表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/121

奥様、奮い立つ

次回、最終話です。

 暴れる程の元気はないのでされるがままの私、羞恥を堪えつつ腕の中で大人しくしながらおずおずとロルフ様を見上げて。


「ろ、ロルフ様、その、どうやって私を見付けたんですか? 森、広かったでしょう」


 ふと、気になった事を聞くと、ロルフ様は「ああその事か」と呟いて、私にロルフ様の懐を探るように言われます。フロックコートの隙間から躊躇いがちに手を差し込み探ると、中から萎れて光を失った燐光花が出て来て。


「……燐光花……」

「この花はお前に近付く程に、光が強くなる。お前はずっとこれに魔力を込めていたんだな、お陰でこの花が居場所を知らせてくれた」


 私が植木鉢に移し変えた瞬間にそのまま気絶させられたのですが、その時の燐光花だそうで。

 でも、あの時は美しく輝いていた燐光花は、今、光を失って精魂尽き果てたように萎れてくたびれています。まるで、その役目を果たしたかのように。


「で、でも、細かい方向まで分からないんじゃ……」

「勘だ」

「か、勘ですか」

「尤もらしい理由が欲しいか? 愛の力とでも言っておけば納得するだろうか?」

「あ、あああ愛ですか!?」


 実にあっさりと物凄い事を言われて挙動不審、裏返った声で聞き返す私に、ロルフ様はくつくつと喉を鳴らして愉快そうに笑って……。

 からかわれた、と理解して頬を染めるものの、小さく「割と本気だが」と付け足されて余計に訳が分からなくなりました。ろ、ロルフ様、こんな余裕綽々で人をからかえる人でしたっけ……? 何で、私ばかり心乱されているのでしょうか……。


 もう帰ってからちゃんと全部、ロルフ様の気持ちを聞く事にしようと決めて顔を隠す私ですが、ロルフ様は先程までの表情を一転させて、鬼気迫ると言えそうな真面目な表情に。


「それより、エル、聞きたいのだが」

「な、何ですか……?」

「……お前を連れ去った悪いやつは何処のどいつだ?」


 ……どうしましょう、やっぱりかなり怒っていらっしゃるみたいです。

 私にはかなり丁寧に優しく問い掛けているのですが、瞳が笑っていないのです。多分犯人が分かったら乗り込んでいって色々破壊しそうな程に、お怒りのようで。


 う、と言葉を放つのを躊躇う私に、ロルフ様は「庇わなくても良いぞ?」と逆に穏やかなのが怖い笑顔。言ったら、間違いなく報復しに行きますよね。庇うというか、ロルフ様にそんな危険な真似をさせるのは嫌なのですが……。


