加速する戦い
リナとゴブリンたちの戦いは終わったが、シオンとホブゴブリンの戦いは膠着したままだ。
シオンのスキル〈剣術〉はLV3である。必要になったとき以外に調べることはないが、スキルのLVは最高で『10』まである。
軽く内訳を説明すると、1~3は初心者、4~6は経験者、7~9は達人、10で伝説に名を残すレベルと説明されている。
シオンとホブゴブリンの戦いが膠着している理由の1つが、スキル〈剣術〉が同じLVであった事が大きい。そして、装備も銅の剣と斬るより、叩く事に特化した武器であった。
ゴブリンが木の枝を振り回している事から考えても、このホブゴブリンの強さが"異常"である事が分かる。これはスマホで調べれば分かる事でもあった。
各階層には僅かながら『階層レベルを越えたモンスター』が産まれることがある。このモンスターを【固有魔物】と呼び、強さは1つ上のフロア相当に当たる。名前は同じ『ホブゴブリン』でも、その身体能力は第二フロアのモンスターに負けず劣らない。
そうなると、互いの力が拮抗している理由が気になるが、それは簡単な答えである。
ステータスポイントとは、対象となる能力を飛躍的に上昇させるが、ステータス自体はSPとは関係なく伸ばすことができる。筋トレで筋肉がつくように……
「(……………周りの音が消えてきた!?)」
シオンが目の前の相手に集中していると、少しずつ周囲の音が聞こえなくなってきた。
この状態を【ゾーン】という。この単語を聞いた事がある人は多いだろう。よく使われる漢字で表すと【聖域】や【極限集中】といった文字が当てられる事が多い。
日常では、人間の脳は機能の90%以上が眠っている状態であり、生活している中で使用しているのは数%らしい。その脳が活性化して色々な事ができるようになる。普通なら持てない物を持ち上げたり、動体視力が著しく上昇したりと様々な効果がある。
今のシオンは後者の効果が出ている。
「(ホブゴブリンの動きが少し遅く感じる)」
シオンの視界に映っているホブゴブリンは、ゆっくりと剣を振り上げて斬り掛かってきた。
その動作が、今までより遅く映っているのだ。人間の情報収集の大半は『視覚情報』であり、眼で見ることにより情報を集めている。眼で集める情報が増えた事により、現状の効果を発揮している。
ゾーンには様々な種類があるが、トップアスリートが目指す境地でもある。
トップアスリートは、日々の訓練で自身の肉体を追い込み、ゾーンに入れるように訓練するが、シオンはその様なことをしていた訳ではない。
原因は、このダンジョンで繰り返される『生死を賭けた戦い』が、急速にシオンを極限集中に至らせていた。ただ、本人がその事を理解していないだけだったりする。
「(剣閃が……ブレて……見える)」
ホブゴブリンが上階層のモンスターと遜色ない強さを持っている事が、シオンがゾーンに辿り着く速度を”後押し”しているのだ。
もし、シオンが【筋力】以外のステータスにポイントを振り分けていたら、現在のような状況にはなっていないだろう。ステータス値が拮抗している状況だったからこそ、今回のように内面的に急激な進化が起こったと推測できる。
そして、進化はさらに加速する!!
「(何だろう?)」
シオンの視界に更なる変化が起こった。
「(色が……無くなってきた?)」
そう。フルカラーだった光景が、脱色されてゆく。最終的に、シオンのセカイから色はなくなった。
これは、脳が処理能力を上げるために、不要な音を最初に取り除き、最後に色を取り除いたから起きた現象である。見えている光景は"白と黒の世界"である。
ホブゴブリンの振る剣がコマ送りのように進んでくる。
しかし、剣速が遅いわけではない。
然れど、シオンが速くなった訳でもない。
ただ、圧倒的なまでに『脳の処理能力』が上がったのが原因である。シオンの脳は、戦闘に必要な情報収集源として、動体視力も大幅に上げていたからだ。
ガァァァン!!
ガガァン!!
