ヒロイン最強 それとも、最凶?
ステータスが解放されたリナの全速力に、オーガは反応することも出来ず、自身の領域内に進入された。彼女は無手の状態であり、その身を守っているのは、鎧と籠手とすね当てだけであった為、身軽になったのだろう。
オーガが彼女の姿を認識した時には、右足の前で右拳を振りかざした状態であった。拳は、腰の捻り、背中のバネで威力を倍加させていた。その拳速は、いとも容易く音速の壁を撃ち抜いた。
ガクンと自身の視界がブレたのを感じた瞬間、『ドゴン!!』と空間内に音が鳴り響き、今まで感じたことのない激しい痛みが、脳内の全てを塗り潰した。
『Gyaaaaaaaa!!』
生まれて初めて感じる激痛に、立っていることすら出来なくなり、地面に崩れ落ちた。お尻が地面に激突したので痛かったが、脚に受けた激痛よりはマシな痛みであった。
そこで油断してしまったオーガは、『まだまだ』と言えるだろう。リナの攻撃は終わっていないからだ。
ズゴォン!!
分厚い筋肉の鎧を、身体の奥底まで穿ち抜く。
左拳が水月を撃ち抜いたのだった。しかも、捻りの加わった"コークスクリュー・ブロー"というパンチの1種である。攻撃のイメージとしては、『コルク抜き』を浮かべてもらえば分かりやすいであろう。
腕を捻ることにより、螺旋を描き、ダメージを奥深くに与えるモノである。
それが人体(人型モンスターも含む)の急所の1つである"水月"は、筋肉が付かないポイントなので、筋肉の鎧を無効化し、ダメージが通りやすいと考えたようだ。
実際にオーガは、2度目の初めてを味わっていた。それは、胃から逆流した『胃液』により、喉を焼かれる感覚である。体調不良や、乗り物酔いで体験した人も多いであろう。
その大きな口からは、少し赤色の混じった胃液が漏れる。漏れ出た汚液が、リナの肌や服に付くことはない。
反す第3の手で、顎を打ち抜き、後方に吹き飛ばしたからである。その時の、オーガの吹き飛び具合をシオンが見ていたなら、頭を抱かえていただろうレベルであった。
無様にも正座に近い形で吹き飛び、地面に10mほどの距離で溝を作り出したのだ。土というまだ柔らかいモノと接触していたワケだが、オーガの踵は血塗れになっていた。
顎を打ち抜かれて、脳筋なりにある小さな脳は、激しく揺さぶられた。ボクシング用語で『チン』と呼ばれる『顎の先』は、ピンポイントで攻撃を受けると"脳震盪"を起こし、平衡感覚を狂わせられる。
簡単に言って、視界がグワングワンと揺れて、立つことが不可能になるのだ。眩暈・立ち眩みの起こりやすい体質の人には、それより酷いと言えば分かるかもしれない。
今、オーガを襲っている状態がそれであり、満足に自分の体を動かせない。心は焦っても、体が反応しないことが、オーガを精神的に追い詰めていった。
「があ。……なんなの? ただの"木偶の坊"だっていうの?」
状況と言葉が成り立っていないが、リナの言葉は『挑発行為』であり、本来、言語を知らないモンスターには通じない。だが、その言葉を聞いたオーガの瞳には、殺意が生まれていた。
それは、彼女が発した言葉には『覇気』が宿っており、言葉自体を理解できずとも、"本能"の部分で感じ取ってしまった為だ。
両者が動かない、まるで"一時停止"されたような時間が、刻一刻と過ぎていく。当然のことながら、リナは攻撃に移ることが出来る状態である。待っているから、動かないのだ。
オーガは動けるようになり、立ち上がると同時に駆け出したが、彼女の方は迎撃準備が整った状態である。元々、攻撃しなかっただけで、何時でも攻撃できる状態だったワケだが。
『Gaaaaaaaaa!!』
走る勢いにプラスされる腕力、そこに加わる体重がさらに威力を押し上げる。しかしながら、それでも届かなかった。差し出された左手で、優しく、キズ付けないように受け止めたのだ。
──ビシィ!!