「……探す必要はない」


 言うか否か躊躇って唇を閉ざしていた私に、ふと掛かる声。

 それが誰なのか、私もロルフ様も分からない訳がなくて、ただロルフ様は声の主が意外だった事に驚き、それから瞳をみるみる内に細めて警戒心と敵愾心を露にします。


 万全の状態にしたいと私を下ろして後ろに回しつつ、両手を空にして、輝く霧のようでもあった粒子を払い除けながら現れる人達を強く見据えていました。


「……イザーク、それに、アンネ」

「彼女を連れ去って此処に置き去りにしたのは、私達よ」

「……何故だ、答えろ。事と次第によっては、いや、どちらにせよ許すつもりはないぞ」


 対峙してしまったのだと理解した時には、ロルフ様の体から殺気とも冷気ともつかない、酷く冷たく鋭い何かが放たれます。

 それが私に向けられたものではないとは分かりつつも、やはり、怖い。ロルフ様は怖くないですけど、それだけ怒っているという事実が怖かったりするのです。


 真正面から凍てつく眼差しと明確な敵意を受ける二人の顔色は、悪い。けれど逃げたりはせず、真っ向から全部を受け止めて受け入れようとしています。

 イザークさんは、罪悪感にまみれつつ寂しげな顔で。アンネさんはロルフ様に縋りたそうに、けれど悔しそうで寂しそうな、そして自責の念を孕んだ表情。


 ロルフ様の刃物よりも鋭い眼差しに自ら突き刺さりに行くのは、イザークさんです。


「俺達は、分からなかった。何故、彼女に執着するのか。お前のような、独りで高い壁に立ち向かい続ける男が、何故彼女に執着するのか、分からなかった。確かめたかった」

「……それだけの事で、エルを命の危険に晒したというのか」


 放たれる冷気が、強くなる。

 それを受けたイザークさんは顔色を悪くしていますが、それでも自分がした事を理解しているのか、何も言いません。


 ちらりと視線を此方に向けて、それから私が大怪我をしていないのを確認しては安堵の吐息を漏らすイザークさん。


「……言い訳になるだろうが、一応監視していたし念の為に彼女には幾重にも防御術式を掛けていた、お前が来ていなかったら助けに入っていた」

「……こんな真似をした理由とその言い分が罷り通るとでも?」

「そうだな。これは、俺の罪悪感を減らす為の言い訳にしかならないな」


 寂寥と罪悪感をいっしょくたにした、吐き出しそうな程に苦い笑みを唇に貼り付けたイザークさんにアンネさんは体を震わせて、それからイザークさんを庇うように、一歩前に出ます。


「この森に放り込むと決めたのは私よ。イザークを責めないであげて。無理矢理連れ去ったのも私。イザークは私が巻き込んだだけよ、私が主導したの」


 それが本当なのか、私には分かりません。けれど、イザークさんは乱暴な事を望んでいなかったのも、確かです。


 アンネさんはロルフ様の視線と怒りの表情に泣きそうに瞳を揺らしたものの、一歩、また一歩とロルフ様に歩み寄って。

 それは、子供が縋るような、そんな眼差しにも似ていました。


「……ロルフ、何故、私では駄目だったの? 彼女は、魔力も薄い、ただの娘でしょう? 私の何が、駄目だったの」


 私が疎ましいからそんな事を聞いたのでは、ないでしょう。ただ、本当に分からなくて、不安そうに、悲しげに、ロルフ様を涙目で見上げていて……。


 ……アンネさんを庇うつもりなんて全くありませんけど、それでも、気持ちは、分からなくもないのです。アンネさん程綺麗で強くて自信に満ちた方なら、アンネさんから見てパッとしない私が選ばれたのが理解出来ないのでしょう。

 だからこそ、アンネさんは本人に問うた。


 ただ、それはロルフ様の張りつめていたギリギリの自制心を、切ってしまう、行為です。

 

「……黙れ」


 その吐息にも似た声に、どれだけの憤怒の念が込められていたでしょうか。


 腹の底から煮えたぎるような、そんな声で一言で切り捨てたロルフ様は、抑えきれなかった衝動を打ち付けるように、近付いたアンネさんの胸倉を掴みます。

 アンネさんの高い身長ですらつま先立ちにさせる程に強く高く、アンネさんを布ごと持ち上げて苛立ちと焦燥と嫌悪をありったけに込めた瞳で睨んでいました。


「お前達のした事の意味が、分かっているのか?」


 強い失望と怒り、そしてそこに明確な殺気が加えられた声が、アンネさんの頬を打ちます。私にその声が向けられたなら、膝から崩れて涙を流した事でしょう。

 アンネさんは、ギリギリで立てるくらいの高さに持ち上げられたまま、ロルフ様の言葉をその身で受け止めていました。


「もし助けが一歩でも遅かったら、エルは下手したら死んでいたのだぞ? 死なずとも傷は負った。誘拐犯の言う防御術式など信用出来るか。私は二度とエルに同じ思いをさせるつもりはないのに、お前達のせいで危うく同じ悲劇を起こしそうになったのだ。お前達の、下らない好奇心と興味の為などに……っ!」

