◆第106話◆ 『馬鹿女』
――2月5日、放課後。校舎裏にて。
「へぇ。これがあんたの命より大切なもの?」
そこに居るのは二人の女子。藍色のツインテールと藍色のショートヘアをしていて、二人の間にはただならぬ空気が巻き起こっている。冷徹な視線をする女子――朝比奈美結は、手に握る小さなアクセサリーに目を細めた。
「汚い手で触らないでっ。それは私のっ。返して!」
「ふぅん。アニメグッズね。そういえばあんた、いっつも休憩時間とかスマホでアニメ見てニヤニヤしてる。マジキモいわ」
「いいから、それ返せ!」
語調を荒らげ、朝比奈から奪われたものを奪い返そうとするのは小岩井秋。普段、まったく人と関わろうとしない秋が、こうして全力で朝比奈に近づこうとしているのはなかなかにレアな光景。ただ今の状況は少し特殊すぎた。
「ま、あんたも馬鹿だよね。なんでこんな大切なものをわざわざ学校に持ってきちゃうの? そんなの盗んでくださいって言ってるようなもんじゃん」
「うるさい、うるさい! 私の、私の『あっきー役の声優のサインが入ったアクリルキーホルダー』を返してよ!」
「うわー、今なんて言ったの? あっきのなんとかかんとかとか......長すぎて聞き取れなかったんですけど」
今の状況を簡単にまとめるとしたら、秋が朝比奈に命より大切なもの――『あっきー役の以下略』を奪われていた。奪われた経緯は単純。秋が見ていない間に朝比奈がキーホルダーを盗み、そのことを自分から伝えた朝比奈が秋を校舎裏まで呼び出した。そして今に至る。
命より大切なものを奪われ、絶体絶命な秋。ジト目にうっすらと涙を浮かべ、見下すような目つきをする朝比奈を強く睨みつけた。
「......何が目的なの。私の大切なものを奪って!」
秋はこの状況を未だ整理しきれない。急に関わったこともない女子から大切なものを奪われたという、謎の状況なのだ。混乱しないわけがない。
「――私があんたに要求する目的はただ一つよ」
「......何」
もちろん、朝比奈だって何の目的もなしに秋の『あっきー役の以下略』を奪ったわけではない。もちろん、朝比奈がこのグッズに興味があったわけでもない。必要だったのは、これを使った交渉の場だ。
「私がいいというまで今日から学校に来ないで。それが要求」
「は? 意味が――」
出された要求。あまりにも無茶苦茶で、自分勝手。秋だってお金を払って高校に通っているのだ。それなのに、関わりもしたことのない女から急に学校に来るななんて、ふざけてる。もちろん朝比奈の言葉に反論しようとするが、
「文句をつけるんなら、あんたの命より大切なものがどうなっても知らないよ?」
朝比奈の手に力がこめられる。そこには秋の『あっきー役の以下略』があった。アクリル製なので、それほどの強度はないから、朝比奈の握力でも簡単に折れてしまうだろう。朝比奈は本気の目をしている。ここで逆らったら、十万もした激レアグッズが本当に木っ端微塵だ。
秋は悔しそうに歯ぎしりして、顔をあげる。
「私のキーホルダー、いつ返してくれるの」
「すべてが終わったら。つまり、私があんたに学校来ていいよって言った日に返してあげる」
「......ちっ。死ね」
折れたのは秋。誰にも見られていない校舎裏で、秋は朝比奈美結の――北条の策略に飲まれていた。
***
周りをきょろきょろとしながら朝比奈は玄関から顔を出した。そのまま小走りで目的の場所まで向かい、”彼”と合流を果たす。北条だ。
「見てたよ。さすが朝比奈さん、ドスの聞いた声だったね。やっぱこういうことに関してはプロだなぁ、尊敬するよ」
「うっさい。マジでヒヤヒヤしたんだけど。小岩井秋とか始めて喋ったし......てか、なんで私があんなオタクのグッズを奪わなきゃなんないの」
「これも作戦のうちだから仕方ないだろ? 小岩井さんは俺らにとって邪魔な存在だからさ」
今回の秋から『あっきー役の以下略』を奪う作戦は北条発案のもの。どこから仕入れた情報なのか、北条は秋の弱みを知っていた。それが朝比奈が奪ったアクリルキーホルダー。何やらサインが書かれているが、こんなのがそんなにも高価なのか。朝比奈には理解できない。
「んで、あいつはもう何もしなくていいの?」
「あぁ、ああいうのは意外と素直だからね。明日からは学校に来なくなるさ。これで条件はオールクリアだ」
「......そう」
「これでようやく邪魔者が全員消えたな」
爽やかに笑いながら喋る北条だが、言っていることと表情がまったくリンクしていない。もう何度も北条が異常だということは目の当たりにしてきたので、今更朝比奈は新しく驚いたりしないが。
「じゃあ、計画は予定通り進めるってことでいいんだよね、北条くん」
「そうだね。今日はよろしく頼むよ、朝比奈さん。――あとは、頼んだ」
「......ええ」
北条が朝比奈に背を向け、軽く手を振りながら去っていく。おそらく、”あそこ”へ向かうのだろうと朝比奈は察した。一人取り残された朝比奈は胸を抑えて、呼吸を荒げる。急に汗が吹き出してきた。
「――何やってんのよ、私は」
今日、これから起こること――否、朝比奈が起こすこと。それは最低最悪な北条の計画の要となる部分。今更北条に逆らえない朝比奈に、逃げるという選択肢は存在しない。でも、それでも心はとても逃げたがっていた。
――これから朝比奈は、人の道を外れた、まさに外道の道を歩きだす。それを少しでも想像しただけで鳥肌が立ってきた。
「今更怖がったって、もう遅いの。もう私はやるしかないんでしょ」
力強く朝比奈は言葉を溢し、歩きだした。進む方向は北条とは違う。待ち合わせ場所に向かうのだ。
「......私、本当に馬鹿女ね」
最後にそう溢して、朝比奈は自分の心に残っていた感情を殺した。色を失った瞳で、近くの硬い木の棒を拾い上げる。それをカバンの中にしまって、どこかへと歩き出した。
文章の書き方をちょっと変えてみようかなって思ってたり




