デウス・エクス・マキナ
本日二本連続投稿。二話目。
数年前に戦争が終結しても、景気がよくなることはなかった。
一応『停戦』という形をとったが、あれはどう考えても負け戦だったことを、皆知っていた。子供の俺ですら知っている話だ。
その後、物価は一時期安定したものの、最近またジワジワと上がってきている。原因は昨年の干魃だ。ある特定区域だけの現象だったが、そこが国の穀物地帯だったのが致命的だった。
お陰で孤児院への寄付は滞り、ゲイルやシスがいち早く冒険者になって日銭を稼いでくれなければ、かなり酷いことになっていたと思う。
それでも、ジリジリと貧困は悪化する。
俺は早く育ってギルドに登録できる歳になりたかった。
ギルドカードはそのまま身分証になる。それがあれば、少しはまともな仕事ができるようになる。
けれど、状況は悪化し、もはやギルド登録料も絞り出せないくらいには生活が逼迫していた。それは先日、ゲイルが不慮の事故で死んでしまったことと、孤児院前に捨てられていた赤ん坊が主な原因だった。
俺はやっとギルドに登録可能な年齢になったが、金がなければ登録できない。身分証がなければまともな仕事にはありつけない。
結果、俺は人が忌み嫌う底辺の日雇いの仕事ばかりを引き受けることになる。
そんな時、ちょっと仕事を頼まれてくれないか、と兄貴分のシスが言ってきた。
ギルドに非常に怪しいガキが現れたらしく、俺は年齢的に近いし、とりあえず接触してみろ、ということだった。
その怪しいガキというのは、一見、取り立てて目立つでもない、美人でもなくブスでもない、なんというか『平凡』という言葉が実体化するとこんな感じか、という小娘だった。
露店を物珍しそうにキョロキョロと眺めている姿はどうにも隙だらけだ。さてどうやって接触するか。
普通に声を掛けるにしても、何を言えばいいのか。むしろそう云う分野は得意ではない。
悩んだ結果、己の手癖の悪さを利用することにした。
これに関して言い訳はしない。そうでもしなければ幼い弟妹達(血のつながりはない)が餓死してしまうからだ。
とりあえず俺は、あの警戒心の薄い不用心な子供から財布なりをスリとって、落し物とでもいって近づくことに決めた。
ところが、小動物並の警戒心を発揮されて失敗した。意外だ。仕方なく作戦変更してワザと舌打ちし、意識をこちらに向けさせてから足早に離れる。
これで追いかけてきてくれれば、と思ったが、残念ながら彼女は追いかけてこなかった。
さて次はどうやって接触するかと悩んでいたら、何故か向こうから接触してきたので、一応仕事は成功した。露店を手伝えと言われるとは想定外だったが。
その露店が驚きの連続だった。
どう考えても鞄の容量を遥かに超えた量の野菜が、文字通り次から次から湧いてくるのだ。
それも、季節感無視どころか、この国ではまず手に入らない種類豊富な野菜達が所狭しと並べられていく。
成程、これは確かに怪しい。この上なく怪しすぎる。なまじ見た目が平凡極まりない小娘なだけに、余計違和感がある。
並べてある野菜が完売した後、小娘から渡された報酬は、いつも一日かけて稼ぐ金額よりも多かった。その上、わざと分けておいたのだろう、両手でギリギリ持ちきれるだけの野菜もおまけで追加してくれた。
その後、また今度露店を協力する約束を持ちかけられたので、迷わず頷いた。
目先の欲に釣られたと言うなかれ。結果的にはそれが幸いしたのだから。
このところ薄い水のようなスープばかりの夕食だったが、本日は思わぬ収穫で少しだけ豪華になった。
シスは何やら「あの薄気味悪いガキが売ってたやつか」とブツブツいっていたが、一口食べたら文句は止まった。あくまで一時的な話だが。
数日間隔だった小娘の出現が頻繁になり、その度に手伝っていた俺はそれなりに小銭が貯まったので、念願のギルド登録を行った。
その結果、何故か小娘と共に狩りに行くことになった。まあレベル上げ自体に異存はない。むしろ好都合。
ただ、その話を聞いたシスがついていくと言い出したので嫌な予感がした。
翌日のシスは、小娘に対しやたら愛想がいいというか、如何にも「人畜無害ですよ、優しそうですよ」という態度をとり続けてむしろ胡散臭かったが、小娘はあっさり騙されていた。