「ロルフ様! それ以上は駄目!」


 後ろに隠れるように触れていたから気付けたのですが、今ロルフ様の体内で魔力が洪水よりも激しい流れで渦巻いている。

 怒りのあまり無意識に、いえ多分半分意識的に強力な魔術をアンネさんに叩き付けようとしていて、私は慌ててロルフ様の背中に抱き付いて必死に制止します。


 ピタ、とロルフ様の動きは止まったものの、体内で術式を形作ろうとしていた魔力は、まだ蠢いていました。


「何故止める。身勝手な理由でお前を危険に晒す奴等など……」

「ロルフ様に人殺しの罪を背負って欲しくはありません! ロルフ様が罪を負う必要なんてないです!」


 このままではアンネさんもイザークさんも、怒り狂ったロルフ様の手にかかってしまいます。多分、二人では今のロルフ様を相手取るなんて不可能ですし、イザークさんに至っては抵抗すらしないのではないでしょうか。


 私は、ロルフ様に罪を負って欲しくはありません。……失礼ですけど、ロルフ様が手を汚す程、私にとって二人に価値はありません。

 もう、良いのです。怒ってはいますが、その怒りを二人に当てるべきなのは私です。ロルフ様が制裁を下す必要など、ないのですから。


 だから駄目です、と全身で制止すると、ロルフ様はふっと手から力を抜き、アンネさんを解放します。

 そのまま崩れるアンネさんに駆けて咄嗟に支えたイザークさん。ロルフ様は二人共に怒りのこもった視線を投げつけていました。


「……エルに感謝しろ。幼馴染みだからといえ容赦するつもりもなかったのだが」

「……ぅ、ロルフ……私は……」

「先程の質問の答えを返そうか。お前とエルでは比べようもないだろう。お前なんかよりずっと、エルは私にとって有益だ。私はたとえエルの力がなくとも、エルの魔力がなくなろうとも、もうエル以外を選ぶつもりもない。エルが居なくなったからといって自分がその座に収まれるなんて思うなら思い上がりも甚だしい」


 私にとってはとても情熱的な言葉で、アンネさんにとっては決別の言葉。

 それを受けたアンネさんは泣きそうに顔を歪めて……でも、涙は零さずに、ただ俯いて背を震わせます。

 その様子に私まで罪悪感を抱くのですが……でも、私に哀れまれたって、アンネさんは嬉しくもなんともないでしょう、ね。何をどう足掻いても、ロルフ様が選んだのは、私だから。


「……イザーク、アンネ。私はとても怒っている。お前らを八つ裂きにしても足りないくらいだ」

「その覚悟はしていた。お前の逆鱗に触れたのだと、見ていて分かるからな」

「……イザークを責めないで頂戴。……お願い」


 泣きそうで、でもその状態でイザークさんを庇うアンネさん。イザークさんにも私を知りたいという感情はあったのでしょうが、害意はアンネさんだけが持っていた。実行したのも、アンネさん。