お互いの動きは遅く映り、思い描くような速さで攻撃ができなかった。
それだけではない。剣を振る毎に身体──特に腕へのダメージが大きかった。
「(──っ!! このままじゃ、負ける!?)」
白と黒の世界で戦いにより、シオンはホブゴブリンと対等な剣を交える事が出来ていた。
そのような状況で剣を振れなくなれば均衡は簡単に崩れ、『死』という現実が顔を見せる。
「(どうする!?)」
焦りと同調するように、剣を振る動作は雑になっていった。雑になれば攻撃の繋がりが悪くなり、連続した攻撃は不可能になる。焦りが引き金となり、ホブゴブリンの攻撃を受けてしまった!
ドゴォォ……
シオンの左腕に銅の剣がメリ込み『ビィキィ!!』と嫌な音を立てた。
その一撃の代償は大きくかったようで、ホネにヒビが入ったのか、熱くて鈍い痛みが行動を阻害する事となった。動かそうとすれば痛みが襲ってくるので、片腕しか使えない状況に陥る。
「(ちくしょう!! だったら、"このセカイに合った”攻撃方法を得るしかない!!)」
身体中に響く痛みに対する怒りからなのか、力の尽きかけて光の鈍くなっていた瞳には、溢れんばかりの気力が戻っていた。
意識を切り替えた最初に行うのは『振り下ろす動作』である。幾らスキルの恩恵があっても、シオン自身は剣道をしたことがない。授業で竹刀を触ったことがある程度である。
「(──せいッ!!)」
声を出さず気合いを込め、真上から真下へと垂直に振る。たったそれだけの動作なのだが、シオンの右腕には普通に剣を振る何倍もの負荷が掛かった。
「(──ッ!? メチャクチャ重たい!!)」
眼に映る剣の動きはスローモーションのように、非常にゆっくりした動きで反動がくるとは思っていなかったからだ。だがそれは、シオン個人の感覚であり、剣速は訓練のときよりも確実に速くなっている。
それ故に、リナは2人の戦いに参戦することは出来ず、完全に傍観者と化していた。
忘れ去られている彼女だが、その瞳に落ち込んだ色はなく、かつてない程に真剣な光があった。この戦いの一部始終を記憶し、吸収しようとしているのかもしれない。
「グガァ……」
漏れた呟きは、何時ものような元気がない声だ。それは自分より遥か高みにある戦いを繰り広げている、主人とホブゴブリンに対する羨望なのだろうか?
それとも、不甲斐ない今の自分に対する、叱咤であるのだろうか?
答えは、彼女しか知らない。
リナが2人の戦いを見ている中、シオンの行動には変化が出てきた。大きい変化は『回避の仕方』なのだが、今までは大きく避けていたものが小さな動きで避けるようになってきていた。
回避を見る限りでは慣れによるモノとは考えられず、現在の状況により『体力不足に陥ったのではないだろうか?』と推測できる。
その証拠は、荒れてきているシオンの呼吸だ。
小さい方の変化は微々たるモノで、『剣の振り方』である。今までの動作は大きな予備動作が必要だった。野球で言うなら『1本足打法』の足を上げる動作に当たる。
突きから始まり、斬り上げ、斬り下げを行っている。今までの攻撃は『突きは突き』と単品の動作であり隙が大きかった。そこに別の動作が加わる事により、1回の動きにバリエーションが増えた。
その攻撃手段に『横に振る』動作が加わったりして、攻撃の幅が広がっていく。剣道や空手の経験者からすれば”なんだそんな事か”と思うかもしれない。
シオンが『帰宅部』であった事、体育の授業でも剣道などの経験がない事を――
喧嘩はした事があるかもしれないが、それは『命のやり取り』からは果てしなく遠い。
ガッ! キンキンキン……!!
