第1階層のボス、登場
薄暗い通路内に、闇を塗り尽くす光が発生した。光が消えると共に、探索の準備を終えた2人が立っていた。しかし、ただ立っているワケではなく、シオンは腰に下げた剣を直ぐに抜けるように構え、リナは前に構えた盾の縁から覗いている。
その状態のまま数十秒が経ち、警戒のレベルを下げた。
「やっぱり、ここではモンスターの氾濫は、関係ないようだな」
「ぐが。前に感じたような、気配は感じないの」
小さく呟いた言葉に、同意が返ってきた。
周囲を見回すが、本当に何もない空間で、松明の光とそれが産み出す闇は、獲物を待ち構えているクモの巣のようであった。
目の前には、地獄に続くかの如く通路が1本延びていた。奥行きは分からないくらい遠い上に、暗いが、横幅に関しては片側二車線はありそうなほど広い。
この状況で大氾濫が起きたら、命がいくつあっても足りないだろうと警戒心を高めた。簡単に背後に回り込む事が出来き、周囲の暗さとの相乗効果で簡単に敵を見失う事になるからだ。
「行くぞ、リナ……」
「があ」
お互いに簡素な返事を行い、奥に向かって歩き出した。
1本道を延々と歩かされる。脇道はないが周囲が暗いので、どのくらいの距離を歩いたのか、何処まで進んでいるのかも、歩いている当人にも分からなくなってきていた。
唐突に、終わりを知らせる音が、洞窟内に鳴り響いた。
──ピロリン
警戒し、音を立てないように注意深く歩いていた2人には、その音は、ダイナマイトのごとき破壊力があった。警戒していた事により、精神は昂っていた状態だったからだ。
空気を読まない電子音により、2人は背中に嫌な汗をかき、心臓はバクバクと早鐘を打っていた。
本来なら小さくしてあり、気にならないレベルの着信音なのだが、真っ直ぐな通路の中に響き渡り、山びこのように反響していた。その反響が、小さな音を大きい音と感じさせていた。
「(何があったんだ?)」
周囲の警戒をリナに任せ、焦りにより精細さを失った、指を必死で動かす。スマホが飛び出さないように止めている帯を外そうとするのだが、留め具を指先に引っ掛ける事が出来なかった。
何とか、スマホを取り出す事に成功し、画面を覗き込み確認すると、次の文章が出ていた。
[第3フロアのマップを全て埋めましたので【完全踏破ボーナス】として、スキル〈使い魔との絆Ⅲ〉を入手しました]
文章を理解した瞬間、慌てDマップルを起動し、マップを確認するが、何故か埋まっていた事実に唖然としてした。
[完全踏破ボーナスである、スキル──〈使い魔との絆Ⅰ〉〈使い魔との絆Ⅱ〉〈使い魔との絆Ⅲ〉が揃いましたので、〈使い魔との絆〉に統合されます]
──と画面に出ていた。ただ、その効果がどの様な結果を及ぼすかは、分からないままであったが……。
「があ。ご主人様、通路の奥に立派な扉が見えるの……」
「え?」
リナの視線の先を見た時、視界には見た事のない"悪趣味"としか表現できない、大扉が鎮座していたのだった。通路が石造りであることから、中世時代でよく描かれているレンガを使った建物が、主流だと考えていたシオンの予想を裏切るモノであった。
扉のメインカラーは黒、それを飾っている装飾は金で、両開きになっている扉には『2枚1対』の絵が描かれていた。シオンから見て左手には巨人が、右手には人が描かれていた。高さは5mもあり、必要なのか疑問に思ってしまう。
描かれている絵の人物を2mとすると、巨人の大きさは12mは軽くありそうだ。
「巨人と戦う人の絵……」
「ぐが。たぶん、この巨人は『アトラス』だと思うの」
「アトラス……聞いた事があるような」
シオンを振り向いたリナの顔は曇っており、小さな声で「詳しくは知らないの」っと言ったが、軽く頭を撫で慰めると喜ぶので、気にしていなかった。
描かれた絵の方に目が行きそうだが、ドアノブも結構スゴい。金の輪を加える金の獅子が向かい合わせに付いているのだ。
なんというかムダに豪勢な扉を、白い目で見るシオンであった。
「リナ、中に入るぞ」
「ぐが。分かったの」
何時まで見ていても、何の進展もない事を理解しているシオンは、扉の奥に進む意思を口にした。
2人でドアノブを引っ張るのだが、ピクリとも動かなかった。その様子から、押戸だったのかと恥ずかしそうに頭を掻いた。
今度は体重を乗せ、2人で押すのだが、これでも動かなかった。
「押しても、引いてもダメか……。なら、押し入れと同じタイプか?」
取り敢えずではあるが、思い付く限りの方法で開けようとした。押す、引く、ずらす、上げる、下げると行うが、一向に開く気配はなかった。
「ぐあ! ご主人様、こんなところに何か、書いてあるの!!」
「なに!?」
自身が中央の取っ手と戦っている間に、リナには周囲でおかしなところがないか、チェックさせていたシオン。呼ばれた場所を見ると、確かに看板……札と言った方がよさそうなモノがかかっていた。
「何々……『御用の御方は、下のスイッチを押してください』」
下の方を見ると、金色のスイッチが出ていた。遠くから見る限りでは、気付きそうもない大きさであった。500円玉サイズのそれを前に、2人は顔を見合わせる。そして、どちらかともなく、頷くのであった。
ポチッ──ガゴン!!