 だからこそ、アンネさんは全部罪を引き受けようとしているのでしょう。二人の間に何があったのかは、私には分かりません、けど。


 懇願するアンネさんに自分も罰を受けるべきだと主張するイザークさん。二人を、ロルフ様はただ静かに睥睨して。


「……エル、お前はどうなんだ。こいつらを、どうしたい」

「……私、ですか?」

「連れ去られたのはお前だ。しかし、お前は死を望むまい。……こいつらをどうしたい」


 実際に連れ去られて怖い目に遭ったのはエルだ、だからお前には裁く権利がある、そう言外に言われて、私は唇を閉ざします。


 私がどうしたいか。

 ……私は、彼らに言いたい事が、あります。沢山彼らから言われて、私が反論したい事。


 私は、ロルフ様の制止の声を無視して、彼らに近寄ります。それから、アンネさんを何とか立たせたイザークさんの前に立って。


「……イザークさん、その、屈んで頂けますか」


 私の身長では届きにくいのでそうお願いすると、イザークさんは怪訝そうな顔をしつつも中腰になって視線を合わせてくれます。

 紫紺の瞳にはありありと罪悪感が浮かんでいて、申し訳なさそうに私を写しているのです。


 イザークさんは最初から申し訳なさそうだったし、そこまで怒りはありません。ただ、私に聞き捨てならない事を言った。

 だからこそ、私にも彼に言いたい事が、あるのです。


「……ええと、ご、ごめんなさい」


 先に、謝罪をしてから、私は手を振り翳し……屈んだイザークさんの頬を、叩きます。

 ……といっても、ぺちんとへなちょこな音が鳴る程度なのですが。


 あまりに突然の事だったらしく、叩かれたイザークさん、それにロルフ様とアンネさんも、私の行動に呆然としていて。

 私は、叩いた事に自分でも衝撃を受けていますけど、それでも私はぽかんと私を見るイザークさんを、強く見返します。


「い、言わせて頂きますけど、勝手に決め付けて好き勝手言わないで下さい。わ、私はアンネさんみたいに美人でもないですし魔力も大してない、家柄だってよくないし傷だってあります」


 比べたら、きりがありません。イザークさんにとっては私なんてその辺に転がった変鉄もない女なのでしょう。

 だけど。


「けどっ、ロルフ様を好きな気持ちは変わらないし、それを馬鹿にされたり文句言われたりする筋合いもありません! 私の気持ちを、それから私を選んでくれたロルフ様まで馬鹿にしないで下さい!」


 言い切ると、イザークさんは本当に度肝を抜かれたように私を見ていて。

 ロルフ様の反応を見るのは何だか恥ずかしくて見なかった私ですが、アンネさんには再び強い視線を投げて歩み寄ります。


「……あと、アンネさんも」


 今度はばちん、とさっきよりも強く叩いてしまいましたが、これで一回目と二回目の電撃は手を打ちましょう。

 衝撃を受けてへたん、と尻餅を着くアンネさんを、私は今度こそちゃんと反論するのだと毅然とした態度で見詰めます。


 あなたには、確かに劣るかもしれないけれど。それでも、私はアンネさんよりロルフ様をちゃんと見ている自信はあります。ロルフ様の事は私が知っています。勝手にロルフ様の想いまで決め付けるアンネさんとは、違います。


「こ、こんなちんちくりんでも、私はロルフ様の妻です。ロルフ様を好きな気持ちは誰にも負けません。あなたがロルフ様を好きだったとしても、ロルフ様は渡さない、です。ロルフ様は私の旦那様ですっ、絶対にロルフ様の隣にいます!」


 一息で言いたい事全部言い切って、ふー、ふーっ、と息を荒げてしまった私に、今度こそ呆気に取られて私を見上げるアンネさん。その表情は、愕然とも、唖然とも、呆然ともつかない表情で。


「……馬鹿にされた事と、危なかった事は、許しませんから。二度とロルフ様に迷惑かけたり、私に近づいて危ない事しないで下さい。すごく、怖かったんですから」


 最後にそれだけ言ってちらりとロルフ様の方を振り返ると、ロルフ様までぽかんと意表を突かれたように私を見ているから恥ずかしくて、でも本音だから、堂々としているしかないのでしょう。


 私、今胸を張れているでしょうか。ロルフ様の妻として、ちゃんと自信を持って隣に立てているでしょうか。


 羞恥と、それから誇らしさを顔に混ぜて浮かべる私に、イザークさんは漸く硬直から解放されたようで、おずおずと私に躊躇いがちな視線を投げてきます。


「……それだけで良いのか」


 そ、それだけで良いのかって、言われても。私、言いたい事は言いましたし、これ以上責めるつもりはないのですが……。


「頼むから、ちゃんと処罰してくれ。ロルフと相談してでも良い、寧ろ詰所に出頭するから。裁かれるべきだろう」

「え、ええ……? でも、私」

「……私としては、八つ裂きにしても足りないのだが……エルがそれは嫌がるだろう。エルが罪に問うつもりがあるのなら、騎士の詰所にでも首根っこ掴まえて放り込むが」

「そ、そこまで責めるつもりは……」


 ロルフ様なら一言告げた瞬間に遠慮なく拘束して無慈悲に突き出すでしょう。今こそ本当に多少ですが溜飲が下がったのか実力行使に出てませんけど、ロルフ様が本気で怒っていたのはこの場に居る全員が身に染みて分かっていますから。


