◆第92話・B◆ 『行ってきます』
突き刺さるような冷風が横を過ぎ去り、口から吐き出される息は白い。
そんな極寒の中、一人の男子高校生がお供え用の花束を持って、ゆっくりと歩いていた。高校生はとある場所で立ち止まり、背負っていた通学カバンを地面に置く。身軽になった体で、袋に包まれた花束を取り出した。
「......好きだったよな。コスモス」
ぽつりと僅かに微笑みを浮かべて、ピンクと赤色の二種類の色鮮やかなコスモスの束を二つの花筒に飾る。見栄えが良くなるよう、均等になるように意識した。
「......」
通学カバンから線香を適量取り出し、ライターで火を付ける。すべての線香に燃え移ったら、火は消して、煙だけが流れるようにする。もくもくと香る線香の匂いを嗅ぎながら、線香立てにゆっくりと立てた。
「......俺のこと、見ててくれてんのかな」
線香の煙がまるで意思を持っているかのように動き出して、しゃがみこむ高校生を包み込む。きっと風向きのせいなのだろうけれど、そうじゃない気がして、高校生は満足そうに息を吐く。
そうして、高校生はお墓の前で手を合わせた。
「――俺、今日からまた頑張ろうと思うんだ。まだ色々と不安なことばっかだけど、とりあえず目標ができてさ」
返事はもちろん返ってこない。でも、それでいい。今、彼がしていることは覚悟の表明。もう過去の自分には戻らないことを誓うため、逃げ道を潰す。この場で彼は、絶対に嘘をつけない。
「俺は強い男になるよ。大切な人を守れるように、強くなる」
口にした大切な人を頭に思い浮かべながら、彼は言葉を続ける。宝石級の美貌を持つ、彼女を思い。
「それで、そんな俺に協力してくれる人も見つかってさ。その人に今いろいろと教わってんだけど、そいつがもうめちゃくちゃ厳しくて......昨日とかもうボコボコにされたよ。でも、教え方は良いから、強くなってるって実感が最近湧くようになってきた」
次は、指導をしてくれる師匠の姿を思い浮かべる。可愛いのに、身に秘めている実力は凄まじい、正義感の強い師匠だ。もう何回その人の前で膝を折ったことか。
「......まぁ、今はまだダメダメな俺だけど、そのうち目標は必ず達成するよ。俺はもう、立ち直るって決めたんだ。大切な人にも、そう約束したから」
そう言い、高校生は立ち上がる。ライターを仕舞って、通学カバンを背負い直した。もう少しここに居たいと思う彼だが、そうもいかない。
――今日は、学校がある日なのだから。
「俺を見ててよ。絶対に、有言実行してみせるから」
最後に、力強く、もう一言口にする。中学生辺りからあまり言わなくなっていたけれど、そんなプライドはもう捨てた。柔らかな笑みをくっつけ、語りかける。
「行ってきます。――母さん」
一人の高校生は――天馬庵は再起する。靡く線香の煙が、成長した子の姿を祝福していた。
***
がやがやと騒がしい下足場。久しぶりにきた学校は、二学期のときと然程変わりはない。久しぶりすぎてどこか不安になってしまうが、下足場から日和っている場合ではない。
「よし」
学校靴に履き替え、自分のクラスへと歩き出す。階段を上り、廊下を歩き、教室の目の前まで。
「......変な目で見られないよな。まぁ、俺陰キャだし誰も気にしないか」
いつもの調子で自虐ネタをつぶやき、庵は約一ヶ月ぶりに教室の扉を開ける。三学期は既に二週間前に始まっているので、庵は完全に出遅れていた。そんな彼に、誰か反応を示してくれるのだろうか。
おそるおそる、扉を開いた。
「――お、来た来た」
瞬間、嬉しそうな声が庵の耳に届く。視線の先には、懐かしの友達、黒羽暁の姿があった。その姿が見えた瞬間、どれだけ庵の心がホッとしたことか。さっきまでの心配は杞憂に終わったので、庵は軽い足取りで教室の中を歩きだした。
「久しぶりだな、不登校の庵くん」
「......うるせぇよ」
「はは、ごめんごめん」
茶化すように暁が話しかけるので、庵は苦笑いしながら返事をする。長い間距離を取っていたにも関わらず、今までと接し方を一切変えない暁に庵は救われる。この友達だからこそできるノリが、今はとても嬉しかった。
「んで、もう大丈夫なの? いろいろとあったらしいけど」
「まぁ、何とかな。ほんといろいろあったよ」
「そっか。なら、僕も一安心だな。LINEとか一切連絡つかなくなったから、ほんと心配してたんだぞ」
「それはマジでごめん。今はもう全然大丈夫だから、スタ連でもしてくれて大丈夫だぞ」
「お、いつもの庵だ。その様子ならほんとにもう大丈夫そうだな」
「......まあ、な」
頭をかきながら、荷物を自分の机に片付ける。それから懐かしい教室の空気を吸って、暁に向き直った。これまでと同じように、またくだらない話で盛り上がろうと庵は思う。この長い休みの中で、話したいことは山程できたのだから。
「――おかえり、庵」
「そうだな、ただいま」
そうして、これまでと変わらない学校生活が再びスタートする。眩しい太陽が、笑い合う二人の姿を明るく照らしていた。




