森の娘とある疑念
「昔の話か――」
ハインツとティレの質問に、クラウスは、顎に手を当てて考え込んだ。
「はい。あの様子だとここ最近で何か毒物を取ったとは考えられません。普通は病を疑うくらいです。ただ、内臓が年齢の割に弱り過ぎています。昔、若い頃に毒物を摂取して、排泄しきれずに慢性化した可能性があります」
昔――、公爵は王位継承権を持つ王子だった。その彼に毒物を盛った者がいると言っているも同様の指摘だった。他国に来てそんな話をするなど本来なら危険極まりない。外交問題にもなりうる話だ。
しかし、クラウスには驚いた様子はなかった。仕事に入った時のティレの変貌ぶりも、出会ってからの短さからか気にならないようだ。急にハキハキ話し始めたティレに、全く反応しない兄にハインツの方が何だかいたたまれない気持ちになった。
――なんで俺がソワソワしないといけないんだ!
もちろんそんなことはおくびにも出さず、ハインツはティレの後ろで話の成り行きを見守った。
「俺がこの国に帰る少し前、叔父上はかなり命の危険に晒されていたらしい。襲撃されて、そこから逃げ出して、一時は誰も見つけられないくらいに巧妙に身を隠したと噂されているのは聞いたことがある。しかし叔父上はその間どこにいたのか誰にも話さないんだ。姿を消してしばらくしてようやく犯人が捕まって戻ってきた時にもね。そして戻ってすぐに王位継承権を返上してこの森に接した田舎町に引きこもってしまったんだ」
「毒を盛られたのだとしたら姿を消す直前だろうな」
「そうですね。私もそう思います」
どういう経緯かその頃に公爵とティレの母は出会った。そして毒を盛られた公爵――当時の王子をどこかに匿って治療を行った。しかし、母はティレよりもかなり腕が良く、魔力も高かった。毒素を体に残したままにしておくだろうか。
もう一つ気になるのは、その頃がおそらくティレの生まれた時期に重なるということだ。
公爵の不完全な治療とティレの誕生。
関係がないと思うほどティレはお人よしではなかった。
「その捕まった犯人が公爵閣下に毒を飲ませたのでしょうか」
「いや。捕まったのは実行犯だけでね。物理的な攻撃だったと聞いている。政情の安定は、黒幕が捕まったというより、叔父上が王位継承権を放棄して都からここに移ったことが大きいんだ。叔父上は、当時陛下よりも後ろ盾が強くてね。王位には一番近いと言われていたのに、あっという間にここに引きこもって、誰の説得にも応じなかったらしい。陛下を王に推薦するとまで声明を出して、逆に叔父を推す貴族の説得に当たったそうだ」
長らく続いた混乱を収束させたのは、ある意味公爵なのかもしれない。何故急に王位を強く拒否したのか。
それはクラウスも疑問に思っているようだった。
「そうだな。少し調べてみよう」
兄の言葉を二人はありがたく受け取ったのだった。
次の早朝、ティレは早起きしてハインツと公爵の部屋に向かった。朝食よりもずっと前の時間だ。
部屋には夜番の使用人がいた。
二人が部屋に入るとベッドの脇に座っていた使用人は慌てて立ち上がった。
「邪魔をしてすまないな」
ハインツが言うと使用人はほっとしたように頭を下げた。
「少し代わろう。休んでくると良い。半刻ほどで戻れるか?」
「実はちょうど朝番のものと交代の時間なのです。その時刻に次の者が来るよう伝えさせていただきます」
さすが元王子というべきか、普段森の屋敷で使用人を使うのが、一般的な貴族の生活だと思っているティレには、驚きの人数が公爵邸には揃っている。そして全ての使用人がよく連携が取れている。夜中、公爵に一滴ずつ水を与えるなどということはお手のものなのだ。
使用人は夜番の疲れを感じさせない綺麗な動作で礼をすると静かに部屋から出ていった。
ハインツとティレが近付いても、公爵は起きなかった。体力がないのだろうが、水分の補給を工夫したことで少し深く眠れているなら、これも回復傾向と見ることができるかもしれない。
