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旦那様と研究所

 あの夜は少し気まずさはあったものの、翌日にはいつも通りです。

 いつもより心なしか強く抱き締められて寝て、起きた時はいつも通りの挨拶。私が昨日の事はなかったかのように振る舞ったからかもしれませんが、本当に普段通りなのです。


 笑っていない、ロルフ様はそう評価した私の笑顔。

 私としては、ちゃんと笑っているのに。頬を触ってもちゃんと笑ってるのは分かります。何処が駄目だったのか、私には分かりません。


 ただ、数日経ったのですが、先日のようロルフ様が何か言う事はありません。普通に笑う分には、ロルフ様も何も言わないのです。穏やかな表情で見守って、ただ私の頭を撫でるだけ。

 いつもの笑みと同じものをあの時も浮かべたつもりだったのに、どうしてあの時は咎められたのか。疑問が解決する事は、ありませんでした。




「エル、頼みがあるのだが」


 ある日、ロルフ様は寝る前になって、そんな事を言って。


「頼み、ですか? 私に出来る事でしたら、何なりと」


 急にどうしたのでしょうか。それも、ロルフ様が私に頼み事なんて。基本的にロルフ様が私にお願いする事なんて、増幅の事かシチューくらいなのですけど……。

 可能性としては、前者ですかね。クリームシチューくらいなら窺うような眼差しは向けてきませんし、もっと直接的に頼むと思うのです。頼むというかおねだりですけど。


 わざわざ言うくらいなので余程の事なのだろう、と判断して頷くと、ロルフ様は安堵したように溜め息と共に上瞼をやや弛ませては穏やかな表情に。


「明日、研究所の方に来てくれないか。どうしても、調べたい事があってな」

「研究所に、ですか? その、それは良いのですけど……」


 やはり私の魔力関連でしょうか、と理由は分かったのですが……ちょっと、気乗りはしません。嫌という訳ではないのですが、その、あまり人と接するのは得意ではないので……。

 いえ、ロルフ様の同僚の方にご挨拶したいとは思うのですけど、私が堂々と妻と名乗るのもやや抵抗がありますし、旦那様曰くとても個性的な方だそうで、何というか会話が上手く出来るのか、心配です。


 というか、私は同僚さんにどのように思われているのでしょうか。ロルフ様、堅物だって思われてるみたいですし……何か期待とかされてがっかりされるのは嫌です。


 私の心配が顔に出ていたのか、ロルフ様は「何も気負う事はないぞ」と優しく付け足します。


「痛い事もないし、特に何か頑張らなければならない事はない。あいつらにも近寄るなと言っておいたから、人見知りのお前でも問題ないだろう。今回は個人の研究室の方で検査するつもりだし、研究室を覗こうとするものなら罠が発動するようにしてある」

「わ、罠ですか……」

「そうでもしないと探りに来るからな。あれらは興味がある事に貪欲でな……」

「ロルフ様そっくりですね」

「……私はあいつら程酷い覚えはないのだが……」


 多分ロルフ様も興味が赴いたなら割と何でもしでかしそうな方なので、人の事あんまり言えないと思います。

 ロルフ様に最初興味本意や調査目的でいきなり抱き締められた事ありますからね、服とか捲ったり胸に触れたりするのとかもありましたからね、割と人の事言えませんからねロルフ様。


 でも罠を仕掛ける程なんて、一体どういう……。乱入とか、してくる方達なのでしょうか……? 乱暴な人達では、ないと思うのですが……。


「……その、ロルフ様のお側に居たら、問題はないのですよね?」

「ああ」

「なら……行きます。それに、検査なのですから断る理由もありませんし」


 私は別にこの体質を解明したい訳ではないのですが、ロルフ様が望むなら何処まででもお付き合い致します。流石に物理的に隅々まで調べられるのは、その、ご遠慮させて頂きますけど。


 協力出来る事なら何でも、と答えた私にロルフ様は笑みを湛え「いい子だ」と頭をなぜり。


 ……何だか、此処最近やけにロルフ様は私へ優しくなっている気がするのです。この前の笑顔云々の前も充分優しかったのですが、今は、より……甘く? なっている気がしてなりません。