振り下ろされた拳の威力を示すように、2本の足を基点にした放射線状のヒビが、大地に刻まれたのだった。
ヒビの範囲は半径5mに及び、地面を隆起させる。
異質なくらい際立っているのは、2人の対称的な表情である。半分以下の身長のリナは、平然とした表情のままであるのに対し、大柄なオーガの表情は、屈辱に歪んでいた。
水月にくらったコークスクリュー・ブローにより、上下関係を刷り込まれてしまったのだが、雄としてのプライドが強く反発する形で、戦っているに過ぎなかった。
「があ? ふざけてるの?」
鈴の鳴るような、透き通った声がオーガの耳に届く。その声音に、侮蔑の色が隠れているのは、気のせいではないだろう。
オーガの目には、自身の半分以下の大きさの女が半眼で睨み付けている姿が映っていた。その姿は、自分の力を嘲笑う魔女のように映っていた。
「があ。それとも、その程度が……限界なの?」
全力の拳を割れやすい卵を持つように、優しく受け止めていたのだが、右手で手首を掴んだ。その様は、一本背負いのようであるが、決定的に違う部分があった。
オーガの腕ごと、自分の腕を振り回し、前後左右に打ち据えたのだった。地面に叩き付けられるごとに、ズシンズシン……と音が響き渡り、揺れた動いていた。
暴虐といえる振る舞いをしいているのだが、その動きは何故か上品さが滲み出していた。
空中をを舞う蝶のように、フワリと体を動かし、外敵に攻撃する蜂のように、鋭く地面に叩き伏せるその姿をシオンが見ていたなら、小鹿のようにガクガクと膝が笑っていただろう。
最後は「あっち飛んでくの~!!」と言わんばかりに、シオンの寝ている場所の反対側に、ぶっとばした。
身長の4m、筋肉を合わせれば、400Kg近くある体重の巨体が、真っ直ぐ水平に飛んでいき、壁に上下逆さまの状態でメリ込んだ。体の半分近くを岩壁埋め、身動きを封じられたオーガだが、小刻みに体を揺すり続けたことにより、自由を取り戻した。
ちなみに、1m近い高さから落ち、脳天を元気よくぶつけることになった。頭の天辺には、10cmを越える『マンガのようなタンコブ』が出来ていた上、涙目になっていた。
──パチン
クラクラする頭を振っているオーガの耳に、金属音が届いた。
その視界の先には、籠手・すね当てを外している姿が映っていた。本来なら戦いの最中に、そんな真似はしない。
手足が解放されたリナは、鎧に手を伸ばし、外してしまった。とふよんっと効果音を出しそうに揺れ弾む、最終兵器を見せつける。カップから出したプリンのように振るえるのだが、その形を崩すことはない。
そして、頬にかかる髪の毛を払い上げる仕草は、今までのリナと比べても数段上の艷色をかもち出していた。彼女の全ては、たった1人の為に存在するのだが、おそらくオーガを含めた他種族の雄は、争うように求めることだろう。
装備の下から現れた肌は、白磁のように白く、たった1つのシミもない。そして……不思議なことに、ベルトで留めていた跡もなかった。
右手の細い人差し指と親指で、服の襟元を掴み前後に動かした。左手で顔を扇ぎ、風を服の中に送り込むことも忘れていない。
艷気の増した瞳で、オーガの方を見つめながら、その小さな唇から決定打となる言葉を吐いた。
「があ。貴方も、一応雄としての本能はあるんじゃないの?」
その姿をシオンが見ていたなら、顔面が蒼白になっていたかもしれない。あまりにも大きすぎる身の危険性から。
「……私の身体が欲しいなら、この身を貴方の色に染めたいなら、力で以て蹂躙してみたらどうなの?」
溢れ出る艷気は、本能に忠実な獣の、僅かな理性を奪い去るには十分な威力があった。今のリナなら、吸精鬼とタメを張れるかもしれない。
溢れんばかりの胸を張り、掴めば壊れそうなくらい細い柳腰を、見せ付けるように左右に振った。
胸ほどではないが、細い腰に比べて遥かに大きいお尻は、存在を強調させていた。
自分自身の全てが、愛するシオンを、どうでもいいその他大勢の雄を誘惑できることを、本能的に理解している。そんな行動であった。
恐怖で折れかけていた心は、リナの挑発で煽られ、色欲に支配されていた。原因は、本能で感じていた恐怖の緊張感が、種の保存の為の昂りだと勘違いさせられていたワケである。
──ある部分が、言葉で言い表せない状態になっているが、それに関しては無視したい。
リナの言葉には我を失ったオーガは、ただ真っ直ぐに、愚直に大地を踏みしめ、駆け出した。
駆け抜ける速度は今までで1番速いが、それでもリナの、異常体となったステータスを出し抜けるモノではなかった。
──ズカン!! ドス! ドスン!!
