変わり行く日々と、次の準備
チキンハートに支配されたシオンは、リナから逃げるように下階に出ると提案した。休んでいた場所は、ちょうど真ん中くらいの踊り場だったので、階段を降りきるまでに落ち着くことを願っていた。
静かな階段にコツコツと、靴音だけが響いていた。前フロア間の移動時にも、反響が大きいなと感じていた。
階段を下まで降りきった時、出口に近付いて外から音が聞こえないかと耳を澄ませていた。先ほどいたフロアには、モンスターが群れを成していた為に、普段は集中しないと聞き取れないレベルの吐息も、重なり大きくなっていた。
「……大きな音は、していないようだな。リナの方はどうだ?」
「……がぁ。何も聞こえないの」
「(慰めたらアウトだ、慰めたらアウトだ……)」
心ここに在らず状態のリナを慰めたいが、それをしようものなら逆に、迎え狼に食べられてしまう。その未来を1番理解しているのは、何を隠そう被害者である。
意識の切り替えを行う。安全である確率は高いが、安心して寝首をかかれたくない。フロアに出ずに見れる範囲まで、慎重に移動して安全を確認を行っている。
「(……意外に、静かだな)」
先のフロアの状態を『大氾濫』と予測していただけに、このフロアも少しは騒がしいことを覚悟していた。しかし現実は、無音と言ってもいいくらい静かであり、首を捻る事になった。
このまま待っていても、何も進まないので覚悟を決めて、ソッと顔を階段から出した。直ぐに逃げられるように、構えながらなので不恰好だが。
覗いた先の光景は、1匹のモンスターも見当たらない、閑散とした通路であった。シオンの目で確認できる範囲には何もない状態である。
「リナ、お前の感知にモンスターは引っ掛かるか?」
シオンの声を受け、通路に出たリナは顔を左右に振るのであった。感知できる距離にはいないようだ。外に出てみるが、先ほどのフロアのようなヒリつく感覚はない。
スマホを持ち、アイテムボックスから【目印シール】を取り出すと、壁に貼った。そして、疲れた体を休ませる為、転移の羽根を取り出し発動させた。
羽根は光を放ち、徐々に周囲を包み込んでいく。2人をスッポリと包み込むと、光は弾けた。そこに2人の姿はなかった。
ダンジョンから無事に帰還することが出来た2人は、マイルームであることを確認すると、背中合わせで座り込んだ。フロアを繋ぐ階段で休憩を取ってはいたが、そんな場所で落ち着けるハズもなく、常に警戒しながらであった。
その緊張感は、安心なマイルームに帰ってきたことで、切れてしまったのだ。そうなると、気力だけで持っていた体は、自身の体重を支えることなど出来ず、崩れ落ちてしまうワケだ。
このままボーッとしていたい2人であったが、ヨロヨロとリナは立ち上がり、風呂の準備に向かった。この状態で1人休むのは精神的にくるらしく、シオンは夕食の準備に取り掛かるのであった。
風呂に入り、気持ちが落ち着くと、今日の出来事が脳裏に映し出された。
前触れのない、ダンジョンの異変。
絶望による、現実逃避。
最愛なる、使い魔の言葉。
どれもこれも濃厚で、怒濤のように襲ってきた。大雨の時に起こりうる災害である、土石流のように自分という小さなものを、意図も簡単に呑み込んでしまったことを……。
シオンの中にも色々な変化を与えた、今日の出来事。ただ、今の彼の心を占めているのは、別の事であった。
「(あれは、たぶん……幼い頃の出来事だよな……)」
オレは、あの時に浮かんだモノを思い出していた。懐かしく、切ない気持ちになってしまう事に、戸惑いを隠せない自分を感じていた。答えは直ぐには手に入らないだろうと、半ば諦めている。
頭の中は、何時の頃の出来事か今となっては、思い出せない過去の記憶。それは、リナを最初に見たときにも感じた既視感であり、心の中でトゲとなり抜けなくなっていた。
浴槽の中には素肌をさらしたリナが、シオンの前で抱き枕のように抱き締められていた。背中から回された手は首の辺りで交差し、その体をシオンの元にもたれ掛からせていた。大きな2つの山が浮いていたのは、追記として記そう。
薄い青色の髪が生えた頭に顔を埋め、立ち上る匂いを感じ取っているのか、シオンの表情は幸せそうである。今の彼の脳内を占めているのは、過去の記憶ではなく、リナの事であった。
使い魔として出会った当初の違和感、進化した姿を見た瞬間にも感じた違和感は同一のモノであるように、シオンは感じていた。
ただ、それが何を指し示しているのか、分からないままだ。
2人は目に見える形で惹かれ逢い、見えない部分で深く結びばれ始めていた。その確固とした『絆』が出来上がるのは、そう遠くない未来なのかも知れない。
