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森の娘と白銀の騎士  作者: 四葉ひろ
第二章

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森の娘と公爵の過去

 だが実際には、公爵を前にして、ティレはなかなか話を切り出せなかった。


 公爵は、ここ最近は体を起こせるようになり、流動食から細かく刻んだ固形物を、少しずつ体調を見ながら、摂り始めたところだった。


 何も切り出せないまま、ティレは、薬草を煎じたお茶を公爵に注いだ。

 その日公爵はこれまでで一番体調が良さそうだった。起き上がったまま、ティレの手元をじっと見つめていた公爵がぽつりと洩らした。


「懐かしい茶だ。よくマナが作っていた」


 ティレの手が止まった。驚きに目を見開いている。


「……いつですか?」


 ティレが震える唇から言葉を絞り出した。


「いつ、母はあなたにこのお茶を作りましたか?」


 ティレが煎じていたのは、ただのお茶ではない。体内から毒素を排出しやすくなる薬草を煎じたものだ。体調によっては却って毒となるため、一般的に飲まれることはない。

 それをティレよりも優秀な魔女だった母が作ったと言うことは――。


 公爵は、予想外のティレの食いつきに若干、驚いたようだが、記憶を辿るように話し出した。

 

「……若い頃、森の民に依頼を出した。政情が安定せず、民の生活が荒れたためだ。不作続きで、民の間には病が広がり、政情不安の我が国では、どうすることもできなくなった」


 掠れた小さな声だったが、最初の頃に比べると格段に体調は戻っているようだ。昔を思い出しているのか、公爵は遠くを見つめたままだ。


「そしてやってきたのがマナだった。畑を整える飼料について民に教え、病を治めるために町の清潔さを教示した」


 そうか。若い頃はティレの母も森の民として各国の依頼を受けていたのか。

 それはそうかとハインツは思った。そうでなければ公爵と知り合うことはなかっただろうから。


「私は王子だったから、調査と支援に来てくれていた森の民を慰労することになった」


 公爵は手元に視線を落とした。

 

「私を見たマナの顔は忘れられないな」


 公爵が懐かしむように笑った。ハインツもティレも公爵が笑うところを初めて見た。


「挨拶もそこそこに私にツカツカと近づいてきて、首元を触り始めた。私は仰天したよ。王族である私にそんなふうに触れる者はいなかったからね。護衛も驚きすぎてすぐに動けなかったようだ。殺気がなかったのもあったかも知れない」


 ティレの母に触られたところを公爵の手がなぞる。厳戒態勢の中で触りようによっては害を加えられそうな場所を護衛に邪魔されずに触ったというのは驚きだが、隣でティレが「なんの魔法使ったの?」とハインツにしか聞こえない声でつぶやいたので、なるほどと思う。

 公爵は、また続きを話し出した。

 

「それから食べているもの着ているもの過ごしている部屋、全てを調べられた」


 母が疑ったものは明らかだった。

 

「そしてそのお茶を煎じて飲まされた」


 おそらくその頃が、まさに公爵が毒を摂取させられていた時期なのだろう。母の見立ての立て方をみると、おそらく少しずつしかし確実に弱るように与えられていたと考える方が自然だった。

 

「巧妙な手口でね。はっきりいつから体調が芳しくなかったのか、自分でもわからないんだ。当時は非常に不安定な立場だったからその気鬱で体調が悪いのかと思っていた。だがマナに言われた通りに食事を変え、生活を変えたら次第に体調が良くなっていった」

 

「それは身を隠していた時期ですか?」


 ティレの質問に公爵は首を横に振った。

 

