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番外編  Which Dreamed it?

「お嬢様。お嬢様?」


 マリーが扉を叩く音がして、入ってくる。アリスは鏡の前から、流行のドレスを着てくるりと振り返った。


「ああ。マリー。まさかもう時間が来てしまったの?」


 マリーが呆れたようにため息をつく。


「そのまさかですよ。お嬢様。早くなさってください」


「だって…帽子が決まらないのですもの。どれがいいかしら。この前、買ったばかりの帽子はドレスに似合わないの」


 この時代、流行の帽子を手に入れることはおしゃれの最先端。手に入れたからには、見せびらかしたいものだ。


 アリスがいくつも並んだ帽子を見回して困っているのに、マリーは何も考えていないかのように、一つを選んでアリスの頭の上に乗せ始めた。


「待ってマリー。その帽子はこの前にも被っていたのよ。それに折角流行の帽子を買ったのに…」


「殿方で流行を気になさる方はいらっしゃいませんよ。それにその帽子がそのドレスにはお似合いです」


「そうかしら?」


 マリーは宝石箱からブローチを取り出した。


「それよりもこちらを付け忘れないようにしたほうがよろしいと思いますよ」


「あっ。早くつけて。早く」


「はい。お嬢様」


 ダイヤモンド、エメラルド、アメジスト、ルビー、エメラルド、サファイア、トパーズが順番に並んだ宝石のブローチ。


 宝石の名前の頭文字を並べれば、dearest(愛しい人)。


 宝石の名前の頭文字で何らかの意味を表すのも、ちょっとした流行だ。


「彼に貰ったんですもの。忘れたくないわ」


「そうですよ。お嬢様」


 鏡を見れば、病気が治って綺麗に着飾った元気な若い貴婦人が目に入る。


「お急ぎください」


 アリスは鏡でのチェックもそこそこにマリーに部屋を追い出されてしまった。




 馬車に乗って着いたところは愛しい彼の家。今日はゆっくりと彼と一緒にお茶をする予定だった。


 黒髪に茶色の瞳を持つ彼が笑顔で迎えてくれる。薔薇が咲き乱れる庭園の中で、お茶には少し早いからと、ゆっくりと散歩をした。


「足元、気をつけて」


 アリスは彼の腕に掴まりながらゆっくりと歩く。


「ねえ。アリス」


 薔薇の木の下で彼が立ち止まる。


「実は君に打ち明けなければならないことがあるんだ」


 その言葉に思わず彼女の心臓が大きく音を立てた。一瞬迷うような色を見せた後で、まっすぐに見つめてくる茶色の瞳。


「実は僕は…人間じゃない」


 言い切った後で俯いた彼の頬に、アリスは手を添えた。


「知っていたわ」


 彼が驚いて顔をあげる。


「私…前に見たもの。あなたの瞳が紅くなって、牙があったの」


「アリス」


 不安そうな彼を安心させたくて、アリスは微笑んだ。


「知っているの。あなたが人間ではないことを。あなたには黒い翼もあるのでしょう? それでも…私はあなたを愛しているわ」


「アリス…本当に?」


「ええ。本当に」


 次の瞬間に彼の腕がぎゅっと彼女のことを抱きしめた。


「愛している」


 耳元で聞こえる喜びを含んだ涼しげな声。アリスの大好きな声。


「ええ。ショーン。愛しているわ」


「あ…えっと」


 彼の腕が緩められて、またしても彼が言いにくそうに彼女の顔を見た。


「どうしたの?」


「いや。あの。アリス。実は僕の名前も君は勘違いしている」


「え? そうなの?」


「ああ。やっぱり好きな人には僕の名前を正確に呼んでもらいたい…気もする」


 彼女はちょっとだけ考える。


「教えて。あなたの名前。本当の名前を知りたいわ」


「もちろん」


「でもね。どうかしら。ショーンという名前は、あなたを呼ぶのに私だけが呼ぶ名前でしょう?」


「まあね」


「じゃあ、私だけの特別な名前ね」


 彼が苦笑する。


「まったく君にはかなわないな」


「そう?」


「ああ。いいよ。君だけの名前だ」


「ええ。私だけが呼べるあなたの名前よ」


 彼がそっとキスをする。


 もう何度こうやって口づけただろう。甘い彼からの口づけ。


「愛しているわ」


「愛している。君さえよけば…僕と一緒に長い時を生きてくれないか?」


「まあ。ショーン。ええ。もちろんよ。嬉しいわ」


 あまりの嬉しさに彼に飛びつけば、彼もアリスを抱きとめてくれた。


「良かった」


 彼からの甘い囁き。


「ねえ。教えて。あなたの名前」


「僕の名前は…」


 甘い声がアリスの耳に落ちていく…。






 この夢は、誰が見た夢だろう。


-----Life, what is it but a dream?

(Through the Looking-Glass, and What Alice Found There by Lewis Carroll)



The End.


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