 多分、気遣ってくれているのでしょう。私は凹みやすいってロルフ様見抜いてますから。


 そのまま抱き寄せて来たロルフ様に体を預けながら、私は嫌われてなくて良かった、とひっそり安堵するのでした。




 翌日、私はロルフ様に連れられて一緒に馬車に乗ります。

 特別なお出掛けではないのでおめかしはしません、というか寧ろロルフ様は私にフード付きのローブを着せて地味めな格好を要求してきました。別に華やかな衣装は似合いませんし、目立ちたいとも思わないので、良いのですけど……。


 私に体をすっぽり隠すローブを着せたロルフ様は「決して手を離すな」と囁いてくるので、当然はぐれたら色々死んでしまいそうな私は一生懸命頷くのです。そうするとロルフ様は満足そうに口の端を吊り上げ、また頭をなでなで。

 何だかロルフ様の趣味にまで発展している気がするのですよ、頭を撫でるの。……ロルフ様も満足そうだし、私も心地好いし、悪い事はないのですが。


 そして馬車に揺られる事暫し。

 ロルフ様の働いている国立の研究所に、辿り着くのです。


 私も初めて見たのですが、想像していたより大きくて立派でびっくりです。流石王国直営の魔術研究施設。……ただでさえ数少ない魔導師、その中でまた選ばれた極めて優秀な魔導師さんが働く場所。

 そんな所に、ロルフ様は勤めているのですね。


 ロルフ様は全く気負いなく私の手を引いて門に向かうのですが、私としては気後れする所の話ではありません。周りの人は皆選ばれたエリートの魔導師さんで、そんな人達の中を堂々と突っ切らなければならないのです。


 守衛さんはロルフ様の顔を見て素通りさせようとして……手を繋がれた私に気付き、軽く目を丸くしています。


「……ロルフ殿、そちらの女性は」

「妻だ。訳あって検査する事になっている。事前に申請して許可は取ってある。受付に確認して貰っても良い」

「はっ。少々お待ちを」


 二人居た守衛さんの内の一人が一度研究所の中に入っていくのを見送った私達は、門の端っこで待機です。


「……ロルフ殿は結婚なさっていたのですね」

「わざわざ喧伝する事でもないからな」


 もう一人の守衛さんと話をするロルフ様ですが、あまりロルフ様が既婚者である事は知られていないのかもしれません。ロルフ様は率先して話そうとはしないでしょうし、最近になるまで指輪はチェーンに通して首から提げていたみたいですから。


 式だって近親者のみでしたから、本当にロルフ様が結婚しているだなんて知らない人も居るみたいです。現にこの守衛さんは知らないようで、繋がれた手と私達の顔を交互に見ながら瞳を驚嘆に揺らがせていますし。


「それに、エルネスタを皆に知られたくないからな」


 繋いだ手をしっかりと握って、淡く微笑んだロルフ様に……守衛さんは、愕然としています。


 ……ロルフ様、多分外じゃ中々笑わないから、守衛さんには驚きだったみたいですね。あと、台詞がちょっとのろけみたいに聞こえてしまうので、ロルフ様の普段の様子とはかけ離れているように見えたのではないでしょうか。

 この台詞に、嘘偽りはないと思います。

 ただ、これはのろけでも独占欲でもなく「それに、(稀有な能力を持つ)エルネスタを皆に知られたくないからな」という副音声があるのですよ。


 流石にそこまで守衛さんにお話しする訳にもいかないので、守衛さんと目が合うと曖昧に微笑むしかありません。ロルフ様は気にした様子もなく私の手をにぎにぎ。……ちょっと力入ってませんか、ロルフ様。


「お待たせしました。どうぞ、お通り下さい」


 そんな事をしていたら事実確認しにいった守衛さんが帰って来て、ロルフ様は短く返事をしてそのまま私の手を引いて敷地に入っていきます。


 私はロルフ様に手を引かれついていくのですが、会釈だけはしておかなくてはと守衛さんに微笑んで頭を軽く下げると、ロルフ様は何故かいつもより早足で引っ張るので私も慌てて足並みを揃えるのでした。


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