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政治論

なぜ今、日本に「チームみらい」が必要なのか

作者: 廣瀬誠人
掲載日:2026/02/05

 2026年、衆議院選挙。


 街頭演説の喧騒の中で、従来のような「分配」や「保守」といった言葉の代わりに、ある一つの政党が繰り返すキーワードが、道行く人々の足を止めさせている。


「国家OSの再起動」。


 新興政党「チームみらい」が巻き起こした旋風は、単なる一過性のブームではない。


 それは、長きにわたり日本社会の血管を詰まらせてきた「アナログな行政」という動脈硬化に対する、最後にして最大の外科手術の提案である。


 私たちはあまりにも長い間、不便を「仕方がないこと」として受け入れすぎてきたのではないだろうか。


 引越しのたびに役所の窓口で紙に住所を書き、印鑑を押し、平日の昼間に何時間も待たされる。


 税金の申告、年金の手続き、免許書の更新。


 それら全てにおいて、私たちは「行政」という巨大なブラックボックスの前で、忍耐強い申請者であることを強いられてきた。


 しかし、世界の景色はすでに変わっている。


 バルト海の小国、エストニア。


 人口130万人ほどのこの国は、今や世界が認める「電子国家」である。


 そこでは、離婚、不動産売却を除く行政手続きの99%がオンラインで完結する。


 選挙の投票さえも、自宅のパソコンやスマートフォンから可能だ。


 会社設立にかかる時間はわずか数十分。


 自分の医療データは自分で管理し、誰がいつ自分のデータにアクセスしたかさえ透明化されている。


 彼らにとって、国家とは「並ぶ場所」ではない。


「掌の中にあるサービス」なのだ。


 この圧倒的な差を前にして、「日本は人口規模が違う」「文化が違う」という言い訳は、もはや通用しない段階に来ている。


 なぜなら、少子高齢化が進み、労働人口が劇的に減少する2026年の日本において、非効率な行政システムを維持することは、そのまま国力の低下と社会サービスの崩壊を意味するからだ。