リナの細い右脚が振り上げられ、顎の先を的確に捉えて打ち抜いた。革の靴さえ履いていない素足の状態だが、蹴り上げた足の甲にケガはなく、赤くさえもなっていなかった。
一瞬にして行動力を奪われたオーガは、成す統べなく、その身に拳を打ち込まれたのであった。音が重なって聞こえたので、2発しか殴っていないように思えるが、それは大きな間違いだ。
左右合わせて十を越える拳の嵐。しかし、それはただの拳ではない。1発1発に捻りが加わった、コークスクリュー・ブローであり、それぞれが骨に守られていない、筋肉の鎧だけの部分を貫き通し内臓にダメージを与えた。
拳を打ち込んで通した衝撃は、3方向からある1点に向かって突き進んだ。向かった先は"肝臓"である。
人型モンスターの身体に関してだが、人間とほとんど変わらない配置と機能であり、内臓に対するダメージは負けず劣らずといったところである。
リナの超絶パンチを一身で受け止めた肝臓は、体内で爆散し、その中にあったモノ全てを周囲の臓器に撒き散らした。
胃、片方の肺も集中した拳の威力に耐えられずに爆散。
胃液が肉を溶かす、焼けるような痛みを、体内から味わうことになったオーガは、可愛そうかもしれない。
その鬼面は涙に濡れ、大きな口からはヨダレに微かな朱色が混じった液体が流れていた。それでも全てを吐き出したわけではない。喉の部分には、大量の血が溜まっている。
リナが放った最後の拳は、再びオーガの水月を穿ち抜き、背中に拳くらいの打撃の貫通痕を浮き上がらせた!
そのまま振り抜いた攻撃は、威力そのものをエネルギー源として吹き飛び、2人の距離を20mほど引き離した。
地面に崩れ落ち、伏せた状態の巨体の口からは、「何処から出した!?」と言わんばかりの大量の血が流れ出ていた。血は吐き出した口を基点に1mほどの範囲に広がりを見せるが、数十秒も経った頃には痕跡が残っていなかった。
おそらくであるが、これはダンジョンとしての機能の1つなのではないだろうか? 倒したモンスター肉体が、光の粒に替わって消え去ってしまう事から、そう推測することが出来ると思う。
倒れ伏せる巨体に向かって行く小さな人影は、自身の肉体を見せびらかすように、ゆっくりと近寄っていく。
種の保存を促す本能を越える『死の恐怖』が、その身を蝕み、魂を侵食していった。
最初は、取るに足らない"獲物"だと思っていた小さき存在。
その命を玩び、奪い去るはずだった。
それが今では、自分の命を玩ばれ、なぶられている現状。
何をどう間違ったのか、皆目見当が付かない。
巨人は、絶望の縁で心底から理解するしかなかった。
『自分は死ぬまで玩ばれ、半殺しの目に合う』
リナの鉄拳制裁という名の"圧倒的蹂躙"は1時間以上続き、終わったのは、シオンが目覚める"ほぼ"直前であった。
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オーガが光の粒になり、空間に溶け込んでいくと同時に、2人の身体は内から溢れ出る力の奔流に満たされていた。リナの方がその度合いが大きかったのは、公然の秘密である。
レベルが上がったことにより、体力・魔力の上限値が上がり、余剰が出てきた。
シオンの太ももに、ベルトで固定されていたスマホに光が灯った。明るくなった画面には、文字が出ていた。
[ユーザーの設定により、【自動回復魔法発動】を行います]
[規定値に届かなかった為、再度【オートヒール】を行います]
シオンの体は2度、柔らかい光に包まれた。
1番酷かった腕の粉砕骨折が治り、身体中にのし掛かっていた疲労感が癒された。
徐々に、深く眠りについていた意識は、ハッキリと周囲の状況を網膜に焼き付けた!
「……!!??」
自分が寝ている場所が、何処なのかに思い出した瞬間、その頭は覚醒した。
「──!!」
急ぎ、指先から状態の確認を始めた。徐々に動かす範囲を広げ、上半身を起き上がらせた。目の前に、自分たちの命を脅かせた存在がいないことを不思議に思う。
そして、部屋の中央に、1人の女性が立っていることに気付いた。
「──アンリ……か?」
自分が気を失うまでは同じくらいの大きさだった、"元"幼馴染。
その姿が、20才くらいまで成長していたのだ。リナが【恋する鬼】になったときも驚いたが、自分が気を失っている間に、さらに成長していたことに、驚きを隠せなかった。
「があ。シーちゃん!」
喜びのあまり駆け寄ってくるリナだが、ステータスに関しては『シオンの5倍以上』あるのだ。当然のことながら、シオンには姿を捉えることが出来なかった。
力一杯抱き締めてくるリナの胸の中で、シオンは生死の境を再び味わうことになった。死にかけながらも、ある部分が元気なのは男として、仕方がないのだろう。
再会を喜び合う2人の時間を切り裂くように、シオンの耳には馴染みある音が聞こえたのであった。




