小夜 8
狼型第一級敵性生物はその数字に違わぬ加速で迫って来た。
初速で80km/h、この距離でも200km/hには容易く到達するだろう。
直線数百mも一瞬で無くしてしまう加速、人が遭遇した場合絶対に逃げられないと言われている能力に嘘はない。
対するサナちゃんはチラと此方を確認すると肩幅より少しだけ足を開き、腰に提げた日本刀を抜き放ち腰を落とした。
「———————ッ!!」
音にならない咆哮を挙げた狼は巨大な口を開けて飛び掛った。
バシャッ
「ヒィッ!」
後ろの車から大きな悲鳴が聞こえた。
水音、遅れて狼の首が対向車線を転がっていく、ゴロゴロと転がる首は体液を撒き散らし、建物や道路を汚す、ドロドロの体液は私達の車列にも大量に降り注いだ。
一閃
速度は200km/hを遥かに超えたであろう狼の側方へ回り込み、無防備な横合いから大上段の唐竹割りで綺麗に首を切り落とした。
「スゲェ・・・、一撃・・・」
「・・・」
サナちゃんは血振りをすると刀を鞘に納めた。
首の無くなった狼の死骸を掴み、持ち上げて脇のビルの上に乗せると車列に向き直った。
「Go. I'll take care of the rest.」
行って、あとは任せて
チョイチョイと指で私達に指示を出すと道を開けて先を促した。
背後ではライアン・ゴンザレスが手斧を2本持って巨大蟻を蹴散らしながら言った。
「Sana, you're speaking English, not Japanese.」
サナ、英語で話してんぞ、日本語じゃね?
「あ、I did, あはは」
そうだった、あはは
「えーっと、真っ直ぐドローンの後を着いて行って下さい、退路は確保されています、I know, right, Eve?」そうだよねイブ?
『Yeah, no problem.』
ええ、問題無いわ
顔を覆うゴーグルとフェイスマスクのせいで表情は伺い知れない。
声の調子から恐らく微笑んでいるのだと思うのだけど、如何せん禍々しくパープルに塗られた髑髏のフェイスマスクのせいでどうにもイメージが悪かった。
「くせっ、テメー漏らしやがったな!?」
後ろの車から何やら汚い怒声が聴こえた・・・
化け物の首と首なし死骸、体液が周囲へ飛び散り、車両にもベッタリ、道路もドロドロ、そしてスカルフェイスの巨人部隊、まあ子供やメンタルが弱い人にはかなりショッキングな光景だった。
「Sorry, I'm late.」
悪い、遅れたね
今度は3人目、女性の巨人が降り立った。
ウエーブの掛かった黒髪、資料通りだと巨人特殊部隊隊長Lily Croftだ。
そろそろと動き出した車から、私は助手席の窓を開けて体を乗り出して声を挙げた。
「Thank you for your help.」
ありがとう、助かったわ
「It's just a stopover, don't worry about it.」
行きがけの駄賃って奴だ、気にするな
ひらひらと手を振ったLily Croftは刀を2本抜くと巨大蟻の方へ走って行った。
サナちゃんはゴーグルを上げ、フェイスマスクを開くとこちらを驚いた顔で見た。
「良かった・・・、また後でね小夜さん」
私が手を振ると、サナちゃんはホッとした顔で微笑み、小さく手を振り返してくれた。
「Sana, you take that one.」
サナ、そっちを頼む
「Yeah, I got it.」
うん、任せて
指示を受けた彼女はすぐさま顔を引き締めた。
フェイスマスクを閉じてゴーグルを下ろし、刀を抜刀して私達に背を向けると化け物の方へ跳躍した。
「可憐だ・・・」
「は?」
なんか運転席の同僚から変な台詞が聞こえた気がするけど、気の所為だよね?
