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その後【2】

引き続き番外編です。










 ローレルの夫フランシスはザイフェルトの図書館で司書の仕事をしている。彼は頭がいいので、割とすぐに職は見つかった。ちなみに、ローレルは休日に教会で子供たちに文字を教えている。まあそれはともかく、夫が帰ってきた。


「お帰り」

「ああ、ただいま」


 ローレルがキッチンのある奥の部屋から顔を出して夫を迎えた。もともとは敵同士であったローレルとフランシスであるが、そうは思えないほど仲が良かった。

「あ、お邪魔してます、フランシスさん」

「ああ、イルゼか。今日もご苦労さん」

「毎日来てるわけじゃないですよ」

 イルゼが苦笑してそう答えた。ちょうど、イルゼとローレルがお茶を飲んでいたところだったのだ。

「フランシスもいるかい?」

「じゃあ、もらう」

 フランシスは遠慮なくそう言って、1人がけの椅子に座った。ローレルがその前にお茶を置く。戦場に出ていたのもあり、2人とも、身の回りのことのほとんどは自分でできた。わからないこともあったが、妙に適応能力の高い2人はすぐに慣れてしまった。


「そう言えば今日はいくつか新しい本が入ったぞ。館長がブリタニア語を訳してくれってさ」

「そう言うのは一般市民の仕事じゃないと思うんだよね。もっと他にブリタニアごとヴァルテンブルク語をできる人はいるでしょうに」

「ローレルさん、ブリタニア出身なの?」


 イルゼが口を挟んできた。ローレルはへらりと笑って「言ったことなかったっけ?」と言った。


「私の名前は、こちら風に言うと『ローレ』になるね。月桂樹ロールベールブレッターの意味」

「そうなんですか……それなのに、ヴァルテンブルク語もできるって……頭、いいんですね……」

「そんなことないよ」


 尊敬のまなざしを向けてくるイルゼに、ローレルは肩をすくめてそう言った。ローレルが天才肌であることは事実であるが、強制されて勉強しただけなのだ。

 それからしばらく経ち、イルゼの母がイルゼを呼びに来た。それを見送ったローレルは夕食を作り始める。夕食作りに取り掛かりながら、ローレルは尋ねた。


「ねえフランシス。この家、監視されてなかった?」


 そう言われ、フランシスは少し考えた。戦場を離れて1年半以上たつとはいえ、まだ勘は鈍っていないはずだ。フランシスは首を左右に振った。

「いや、少なくとも俺は気づかなかったな」

「君が気づかなかったってことは、見張りはいなかったのかな……」

「何の話だ」

 フランシスが尋ねると、ローレルは野菜を切りながら振り返りもせずに言った。


「なんかね、私のことが調べまわられているらしいんだ」

「!?」


 フランシスは動揺し、お茶でむせた。ローレルは振り返らずに話を続ける。


「そう言われてちょっと確認してみたら、本当につけられていて」

「まいたのか?」

「そんなわけないだろ。追っ手をまけるとか、それ、どんな一般人だい」


 実際、ローレルには追手をまくことは簡単だった。しかし、そうしなかったのは、自分が追手をまけば不自然だと思ったからだ。せいぜい気づいていないふりをするしかない。

「名指しされたのか?」

「いや。この国の皇妃の使いだって人が、栗毛で紫の瞳で、切れ長の目をした長身の美人を探していたらしい」

「まるっきりお前だな」

 フランシスにもそう言われ、ローレルは肩をすくめた。切った野菜をすべてスープに入れる。さらに、買ってきた肉もオーブンに入れた。ローレルもフランシスも動物をさばけるので野生動物を狩ってくると言う手もあるが、今のところ行っていない。魚は釣ったことがある。


「こっちに来て初めて分かったけど、紫の眼の人ってあまりいないんだね」

「ああ。美人だし、より目立つな……俺は没個性的だが」

「色彩だけ見ればね。十分顔立ちは整ってると思うよ」

「絶世の美女に言われてもな」


 フランシスはそう言って苦笑したが、ローレルは『美女』というより『美人』だ。中性的な面差しが、美女と言わせない。童顔でもあるが。


「んで? 皇妃の使い……ってこの国の皇妃、お前の妹じゃないか」

「うん。前に見に行ったね。元気そうだったよ」


 ローレル……と言うか、ブリタニア王太子ローレンスの妹の1人、ソフィアはヴァルテンブルク帝国に嫁いでいる。3人目を妊娠したらしく、静養のために帝都から副都であるザイフェルトの別邸に来ていた。ザイフェルトにやってきたとき、ローレルは妹の乗る馬車を見に行った。ローレルと同じく愛想の良い妹は、馬車窓から市民に手を振っていた。思いがけず元気そうな顔が見られて満足である。

