なぜ今、日本に「チームみらい」が必要なのか
2026年、衆議院選挙。
街頭演説の喧騒の中で、従来のような「分配」や「保守」といった言葉の代わりに、ある一つの政党が繰り返すキーワードが、道行く人々の足を止めさせている。
「国家OSの再起動」。
新興政党「チームみらい」が巻き起こした旋風は、単なる一過性のブームではない。
それは、長きにわたり日本社会の血管を詰まらせてきた「アナログな行政」という動脈硬化に対する、最後にして最大の外科手術の提案である。
私たちはあまりにも長い間、不便を「仕方がないこと」として受け入れすぎてきたのではないだろうか。
引越しのたびに役所の窓口で紙に住所を書き、印鑑を押し、平日の昼間に何時間も待たされる。
税金の申告、年金の手続き、免許書の更新。
それら全てにおいて、私たちは「行政」という巨大なブラックボックスの前で、忍耐強い申請者であることを強いられてきた。
しかし、世界の景色はすでに変わっている。
バルト海の小国、エストニア。
人口130万人ほどのこの国は、今や世界が認める「電子国家」である。
そこでは、離婚、不動産売却を除く行政手続きの99%がオンラインで完結する。
選挙の投票さえも、自宅のパソコンやスマートフォンから可能だ。
会社設立にかかる時間はわずか数十分。
自分の医療データは自分で管理し、誰がいつ自分のデータにアクセスしたかさえ透明化されている。
彼らにとって、国家とは「並ぶ場所」ではない。
「掌の中にあるサービス」なのだ。
この圧倒的な差を前にして、「日本は人口規模が違う」「文化が違う」という言い訳は、もはや通用しない段階に来ている。
なぜなら、少子高齢化が進み、労働人口が劇的に減少する2026年の日本において、非効率な行政システムを維持することは、そのまま国力の低下と社会サービスの崩壊を意味するからだ。
ここで登場したのが「チームみらい」である。
彼らの存在意義は、従来の政治的対立軸である「右か左か」にあるのではない。
「アナログかデジタルか」、より正確に言えば「過去の慣習に固執するか、未来の最適解を選ぶか」という、全く新しい軸を提示した点にある。
既存の政党も、もちろん「デジタル化」を口にしてきた。
マイナンバーカードの普及やデジタル庁の創設など、歩みがなかったわけではない。
しかし、それらの多くは「既存の紙の業務を、そのままPDFにする」ような、表面的なデジタル化に留まっていたと言わざるを得ない。
判子をデジタルハンコに変えたところで、承認のリレーが必要なプロセス自体が変わっていなければ、本質的な効率化にはならないのだ。
これをエンジニアリングの世界では「技術的負債」と呼ぶが、日本の行政システムは、まさにこの負債の塊となっていた。
「チームみらい」が画期的であるのは、彼らが目指しているのが「部分的な修正」ではなく、「構造そのものへの刷新」である点だ。
彼らが提唱する「スマホファースト行政」は、単に役所に行かなくて済むという利便性の話だけではない。
それは、行政と市民の関係性を根本から変える哲学を含んでいる。
例えば、彼らが掲げる公約の一つに「ワンスオンリー(Once Only)原則」の徹底がある。
これはエストニアでも採用されている原則で、「一度行政に提出した情報は、二度と提出する必要がない」というものだ。
住所変更も、所得証明も、本来国がデータとして持っているならば、市民が何度も同じことを紙に書いて申請する必要はない。
これまでの日本政治が、縦割り行政の弊害で実現できなかったこの当たり前の原則を、「チームみらい」はテクノロジーの力で強制的に統合しようとしている。
批判の声もある。
「スマホを使えない高齢者はどうするのか」「セキュリティは大丈夫なのか」。
これらはもっともな懸念だ。
しかし、「チームみらい」の主張の真髄は、「デジタルでできることは全てデジタルに任せることで、人間の手が必要な場所にリソースを集中させる」という点にある。
現状の役所では、スマホを使いこなせる若者も、サポートが必要な高齢者も、同じ列に並んでいる。
