なお話がしたいんだよね」
「あの、ごめんなさい。誰ですか?」
相手が星宮を知っていても、星宮からしたら初対面。星宮は困惑した表情を隠さず、少しだけ苦笑いを浮かべた。
「まぁまぁそういうのは後で話すから、とりあえずワタシについてきてっ! ねっ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
名乗りもせず、勝手なことを言い出して星宮の腕を強引に掴んだ謎の女子。されるがまま星宮はその女子に攫われていく。抵抗しようとは思ったが、女子にあまり悪意を感じ取れなかったので、渋々と腕を掴まれたまま攫われておいた。
「なんなんですか、もう......」
星宮のよりも長い、黄色のポニーテールでまとめられた長髪が、目の前でゆらゆらと揺れていた。
***
連れ去られた場所は、人目のつかない校舎裏。雪が薄く積もっている場所もあったので、足元に気をつけながらここまで二人でやってきた。知らない女子にこんな変な場所に連れ去られ、訳分からないとしか思いようのない星宮。
その知らない女子は、カーディガンを腰に巻き付け、いかにも明るそうなオーラを放っている。天真爛漫という言葉がとても似合いそうだ。
「ふぅ、ここならいっか。急にこんなとこまで連れてきちゃってごめんね、星宮ちゃん」
「別にいいんですけど......とりあえず、誰ですか?」
「まぁまぁそれはさておき」
「さておかないでください」
名を名乗らない謎の女子は、堂々と星宮の前で仁王立ちをし、手を腰に当て謎の圧をかけてくる。どうやら星宮を観察しているようだ。気味が悪くて星宮は一歩後ずさる。
「――へぇ、あなたが天馬くんの彼女だった人か。なるほど、可愛いねっ。めっちゃ女の子って感じ!」
ピタと、星宮の動きが止まる。今、この女子は、聞き間違えでなければ天馬庵の名前を出した。それを理解した瞬間、星宮の心臓の鼓動が一気に早くなる。それに、この女は今妙なことを言った。『彼女だった人』という過去形を。
「えっと、天馬くんっていうのは......天馬庵くんのことですか......?」
「うんっ。そうだよ! その天馬くん、今のワタシのカ・レ・シ、なんだよねー」
「......えっと?」
とりあえず、直ぐには理解できなかった。今、彼女は天馬庵が自分の彼氏などと口にしたのだろうか。少し考えてみるが、やっぱり意味が分からない。何せ、庵は星宮の彼氏。こんな知らない女子の彼氏であるはずがない。
「ごめんなさい。言っている意味が分からないです。少なくとも天馬くんがあなたの彼氏であるはずがないと思いますけど......」
「うんうんっ。まぁ、そりゃ直ぐには納得ができないよねっ。今日は星宮ちゃんにこの事を理解してもらうために呼び出したのっ」
「......何言って」
「あ、ちょっとまってね」
そう言うと、謎の女子は手に持っていたポーチ型の筆箱を開き、何かを探し出した。星宮の困惑は未だ続いているが、先ほどの天馬くんはワタシの彼氏発言が異常な程に引っかかる。庵が浮気をするわけがないと勿論信じているのだが、何故か星宮の心がこの女子に警鐘を鳴らしていた。
「あ、あった! これ見て星宮ちゃん!」
見せつけてきたのは、一枚の写真。星宮はその写真を受け取り、目を向けた。そして硬直し、一歩も動けなくなった。たぶん、今の星宮は魂が抜けたかのような虚ろな表情をしていたのだろう。
「.....................え?」
――何せ、見せられた写真は『庵と今目の前に居る謎の女子とのツーショット』。しかもプリクラだったのだから。
「天馬くんと一緒にプリ撮ったんだっ。これ以外にもギャルピとかいろいろとあるんだよ〜? 天馬くんめっちゃ恥ずかしそうにしてたし可愛かったなぁ」
当たり前のように、庵とプリクラを撮った思い出話を語る女子。このプリクラに写っている男は、紛れもなく天馬庵だ。何度も見てきたのだから、見間違いようがない。星宮は全身を貫いた衝撃に心を大きく揺さぶられ、手に持つプリクラをその場に落っことす。
「な、なんでっ。天馬くんが、あなたとプリクラを......い、意味が分からないです」
「なんで意味が分からないの星宮ちゃん。理由は簡単だし、さっきも言ったよ? ワタシが天馬くんの今の彼氏だ・か・ら」
「は、はぁ......?」
天馬庵の今の彼氏がこの女。そんなこと認めることができるわけないし、理解できるわけもない。きっと何かの間違いだと、未だ星宮の心は訴えている。
しかし、そんな僅かな期待をへし折るかのように、目の前の女子の放つオーラが若干不穏なものへと変化した。
「星宮ちゃん、今までお疲れさま。簡潔に言って、あなたは天馬くんに浮気されちゃったの。まぁでも、それってお互い様だよね。星宮ちゃんだって北条くんに浮気してるらしいしー」
「ま、待ってください。北条くんとの関係は、その違うんですっ。いろいろと問題があって......」
「いや、今そんな話どうでもいいから。ワタシ興味ないし。星宮ちゃんは、天馬くんに浮気されたってっことだけを理解してくれたらいいからねっ」
「て、天馬くんは浮気なんてする人じゃっ」
「認めたくない気持ちは分かるけどね、星宮ちゃんは捨てられたの。分かったら、さっさと気持ち切り替えて、今の北条くんとの交際に専念しよ? 過去の男なんか忘れてさ!」
「......い、いやっ」
過去の男とはなんだ。庵は永遠に星宮の彼氏であり、一番の存在であり続けるはずなのだ。だから、庵がこんな変な女子の彼氏になったなんて信じれるはずがない。いや、信じたくない。
でも、最近傷ついてばかりで、傷口が大きく開いてる星宮にとって、今のこの女子の言葉は深く刺さった。マイナス思考が加速し、信じてはいけない最悪を信じようとしている。星宮は頭を抱えて、その場にうずくまった。
そんな星宮に、謎の女子が近づく。うずくまる星宮の前で膝をついて、ぽんぽんと、星宮の頭を数回叩き――、
「ワタシの名前は甘音アヤ。天馬くんはワタシがもらったから、奪い返そうだなんて思わないでねっ」
「いやああああああああああぁぁっ」
その女子の――甘音アヤの言葉は、星宮にとって最悪の急所を撃ち抜いていた。
甘音アヤ誰?となった方は、第三章の庵パートを確認してください。そして次回から庵パートです。実はもうそろそろ第三章も大詰めなんですよ