剣と剣がぶつかり合い、長く薄暗い通路に金属音を響かせる。シオンの攻撃はスマートに整っていく。
外から見ると、良くも悪くも『力強さ』がなくなってきているように見える。
ただ、それに反比例するかのように剣閃のブレはなくなり、『鋭さ』が増している。
剣閃が鋭くなるにつれ、身体には異変が起こってきていた。
「(──何だ!? 身体が熱い!?)」
剣を振る毎に身体が熱くなっていく。その熱はとてつもない高温まで上がり、火山が噴火するが如く爆発した。
「(か、軽い!?)」
もちろん、銅の剣の重さが変わったわけではない。感覚的にそう感じているだけである。
「(今までより、思い通りに動く……)」
振るう剣が脳裏に描いた筋をなぞるように、ピッタリと重なりあった。今までのように『重ねよう』とする必要はない。イメージ通りに動くのだ。
今、シオンに起こっているのは『スキルLVの段階が上がった効果』である。シオンの〈剣術〉は"LV3"であり、以前説明した通り『初心者』という区分に当たる。
LV3まで短期間で上がった理由は、ただ『剣を振っていた』だけでしかない。
剣道だけではなく、武術と言うものには『級・段』がある。所有者の強さを現したモノである。
LV1~3➡"級"くらい
LV4~6➡"段持ち"
LV7~9➡"師範代・師範"
LV10 ➡"創始者・開祖"
かなり曖昧な説明だが、スキルLVを"段や級"に当て嵌めるとこんな感じになる。無理矢理なので、詳しいツッコミは勘弁願いたい。
シオンの身体に発生した"熱"は、LV3の壁を越えた証である。
本来なら、LV3➡LV4に上がるまでは相応の時間が必要だ。優れた師匠を持ち、段階を早く昇ったとしても半年は掛かるだろう。
それが短期間で起こった理由は1つ。ホブゴブリンとの戦闘+"ゾーン"である。
よくマンガであるように、この世界でのゾーンも『極致の1つ』である。その中で、効率的な剣の振り方を得たのだ。レベルが"1つ上がっただけ"と思うと酷い目にあってしまう。
元々2人の間に、確固たる"差"はなかった。実力の近い者たちが『訓練』として戦う事はあるだろう。
それでも『命を賭けた実戦』となると話は別だ。10と9なら『10』が勝つだろう。10と12なら『12』が勝つ。
それでは……”10”と”10”では、どちらが勝つだろうか?
答えは、簡単である。『辛勝』か『共倒れ』である。この答えに関しては、"普通なら"という単語が付いてしまうが……
次の一文を聞いたことはないだろうか? 『勝てば官軍、負ければ賊軍』これは、勝った方が『正義』で、負けた方が『悪』と言う事もできる。
シオンの場合は、生き残ったら"勝ち"だと言っても、『継戦不能な状態』では意味がない。完全な勝利条件を満たすには、以下の項目をクリアする必要がある。
①スキルLVで相手を上回る。
②被害を最小限に抑える。
現在のシオンは、①の条件を達成しようとしていた。もっとも、②の条件に関しては片腕をケガした以上はムリだが。
キシュィィン!
攻撃が変わっただけではなく、防御の方法も変わってきていた。
今までは真っ直ぐに受け止めていた剣を、横に反らせるようになってきた。「受けに回るのは死ぬことに繋がる!!」と本能から判断したからである。
ゾーンの影響は精神的な疲労よりも、肉体的なダメージとしてシオンを追い詰めていた。視覚情報が強化されたとしても、肉体が強化されてはないからだ。既に体力は限界に近い。
今している"剣の受け流し"自体、狙って行っているワケではなかった。本能が少しでも体力を温存しようとして、様々な手段を講じた偶然の結果に過ぎない。
「(セイッ!!)」
スキルLVが上がった事により、シオンの攻撃は今までより通りやすくなっていた。放った一撃も、ホブゴブリンの防御を通り抜け、右腕にダメージを与えた。
銅の剣が当たった場所からは、『ビキィッ!!』っと鈍い音が上がったのを、剣を通じて感じ取った。剣と言うより"鈍器"の一撃で、骨に皹が入った音である。
「(次は、突きだ!!)」
身体を軸にしながら、砕いた腕に銅の剣を当てながら滑らせる。捻られた身体は反発するバネのように力を溜め、解放の時を待つようであった。
腰を捻を加える事で勢いを増した剣先は、ホブゴブリンの防御をすり抜け、喉に深く突き刺さり、呼吸困難に陥れた。「グギャォ!?」という呻き声と共に、口から血の泡を吹き出した。
ヒュヒュン!!