翌朝、スッキリとした目覚めを、久しぶりに感じたシオンであった。今朝に限っては、枕が濡れる事は無かった。良くも悪くも、リナが進化する前以来の快挙であった。
「(……久しぶりだな。溜まった感を朝に感じるのは)」
下世話な言葉である。もっとも、毎日枕を濡らしていた彼からしたら、無事だったことは嬉しいのだろう。今日の幸せが、明日の不幸にならないといいのだが。
隣で寝ているリナを起こさないように、音を立てずにベッドから這い出た。普段なら二度寝をしようとするのだが、快眠からのスッキリとした目覚めにより、そんな気にはならなかったのだ。
感覚的に、いつもより早く目覚めている事は理解していた。リナが起きる前に、ある程度の作業を行おうと考えながら洗面場に向かう。
顔を洗ってサッパリしたシオンは、昨日は後回しにした作業を行う為、楽な格好でイスに座った。スマホを両手で構え、机の上で落ち着く、もたれ掛かるようなポーズになった。
「本当に……昨日は、大変だったな……」
昨日の光景を思い出しているのか、その瞳の焦点はスマホに合っていない。大量のモンスターと戦ったのが、数時間前であることが信じられないのだろう。
意識をスマホに戻し、アイテムボックスを開いた。中に入っているドロップの量を見るなり、深くて大きな溜め息をついた。100や200くらいであったなら、ここまで疲れた表情はしないだろう。
「…………500ってのはないだろ……」
ようやく紡ぎ出した言葉には、呆れの成分が大変多かった。戦ったモンスターで、大型と言えそうなのはボアだけで、他は小さなコボルトとかだったので数が多かったのは事実だ。
モンスターの軍勢に呑み込まれないように、抵抗し、階段に向けて移動するだけであった。ただ、それだけでも大変な事に変わりはない。
また、遠い目をして昨日を思い返しているが、親指は仕事をしていた。【D鑑定】を立ち上げ、鑑定を開始していた。これ程の数があると、スマホの電力である『マナバッテリー』の減りが気になるのだが、マイルームで使用する以上は不要な心配である。
「(あれだけ戦ったんだ。レベルも上がっているよな?)」
鑑定の待ち時間に、ステータスの確認をしようと考える。流石に500個という数が終わるまでの時間は長かった。
あれほど苦労したのだから、相応の見返りが欲しいようだ。
その対価というのか、レベルの方も『24』まで上がっていたし、リナも『9』まで上がっていた。2人だけのチームだが戦力としてはかなりのモノに仕上がってきていた。
「500匹で4つか……。高い、とは言えないよな」
昨日ステータスを確認した時点が、『LV20』だったので、そう考えるのも無理はないが、実質シオンのレベルに関しては『10』以上は上がっている。そこまで低いワケではない。
単純計算だが、50匹で1レベルの換算になる。
「SPは……12ポイントか」
レベルが1桁の時は1ポイント、10を越えてからは2ポイント、20からは3ポイントとなる。ポイントの増加するタイミングから10刻みだと判断できた。
何にポイントを振ろうかと考えた時、頭に過ってたのは『ケガをしたとき』の事であった。回復薬のストックは始めの頃から続けていて、今では50個くらいをアイテムボックスに保管している状態だ。
──ただ、正直なところ回復薬の効果は微妙である。
擦り傷や小さな切り傷には効果はあるが、骨にヒビが入った場合に使用しても、驚くほど効果が少ない。いや、ないと言ってもいいくらいだ。
「(ゲーム的に考えると、レベルが上がる度に体力の上限が上がるから、回復した後が『30/30』と『40/100』では状態が天と地ほども違うからな……)」
その考え方は、ある意味で正しいだろう。ただ、証明する方法が分からない状態で、証明出来るかの方が怪しい。シオンが見ているステータスはこうなっていた。
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シオン
LV24
筋力:16
体力:12
速さ:12
魔力:0
SP:0➡12
DP:1500
スキル
〈剣術〉LV5
〈体術〉LV5
〈罠解除〉LV3
〈精力増強〉LV5
〈忍耐力〉LV6
〈連携〉LV2
〈精神耐性〉LV2
称号
【蹂躙される者】【現実を知り、絶望する者】
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リナ 恋する鬼
LV9
筋力:18(+6)
体力:22(+6)
速さ:14(+6)
魔力: 0
スキル
〈剣術〉LV4
