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森の娘と白銀の騎士  作者: 四葉ひろ
第二章

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森の娘とその弟

 ――しかし、その約束は延期となった。




「発熱?」


 翌朝、心配そうに起こしに来た使用人の言葉にティレは眉を寄せた。ティレがそんな表情をするのは珍しいことだ。


「いつからですか?」

「明け方からです。真夜中から少し呼吸が荒いようでしたが、その時はまだ平熱でした。最近は以前より水分を取られるようになったので、排泄もあり、体温は安定していたのですが」

「わかりました。お医者様には?」

「まだです。まずはティレ様にお知らせするようにとクラウス様のご指示でした」

「……そうですか」


 クラウスは、ティレが来てから公爵の調子が明らかに上向きなので、かなりティレを信用しているようだ。だが、急性の疾患なら医者の方が良いかもしれない。


 ティレは、使用人にそのことを告げてから、部屋着にそのまま上着を羽織って、部屋を出た。ハインツも帯剣だけして後を追う。

 昨日、ハインツと話した時は、いつになく調子がよさそうだったが、無理をさせただろうか。


 部屋に入るとクラウスがベッドの側にいた。

 ティレは、公爵の様子を診た。


「どうだ」

「そうですね。……悪いものではないと思います。胃腸が動き出して、溜まっていた毒素に反応して炎症を起こしているのかもしれません」

「そうか……」


 ほっとした顔をしたクラウスにティレは、しかし、厳しい顔で言った。


「あまり熱が長引くと体力がもたないかもしれません」

「――!」


 現に公爵は、熱にうなされて意識が朦朧としている。もともとやっと水分や柔らかい食事を摂れるようになってきたばかりだ。熱で消耗したら、すぐに以前の状態に戻ってしまうだろう。もしかしたら、以前より悪くなるかもしれない。


「お医者様には熱冷ましをもらってください。それからここから半日くらいで行ける森の泉の水と周りの草を摘んできてください。私たちに同行してくださった騎士様たちが場所を知っています。熱冷ましを飲ませたら、しばらく人払いをお願いできますか」


 ティレの指示の意味の全てが理解できたわけではなさそうだったが、クラウスが頷くのを確認して使用人たちは一斉に動き出した。公爵は、使用人を大事にしているのだろう。公爵を助けたいという思いは皆一緒のようだった。

 ハインツはティレのそばを離れて、騎士と共に森の泉まで行くことにした。キエムが立ち入りやすくしてくれているはずだが、やはり騎士たちにとって森の中は禁忌だ。ハインツが先頭をきった方が早いだろう。


「一人で大丈夫か」

「――はい。ハインツ様もお気をつけて」


 ハインツを見送って、しばらくすると医者が来て熱冷ましを飲ませてくれた。


「森の民から指名を受けるとは光栄です」


 医者はそう言った。少し険のある言い方だった。ティレたちが医者より先に呼ばれた。この屋敷での最近の医者に対する扱いは想像できた。ティレは頭を下げた。


「いえ。こちらこそありがとうございます。私の薬草は長時間をかけた体質改善には効果があるのですが、急性期の疾病にはやはりお医者様のお薬の方が良いのです。まずは体力の低下を抑えないと長丁場の治療はできません」


 これからもよろしくお願いしますと言って微笑むティレに、医者は毒気を抜かれたような顔をした。


「そ、そうですか。では何かあればいつでもお声がけください」


 咳払いをしてなんとか威厳を保った医者は、一通りの処置をして、公爵の熱が下がり始めたのを確認して退出していった。



 その後も時間を空けて熱冷ましを何度か飲ませたためか、熱は大きく上がることもなく、二、三日すると体調は安定してきた。

 ただやはり発熱で消耗したのか以前より眠る時間が長くなった。

 その間に、ハインツは森の泉から薬草と泉の水を持ち帰った。解毒作用の強い薬草とその成分が溶け込んだ水だった。煮沸をしてから、公爵に少しずつ飲ませるようティレは指示を出した。


「世話になったな」

「クラウス様」

 

 その日、いつものように公爵の様子を見にティレが公爵の部屋を訪れると、ベッドの横に腰掛けるクラウスがいた。

 

