第59話 ルナの苦悩 side:ルナ
いつ帰って来たのか、自分でも分からない。自室なのに、寒々しさを感じる。それは、いつも一緒に居た二人が居ないせいか。
「……」
ぼす、と体をベッドに投げ出した。呆けた表情で天井を見上げている。……誰も見たことのない姿。常に自信満々であるように見せかけていた、その余裕が完全に剥ぎ取られていた。
「あう……」
頭を抱え、リスのようにベッドにもぐりこんでシーツで全身を覆ってしまう。何かから隠れるように。まるでお化けを恐れる幼女だ。
「あうう。うう。う~」
うめき声を上げ始めた。ここはルナの自室ではあるが、それでもあんまりな具合だった。生徒が見たら幻滅しそう、とはルナ自身が思っているだけかもしれないが。
けっこうポンコツなところがあるのは多少深く関われば分かることだ。
「はぁぁ」
シーツからくるまったまま出てこない。ルナは普段からあまり悩むということをしない。頭を使わない、という意味では決してなく一定以上の時間は考えてもいい案は出てこないとみなしているだけだ。
あとは考えながらやる。臨機応変が座右の銘だ。
「うう。ああ~」
だから、こんな風にだらだらと悩むのは珍しいにもほどがある。いくら考えても、出てこないものは出てこないからとっとと動け――とは、生徒によく言う言葉である。
自分もそれに倣って悩む前に動いている。
「……あ」
ピタリ、と動きを止める。
「ああ、あああ――」
思い出してしまった。短い時間の開港ではあったが、姫宮凛々須――アレは化け物だ。本人は決して認めないが、殺戮者に恐怖を覚えたとき以上の戦慄を感じていた。
「ひめみや、りりす」
りりす、りりすと口の中で呟く。
終末少女の目で見れば、あれはただの人間だ。未来を見通す目を持っているわけでもなく、その手は鉄さえ引き裂くことはできない。声は数m程度しか聞こえないだろうし、走るに至ってはその辺の子供にすら負けるだろう。栄養状態が悪かったし、魔術の才能など欠片すらない。異能と呼ばれるほどの魔法に至る可能性など、絶無と言っていい。
「それでも、あの人間は――”非”人間は魔女だ」
ぶるる、と背筋を震わせる。
アレには何の力もない。あの時、手を振るだけであの女を八つ裂きにできた。横にいる男も、刀を振るうまでもなく腕の一振りで肉塊に変えられた。
あの恐ろしい彼女も、肉体的には普通の少女に過ぎない――はず。
「いや」
首を振って、それはない。と断じた。
肉体的能力から言えば火を見るより明らかにルナの結論は間違っている。それでも、間違っていないのだ。
――あの場で魔女が姿を現した。それは、ルナがアレに手を出すことができなかったことを意味する。
「力でもない。権力でもない。ましてや、人柄ですらない。あの非人間に不可能なことがあるとすれば、それは”人に好かれる”という一点のみ」
ああ、実際に脅されたと言うのに、ルナはすごすごと逃げ帰ってきた。ルナはかなりの”いじっぱり”だ。挑発されたなら挑発し返して、殴りかかってきたなら腕の一本も切り落とす。そのルナが、何もできなかった。声も出すことすら。
「空気を作った? 有無を言わさない雰囲気? 他人への思考誘導? 魔女の手管を紐解けば、そのように解釈できるものもあるのだろうがよ――」
そんなものではない。その程度のものであるはずがない。そんな”低次元”な代物ではない。
「……魔女。そうだ――あれこそが魔女。古より人が恐れ、畏れ、奉ってきたもの。あまりの恐怖に、”魔女”のレッテルを罪なき者にあてはめ関係ない者を率先して殺戮してまで目を背けてきた。ああ、理解できたよ」
こわいね。そうつぶやいた。
くるん、と寝返りを打つ。枕を抱える。
「魔女は、殺さなきゃいけないよね」
実際は、わかっていた。解決法、というのは案外簡単に分かるものだ。それが、人道やら誇りやら手間やらで実行したいわけもないから目を背けているだけで。
そう……”手段を選ばない”という覚悟ができていないのだ。
「しょせんは魔女。人をもてあそび、なぶる怪物――でもね、怪物は〈神性〉には……終末少女には勝てない」
あの魔女の策略を覆す手段はある。そして、それはルナ一人で実行できる。あの子達を煩わせるまでもない。それができるからこそ、ルナは箱舟の主なのだ。
「君は知らない。僕を翡翠の夜明け団、その大幹部の一人と侮った。人間と見下した。それが君の誤りで、敗北だ。人としての僕は君には勝てない。何度挑もうが、敗北する定めだろう。けれど、世界樹の管理者――要らない世界を切り捨てる終末少女は存在として神と言える」