スイッチがあった場所を中心に、高さ2m、横1mほどの穴が現れた。それを見たシオンの心境は、『なんか、見たことのあるパターンだよな』と呆れ果てていた。
「ぐが。私から、入るの」
通行可能になった扉を前に、リナは宣言した。断ることではないが、気を付けるようにと注意を促す。
ちなみに扉の向こう側だが、真っ暗になっていて、何も見えない状態であった。
ゆっくりと扉の境界線をリナが乗り越えた。その様子は闇の中に呑み込まれていくかのようであった。闇なのに波紋が浮かび上がり、「とぷん」と音が聞こえてきそうなくらい不気味であった。
リナの姿が消え去ると、シオンも後を追って向こう側に進んだ。
入った先は、松明の灯り1つない、真っ暗な空間であった。どれくらい広いのかも、高さがあるのかも分からない状態が少しの間続いた。シオンの背後から、バタンと扉が閉まる音が聞こえてきた。
暗くて見えない中、シオンの左手が宙をさ迷っていた。
「リナ……扉が無くなったようだ。注意しろよ」
リナが返事を返す間もなく、真っ暗だった空間が明るくなってきた。徐々に明るさの増す空間は、スポットライトに照らされた舞台の上のようであった。
室内から闇がなくなると共に、2人の目の前には周囲の闇を吸収している、黒い球体が宙に浮かんでいた。明るさに反比例するように、黒い球体の体積は増していく。
マイルーム内のように、空間の全てが2人の前に晒された時、球体の大きさは3m……いや、4mに近い大きさまで成長していた。真球の状態だった闇は、不定形になり、蠢くような変化を見せた。
「──まさか、コイツが『第1階層のボス』なのか?」
無意識の間に、シオンの口から漏れ出した言葉であった。
「があ! ご主人様、スッゴく強い気配を感じるの!!」
盾を前に構えながら、腰に下げている剣を引き抜く。臨戦態勢を整えた彼女に遅れ、シオンも剣を抜き両手で構える。
蠢いていた闇は、徐々に形を成し、人型に近付いていった。
「──まさか、あれは『オーガ』か!?」
「ぐが。私たちゴブリンの、最上位互換のモンスターなの!」
「……ッ。"最上位互換"ってレベルじゃねえだろ!?」
「ぐが。普通のオーガなら、濃い青色のような肌なの!!」
2人の目の前に現れたのは、赤銅色の『鬼』であった。
腕と脚は盛り上がった筋肉は、大木のように太い。
胸は遠目で分かるほど、分厚い筋肉が隆起している。
その背は、見上げなくてはいけないくらい大きく、山のようである。
人の頭など、一口で呑み込みそうなほど大きい口からは、天を穿つと言わんばかりに、鋭い牙が2本の生えていた。
毛のない頭にも2本の角が生えている。
般若を越える恐い顔だが、残念な事がある。
それはオーガの姿が、『裸一貫』であることだ。文字通りの意味で受け取って貰えば問題ない。
いや、その姿は問題であるが……。武器も、防具も装備していないオーガは、並みではすまないモノをぶら下げていた。
それを直視させられた2人表情は、とても嫌な顔をしている。シオンに至っては、顔色は真っ青になっていた。
2人の視線から、何かに気付いたオーガは、一哭きすると再び闇が腰に纏わりついた。闇が無くなった時には、腰には毛皮が巻き付いていた。
「……皮の腰巻き」
シオンの口からは、その単語が漏れ出していた。
『Gogaaaaaaaaaa!!!!』
その小さな呟きが、引き金になったのだろうか? 目の前のオーガは、土と岩が露出した空間内で、周囲に響き渡る大声量の雄叫びを上げた!