「……あのときに気付かれたってことは?」

「……どうだろうね。あの子は聡いから……。まあ、本当にあの子が私のことを調べているのなら、それはそれで話は早いんだけど」

 ソフィアは聡明で、話の分かる子だ。気性の穏やかなローレルに比べ、少々気が強くはあるが、説得はできると思う。まあ、会わないのが一番ではあるが、問題は彼女以外の人間がローレルを探っていた場合だ。


「ブリタニアが私を探しているっていうより、ガリアが君を探している可能性の方が高いよね」

「公式記録では、俺は死んでるぞ?」


 ガリアでは、フランソワは死んだと公表されている。現在、ガリア王は空位だ。フランソワの父と兄がそれぞれ王位を主張し、戦っている状況である。なんだか目も当てられない状況なのである。


 そんな中で、もともと次期ガリア王とされていたフランソワを探そうと言うものたちが現れても不思議ではない。フランソワを王位につかせるか、完全に抹殺してしまおうと考えられても不自然ではないと思う。フランソワは死んだ、と公表したのは、フランソワの父と兄で、この2人に反目するものがフランソワの死を信じずに探し回っている可能性はある。


「敵対する人間の言葉を丸呑みできるほど、人間ってのは素直じゃないんだよ」


 ローレルは振り返り、そう言って年下の夫に微笑んだ。時々、ローレルは大きな子供を諭しているような気分になる。

「まあ、今まで通り生活はしようと思う。勘づいたことに気付かれたら、それはそれで厄介だし」

「そうだな……でも、危なくなったら逃げろよ。戦うなよ」

「いや、さすがに戦わないよ。相手が百人でも逃げられる自信はあるから大丈夫」

 ローレルはそう言いながらスープを皿によそい、焼けた肉をオーブンから出した。彼女は微笑んだ。

「それじゃ、夕食にしようか」
















 ゾフィーがザイフェルトに来てから5日後。それなりの情報が集まったらしく、彼女のもとに報告が来た。


「ゾフィー様のおっしゃった条件で探ってみたところ、1人該当者がおりました。1年半ほど前に越してきたと言う夫婦の妻の方で、名はローレル。栗毛に紫水晶の切れ長の瞳、長身で20歳前後の外見の美人です。名前からして、ブリタニア人ですかね」


 従者がすらすらと集まってきた情報を教えてくれる。ゾフィーは固唾をのんでその報告に耳を傾ける。名前が『ローレル』であるのなら、本当にゾフィーの兄である可能性が高い。


「1歳になる子供が1人いるそうです。暮らしているのは目抜き通りに近い西区のあたりですね。隣人の少女と仲が良いようです。趣味は読書。基本的に家にいることが多いそうですが、休日は教会で読み書きを教えているそうです。と言うことは、本人は文字が読めるんですね……」


 従僕が感心したように言った。平民に文字を読める者は、はっきり言って少ない。ほぼ皆無だと言ってもいい。中級層であれば読み書きはできるかもしれないが、一般の人々は普通、読めないものだ。そこだけ見ても、その『ローレル』がそれなりの身分の出であることがわかる。

 ゾフィーはまだあまり膨らんでいない腹をなで、尋ねた。

「休日……明日ね。ローレルは明日も教会に行くの?」

「まあ、そうでしょうね。予定がなければ毎週のように行っているようですし」

「どこの教会?」

「アレンス教会だそうです。って、まさか」

 顔をひきつらせた従僕に、ゾフィーは微笑んで見せた。

「ええ。行くわよ、アレンス教会に」

 言うと思った、と従僕と、背後にいたゾフィーの侍女がつぶやくのが聞こえた。
















 翌日、本当にゾフィーは別邸を出てアレンス教会に向かった。例の侍従と侍女が一緒だ。護衛もいるが、できるだけ少人数にした。平民ばかりの街に行くのだから、護衛が多いと周囲に引かれてしまう。

 教会の一室で、読み書き教室は行われているらしい。ゾフィーは司祭に案内してもらって、何故か騒がしい部屋に向かった。司祭がドアを開けると、ちょうど栗毛の女性が笑いながら8歳くらいの少年の耳を引っ張っているところだった。


「あははは。何してるのかな、アーベル」

「いだだだだっ! そんなに怒ることねぇじゃん!」

「怒るよ。君、好きな子をいじめちゃう典型的なタイプだねぇ」

「んなッ」


 指摘された少年は真っ赤になった。よく見れば、女性の背後に少年と同い年くらいの女の子が隠れていた。なるほど。少年はこの少女のことが好きで、でも、好きだからこそいじめてしまったのだろう。そこに、女性が鉄拳制裁を下したわけだ。