「君が来てから、主治医を蔑ろにしすぎていたようだ。きちんと謝罪して今後の治療について改めて依頼したよ」


 なんとあの緊迫した状況の中でのティレと医者のやり取りを、使用人はクラウスに伝えていたようだ。

 ティレは驚いたが、それは良いことだと思った。ティレが帰った後も公爵は健康管理が必要な状態が続くだろう。主治医とクラウスの関係が良いに越したことはない。


「それはよかったです」


 その時、ふとティレは森の香りを感じた。

 ティレは、窓に目を向けた。


 窓のカーテンの影にキエムがいた。


「……少し席を外していただけますか?」


 ティレからの唐突な言葉にクラウスは眉を上げたが、わかったと言って席を立とうとしたクラウスより、その声の方が早かった――。


「いやいい」


 その声と共に、キエムがカーテンから姿を現した。クラウスは、そのまま立ち上がり、公爵をかばうようにベッドの前に立った。


「――君は?」

「キエム!――あ、あの、怪しい者ではないのです。あの、弟です」

「弟?」


 慌てて、クラウスとキエムの間に立ったティレにクラウスは怪訝な顔を向ける。

 

「はい。あの……父違いですけど」


 クラウスはティレとキエムを交互に見た。その時、廊下をバタバタと走る音が聞こえた。



「兄上! 誤解です!」

「ハインツ……」


 大きくドアが開いたそこには息を切らすハインツが立っていた。どうやら、キエムが窓から公爵の部屋に入ったのを見かけて、慌てて飛んできたらしい。


「キエムです。森の民で、ティレの弟です。今回の依頼、表に出ない部分を請け負っています」

「――そうか。共に依頼を受けてくれた森の民か。失礼した」


 聡いクラウスは、すぐに状況を理解したようだ。既に、ティレから聞いたことを繰り返す弟にうなずいて、再び腰を下ろした。

 

「ティレ。調べてきたこと報告したい。ここでいいか」

「私はいいけれど――」

「兄上はいいんじゃないか」


 キエムの言葉に戸惑うティレだったが、ハインツは、警戒を解いた兄にキエムの任務を隠すことはやめたようだ。


 もともとハインツの領地の屋敷の使用人たちは、キエムの存在に気づいている。ハインツの屋敷とはいえ、森の民であるキエムが使用人の前にしっかり姿を現すことはないけれど、元来ティレが隠し事が苦手だから、ハインツはティレの家族が時々訪れること、森の民だからはっきりとは姿を現さないことをあらかじめ使用人に伝えてあるのだ。


 だがこの屋敷に来てからは、影で動きやすいように使用人にキエムの存在は告げず、キエムも気配も消していた。庭に二人きりで出してもらえたのも存在を隠す手助けになった。


「動きやすさを優先させて礼を欠いていました。申し訳ありません」


 ティレが恐縮して謝っている。

 確かに一緒に依頼を受けている森の民の存在を知らせなかったのは、信頼を裏切る行為ともとれる。


 ハインツも一緒に頭を下げた。キエムも合わせて礼をとっている。


「いや。驚いただけだ。こちらこそ失礼した」

「教えてもらった三人について現状を調べた」

「私も聞いていいのか」


 キエムはちらりとクラウスを見たが、すぐにティレに視線を移した。


「状況を調べてそれをティレに伝えるだけだ。――それ以上のことは知るか。森の民は関知しない」

「キエム。お前いい奴だな」


「あんたは外に出ろ」

「なんでだよ」


「二人とも!」

「はは。いいよ。今更だ。さあ、話を続けてくれ」


 いつものようにじゃれ合い始めそうなハインツとキエムを、ティレは慌てて止めたが、クラウスは楽しそうに笑っただけだった。

 キエムは、咳ばらいをするとティレに向き直った。一応、「ティレに話す」という体は守るらしい。


「それで、なにかわかったの?」

「ああ」


 キエムは懐から、書付を取り出した。


「公爵が以前毒を盛られていた事件。当時を知る森の民の話を聞いて、さらに調べてみた」


 ティレを見てはいるが、キエムは既に、ティレやハインツではなく、ほとんどクラウスに聞かせたいようだった。


「見込み通り、過激派の三人が関わっていることは間違いなさそうだ。なぜその三人が殊更過激派だったのか。三人に血縁関係はほぼない。王位継承争いが始まる前の派閥も違う」


