25 森の娘の企み
捕縛した侯爵と傭兵達を引っ立てながら、ユリウスは帰っていった。帰り際、ハインツを振り返ると言った。
「お前は残れ。やるべきことを為せ。くれぐれも森の民に礼をつくすのだぞ」
「は!」
ハインツは跪いて、ユリウスに頭を垂れた。
国の騎士団の総団長であるユリウスまで引っ張り出す羽目になったのは、自分がユリウスの幼馴染であり、王子の側近でもある姉マルティナの身内であることを差し引いても、自分の力不足が引き起こした事態であることは認識していた。近衛たちが侯爵の一派を取り押さえる手際を見て、彼らとの実力の差も見せつけられた。ただ、下を向くしかなかった。
「……礼を尽くすのだぞ」
何故かそう念を押すユリウスを見上げた。どうもハインツの不甲斐なさを責めているようではない。お互いに顔を見合う。ぽかんとした様子のハインツに、ユリウスが恐る恐るといった感じで聞いた。
「お前、まさか……。何も考えていないわけではないだろうな」
「此度の件、自分の不徳の致すところと深く反省しております」
ハインツはもう一度深く頭を下げた。が、いつまでたってもユリウスは言葉を発さない。しばらく待ったが、そうっと頭を上げてユリウスの様子をうかがった。
なぜか、ユリウスは唖然としてハインツを見ている。
「殿下、我が弟が大変申し訳ございません。弟がいかに不甲斐なくとも、私が責任を持ってヴァーグナー家としての礼は必ず果たします」
マルティナが真顔でユリウスに言うと、「うむ」とうなずいたユリウスは残念な人間を見る目でハインツを見て、踵を返した。
--なんなんだ。
あの二人の会話は時々、全く自分にはわからないことがある。二人と近衛師団の後に続く第二師団にも挨拶を終えると、ハインツはため息をついて、森のほうへ踵を返した。
ーーティレが立っていた。
西から射す夕日がティレの左ほほを照らしている。その頬が涙に濡れていた。
ハインツの胸を嫌な予感が襲った。思わず駆け寄ろうとしたが、その前に何も言わず、ティレが、右手をハインツに向けてかざした。
その瞬間--。
ティレが、目を見開いた。蒼白な顔でハインツに駆け寄ると、彼の腿に刺さった剣に手を伸ばす。
咄嗟に自らの腿に剣を刺したハインツは、渾身の力でティレの手が届くまでに引き抜いた。ティレの手が、刃をつかみそうだったからだ。
「うがっ!」
自分で刺しておいてなんだが、想像を超えた痛みだった。切ったときに太い血管を傷つけたようで、大量に血が噴き出る。抜いた剣は駆け寄ってくるティレを万が一にでも傷つけないよう力を振り絞って投げ捨てた。ティレは、ハインツに飛びつくと少しでも血を失わないようにするかのように、血の吹き出す傷口を抑える。同時に今までに見たことのないような強い光がハインツを包んだ。あまりのまぶしさにハインツは目をつぶった。
目を閉じていてもまぶしいくらいの光が収まったのを感じて、ハインツが目を開けると、足の傷はきれいに治っていた。全く痛みはないが、思ったより出血してしまっていた。どうやらティレの魔法は傷は治せても失った血は戻せないらしい。いつもよりは力が入らないが、ふらつくほどではない。力の使いすぎかハインツの腿の上に突っ伏して気を失っているティレに一瞬肝を冷やしたが、呼吸は安定しているので極度の疲労なのだろう。ティレを抱き抱えると、そのまま森の入り口の木の根元に運ぶ。ティレもハインツも洋服が血だらけだが、今はどうすることもできなかった。
木に寄り掛かるように寝かせると、そっと頬に落ちたティレの髪を耳にかけた。
自分も木に寄りかかってしばらく待っていると、ティレが目を覚ました。
ふらつくティレを支えて、ハインツの膝の間に座らせる。まだ完全に意識がはっきりしていないようで、抵抗はしなかった。