 司祭が咳払いをした。女性がこちらを向く。その切れ長気味の紫の眼が見開かれた。彼女はさっとスカートをつまんで礼を取る。


「これはお見苦しいところをお見せいたしました」

「ああ……制裁を下すなら、もっと穏便にしなさい」

「穏便ですけど」


 あっけらかんとして言う女性に、司祭はため息をついた。女性はちらりとゾフィーの方を見る。それに気づいた司祭が、ローレルに言った。

「この方が、君に用があるそうだ」

「はあ……?」

「こんにちは、ローレル。わたくしはヴァルテンブルク帝国皇妃ゾフィー・オブ・ブリタニアです。お会いしたいと思っていましたわ」

「こ、皇妃様っ」

 叫んだのはローレルではなく、別の女性だった。ローレルはちらっとその女性を見たが、すぐにゾフィーに視線を戻す。


「失礼いたしました。ローレル・シェルーと申します。お会いできて光栄です、皇妃様」


 ローレルが硬い表情で名乗った。それは、皇妃の前で緊張している平民にも見えた。ゾフィーは目を細めて彼女を見る。

 ゾフィーより、拳一つ分近く背が高い。外見年齢は20歳前後と見える。美女と言うより美人と言う印象の顔。

「司祭様。彼女と話がしたいわ。部屋を用意していただける?」

「かしこまりました」

 司祭が即座に答えた。ローレルが反論したが、ゾフィーはそれを黙殺した。
















 司祭が用意してくれた部屋には、ゾフィーとローレルしかいない。例外に侍女がいるが、ほかはすべて追い出した。

 ゾフィーと向かい合って座ったローレルは、姿勢を正しながらも視線をそらしている。ゾフィーは優雅にお茶を飲み、それから尋ねた。


「ブリタニア人だそうね。どうしてこの国に?」

「ええっと……駆け落ち、です」

「あら、そうなの。どうして駆け落ちすることに?」

「夫がガリア人なので……」

「ああ、なるほど」


 ゾフィーは納得してうなずいた。ブリタニアとガリアは仲が悪いので、恋人同士となれば駆け落ちもありうる。

 兄ローレンスは頭がよく、話もうまい人だった。気を付けないとこちらが丸め込まれてしまう。そう思い、ゾフィーはさらに踏み込んだ。


「ローレル、と言うのは本名?」

「……よくある名だと思いますが」

「ええ、そうね。わたくしの兄も、ローレルと同じ意味の名前だったわ」


 懐かしそうに微笑んで行ってみるも、ローレルは表情を変えなかった。飄々としているように見えて、ポーカーフェイスの得意な人だ。

「わたくしの兄のことはご存知かしら」

「ニコラス王太子のことなら、存じています」

 ゾフィーは口角をあげて微笑んだ。ティーカップを押しのけ、身を乗り出す。

「当然よね。あなたがわたくしの兄なんだもの」

「意味が分かりませんが……」

 本当にわからない、と言うような風情で彼女は首をかしげた。大した演技力である。もういっそ女優に転向すればいいのでは、と思った。

「お兄様でしょ。ニコラス・ローレンス・ブランドン。女性に戻って、駆け落ちしたのね」

「はあ……?」

 気のない返答があった。もともとあまり気の長くないゾフィーは立ち上がり、ローレルの隣に立った。座ったままローレルが見上げてくるが、すぐに立ち上がった。やはり、ゾフィーより背が高い……。


 ゾフィーはローレルのブラウスの襟を引っ掴んだ。


「ちょ、何なさるんですか!」


 ローレルがゾフィーの手をつかんで抗議した。ゾフィーの手にタコが触れる。剣ダコだ。ゾフィーは本気で抵抗してこないローレルに「ふん」と鼻で笑うと、ブラウスの襟を広げた。観念したのか、ローレルは抵抗しなかった。

 左胸の上に、斜めの傷があった。よく覚えている。兄ローレンスがゾフィーをかばったときに出来たものと同じだ。ゾフィーは勝ち誇った笑みを浮かべた。

「お久しぶりね、お兄様」

「……かなわないなぁ、もう」

 そう言いながら、ローレルは襟を戻した。それからゾフィーに向かって懐かしい笑みを浮かべた。


「久しぶりだね、ソフィア」


 その声は、まさしく兄ローレンスのものだった。












ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


次の投稿は1月16日です。

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