26 森の娘と白銀の騎士
キエムが超一流のほうきの乗り手だというのは、ハインツにも分かった。馬に乗り換えてもおそらく名騎手となるだろう。三人乗りのほうきでもいつも通り、ティレを負ぶって片手でキエムにつかまるハインツを全く危なげなく、集落まで運んだ。
二人を下ろすとキエムがティレに向き合った。
「じいちゃんには、来ることを伝えてある。ゆっくり話したらいいよ。--ティレ、俺ずっと謝りたかった。俺の親父がごめんな。母さんを奪ったのも俺だ。無理に俺を産まなければ母さんは死ぬ事はなかったんだ。……バイバイ、ティレ。幸せになれよ」
顔を歪めて無理やり笑う弟の優しさがティレの胸をついた。
「やだ!キエム!!私は行かない。お別れみたいに言わないで!キエムがいたからここまで生きてこれたのに。母さんはキエムのこと愛してた。母さんが死んだのはキエムのせいなんかじゃないよ。私の方こそキエムとお義父さんを引き離しちゃった」
ティレは声をあげて泣いた。この姉弟の絆の深さがハインツには痛いほど伝わった。羨ましいほどだった。
ティレがキエムに縋りつく。キエムの目にも光るものが見えた。
「--おい」
ハインツの低い声が響く。万が一にももらい泣きなんてしないよう無理矢理不機嫌そうな声を出した。
「その続きはじいさんと話してからだ。勝手に二人で盛り上がらないでくれないか」
ティレやキエムの祖父と会えなかったのは、祖父がハインツを避けていたからだ。隣の家だ。顔も合わさないのはおかしいし、祖父が家に引きこもっていても、ハインツが会いたいと思えば、会えたはずだ。それが何故か狐につままれたように会えなかった。今思えばそういう魔法を使われていたのだろう。クラウゼ侯爵が何故か森の奥に入って来られなかったように。
その祖父が待っている。それが何を意味するのか。ハインツは襟をただした。
ティレの家に着くが玄関を入っても祖父はいなかった。ハインツがティレの家に入るのは初めてだ。ハインツの滞在中、時々ティレが伯父の家で食事を取ることはあったが、逆はなかった。
ティレのテントと同じ匂いがしてこんな時なのに少し気がほぐれた。
キエムに促されて奥へ進む。
伯父の家より幾分狭い造りのその家の奥の間に祖父はいた。
村の重役だったと言う祖父は、キエムや叔父のゼイムと同じエメラルドの瞳だったが、その髪は年齢を重ねて真白だった。小柄だが年齢の割に引き締まった体躯をしており、若い頃はゼイムやキエムと同じような仕事についていたのだろうと感じせさた。
低いテーブルの奥の床に直に座っている祖父に挨拶をしようと口を開きかけると、無言で着席を促された。テーブルの手前の平たいクッションのような敷物に座る。隣の敷物にティレも座った。
「ご挨拶が遅くなり、申し訳ない。この度は、ティレ殿とキエム殿に命を救っていただき感謝しております。そして我がゲルグ国への多大なるご尽力、重ねて感謝申し上げる。」
祖父に向かって頭を下げる。そして、ハインツは意を決し、息を整えた。
「私は森の外の民ですが、ティレ殿と一緒に生きていきたいと思っています。どうかお許しいただきたい」
ハインツは、正式な騎士の礼をとって祖父に告げた。祖父は軽く頷いた。そして、ハインツから視線を外すと静かに語り始めた。
「我が一族は、代々、外の国との連絡役となり、時にはその依頼を請け負うのが仕事だった」
ハインツの予想は正しかった。祖父もそういう仕事をしてきたのだ。
祖父はティレを見た。
「お前の母も、お前のように薬草や毒の知識に長けていた」
ハインツは、ティレの様子をそっと見た。真剣な顔で聞いている。ティレも初めて聞く話なのかもしれない。
「ある時、ある国から常に毒殺の危険にさらされている女性を助けてほしいとの依頼が来た。その依頼にお前の母を遣わせた。事件は無事解決したが、お前の母と共に事件の解決にあたっていた女性の兄が恨みを買って襲われた。その時、お前の母は、その男を森に逃がした」
今のお前のようにな。
懐かしそうに目を細める。