 実際に罪に問うのは気が引ける私に、立ち直ったアンネさんは服についた泥を払いながら、怪訝そうに此方を見てきます。


「……何故? 庇う必要はないわ。私達は、あなたに酷い事をしたつもりなのだけど。私なんてあなたを死なせるかもしれない環境に放り込んだのよ」

「……そうですね、死にかけましたから」


 本人の言う通り、イザークさんと違ってアンネさんには私に恨みがあったし、あのまま酷い目に遭っても良かったのでしょう。未必の故意、に近いものだったと思います。


 ロルフ様はアンネさんを厳しく見据えていますが、私はそれをそっと手で制して。


「私、アンネさんの事、嫌いです。一杯睨まれたし怖い思いもさせられたのですから」

「……でしょうね」

「だから、大嫌いですし許しません。それで良いです」


 私は、アンネさんとは分かり合う事は選びません。互いに、それを望まないでしょう。アンネさんは私の事が嫌いで恨めしい、私はアンネさんに酷い目に遭わされたから嫌だ。

 ……これで良いのです。好き合う必要もないし、こんな事があって仲良くしようなんてどちらも思わないでしょう。


 結論として相容れないから互いに近寄らない、これで良いのだと思います。


「……哀れまれるなんて、ほんと情けないわ。いっそ罵られた方が楽だっていうのに」

「……それが罰で良いです。こんな事したの、ずっと後悔して罪の意識に苛まれて下さい。ロルフ様に恨まれる事が、あなたには何よりの罰だと思います」

「……ほんと、むかつく小娘ね」


 その言葉は、今まで私に向けられたものの中で、一番棘が抜けたものでした。苦々しいけど、少しだけ楽になったような表情で、私を見つめるアンネさん。


 ……私が恨む事はありませんが、アンネさんにはずっと蟠りは残る。けど手出しは出来ない。自分の感情を飲み込めるようになるまで煩悶とする事になるのでしょう。私は、そこまで彼女の責任を取るつもりも義務も、ありませんから。

 ある意味で、残酷なのかもしれませんね。


 私はこれで満足です、とロルフ様を見ると、ロルフ様は私の判断には文句を言いません。ただ、ご自身は納得していないのか、静かな表情で、イザークさんに歩み寄ります。


「……で、私からも良いだろうかイザーク」

「なん、っぐ」


 イザークさんの返事を最後まで聞く前に、ロルフ様はイザークさんの頬に一発拳を入れていました。

 私が悲鳴をギリギリで飲み込んで勢いよく殴り飛ばされたイザークさんに寄って治癒術を掛けようとしたら、逆にイザークさんに「良いんだ、俺が悪いから」と手で制されてしまいます。


 ロルフ様は、ただ冷ややかな眼差しに確かな怒りを込めて、イザークさんを睨んでいて。


「次こんな真似をしてみろ、お前の命を刈り取ってやる」

「……分かっている、お前にもご夫人にも手を出さないよ」

「……ふん」


 本当に怒っていたらしく、イザークさんに対する私の罰が軽かったせいもあり、割と全力で殴ったロルフ様。

 ロルフ様も誘拐されたと知って必死で助けに来てくれた、妻を誘拐されたロルフ様にも制裁の権利はあるのでしょうが……怒りが本物だと分かるから、ちょっと怖いです。それだけ、煮えたぎっているのですから。


 今度はアンネさんを睨むロルフ様。

 実行犯は彼女ですが、私なりに強い罰を与えた事もあるので、手は挙げません。ただ、底冷えするような瞳で、アンネさんに軽蔑の眼差しを送っています。……それが何よりの罰になるのだから。


「……アンネ。それにイザークもだが、今回は騎士に突き出すのは止めておくが、次にこんな真似をすれば、私だけでなくクラウスナー家が相手をしよう。交友があったからとは言え、容赦はしない」

