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13 少年の傷

 光は徐々に収束していき、やがて鏡には映像が映し出される。

 この鏡には、今マティウスが強く思い出している記憶が映し出されているはずなのだけれど、真っ暗で、何も見えない。

 鈍い、何かを殴打するような音と、すすり泣く声が聞こえるだけだ。遠く、雷鳴も聞こえる。


「……めんなさい! ごめんなさい! とうさま、ぶたないで……!」


 泣き叫ぶ子供の声が聞こえ、その瞬間、世界が明るくなる。どこかに雷が落ちたのだ。一瞬だけ、目の前に覆いかぶさるようにして立つ男の姿が見えた。

 轟音が響く。そして、それに続く鈍い音。短い悲鳴。低く唸るような男の声も重なる。


「……いで……おまえのせいで……まえ……いで……!」


 その後、子供の泣く声が聞こえなくなるまで硬いものが柔らかいものを打つ音は続いていた。






 これは、父親がひたすらに子供を殴る音声ーーそれだけわかれば十分だった。

 マティウスは、虐待されていた。だから、男性が怖いのだ。

 強制的に魔術を停止し、鏡の映像を止める。マティウスを見ると、眉間に皺を寄せ、目を固くつむり、荒く弱い息をしている。

 彼はまだ、悪夢のような世界にいるのだろう。


「……かわいそうに」


 汗ばんだ髪をそっと撫で、安眠の魔術をかけてやろうとして、やめた。

 それでは根本解決にならないし、苦しみを先々まで続かせることになるから。今日踏ん張らなければ、これからもマティウスは悪夢に囚われたままだ。


「起きて。マティウス、起きて」


 強張らせた体を、ゆさゆさと揺らす。浅いところに意識があったのか、それによってマティウスは弾かれたように体を起こした。


「……ここは、どこだ……?」

「自分の部屋よ」

「……カティ」


 キョロキョロと周囲を見回し、わたしの姿を確認して、心底ホッとしたというようにマティウスは表情を崩した。

 安心したところで嫌なことを思い出させるのは申し訳ないけれど、彼に確認しなければならないことがある。


「マティウスさまは、旦那様から暴力を振るわれていたんですか?」


 さっきの鏡に映された映像の中に一瞬映った人影。その人影にマティウスが「とうさま」と呼びかけたということは、あれはマティウスの父親で間違いないだろう。問題は、エッフェンベルグ氏なのか、実父なのかということだ。


「……また、あの夢を見ていたのか。いや……父だ。叔父上ではなく、私の本当の父が私を殴るんだ」


 ぐったりとうなだれ、マティウスは頭を抱えた。一度落ち着いた呼吸が、また荒くなる。

 こんなに体が大きくなっても思い出して苦しめられるほど、この記憶は彼にとって辛いものなのだろう。人に殴られること自体怖いのに、それが自分の父親からだったらなおさらだ。


「旦那様ではなくて、良かったです。もし旦那様がマティウスさまを殴ったのなら、今すぐわたしは旦那様をボコボコの半殺しにしてやるところでした」

「叔父上……父上は優しい方だ。だから、間違っても殴らないでくれ」

「わかりました」


 わたしが言ったことを冗談だと思ったらしいマティウスは、困ったように少し笑った。でも、エッフェンベルグ氏がマティウスを虐待していたとしたら、冗談ではなくわたしは彼を思いつく限りのひどいやり方で痛めつけてやるけれど。か弱い者をいじめる奴は、生まれてきたことを後悔するくらい痛い思いをさせてやる。


「私の母は、元々あまり体が丈夫ではなくてな。私を産んでから病がちになって、死んでしまった。……私を産んだから、私が生まれてきたから、母さまは死んでしまったんだ」

「だから……」


 うなだれたまま、苦しそうにマティウスは言った。それを聞いて、わたしは色々と腑に落ちる。

 マティウスの父親が彼を殴るのは、彼のせいで妻を亡くしたのだという八つ当たりのような思いがあるからだろうということ。

 そして、マティウスが温室で「母さまを連れて行かないで」と叫んだのは、母親が亡くなったのは、今日みたいな嵐の日だったのだろうということ。

 だから、父親は嵐の日にはマティウスを殴り、そのせいで今も彼はそのときの記憶に苦しめられている。


「マティウスさまが男性が苦手なのは、父親のせいだったんですね」

「……父だって、苦しんでいたんだ。子供を殴りたくて殴る親なんていないだろ」

「……」


 まるでそうであってくれというような、祈るような弱々しい声でマティウスは言った。でもそれは願望であり幻想で、現実とはまるで違うことだ。


「それを言うなら、親に殴られたい子供のほうがもっといないと思いますよ。自分と血の繋がった人を悪く思いたくないのかもしれませんけど、子供をボコボコにする奴はクソですよ。カスですよ。底辺ですよ。庇う余地なんて一切ありません!」

「……カティ」


 口汚く罵るくらいしか気持ちを晴らすことができなくて、つい言葉が荒くなった。それでも、ちっとも怒りは冷めなくて、イライラが募る。


「マティウスさま、あなたはもう立派に体も大きいんです。もう、父親を怖れることはありません。もしまた殴られたら、殴り返してやればいいんです。ボコボコです、ボコボコのボッコンボッコンにしてやればいいんです」

「……でも、こびりついて離れないんだ。怖いっていう気持ちが」

「だったら、体を鍛えましょう。魔術も、武術も。わたしが、あなたを誰にも負けないくらい強くしてあげます。だから、嵐のたびに泣いて怯えて、自分や周りを傷つけないでください。もし、あなたが父親を怖れて生きるのが辛いっていうのなら、わたしがやっつけてやりますから」

「……ありがとう、カティ」


 もののたとえだと思っているようだけれど、わたしは本当にマティウスの実父をヤってしまいたい気分だ。金持ちだか貴族だか知らないけれど、品性下劣なクソヤローだ。そのクソヤローのせいでこうして未来ある一人の青年が苦しめられているなんて間違っている。


「マティウスさま、この屋敷にはあなたをぶつ人はいません」

「……うん」

「今日も使用人の人たちがあなたを担いで運んでくれたのよ」

「そうだったんだな」

「お礼を言えますか? ……ついていきますから」

「……頑張る」


 まるで小さな子供のしつけをしているみたいだなと思ったけれど、実際にそのようなものなのかもしれない。

 マティウスがあまりに繊細なのも、見た目より幼い言動をするのも、小さかった頃の出来事が原因ならそこからの成長を促してやらなければならないのだから。

 そのために、わたしはまだ知らなければいけないことがある。


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