力を使えばいい。それは人間に見せたことのない力だ。ルナがルナになる前、終末少女が世界を渡り歩いていた頃に何度も使った力は、世界を壊すための異能。
「我が力は『ワールドブレイカー』。世界樹の枝葉を砕き、腐った世界を焼却する。有害物質など残すことはない。なぜなら、本来は”それ”こそが僕らの存在意義であるのだから」
神の力ならば、魔女の思惑ごと世界の一部を焼滅させることができる。なぜなら、もとよりこれは世界そのものを一片たりとも残さず丸ごと焼却するための力だから。
ルナをして神たらしめる滅びの力なのだ。
「……でも」
アリス、アルカナと呟く。これが、助けを求めるように――であったらよかったかもしれない。ただ、離れたくないから。あの二人を独占したいから。
「あう……!」
洗面所に駆け込む。けっけっけ、と空咳をする。……吐いている。人間だったときの記憶、極度のストレスで精神が反射を起こした。
「……けほ……こほっ」
しかし、終末少女の身体というのは変なところで面倒だ。吐く――胃の中のものを戻すためにはかなり面倒な手順が必要だ。
終末少女は栄養を摂取して生きるわけではなく、その機能はただの擬態に過ぎない。今のルナにそんな面倒をする余裕はない。胃の中には何もない……胃液すらも。
だから、こほこほと空咳を繰り返すのだ。吐くものがないから。
「うく……っく」
口をゆすいで、ベッドに戻る。憔悴した瞳で天井を見つめる。そんな――無駄な時間を過ごす。ルナの大嫌いな無駄な時間を。
「うう……あう……」
そう、答えは出ていた。解決法はあった。……それが、到底許容できるものではないとしても。
「でも……それでも――失う、くらい、なら……!」
ルナは、助けなど求めるほうが馬鹿だ。そんな余裕があったら自分で何とかしろよ、暇人――などという態度をとっている。実際、ルナが他人を助けることはあまりない。というか、ただ助けてくれと言っている人間を助けることはない。
ルナがするのは、犬に食われそうになっている人間に銃を投げ与えてやることだ。手に持った刀でばっさりと切り伏せることではない。
実際、防衛を肩代わりしてやったことはないが、最新鋭の重火器を多数、世に流している。
ルナに聞けば、こう言うだろう。単純に費用対効果と実現可能性の問題だ、と。犬に食われそうになっている人間を全員助けることは、終末少女の力をもってしても手が足りない。
ならば、銃だけばらまくのが効率的――だなどとうそぶく。
けれど、奥の奥。本人も気づいていない裏の本心では違う。
……ルナは自分が不特定の誰かに助けられるとは夢にも思っていない。助けてもらえるなどと思わないから、逆にお返しに誰かを助けることもしない。助けを求めない、のはそもそも考え付きもしないからだ。
それは、単なる人生経験か、ただの思い込みであるのか。起因するのはルナではなく、ルナに入った人間の記憶。ルナに言わせれば前世。それは、そう――
「赤の他人が僕を助けてくれるなど都合のいい話があるはずない。”僕”がやらなくては……!」
と、いうことだった。批判的に見ればただの逆恨みだろう。まあ、行動しないという形で現れてはいるが、それでも本人がやる気にさえなってくれればと思うのが人情というモノだろう。
「やるさ。アリス、アルカナ。僕は――ッ!」
ゆえに、ルナは最悪の判断を下す。それが最悪であると自覚してなお――
「これ以外に道はない。ならば進むのみ!」
シーツを殴り、消滅させて廊下に出る。一歩でトップスピードまで乗る。人間が近くにいたら、それだけで衝撃波で木っ端みじんになる。
「しょせんは人間の短い命。ここで散ろうが、魔物に食い荒らされようが変わるまい……!」
図書館にわずかな時間で到達する。最高位、SSRのモンスターの力を我が身に宿す。最凶の力を手にし、箱舟を出る。
ある探偵が言っていた。殺人――というのは実のところ失敗を取り返すためにする、愚かな失敗なのだと。元々失敗していたのだから、それを探せば犯人の特定は容易との趣旨ではあるが。
ルナは魔女と向き合い敗北した。ならば、この場合の殺戮は敗北を取り返すための敗北。つまりは二重の負けに他ならない。
本来、人間の心は人を殺すということに耐えられない。ここで、ルナの――ルナに入った人間の心は確かに折れた。