小娘、そいつは毎日お前のことを気持ち悪いだの薄気味悪いだの暴言を吐き続けている男だぞ。もう少し警戒心を持った方がいい。
それにしても、小娘の異常さは狩りの時も際立っていた。
見たことのない高級ポーションが限界まで詰められた鞄、そして入っている武器防具にまた驚く。
剣士で装備できる最高級の装備が、そこには入っていた。それもレベル毎に装備できる制限があるが、装備可能になると、自動的に持ち主の体躯に合わせて伸縮するという、信じられない機能をもつ魔導装備ばかりだった。
本当に何者だこの小娘。普通じゃないどころの騒ぎじゃない。
それでも、俺達は動揺を可能な限り押し隠して狩りをした。ちなみに狩りは……過酷だった。小娘が「鬼狩り」と言っていた意味をやっと理解した。
狩りに露店にと忙しい日々が続く中、小娘がうちの孤児院に興味を持ったのかやたら色々寄付をしてくるようになった。
仔細は省くが、いつも何処か濁っていた井戸水は信じられないくらいの清らかさを保ち、優しい匂いのする清潔な衣服を身につけることができ、寝具も一新された。
風呂などという贅沢品が設置され、しかも水を風呂釜に汲んでおくだけで勝手に沸くという優れものだった。
いつも食べきれない程の新鮮で美味な食材が提供され、飢えることもなく、弟妹たちはとても楽しそうに笑うようになった。
だというのに、シスの小娘に対する視線は日を追う毎に厳しくなっていく。薄気味悪い何か別の生き物を観察しているかのようだった。
確かに謎は多すぎるというか謎しかないが、あれは基本的に莫迦でお人好しだ。そこまで警戒する必要はないと思う。
そんなある日突然、小娘が倒れた。
医者に連れて行こうとする俺を制し、シスが小娘をギルドに連れて行く。
ちょうどいいから、あの鑑定士に検査させよう、ということだった。
具合が悪い小娘に対して非道な話だが、俺は昔からシスには逆らえない。仕方なく小娘を背負ってギルドに向かった。
結局、鑑定士の手が空くまで放置されてた小娘は、突然飛び起きると解呪の札を二枚欲しがった。
一枚は小娘が手にした途端に燃え上がり、彼女が呪われていたことを示した。
それで急に倒れたのか、と納得していると、小娘は更にその札を鑑定士に握らせた。その札も燃え上がり、どうも彼も呪われていたようだ。
小娘は別室にて呪いの説明をしてくれたが、途方もない話で信憑性に今ひとつ欠ける上に、その根拠を示すこともできなかった。
最早怪しむなという方が無理だ、という時点でとうとうシスの我慢が限界に達した。
その後は、実に胸糞悪い行為が暫くの間続けられていた。
シスのあれは尋問ではなく、単なる暴行だった。
何の質問もせず、ただ一方的に罵倒しては暴力を繰り返す。
小娘は一切抵抗しない。抵抗する気力が無いのかもしれない。だというのにシスは容赦なく彼女を責め続ける。
けれど誰もそれを止めない。彼女に今助けられた筈の鑑定士の青年でさえ、やれやれと肩を竦める程度だった。
そして俺も、結局は動けない。ただ、一方的過ぎる暴力を受けている彼女を助けることもせず、顔を背けているだけだった。
力加減を誤ったのか、鈍い音が響く。骨を折ったのか、小娘が苦悶の叫びを上げるが、シスの蹴りで顎を砕かれる。
「こら莫迦、喋れなくなったらどうする」
そこでやっと、受付のおっさんの苦情が入ったが、シスは「へーい」と返事をするだけで、小娘への暴行は止めない。今度は腹を執拗に蹴り続けている。
流石に我慢できなくなって立ち上がりかけた瞬間、全身に衝撃が走った。
姿の視えない『何か』に一方的に打ちのめされた。
床に叩きつけられ圧迫され、呼吸するのもやっとな重圧の中、その声の主は非情な宣言を下す。
お前たちは、緩やかに滅びていけ
謎の重圧から解放されたとき、既に小娘の姿はなかった。
ひとり重症を負ったシスを回復したのは、皮肉にも小娘が作ったハイポーションだった。
一体何が起こったか、残されたその言葉の意味すら、その時の俺たちには、正直全く理解できなかった。
その後何日か、いつも小娘と待ち合わせていた場所に訪れたけれど、それっきり小娘が姿を現すことはなかった。
俺たちを取り巻く環境は年々悪化していった。
小娘がいなくなってからしばらくして、次第に食料の物価が上がり始めた。大量供給元が忽然と姿を消してしまったのだから仕方がないといえる。