もし、スマホで完結できる人が全員オンラインに移行すれば、窓口は空き、職員は本当に支援が必要な人への丁寧な対面サポートに時間を使うことができる。
「誰一人取り残さない」社会を実現するためには、逆説的だが「大多数をデジタルへ移行させる」ことが不可欠なのだ。
これは、冷徹な効率化ではなく、温かみのある社会福祉を維持するための現実的な解である。
また、彼らの台頭が必要とされるもう一つの大きな理由は、「民主主義のアップデート」への期待だ。
2026年の現在でも、私たちは投票用紙に鉛筆で名前を書くために、投票所へ足を運んでいる。
そのコストと労力、そして開票作業にかかる膨大な時間。
これらが、若者の政治参加を阻む高いハードルとなっていることは否めない。
エストニアでは2005年からインターネット投票(i-Voting)が導入され、全投票の半数近くがオンラインで行われている選挙もある。
セキュリティ技術の進化、ブロックチェーンによる改竄防止など、技術的な土台は整いつつある。
「チームみらい」が目指すネット投票の実現は、多忙な現役世代の声を政治に反映させるための、民主主義の生命線とも言える。
スマホ一つで納税し、スマホ一つで起業し、そしてスマホ一つで国のリーダーを選ぶ。
そのシームレスな体験こそが、国民に「自分は国家運営の当事者である」という感覚を取り戻させるはずだ。
さらに経済的な視点も見逃せない。
行政コストの削減は、そのまま減税や、教育・科学技術への投資原資となる。
エストニアが「バルト海の虎」と呼ばれる経済成長を遂げ、多くのスタートアップ企業を輩出した背景には、この徹底した電子政府基盤がある。
手続きの簡素化は、企業の参入障壁を下げ、イノベーションを加速させる。
「チームみらい」の政策は、停滞する日本経済に「スピード」という武器を取り戻させる起爆剤になり得るのだ。
もちろん、政党としての「チームみらい」に不安要素がないわけではない。
経験不足、急進的な改革に伴う一時的な混乱、データの集中管理に対する監視体制の構築。
これらは厳しく問われるべき課題だ。
しかし、リスクを恐れて何もしないことのリスクの方が、今の日本にとっては遥かに大きい。
既存のシステムの上で微修正を繰り返すだけの政治は、もう限界を迎えている。
増え続ける社会保障費、減り続ける人口、そして老朽化するインフラ。
この難局を乗り越えるには、従来の延長線上にはない、非連続な成長と改革が必要だ。
かつて日本は、明治維新でまげを切り、刀を置いて近代国家へと脱皮した。
戦後は焼け野原から高度経済成長を成し遂げた。
そして2026年。
私たちが直面しているのは「デジタル維新」とも呼ぶべき局面である。
「チームみらい」は、その維新の志士となり得るか。
それは、彼らに投票するかどうかだけでなく、私たち有権者自身が「変化」を許容できるかにかかっている。
印鑑への愛着や、対面信仰といった古い常識を捨て、未知なるデジタルの海へ漕ぎ出す勇気を持てるか。
エストニアの元大統領、トーマス・ヘンドリク・イルヴェスはかつてこう言った。
「電子政府に必要なのは技術ではない。政治的意志(Political Will)だ」と。
技術はすでにある。
スマホも、ネットワークも、認証システムも、私たちの手元には揃っている。
足りなかったのは、それを「使う」と決断し、断行する強い政治的意志だった。
「チームみらい」の出現は、日本がようやくその意志を持ち始めたことの証左かもしれない。
彼らが描く未来図――朝、コーヒーを飲みながらスマホで投票を済ませ、昼休みには起業の手続きを3クリックで完了し、役所に行くための有給休暇を取る必要がなくなった世界。
それは決してSFの話ではない。
海を渡った先にある現実であり、私たちが選びさえすれば、明日にも手の届く現実なのだ。
2026年の選挙は、政党を選ぶ選挙ではない。
私たちがどのような「OS」の上で生きていきたいかを選ぶ、未来への国民投票なのだ。
その選択肢として「チームみらい」が存在することは、日本の民主主義にとっての希望であり、必然であると言えるだろう。