***
その後、化け物に遭遇する事もなく私達は神奈川戦線の仮対策本部庁舎まで撤退する事が出来た。
「救援に行けなくて申し訳ない・・・」
「いえ」
私達を迎えた彼は心底申し訳なさそうに頭を下げる、対策本部付けの情報管理官に詰まる人は誰も居ない。
第二級敵性生物は兎も角、第一級敵性生物相手では出した隊員の数だけ死者を増やすだけだ。
効果のあるミサイル攻撃も救援対象の私達ごと吹き飛ばす結果になりかねない、あの時私達は完全に詰んでいたのだ。
「米軍の巨人部隊が助けてくれました」
「ああ・・・、自衛隊の方にも米軍から通達があって、彼等の邪魔になるから救援は出すな、と」
彼と話しながら本部会議室へ急行する、正直精神的な疲労で体が重くて休みたいけど、まだ状況は完了していない。
「私てっきり彼等は空母で輸送されるのだとばかり」
「空輸だそうだ、6万フィート上空を飛んで来たHahaha、などとアメリカンジョークを飛ばしていたが」
「多分本当だと思います、全身凍り付いた状態で降下して来たので」
「そんな馬鹿な話が・・・、6万フィートだぞ、上空18kmを空輸!?
あと65秒程で部隊展開可能だ、なんて言うからおかしいとは思ったが、あの時にはもう降下開始していたのか」
救援部隊を編成して駆け付ける、自衛隊も米軍もどんなに速くても20分から30分は掛かるだろう。
どのタイミングで米軍から自衛隊へ通達がいったのかは分からないけど、電話が来たその場で65秒で部隊展開、なんて意味が分からないのも仕方が無い。
会議室へ入室すると、待機していた指揮所隊員らは皆
壁掛けの複数のモニタに釘付けになっていた。
「おお、小夜!無事で、よく帰って来たな」
「いえ、運が良かっただけです、それよりこれは?」
私に気が付いて話し掛けて来たのは髭の中隊長だった、彼はモニタを指差して言った。
「見ろ、米軍から送られている映像だ」
そこに映し出されていたのは、神奈川の構築戦線より都心側、つまり私達がさっきまで居た区域での戦闘の様子だった。
巨人特殊部隊の3人が巨大蟻の大群を蹴散らし、時折現れる第一級敵性生物も難なく倒していた。
「どうやら米軍の特殊部隊専用の支援システムの一部らしい」
「だからピンポイントに私達の所へ・・・」
「恐らくな、・・・それにしても凄まじいものだ」
モニタには上空からの俯瞰図、巨人特殊部隊の隊員それぞれの背後、三人称視点など複数の角度から映像が流れている。
システム自体も凄いけど、それよりもたった3人で戦況をひっくり返した巨人特殊部隊の威力だ。
あれだけ居た巨大蟻はもう殆ど残って居ないし、一体だけでも脅威の第一級敵性生物は数体駆逐されている。
日本での第一級敵性生物、初の討伐記録。
日本に居た頃のサナちゃんが退治した蛇玉は【穴】に押し返しただけ、その後は自衛隊も在日米軍も第一級敵性生物に手を出していない。
「いける、いけるぞ!」
「これなら!」
「ああ!」
会議室では高揚した空気に満ちていた。
ほぼ敗戦処理のような長い時期、僅かな救助者と数え切れない死者、倒せない化け物、批判の声、遂には東京空爆作戦と、気の滅入る要素ばかりで雰囲気が悪かった自衛隊内に一縷の希望が生まれた日だ。
「私達は本当に、彼等に何を返せばいいんでしょうね・・・」
「一先ずは食事だな、好きな物は知っているんだろう?」
「・・・はい、勿論」
髭の中隊長も分かっている、私が彼等
と表現した意味を。
もう個人でどうするという話ではないのだ、私は自衛官だし、あの子は米軍人なのだから。
「はあ、禿げそう・・・」
「よしてくれよ!俺も禿げそうだ」
「ふふ、自衛隊全員禿げて胃に穴を開けそうですね」
心苦しさもあるし、再会出来た嬉しさもある、出来る事を出来る範囲でやるしかない・・・