凶作は続き、そのうち薬草すらろくに採取できなくなり、ポーションの値段が十倍二十倍に膨れ上がる、なのに街の外をうろつく魔物達はだんだんと強いモノに変わっていく。
街の外では様々な疫病が流行り、あの謎の『声』が残した言葉が妙に現実味を帯びてのしかかる。この国は本当に、神に見放されたのかもしれない。
そんな状況下で孤児院の皆が無事生き残っているのは、皮肉にもあの小娘のお陰だった。
あの時、小娘から託されたポーチには、売り物としての大量の食料の他に、直前にギルドで受け取ったのであろう大金が入っていた。
それらは小娘の物なので使うには抵抗があったが、生活が苦しくなるにつれて手を出さざるを得ない状況になっていく。
小娘の残した物は全て実に重宝するものであった。
特に狩り用のポーチに入っている武器防具は、剣士の究極レベル到達時の装備まで、二人分しっかり入っており、薬も一つ売るだけで恐ろしい大金になりそうな品ばかり。他にも狩りで使うに便利なアイテムなど色々な物が詰まっていた。
俺達はそれらの力を借りて着実に力をつけつつ、育ってきた弟妹達を次々ギルド登録させては装備を下げ渡し、徹底的に鍛えた。
そして数年が経過した頃、俺達は国を捨てる決意をした。
末っ子がある程度動けるようになるまではと我慢してこの国に留まっていたが、このままでは近いうちに滅びるであろう国に、いつまでも弟妹達を残しておける筈もなかった。
資金は小娘の金がまだ余裕で残っていたので、院長を説得して、皆で国を脱出した。
道中、やたらと強い魔物に何度も絡まれたが、小娘の武防具や道具を駆使して、何とか全員無事に国外脱出に成功した。
幾つかの国境を超え、一年がかりで辿り着いたのは、院長先生の古い知り合いがいるという海辺の小国だった。
そこに大きめな家を買い、孤児院の井戸から持ちだした高魔力石を再び井戸に投げ込み、風呂釜から取り出してもってきた火温石を使って新しい風呂釜を皆で作った。
小娘の残した石鹸は流石に使いきってしまったが、海辺なだけあって潮風で身体がすぐにべたつくので、風呂は再び習慣となった。
そんなある日、風の噂で故国が滅んだと聞いた。
小娘が居なくなってから、十年の月日が経っていた。
俺はその知らせを受けて、ああ、とうとうこの日が来てしまったかと思ったが、シスは違ったようだ。
シスはあの日以来、どんどん荒んでいった。
表面上の笑顔さえ浮かべることもできず、小娘の恩恵を受けながらも、事ある毎に小娘への呪詛を呟いていた。
故国を離れてからは更に凄みに拍車がかかり、孤児院の家族である弟妹達すらも怯えて、用が無ければ近寄らない程だった。
そんなある日、シスが唐突に故国へ行こうと言い出した。
弟妹たちも十分育ち、俺達が長期間家を離れても問題なくやっていけるだろうと思ったのと、シスの昏い眼光の前に、拒否できなかったというのもあり、俺は承諾した。
行きと異なり足手まといもなく、屈強な剣士二人での旅は、実にスムーズだった。
ただ俺達の故国は複数の国に割譲され、元国民である俺達は、立場的に入国は難しくなっていた。このため、山伝いに国境越えを余儀なくされたのが唯一の障害だったかもしれない。
その間、シスは必要最低限のことしか喋らなかった。
祖国が近づくにつれて、シスの纏う闇が深くなっていくのに気づいていたが、俺にはどうしようもなかった。
故国に入った瞬間、空気が変わった気がした。
生温い腐臭と、悪意がねっとり纏わりつくような不快感が全身を襲う。
魔物は、国を捨てた直後よりも多くなっていた。
俺達は多くの魔物を切り捨てながら、真っ直ぐ故郷の街に向かった。
辿り着いた故郷は、既に瓦礫と化していた。
蹂躙された挙句、焼き討ちされたのだろう、どれだけ探しても生き残りの姿はなかった。
この街は大半が木造建築だったので、燃やされれば終わりだった。広場に残された、積み上げられた頭蓋骨の山から、住民は先に皆殺しにされたのだろうと推測できた。
俺が込み上げる吐き気を堪え切れず、燃えカスの隅で胃の中身を全てぶちまけている間にも、シスは無言で奥に進んだ。
もう吐き出すものが無くなってからやっと、俺はシスの後を追った。
名を呼びながら走り回っていると、かつて孤児院のあった場所で佇むシスを見つけた。