「いや。それよりも前だ。私が襲われたのはマナが一度森へ帰ってからだったからね」


 一度――。

 その言葉にハインツが引っかかった。


「一度――と言うことは、マナ殿はその後、こちらに戻られたと言うことですか」


 公爵がはっとした顔をした。それまでの雄弁さは影を潜める。


「公爵」 

「……少し休むよ」


 飲んでいたお茶のカップを置くと、公爵は横になりハインツやティレに背を向けた。

 その背は、続きを語ることを明確に拒否していた。

 その態度にハインツは確信を深めた。


 一度、部屋に帰るとハインツは、ティレと一緒にいつもの庭に出た。


「キエム」


 森に向かって声をかけると木の影からキエムが現れた。それを見てハインツがニヤリと笑う。


「俺もお前の行動が読めるようになってきた」

「――言ってろ」


 キエムが面白くなさそうな顔をする。先ほどの部屋でのやりとりをどこからか聞いていたのは間違いないようだ。ハインツは表情を厳しくして言った。

 

「おそらく森の民は、少なくとも当時のことを知っている伯父上や祖父上は経緯を知っている」

「……そうだな」


 ハインツに言われて頷いたキエムの手には、もうほうきが握られていた。


「森を抜ければ集落は遠くない。二、三日で戻る」

「キエム……」


 ティレが気遣わしげに弟の名を呼んだ。キエムがティレに視線を移す。

 

「今更かもしれないが、じいさんがティレを寄越したのは公爵に会わせるためだけじゃないと思う」


 ほうきを手に身を翻したキエムは静かに森に消えた。


 次の日、ハインツは一人公爵の部屋に赴いた。ティレと一緒ではないのは初めてだ。

 使用人たちはハインツの後ろをチラリと覗ったが、ティレを連れていないことには、特に何も言わずに部屋に入れてくれた。随分と信用してくれているようだった。

 

「少し私たちだけにしてくれないか」


 使用人たちを下げさせると、ハインツはベッドの脇に椅子を持ってきて腰掛けた。

 公爵はハインツに背を向けて横になっていた。

 挨拶をしてもぴくりともしない。しかし眠っているわけではないのというのは、気配で分かった。


「公爵閣下。私は結婚前、ティレに一時的に森に匿われたことがあります」


 公爵は振り返らなかった。しかし、明らかにその背が強張った。


「当時、ティレは森のはずれの小さな集落に暮らしていて、私はそこへ連れて行かれました。ティレはあまりほうきが上手くないんです。森を進みながら傷だらけになりましたよ。村に着いた時は日も落ちていて、灯りがそこかしこに浮かんでいた」


 話しながらハインツの脳裏に、ティレに――実際にはほとんどキエムにだったが、連れて行かれた森の集落の様子が浮かんだ。

 初めて見た集落の風景は幻想のようだった。


「……幻想的だったな」


 ハインツは自分の想いをつい口に出してしまったのかと思って口に手を当てた。しかし、それが自分が発した言葉ではないことに気づいた。

 いつのまにか公爵が仰向けに姿勢を変えて天井を見上げていた。その言葉は公爵の口から発せられたものだった。

 公爵はハインツの顔を見て聞いた。


「ゼイムの家か?」


 ゼイム。ティレの伯父。ティレの母の兄の名だ。

 その言葉が全てを物語っていた。

 

「……はい」


 慎重に頷くハインツに、公爵は小さく笑った。天井に目を移す。ここにはない何かを見ているようだった。

 

「そうだな。あの子はマナの娘なのだものな。ゼイムは伯父に当たるのか」


 そのまま公爵はしばらく黙って天井を見上げていた。ハインツも口を開かず、ただ黙って公爵を見つめていた。

 

「――私が姿を消していた間」


 しばらくして公爵は静かに語り出した。おそらく襲撃された後のことだろう。公爵がしばらく行方不明だったのはやはり――。

 

「マナが私を森に匿ってくれていた。森の民にとっても外の人間を入れるのは禁忌だろう? だから自分の故郷の村に私を連れて行くわけにもいかなかった。彼女の兄が森の外れに村から離れて暮らしていたのは幸運だった。妻と息子と三人だけで暮らしていたんだ」