「……どうして」
小さい小さい声だった。ハインツはふっと笑った。
「キエムは実はお節介な、いい奴なんだな」
それだけで、ティレは大体のことを悟ったようだった。目を伏せてぽつりぽつりと話し出す。
「キエムは、私が義父に殴られそうになるといつもかばってくれました。ご飯を抜かれても、キエムが自分の分をこっそり分けてくれました。祖父に引き取られるきっかけになったのも、キエムが危険を顧みず、伯父に訴えに行ってくれたから。キエムは、いつも私を守ってくれたんです。祖父も伯父も伯母もいとこもみんな。あの集落だけが、半端者の私に優しかった。私が外に出たら、みんなを裏切ることになってしまう。私は、一生あの集落で生きていこうと決めているんです。なのに、なんで、……キエム」
最後は涙に溶けるような声だった。
ハインツは、そっとティレの頭をなでた。
「キエムは、自分の父親がティレに酷いことをしたことに酷く責任を感じていたよ。ティレと共に、おじいさんのところに来たのも、ティレが父親に酷く当たられているのを見て、自分も新しい母親に同じことをされるのではないかと怖くなって逃げたのだと言っていた。母親を無理やり自分の父親と結婚させたおじいさんにも思うところはあるようだが、あの集落は生まれた村の何倍もの幸せをくれた。それはすべてティレのおかげだと言っていたよ」
ティレの目からこぼれた雫が、ハインツの血だらけのズボンを濡らした。ハインツは、ティレの体に手を回すと抱き寄せた。
「ーー俺に何をしようとした?」
ティレが、目を見開いてハインツを見上げた。あまりに近い距離に、思わずキスをしそうになったが、すんでのところで精神力を総動員し我慢した。今そんなことをしたら口を聞いてくれないのではと思ったのだ。
「私が何をするかわからなかったのに、あんな無茶をしたんですか」
ハインツは唸った。
「俺にとって良くないことなのはわかった」
ハインツがしれっとそう言うと、ティレは唖然としていたが、しばらくすると悲しそうな顔で再び俯いた。先ほどの声よりもさらに小さい声で囁く。
「記憶を消そうかと」
ーーやはりキスしておけばよかった。
「これから、ティレが俺の記憶を消そうとするたびに、俺は同じことをするからな。」
そう言うハインツの胸元をティレは掴んだ。
「な……!死んじゃいます!怪我は直せても、失った血までは戻せないんですよ」
「じゃあ、俺の記憶を消そうなんてくだらないことはやめるんだな。俺から離れようとしたり、俺がお前を見えないようにしたり、何だか幻術をかけて近寄れなくさせたりするのもダメだ」
ハインツだって好き好んで自分の腿に剣を突き立てたいわけではない。
「でも、でも、私は家族を捨てられない……!」
震えながら泣くティレを見て、ハインツはやっと気付いた。ユリウスが「礼を尽くせ」といった意味を。たまには上司であり親友である男の言う通りにしようではないか。
「キエム! いるんだろう」
森の奥に呼びかけると、苦虫を噛み潰したような顔をしたキエムが現れた。
「あんた、このタイミングで俺を呼ぶとか鬼だな」
既にいつものキエムであることが、ハインツは何故だか嬉しかった。
「俺とティレを乗せて村まで行ってくれないか」
「ーーやっぱり鬼だな」
二人も乗せて飛ぶのはいくらキエムでも大変なのだろう。ますます渋い顔だ。だが、ハインツも譲れなかった。
「頼む」
キエムは、ため息をつくと、ハインツを正面から見据えて、左手を横に伸ばした。その手に、飛んできたほうきが収まる。
「三人は座り切れないから、ティレを負ぶって乗ってくれ」
「わかった」
ハインツは言われた通り、ティレを背負ってほうきにまたがった。