「男が森に逃げている間に、政状は安定し、男は国に帰ることになった。男は言った。お前の母を連れて帰りたいと。わしは許さなかった。森の民は、森で生きるべきだ。外の民の依頼を受けることはあっても、そこにはあくまで境がある。外の国と森の間に境があるようにな」
謎に包まれた常闇の森。そこに住まう森の民。それは、そのように外と内の明確な境をつけることで守られてきたのだろう。
「しかし、お前の母は、お前の父以外を愛することはなかった。不幸な結婚をさせてしまった。お前の母にも、キエムの父にも。そしてお前の母は死んだ。お前を父からも母からも遠ざけた。キエムさえも父と離れることになった」
祖父はきつく目を閉じた。息をひとつ吐き、そしてティレを見る。
「ティレ、わしは間違えた。許してほしいとは言わない。これはわしが一生背負っていくものだ。だが、お前が背負う必要はない」
どうか幸せになっておくれ。
祈るような声でそう言われて涙をこぼすティレの肩をハインツは抱き寄せた。
老人はハインツを見た。
「ティレをよろしくお願いいたします」
そして深々と頭を下げた。
ハインツは力強くうなずいた。しかしこれだけは言っておかなければならない。
「ひとつ、皆が思い違いをしているようなので、訂正したい。ティレは森にはいつでも帰ってきていい。あなたたちとティレを引き離すようなことはしない。どうか、私を信じてほしい。もし、森の秘密と安全が侵されるようなことがあれば、その時は私を森に閉じ込めても記憶を消してもらっても構わないが、そういうことにはならない。誓おう」
目を見開いてハインツを見るティレにハインツは満面の笑みを向けた。
「俺に策がある。信じてくれ」
それからのハインツの動きは速かった。ティレを招いていた屋敷のある森に接した分領は、もともと姉のマルティナが入り婿をとって継承する予定だった。それをハインツが譲り受けたのだ。この継承権変更にはユリウスが多大なる協力をしてくれた。姉の王都での地位は保証され、領地と婿を得ずとも生活できるよう整えられた。ハインツも、多くの貴族階級出身の騎士がそうであるように、平時は年の半分は王都で王宮騎士として勤め、残りの半分は領地経営を行う准騎士爵を賜った。そろそろ引退したがっていた高齢の父に代わって新侯爵となった長兄から正式な許しも得た。ティレの力のことや森の民との交流のことも考えて、生活しやすいよう準備万端整えた。
--そして。
その娘は森の入り口に立っていた。
頭にはぴったりとした帽子をかぶり髪を見せないようになっている。ふくらはぎの中頃まである分厚いマントを羽織っており、身体の線もわからない。その下には布製の短いブーツを履いていて、その全てに繊細で手の込んだ刺繍が施されていた。
しかし、ハインツはその娘がそのマントの下に来ている衣装を知っていた。
ハインツは跪き、騎士の最敬礼を取った。
「お迎えにあがりました森の民よ」
ひざまずいたことで俯いていた娘の視界にハインツが入った。ふっと目線をハインツに向ける。はっと息を呑んでぎゅっと目を瞑られた。
「……」
ハインツはじっと森の娘の言葉を待った。
「……」
森の娘は何も言わない。
「……ティレ」
ハインツは、自分がこんなに甘い声が出るのかと驚いた。ティレは、目を開けた。真っ赤になってすでに涙目だ。ハインツは、微笑んだ。
「今日からは、共に生きよう」
ティレは、ハインツに駆け寄ると跪いているハインツにぎゅっと抱き着いた。走ったことでマントがはだけ、中に着ている白いワンピースドレスが見えた。白地に白い糸で一段と美しい刺繍がなされているそれは、森の民の婚姻衣装なのだと、前回会った時にホアが嬉しそうに教えてくれた。
ハインツはティレを抱き留めた。
森の風は冬を超えた春のにおいがして、暖かく二人を包んでいた。
ほんの少しだけエピローグがあるのでもう1話投稿しますが、本編はこれでお終いです。
読んでいただけて本当に嬉しいです。
ありがとうございました。