 ここで登場したのが「チームみらい」である。


 彼らの存在意義は、従来の政治的対立軸である「右か左か」にあるのではない。


「アナログかデジタルか」、より正確に言えば「過去の慣習に固執するか、未来の最適解を選ぶか」という、全く新しい軸を提示した点にある。


 既存の政党も、もちろん「デジタル化」を口にしてきた。


 マイナンバーカードの普及やデジタル庁の創設など、歩みがなかったわけではない。


 しかし、それらの多くは「既存の紙の業務を、そのままPDFにする」ような、表面的なデジタル化に留まっていたと言わざるを得ない。


 判子をデジタルハンコに変えたところで、承認のリレーが必要なプロセス自体が変わっていなければ、本質的な効率化にはならないのだ。


 これをエンジニアリングの世界では「技術的負債」と呼ぶが、日本の行政システムは、まさにこの負債の塊となっていた。


「チームみらい」が画期的であるのは、彼らが目指しているのが「部分的な修正」ではなく、「構造そのものへの刷新」である点だ。


 彼らが提唱する「スマホファースト行政」は、単に役所に行かなくて済むという利便性の話だけではない。


 それは、行政と市民の関係性を根本から変える哲学を含んでいる。


 例えば、彼らが掲げる公約の一つに「ワンスオンリー(Once Only)原則」の徹底がある。


 これはエストニアでも採用されている原則で、「一度行政に提出した情報は、二度と提出する必要がない」というものだ。


 住所変更も、所得証明も、本来国がデータとして持っているならば、市民が何度も同じことを紙に書いて申請する必要はない。


 これまでの日本政治が、縦割り行政の弊害で実現できなかったこの当たり前の原則を、「チームみらい」はテクノロジーの力で強制的に統合しようとしている。


 批判の声もある。


「スマホを使えない高齢者はどうするのか」「セキュリティは大丈夫なのか」。


 これらはもっともな懸念だ。


 しかし、「チームみらい」の主張の真髄は、「デジタルでできることは全てデジタルに任せることで、人間の手が必要な場所にリソースを集中させる」という点にある。


 現状の役所では、スマホを使いこなせる若者も、サポートが必要な高齢者も、同じ列に並んでいる。


 もし、スマホで完結できる人が全員オンラインに移行すれば、窓口は空き、職員は本当に支援が必要な人への丁寧な対面サポートに時間を使うことができる。


「誰一人取り残さない」社会を実現するためには、逆説的だが「大多数をデジタルへ移行させる」ことが不可欠なのだ。


 これは、冷徹な効率化ではなく、温かみのある社会福祉を維持するための現実的な解である。


 また、彼らの台頭が必要とされるもう一つの大きな理由は、「民主主義のアップデート」への期待だ。


 2026年の現在でも、私たちは投票用紙に鉛筆で名前を書くために、投票所へ足を運んでいる。


 そのコストと労力、そして開票作業にかかる膨大な時間。


 これらが、若者の政治参加を阻む高いハードルとなっていることは否めない。


 エストニアでは2005年からインターネット投票(i-Voting)が導入され、全投票の半数近くがオンラインで行われている選挙もある。


 セキュリティ技術の進化、ブロックチェーンによる改竄防止など、技術的な土台は整いつつある。


「チームみらい」が目指すネット投票の実現は、多忙な現役世代の声を政治に反映させるための、民主主義の生命線とも言える。


 スマホ一つで納税し、スマホ一つで起業し、そしてスマホ一つで国のリーダーを選ぶ。


 そのシームレスな体験こそが、国民に「自分は国家運営の当事者である」という感覚を取り戻させるはずだ。


 さらに経済的な視点も見逃せない。


 行政コストの削減は、そのまま減税や、教育・科学技術への投資原資となる。


 エストニアが「バルト海の虎」と呼ばれる経済成長を遂げ、多くのスタートアップ企業を輩出した背景には、この徹底した電子政府基盤がある。


 手続きの簡素化は、企業の参入障壁を下げ、イノベーションを加速させる。


「チームみらい」の政策は、停滞する日本経済に「スピード」という武器を取り戻させる起爆剤になり得るのだ。


 もちろん、政党としての「チームみらい」に不安要素がないわけではない。


 経験不足、急進的な改革に伴う一時的な混乱、データの集中管理に対する監視体制の構築。


 これらは厳しく問われるべき課題だ。


 しかし、リスクを恐れて何もしないことのリスクの方が、今の日本にとっては遥かに大きい。


 既存のシステムの上で微修正を繰り返すだけの政治は、もう限界を迎えている。


 増え続ける社会保障費、減り続ける人口、そして老朽化するインフラ。


 この難局を乗り越えるには、従来の延長線上にはない、非連続な成長と改革が必要だ。


 かつて日本は、明治維新でまげを切り、刀を置いて近代国家へと脱皮した。


 戦後は焼け野原から高度経済成長を成し遂げた。


 そして2026年。


 私たちが直面しているのは「デジタル維新」とも呼ぶべき局面である。


「チームみらい」は、その維新の志士となり得るか。


 それは、彼らに投票するかどうかだけでなく、私たち有権者自身が「変化」を許容できるかにかかっている。


 印鑑への愛着や、対面信仰といった古い常識を捨て、未知なるデジタルの海へ漕ぎ出す勇気を持てるか。


 エストニアの元大統領、トーマス・ヘンドリク・イルヴェスはかつてこう言った。


「電子政府に必要なのは技術ではない。政治的意志(Political Will)だ」と。


 技術はすでにある。


 スマホも、ネットワークも、認証システムも、私たちの手元には揃っている。


 足りなかったのは、それを「使う」と決断し、断行する強い政治的意志だった。


「チームみらい」の出現は、日本がようやくその意志を持ち始めたことの証左かもしれない。


 彼らが描く未来図――朝、コーヒーを飲みながらスマホで投票を済ませ、昼休みには起業の手続きを3クリックで完了し、役所に行くための有給休暇を取る必要がなくなった世界。


 それは決してSFの話ではない。


 海を渡った先にある現実であり、私たちが選びさえすれば、明日にも手の届く現実なのだ。


 2026年の選挙は、政党を選ぶ選挙ではない。


 私たちがどのような「OS」の上で生きていきたいかを選ぶ、未来への国民投票なのだ。


 その選択肢として「チームみらい」が存在することは、日本の民主主義にとっての希望であり、必然であると言えるだろう。

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