元々ボロかったので完全に燃え尽きているだろうと思っていたが、何故だか綺麗に一部屋分だけ、壁ごと燃え残っていた。
残っていたドアを開けてみると、部屋の内側はそこだけ火事を知らぬかのように元のままに残っていた。
それは、風呂場だった。
そういえば小娘がこの風呂場を作ったとき、何やら術をかけていた気がする。そのせいだろうか。
俺が小娘を思い出していると、シスが足音荒く風呂釜に近づき、所持していた剣を勢い良く振り下ろした。
小娘の作った風呂釜は、小娘の与えた剣の威力の前にあっさり敗北して、真っ二つとなった。
「ふ……く、あははは、あはははははは!」
突然、シスが狂ったように笑い出した。
「なあカイル、ふざけてるよな、もう笑うしかねぇよな、これはよぉ」
シスは壊れた風呂釜を見つめている。俺は、そんなシスを、少し離れた場所から動けずにただ見守っている。
「俺が何したってんだ? あの怪しさ極まりねぇイカレた餓鬼を、ほんの少し躾てやっただけだろぉ? なのにさぁ、なんだよ、なんなんだよこれはぁぁ!」
更に剣を振り上げて、風呂釜に何度も叩きつける。何度も、何度も、繰り返し。
「ふざけんなよ、莫迦にしすぎじゃねぇのか、なんだこれ、なんで国が滅びなきゃなんねぇんだ、なんで皆殺されなきゃならねぇんだ。ふざけんな、ふざけんな糞野郎!」
風呂釜の残骸を、タイルを、シスは狂ったように切り刻む。いや、もう狂っているのかもしれない。
「ふざけんな、赦さねぇ、赦さねぇぞ糞。殺してやる、何が女神だ。殺してやるぞ。あの糞餓鬼も、あの声の主も、絶対見つけ出して殺してやる。皆、みぃんな俺がこの手でぶっ殺してやるからなぁ!」
それは最早呪詛だった。シスは室内を徹底的に破壊しながら、凶器の光を放ちつつ咆哮しつづけた。
俺は壁にぶつかり、自分が無意識に後退っていたことにやっと気づいた。
アレだけ暴れていたシスが、俺が立てた微かな物音に反応し、ゆったりとその赤く狂った眼差しをこちらに向ける。
「なぁ、カイルぅ」
ああ、ダメだ。逃げられない。
「一緒に、探してくれるよな。あの糞っ垂れ共を、この手で縊り殺してやろうぜ、なぁ?」
いつだって俺は、逆らえない。シスに。
「あの五体を切り刻んで、街の奴等の仇討ちをしようじゃないか。なあ……兄弟?」
何処で間違えた、何故気付かなかった、シスはあの日から、緩やかな狂気に堕ちていたのに。
「シス、シス」
いつかの、優しかった頼れる兄貴分はもういない。ここにいるのは、自らが犯した罪に目を背け続けた結果、心が壊れた憐れな男。
「なあ、カイル。一緒にいこうぜ、これは正当な復讐だ。なあ、そうだろう?」
ならば、俺にできることは、せめて
「……ああ、そうだなシス。一緒にいこう、ずっと」
どうせもう小娘は、この世にいない。
万が一生きていたとしても、名前も顔も忘れてしまったし、出会ってもきっと気づけない。だから。
この狂ってしまった兄を、俺が支えよう。
決して見つからない幻を探して、アテもなく彷徨い続けることになろうとも、一生。
あの時、一方的に暴行され続けた小娘を、何もせずただ見捨てた、卑怯な自分。
今も、狂った兄を正気に戻す術もなく、ただ傍にいるだけしかできない、無力な自分。
なあ小娘、もう謝ることもできないけれど、それ以前に会わせる顔もないけれど。
ギルドの二人はとうに亡くなって、俺も兄貴と共に、いつか地獄に堕ちるから。
どうかそれで、他の人達は赦してやってくれないか。
「さあカイル、あの腐れ餓鬼を何としても探しだして、二人で嬲り殺してやろうぜぇ!」
シスの狂気に満ちた高笑いが、廃屋に響き渡る。
それは只、絶望に似た悲しみを滲ませて、俺の全身をゆっくりと絡めとった。
トラゴイディア(tragoidia)=古代ギリシア語において悲劇を指す語。原義は「ヤギの歌」。
デウス・エクス・マキナ=由来はギリシア語の ἀπό μηχανῆς θεός (apo mekhanes theos) からのラテン語訳。
古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。悲劇にしばしば登場し、特に盛期以降の悲劇で多く用いられる。アテナイでは紀元前5世紀半ばから用いられた。特にエウリピデスが好んだ手法としても知られる。
(出典:Wikipedia。一部改稿有り)




