2人の日常と、幻想の終わり
ウルフとコボルトのグループを撃破した2人は、出会うモンスターを片っ端から倒していった。今回の探索で出てくるのはゴブリン、ウルフ、コボルトの3種類しかなく、苦戦するほど強いモンスターはいなかった。意外なことに、右側の通路ではボアとは出会わなかった。
ぐる~っと回って1周した時、出発地点である階段に戻ってきた。このフロアは、真ん中と右側が円になりくっついていたようで、結構長距離を歩いた。こちらに階段は無かったので、左側の道のさらに奥であろう。
「う~ん。そろそろ、お昼を食べに帰るか?」
「ぐあ。お腹すいてきたから、ちょうどいいと思うの」
「だな。キリのいいところまでマッピングは済んだし、切り上げ時だな」
2人の会話は、帰ることを前提としたモノであった。お互いのお腹から、小さいが『グ~』っと鳴っていた。スマホで時間の確認は出きるが、基本的に時間縛られない生活を送っている2人には、お腹が空いたらご飯の時間という考えになってきている。
ダンジョン内が『昼夜問わず明るい』事が原因である。
2人横並びで【転移の羽根】を発動させる。光の輪が2人を囲み、転移の準備が進められる。時間がかかるのが難点であるが、歩いて帰る事を考えれば、何倍も楽である。
マイルームに帰ってくると、体の中から疲れがドッと押し寄せてきた。長い時間ダンジョン内を歩き回り探索していたが、それだけでは説明できなかった。
「(これって、〈剣術〉のレベルが高くなった反動かな?)」
探索中や戦闘中に、気にならなかった些細な事であるが、マイルームに帰って来た事が引き金になったらしく、以前より強い疲れに疑問を感じていた。その心の中では、「リナの戦い方は、関係ない! 関係ない!!」と何度も繰り返していた。
身に着けていた防具を外し、アイテムボックスに収納した。今まではそれで終わりだったのだが、今回初めて鉄の剣を使用した事もあり、武器に関しては自分の目でチェックしたあとで片付けたかったのだ。
リナの剣と自分の剣を見比べ、欠けがないかを調べるのだが【指南書】に書かれていたように、破損・欠損の類いは見当たらなかった。剣を鞘に納め、アイテムボックスに入れて、取り出すと剣を抜いた。
「(アイテムボックスに入れたら、刀身に付いていた曇りや、臭いが無くなった!)」
いくら説明されていた事とはいえ、銅の剣のような鈍器と、鉄の剣のような斬る武器では、同じ事象であっても意味が全く変わってしまうのだ。殴る武器なら折れない限り使用に問題はないが、斬る武器は欠けたり、切れ味が鈍る事態が起きる。鈍ってしまうと言うことは、戦闘での勝機が薄れ、死が身近になるのだ。
「(──ここまでくると、1番のチートは『スマホ』という事になるよな……)」
今までは、分かっていても考えないようにしてきた、"スマホの異常性"が無視しきれないレベルになってきた。何度も繰り返し考えていた事実が、頭の中を徐々に支配してきていた。
「(誰が、何の目的で、スマホに機能を加えた?)」
なるべく考えたくない部分だったが、無視するには"異常性"が大きくなり過ぎていた。この不明瞭な部分が何時の日にか明かされるのか、疑問は尽きる事はないが、判断する材料が少なすぎた。
1人でスマホを見て悩んでいる間、リナが何をしていたかといえば、風呂の準備と食事の準備だ。ベッドメイクをしていたことは、シオンの認識からは消え去っている。
以前からも手伝ってくれていたが、進化した今では完全に奪い取られる形で、家事全般を仕切られている。もしかすると、女としてのプライドが芽生えているのかもしれないが、家事自体が好きではないシオンには好都合であった。