ティレは公爵を起こすことはせず、公爵のお腹に手をかざす。ティレの手から淡い光が出て公爵を包んだ。
「う……ん……」
公爵は小さくうめいたが、目を覚ますことはなかった。
しばらくすると光は消えて、ティレはハインツを振り返った。
「――大丈夫か」
「はい。少しだけなので。治癒魔法も急に魔力を注ぎ続ける方が体力がない時には危ないこともあるので。もう少し元気になったら、もう少ししてもいいかもしれません」
ティレはそう言って窓の外を見た。公爵の部屋は二階にあり目の前の森の木々がよく見えた。
「では戻ってもう少し眠ります」
ハインツは自分を見上げて言ったティレに頷くとちょうどやってきた交代の使用人にあとは任せて部屋に戻った。
ティレは魔力こそ人には見せなかったものの、それ以外の治療法は積極的に使用人と共有し、公爵の治療にあたった。
解毒効果のあるお茶を煎じ、内臓に負担をかけない食べ物を指示した。
特に食べられないのであれば水分だけでも摂取させることを徹底したところ、公爵はゆっくりとしかし確実に回復しているように見えた。
ティレとアルベールも顔を合わせる時間が長くなった。アルベールの目が覚めている時間が増えてきたからだ。
そんな時、アルベールは、治療にあたるティレをじっと見ている。まるでティレの中に何かを探そうとするように。
ティレもその視線には気づいているようだった。
だが二人とも、決定的な話をしようとはしなかった。
ティレは、治癒魔法も誰にも知られないように継続して使っていた。ティレが魔法を使うのは、人払いをして、そして必ず公爵がよく寝ていることを確認してからだった。
「いいのか?」
「え?」
ハインツとティレの西庭での休憩時間は既に使用人の一日の予定に組み込まれるようになっており、毎回中身の違うバスケットがすぐに用意される。
夫婦の時間を邪魔してはいけないと思うのか、誰にも邪魔されることもなかった。
その時間は二人にとってくつろいで会話ができる貴重な時間となっていた。
今日も二人並んで森から迫り出した木の幹に寄りかかりながら軽食をつまむ。
その最中のハインツの言葉の意味にティレは目を瞬いた。
「公爵閣下もだいぶ会話ができるようになってきたようだ」
「……ああ。――そうですね」
納得したように微かに笑って、ティレは俯き指先を見つめた。
「――母上のことか?」
「それもあります」
ティレの話をするなら、母の死を告げないわけにはいかない。
それを気遣ったハインツを見上げたティレの顔には思いの外、迷いがなかった。
「それも含めて、全部……上手く言えないですけど、誤解なく、お互い全部いろんなことを話すには、まだ体力が足りない気がします」
「じゃあ、それができるように元気になるまで待っているということか」
「はい」
「そうか……」
ハインツは、ティレのことを愛しているが、同時に尊敬もしている。ティレがそう思うなら思うようにさせてやりたい。そう思って慎重に頷いたが――。
「まどろっこしいですか?」
「……そう見えたか?」
ハインツの思っていることなどお見通しのティレは、ふふッと笑った。
「いいんですよ。そう思ったって。一緒について来てくださって感謝しています」
自身の手にそっと触れられたティレの手をハインツはしっかりと握った。
「当たり前だ。――俺はティレの夫だからな」
ティレが繋がれた手を見つめる。
「母のことも、キエムのことも、祖父のことも、そしてハインツ様のことも。全部納得できるように話したいと思っています。私が、今幸せなこと知ってもらいたいんです」
「……そうだな」
公爵にとって、自身の愛した女性が辿った運命はきっと残酷な事実だろう。ティレだって恵まれた生い立ちとは言い難い。だが、その過程で得た弟や森の家族やハインツ、そしてハインツの家族や領地の民、それはティレにとって大事なものだ。
それは長い長い話になるだろう。
「早く元気になられるといいな」
そう言ったハインツの方にティレは額を寄せた。