 きっと公爵がいた頃には集落には、ゼイムと妻のホア、そしてその息子しかいなかったはずだ。


「驚いたよ。森の樹木をくりぬいたものが彼らの家だった。夜になると灯りが宙に浮かぶ。毎日灯を灯すのはマナとホアの仕事だった」


 ハインツが身を隠したのと同じ場所だろう。そういえばハインツがいた時もホアと息子の嫁が灯りをつけていたような気がする。


「小さな集落で、自分たちだけで生活の全てを賄っていた。私はこれまで王族としてなんでも人にやってもらう生活だったからね。いろいろと戸惑った」


 そうかもしれない。ハインツは長く騎士として暮らしていたから、身の回りのことが一通りできる。ティレの集落にいた時はどちらかと言うと従軍中に近い感覚で、任務の途中で森に入ったこともあり、生活上の不便はあまり感じなかった。しかし、王子として暮らしていたら、着替え一つとっても戸惑っただろう。


「だが、振り返れば、あの短い時間が、私の人生で最も幸せな日々だった。愛する人がいて、穏やかな」


 ハインツにとってもあの集落での生活は穏やかで幸せな記憶として残っている。ティレと初めて思いを通わせたということもあるが、あの場所にはどこか郷愁を覚えるものがある。公爵にとってもそうなのかもしれない。


「しかし、村にいたマナの父に私の存在が知られてしまった。森の民が外の世界に関わるのは御法度だ。ましてや王位継承争いをしている王族とだなんて、父上は激怒した。マナは、村に連れ戻され、私も国へ戻された。その前に実行犯を捕まえたのは、森の民のせめてもの慈悲だと思っている」


 マナ――ティレの母の父、それは森の集落にいるティレの祖父だ。


「マナ殿の父上を恨んでらっしゃいますか?」

「……恨んだこともあったよ」


 ため息のような声だった。

 

「許したのですか」

「――許したのとは違うな。理解もしていない。冷たいかもしれないが、今の私にとって彼は重要じゃない。私にとって森は、マナそのものなんだ」


 公爵は窓の外を見た。公爵のベッドは横になったままでも森が見えるよう設置されていた。森を見つめたまま公爵が続ける。


「戻ってすぐ王位継承権を放棄した。中央政治には一切関わらないことにしてここに移った。最初の数年は仕事以外の時間は全てここで森を眺めていた」


 ハインツは、あまり人の感情の機微に聡い方ではないが、それでも若き日の公爵が窓の外を眺めている姿が目に浮かぶようだった。自分とティレも許されなければ、同じ未来があったのかもしれない。

 

「姿を隠しているうちに何があったのか、姉には悟られていたのだろうな。任務を終えて森に帰る前の私たちの様子について、それとなく言ってくることもあったから。まあ、そうでなくても縁談を全て断って、陛下に呼ばれても王都に上がることもせずに日がな一日森を眺めていると報告を受けたら、勘付くなと言う方が無理だろう。その間、姉は、私に来る縁談をその後全て断ってくれたらしい。そのうちクラウスを寄越してね。まだ少年だった甥を引き取っては、森ばかり眺めているわけにもいかなくなったというわけだ」


 公爵の姉君はきっと弟が気力を失って一人で朽ちて行かないようにクラウスを送ったのだろう。そしてクラウス自身が誰よりもその役目を理解しているようにハインツには思えた。


「――君から見て、あの子は私に似ているか?」


 誰のことを言っているのかは明らかだった。ハインツは正直に答えた。


「わかりません。自分はあまり人の見た目に聡くないので。……ただ、クラウス兄さまには、似ていると思います。それも最近気づいたのですが」


 妻が誰に似ているか、人に指摘されて初めて気付く自分の鈍感さには我ながら呆れるが、今更言っても仕方ない。

 公爵は、おかしそうに笑った。


「君は良い夫だな」


 意外な言葉にハインツは目を瞬かせた。


「妻がどこの誰であろうとも変わらない。そんなことには興味もない。あの子を本当に愛しているんだな」

「――そうですね。ティレはティレなので。公爵閣下の血を継いでいようといまいと私にとっては大事な妻です」

「そうか……」


 公爵は一つ息を吐いた。

 

「いつまでも逃げていても仕方ないな。――あの子と話そう」


 ハインツは、笑顔で請け負った。


「かしこまりました。明日、ご体調の良い時を見計らって伺います」


 公爵は、頷いた。


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