「ぐっ!!」
「ぐがぁ!!」
雄叫びはドーム状の室内では、凶悪なまでに反響した。2人は耳を塞いでいるのだが、耳を塞ぐ程度では、この大声量から逃げることは出来なかった。
10秒、20秒と続く雄叫びは、終わりがないように感じさせるが、流石にオーガも『呼吸』からは逃れられなかった。生物である以上は、当然であるのだが。
室内を震わせた雄叫びが消えた時、呼吸困難に陥ったのか、その体には登場した瞬間の覇気は無かった。肩を激しく動かしゼイゼイと息を吸っているオーガを前に、呆れ声で突っ込むシオンがいた。
「呼吸を忘れるなんて、アホだな……」
「ぐが。それを言ったらダメなの」
ツッコミに忠告するように言うリナであるが、その声音には、隠しきれない『でも、コイツはバカなの』という心の声が裏にあった。
荒い呼吸のせいで噎せる事になったオーガは、『Gaha! Gaha!』と惨めな姿を2人に晒していた。たぶん他の人でも同じ感想を抱くであろう。
──格好良かった、登場シーンを返せ!! と。
傍観者と化している2人も"手強そうな相手"として警戒していたのだが、現状ではどうして手強いと感じたのか、分からなくなってきていた。原因は言うまでもなく、現在のオーガの惨めな姿である。
なんとか呼吸を整えたオーガは、2人と涙で潤んだ瞳で睨んでいた。「逆怨み? ダッサー」と、過去の日本でいたギャルに言われそうだ。
2人を標的に駆け出したオーガの姿は、力士のぶつかり合いより、さらに大きな恐怖を与えた。4m近い身長から、大型のダンプとぶつかる以上の衝撃を受けるのは、想像に難くない。
目の前で、丸太のように太い右腕を上げ、振り下ろした一撃は、大地を穿ち、少なくない範囲で亀裂を産み出した。
その攻撃を2人は、左右に分かれることで回避した。スレ違い間際に、剣で脚を切り裂こうとしたが、筋肉の鎧を纏う赤銅色の肌は、大変固かった。薄皮を裂き、極少量の血を流させる事に成功したが、かすり傷程度の切り口では、数秒で塞がってしまった。
「小説で出てくるように、"自己再生"のスキルを持っているんじゃないだろうな?」
愚痴を言いつつも、攻撃の手は緩めない。例え小さな傷でも、数を重ねれば、大きなダメージになるからだ。少しでも手傷を!! と剣を振っているのだが、2人の攻撃では決定打を与えられないでいた。
自分達は少し触れただけでも、大ケガを免れない。もし、服を掴まれたら、逃げようが無い。ここに来て『装備品の破壊・破損が起こらない』事の真のリスクが現れてきたのだ。
この装備品の中には、服や下着なども入っている。
「せいっ!!」
剣閃は鋭くなっていくのだが、オーガの肌を切り裂き、ダメージを与えることは不可能だった。浅い斬痕では直ぐに塞がってしまうし、血が流れているのも、数秒くらいである。
「があ!!」
リナの振るう剣では、シオンほど深く切れず、薄皮を1枚といった感じである。そちらよりも、時折交ぜている蹴りなどの『打撃攻撃』の方が、キズの治りが遅かった。
シオンも時々、物理攻撃を行っているのだが、リナと比べると数段落ちるように感じられる。ステータスの違いも理由の1つだが、元々の2人の身体能力の差が大きい。銅の剣の時の事を思い出して欲しい。リナの方が少ないポイントでも、自由に扱っていたのを……。
その事実に、当の本人たちも気付いていた。
シオンは素早さを生かした、剣撃による高速戦闘を。リナはその溢れ余る体力と力を生かした、インファイトを。
男と女で、戦い方が違うのではないか? と思うだろうが、2人のステータスから考えると、この戦闘方が1番安定していた。
安定している大きな要素は、オーガの攻撃が単調かつ、大振りだった事である。筋肉を纏った丸太のような四肢は、武器を装備していない時点でも脅威であった。だが、その2つがオーガの攻略難易度を下げていた。
ワンパンキル。漢字で書けば『一撃必殺』。
オーガとの戦いは、正にその一言であった。2人は必死に避けて、攻撃を繰り返していた。例え、与えるキズは浅くても。
攻撃スキルは、対象の武器(素手)で攻撃する事により、経験が蓄積されていく。蓄積される経験値の幅は、対象との戦力差が大きいほどに、大きくなる。
2人の攻撃がほとんど通らないオーガ。こいつ程、経験値の塊と言えるモンスターは現時点でいない。
シオンの〈剣術〉が、リナの〈体術〉が、中級と上級の"境界"を越えた時、両者のバランスは大きく崩れるのであった。