 確かに、とクラウスもうなずいていている。クラウスなりに調べたことがあるのだろう。

 キエムは、紙を取り出し、サイドテーブルに置いた。クラウスが挙げた三人の名前が書いてある。そのうちの一人の名を指し示しながら、キエムが伝える。

 

「彼は妻が宰相の末の妹の乳母だった」

「え?」


 思わぬ人物の名にクラウスは声を上げた。ハインツも、何故ここで宰相の名が出るのかわからなかった。宰相は中立派だと聞いていた。


「こちらは、宰相の弟の家と同じ家庭教師を使っていた」


 次の人物も宰相とのつながりがある。

 

「こちらは、宰相のいとこが直属の上司だった」


 そして、最後の一人も。

 確かに言われればそうだ。だが、一人一人を見た時に、宰相とは繋がりづらい。


「そして、それぞれの家から資金援助を受けている。宰相家自体は一切かかわっていない。援助しているのは、それぞれ、妹の嫁ぎ先や弟の養子先、いとこの母方の実家からだ。目立ちすぎないようにしたのか、筆頭の援助者として名前が出るほどの額ではない。だが、毎年、確実に送金されている」


 その指示を出していたのが誰なのか――。


「……そうか。宰相が」


 その声はクラウスによく似た、しかしクラウスのものではなかった。

 皆驚いて振り返る。


「叔父上!」


 クラウスが慌てて駆け寄った先には、目を覚ました公爵がいた。


「宰相は当時、まだ爵位を継いだばかりで、各派の連絡調整役を担っていた。中立だと見られていたし、私の元にも頻繁に訪れていた。完全に心を許していたわけではなかったが……。確かに、敵対派に対するような警戒は怠っていたかも知れない」

「どちらかというと公爵自身が油断したと言うよりは、周りだと思う。当時のメイドの中にその後、ここを辞めて宰相の親戚筋に勤めているものが複数名いる」


 キエムが、告げた事実に公爵はただ眉を下げた。

 

「そうか。しかし、よく今まで発覚しなかったな。巧妙ではあるが……」


 クラウスの言葉に、公爵は首を横に振った。


「我が国では、現王が即位してから当時のことはタブーになっている。蒸し返しては、また混乱が起きると思っていたからな。詳しく調べ回ることはできなかっただろう」


 そして、公爵は、キエムを初めてハッキリ見た。


「君は――っう!」

「叔父上!」


 公爵は、キエムの顔を見て驚いたような表情になったような気がしたが、急に苦しみ出した。

 クラウスが慌てて駆け寄った。

 公爵は脂汗をかいてうずくまっている。


「ティレ!」


 ハインツに声をかけられたティレが公爵の様子を探る。


「これは……」


 ティレの顔に焦りがにじむ。


「おそらく、奥の方の臓器が弱って炎症を起こしています。私の力でなんとかなるかどうか」


 そう言って、ハインツを見て、クラウスを見た。キエムをみて、再びハインツを見る。


「兄上は口が固い。――キエム、いいよな」

「……だから面倒なことになるぞと言ったんだ」


 キエムは嫌そうな顔をしたが、止めはしなかった。

 ティレは、その様子を見て公爵に向き直る。


「クラウス様。ここでご覧になったことは他言無用でお願いします」


 使用人を下がらせていたのが幸いした。ティレは、手に魔力を集めて公爵に治癒を始める。

 あたりに淡い光が満ちた。

 しかし、公爵の様子は変わらなかった。


「――っ! ダメだわ……、私の力では……」

「大丈夫か?」

 

 ふらつくティレをハインツが支える。公爵の様子は変わらない。それどころか、呼吸が浅くなってきた。


「叔父上!」


 クラウスが、公爵に呼びかけるが、既に反応する余裕はなさそうだ。意識も朦朧としている。

 その時、クラウスの横に、一本の腕が伸ばされた。


「目をつぶって下がれ。全員だ」


 キエムだった。

 驚いた顔をしたクラウスだったが、ハインツに「兄上!」と声をかけられると、言われた通り下がった。



 キエムが、公爵の腹部に手を当てた。次の瞬間鋭い光が部屋に満ちる。誰もが目を開けていられなかった。目をつぶっていても、まぶしくて痛いほどの光だ。ハインツも、ティレを庇うようにして、光に耐えた。


「キエム……」


 眩すぎて全てが光に包まれた世界、腕の中にいるティレの声が耳に届いた。

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