「……もう、しないわ。命に代えて、約束するわ」


 萎れた花のように気力なく頷いたアンネさん。……多分、宣言通り、もうこんな事はしないと思います。しても意味がないと、ロルフ様の剣幕を見て思い知ったでしょうから。

 それに……何だか、憑き物が落ちたような、そんな雰囲気があるから、そう思うのでしょうか。


 その返答に漸く及第点だと言わんばかりのロルフ様。でもちょっぴりまだ怒っているらしくて、納得のいかないという思いもあるみたいで冷たい眼差しはそのままです。


 ただ、私がそっと手を握ると、途端に眼差しは柔らかくなって穏やかな笑みに変わりました。……大切にされてるんだ、そう実感させてくれる表情に、つい口許を緩めてしまうのです。

 ふふ、と場に合わないであろう笑みを見せた私達は多分緊張感も何処かにやってしまった気がしました。


 そんな私達に、イザークさんは少し眩しそうに瞳を細めて。


「……お前は、随分と大切にする存在が出来たんだな。俺はそれを悪い変化だとばかり思っていたのだが……どうも、違ったようだな」

「だから何だ。今更何を言っても聞かぬぞ」

「……いや。……お前には、彼女の為に幾らでも努力するし何だってするのだな、と思っただけだ」

「当たり前だろう、私の愛しい妻だぞ」

「へぁ……っ!? い、愛しい……!?」


 いきなり飛んできた言葉に上手く反応出来ず奇声を発してしまった私に、イザークさんは何処か呆れたような眼差し。ただ、向けるのはロルフ様に、ですが。


「……夫人が驚いているのだが、お前は今まで何を言ってきたんだ」

「喧しい。今私はとても機嫌が悪いしお前と話したくない。また後日にしてくれ」

「それも、そうだな。俺は恨まれても仕方ないからな」


 侮蔑の表情は、きっと自分に向けてでしょう。自嘲の笑みを浮かべるイザークさんは、酷く寂しそうで、悲しそうで。


 ……誘拐した事を考えればとても同情は出来ませんが、……それでも、可哀想だと、思ってしまったり。

 きっと、ロルフ様の事、イザークさんは嫌いではなかったのだと思います。

 寧ろ、好敵手として見ていたからこそ、私の存在を理解しようとしたのでしょう。誘拐して良い理由には、ならないけれど。


「……イザークさん」

「エルネスタ殿。俺達の勝手な都合に巻き込んでしまい、申し訳ない。謝っても、貴女が経験した恐怖や憤りが収まる訳でもないだろうが、それでも謝らせて欲しい。……本当に、申し訳ない」


 きっちり腰を折っての謝罪に、私はどうして良いのか分からなくて、ただ紺碧の髪が目の前で揺れるのを、見守るしかありません。


「……その、もう危ない事に巻き込まないで下さいね」

「確約しよう」


 確かに頷いたイザークさんに少しだけ頬を緩めるのですが……痺れを切らしたらしいロルフ様が、そんな私を再び横抱きにして。


「エル、行くぞ。取り敢えず帰ろうか、家でゆっくり休むと良い」


 私が歩き疲れているのも見抜いての事でしょうが、些か強引で戸惑う私。イザークさんは、そんな私達を眩いものを見るように瞳を細めて。

 その表情は、とても穏やかでした。


 私はというと突然抱えられた上に先程のロルフ様の言葉を思い出して一気に羞恥が顔に押し寄せて、思わず腕の中で悶えてしまいそうです。


『私の愛しい妻だぞ』


 ロルフ様は、確かにそう言ったのです。……その、愛しいって、そういう意味で捉えても、良いのですか? 私、そう思っても、良いのでしょうか


「え、あ、あの、ロルフ様? さっきの言葉、は」

「帰ってから言う」

「そ、それは生殺しです……!」


 ひ、酷い、あんな言葉を言ったのに帰ってからとか……! 気になって気になって仕方ないじゃないですか。……ロルフ様は私の事、好きって、思ってくれているのですか……?


 答えを最後まで出してくれないロルフ様に恨みがましげな視線を送ると、少しだけおかしそうに笑っては「帰ってからのお楽しみにしておいてくれ」と囁くものだから、黙って顔を掌で覆ってロルフ様に揺らながらおうちに帰る事になったのでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