背骨を軸にして上半身を捻る。その反動を利用して数回、刺突を繰り返す。身体を捻る度に背骨が、筋肉が悲鳴を上げていた。無論、痛みは襲い掛かってきているが、気合でねじ伏せた!
シオンの攻撃速度が"白黒の世界"で加速し始めている。最初の戦闘を『止まっていたボール』だとしたら、今は『平地をゆっくり転がるボール』に例えられる。
攻撃速度が上がっても、肉体はまだまだ未完成である事実は消えず、反動として出ているのが"身体の悲鳴"である。攻撃の度にホブゴブリンは弱っていくが、シオンも身体に力が入らなくなってきていた。
「せぃりゃぁぁぁぁぁ!」
この一撃で終わりにするべく雄たけびを上げる。意識が朦朧として足がふらついているホブゴブリンに、倒れ込むように体重を乗せた突きを放った!!
『グガ……ム……ネ……ン……』
銅の剣の先端は、ホブゴブリンの口に向かって突き進む。瞳から光が消える瞬間、ホブゴブリンの口から言葉が洩れ出したが、シオンがそれを理解する前に銅の剣はその命を奪っていた。
命の灯火が消えたホブゴブリンは足元から光の粒に変わっていき、最期にシオンを包み込んで消えた。光の粒が消えると同時に、シオンの身体を激しい痛みが襲った!!
「ギャァァァァァ!?」
身体中に走った痛みの原因は、尋常ではない『筋肉痛』である。現在のシオンの身体は、筋肉が断裂する寸前で、場所によっては肉離れを起こしていそうだ。
床で倒れた身体が痙攣を起こす。その衝撃に耐えられず、シオンは胃の中に残っていたものを吐き出した。朝食を食べてから結構な時間が経っていたので、吐き出されたモノの大半は胃液であったのは救いなのだろうか?
焼けつく喉の痛みを堪えているシオンの元に、小さな影が近寄った。
「グガァ」
影の主はリナで、倒れたシオンの上着のポケットを漁り、シオンが入れていた【転移の羽根】を取り出し、天に掲げた。念の為、使い方を教えていたのだ。
羽根は徐々に輝きを増し、数秒後には消え去っていた。
光が収まった先は、彼らの拠点である【マイルーム】であった。
「グガ」
リナは自身の装備を外し、シオンから与えられた簡素なワンピースに着替えた。彼女が先に着替えたのは、傷付いた身体に鎧の固い部品が当たらないようにする為である。
リナは少しずつ、出来る女へと成長しているのだ!
悪戦苦闘しながらもシオンの鎧を外し、部屋着に着替えさせる。
その間、シオンは大人しかった。正確には、気を失っていた。身体中を走り回る痛みに、耐えられなかったのだ。痛みに対する耐性は、女性の方が強いのは常識である。
シオンの着替えを済ませたリナは慎重に抱き上げ、ベッドに移動した。それでも時折、「うぐぅ」とか「がぁあ」と呻き声が上がっていたが……
ベッドに寝かせたリナは、桶に水を入れに行った。その桶には『リナ』と片仮名で書いたシールが貼ってあった。シオンが与えた、彼女の持ち物である。
タオルを水で濡らし、少しきつめに搾る。そのタオルをシオンのおでこに乗せ、一晩中看病するのであった。
彼らは知らない。スマホの画面に、文字が出ていた事を。
[新たなスキルを入手しました]
[使い魔【リナ】のレベルが上限に達しました]