〈体術〉LV5
〈腕力強化〉LV3
〈体力増加〉LV4
〈精力増強〉LV6
〈盾術〉LV3
〈連携〉LV2
称号
【蹂躙する者】
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リナのステータスを見た時、正直なところ『何処までいっても、リナにはかてなくねぇ?』と小さな声で呟いていた。ステータス値から見ても、振っていない状態のシオンより高かった。
体力値なんかは、倍近くの差が生まれていた。
スキルに関しては、新しく加わっているモノはない。精々がスキルレベルが上がった程度である。しかしながら、リナのスキル〈精力増強〉が『6』に上がっていた点には、絶句するしかなかったシオンである。
『オレ、干からびて死なないよな?』
心の中で怯え、震えるのであった。当の本人はベッドの中で、大変幸せそうに眠っていた。どうにか、自重を教える方法を考えていた。
ステ振りを考える前に、先に行っていた鑑定の結果が出た。内訳は、『下位互換の装備が6割』『素材系が3割』『その他1割』という具合であった。
現行で必要性のない・少ないモノである9割弱を売却した。残っているのは、希少性の高そうな素材と、その他を足した60点くらいである。その中には、念願の防具があった。
「ガントレットやグローブというより、日本鎧の『手甲』と『すね当て』が近い感じか?」
イスに座ったまま、腕と脚に防具を装備した。造りは簡単なタイプだが、手甲の方は手首の動きを邪魔しない造りに成っている。屋根瓦のようになっている。
材質は鉄で、鉄板が張ってあるのは、手の甲から腕の外側の部分で、肘の当たりまで覆う。脚の方も同様で、表部分を覆うだけである。それを2本のベルトで留めるようになっている。
装備した状態で立ち上がり、軽く体を動かし始めたシオン。動いている様子から、装備が動きを阻害している事は無いようである。
しばらく体を動かし、装備した状態に少しでも慣れようと努力しているのだろう。手甲とすね当ては、3組ほどドロップの中に入っていたのだが、ダブった1組は売らずに予備に回していた。
体を動かして満足したのか、装備を外しアイテムボックスに入れたシオンは、ステータスの振り分けを始めた。
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シオン
LV24
筋力:16
体力:14(+2)
速さ:14(+2)
魔力: 8(+8)
SP:12➡0
DP:8000
スキル
〈剣術〉LV5
〈体術〉LV5
〈罠解除〉LV3
〈精力増強〉LV5
〈忍耐力〉LV6
〈連携〉LV2
〈精神耐性〉LV2
〈光魔法〉LV1
称号
【蹂躙される者】【現実を知り、絶望する者】
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ステータスを見れば分かると思うが、今回のSPの大半を【魔力】に振り込んでいる。理由はスキルに加わった〈光魔法〉を修得したからである。内容はこのように書かれていた。
〈光魔法〉……闇を払い、邪を浄化する力を秘めた魔法。攻撃・防御・補助・回復と、使用者の才能次第で様々な効果を発揮する。(個人により、得手、不得手があります)
不安を煽るような説明文には困るが、軽く試したところ、問題なく発動できた。使用した感じから、『補助>回復≧防御>>攻撃』の順で使いやすく感じていた。
『魔法しか効かない敵が出てきたら、フェアリーでも仲間にするか』
魔法の実験をした時、シオンがそう呟いたのは誰も知らない。
新しいフロア対策を簡単であるが終わらせ、部屋に戻るとリナも起きたようで、朝食の準備は終わっていた。タイミングが良すぎる気がするのだが、シオンは気にせずにイスに着いた。
朝食を食べ終わり、片付けを済ませると、今度は探索の準備に取り掛かった。
「取り敢えず、可能なら今日中にマップを完成させよう」
「ぐが。でも、大変じゃないの?」
「だろうな。でも、昨日の出来事からしたら楽だと思うし、より難易度の高いフロアでモンスターが溢れたら、死ぬ可能性が高いと思うんだ」
「ぐが。なるほどなの。気合いを入れて戦うから、今夜は"ご褒美"が欲しいの!」
その言葉を聞いたシオンは、背筋を悪寒レベルを越えた『ゾクッ!!』が襲い、身の危険を感じる過ぎるほど、感じていた。
「ま、まあ……少しは考えておく」
「ぐが。楽しみにしているの!」
どちらにしても被害を受ける以上、少しでも被害を減らす努力をしようと心に決めたわけだが、不可能であったことは言うまでもない。