切り分けた肉を石皿に乗せ、釜の中に投入する。薪は使われていないのだが、釜の中はジリジリするくらい熱い。2人分の肉を入れたら、風呂の確認をしてからシオンの元に行く。
考え事に集中している背中は無防備で、彼女は背中から抱き付いた。ちなみに、自身の最終兵器をフニフニと押し付けている。
「わっ!!」
「があ。ご主人様、お風呂に入るの……」
驚くシオンの背中には、リナの最終兵器がさらに強く押し付けられ、『フニュゥ!』っと潰れていた。痛さなどない、柔らかさだけの兵器だが、シオンの精神に対する特効性は非常に強い。
柔らかさの中に、トクントクンとリズムよく脈打つ心臓。理性としては暴走しそうな自分を感じているが、リズムよい鼓動に安心感を刺激されている。彼のある部分は、とても元気だが……。
リナの誘いを受け、2人揃って風呂に入りに行く。こんな状況で、普通の入浴で済むハズはない。ジャップンジャップンと水の激しく動く音が聞こえてきたが、詳しくは説明すまい。
2人は気にしていない──というか、忘れているだろうが、釜の中には肉が入ったままである。ここ数日の行動パターンは、こんな感じであった為、肉が焦げない事を不思議がる素振りはない。美味しそうにこんがり焼けている肉を食べ、笑い合っている事が手遅れ感を発揮している。
風呂から出た2人は夕食を取り、一時の安らぎを共有していた。肉が好きなリナの表情は嬉しそうで、パクパク食べていた。マナーを教えるべきか悩んでいる、シオンの顔は見物であった。
食後はリナは食器洗い、シオンは探索で得たアイテムの鑑定を行い、要らない装備を売り2000DPの収入になった。お礼も兼ねて、リナを喜ばせたいと思い、コソコソと作業を続けた。それが後に、悲劇となるのを思い知らされる結果となった。
その晩は感激したリナに、シオンは喰われ続けた。
何時も通り? に濡れた枕で目覚めたシオンは、隣で満足そうに眠るリナの髪に指を通し、「仕方ないヤツだ……」と言わんばかりの表情をしていた。ノロケか?
昨夜、自身に起こっていた事を忘れてはいないだろうか?
ゆっくりとした時間が過ぎていくが、ダラダラとして時間をムダ遣いするのはヤバいと判断したシオンは、ベッドから出ることにした。この時点で、起きてから1時間は経っている。
肉を釜に入れ焼き始めたら、リナを起こす。寝ぼけ眼でアクビをしている姿を見て、二度寝しないか心配になるが顔を洗いに行く。サッパリした顔で戻ってくると、着替え終わったようで、入れ違いで顔を洗いに洗面場に向かうリナを見送る。
リナが戻ってくる前に朝食の準備を整え、机の上には簡単な料理だが並んでいる。
「肉のグレードを上げたけど、どんな感じかな?」
机の上に漂っているのは、肉の焼ける香ばしい匂い。塩・コショウで下味を付けているので、食べた瞬間のリナの姿を想像すると、顔がニヤけそうなのか口元がピクピクしている。摘まみ食いとかはしない。バレたらどうなるか、想像したくないからだ。
「ぐあ~。ご主人様、おはようなの」
「おう。おはよう」
軽く挨拶を交わしたら、イスに座り食事を始める。
「いただきます」
「ぐあ。いただきますなの」
手を合わせ、定番の「いただきます」を行う。進化前のリナにも、形だけはおこなわせていた為、今では「いただきます」「ごちそうさま」は欠かさず行っている。もしかするとこの行為が、日常と非日常を切り替えるスイッチになっているのかも知れない。
向かい合って食事に没頭する2人。食事中の会話は、基本的にない。ただ、今回は違った。
「ふむ。ランクの上がった肉は、美味しいか?」
「ぐあ! 柔らかくて、美味しいの!」
フォークに刺さった肉を掲げ、喜びの雄叫び上げるリナ。その表情はトロけているようだ。
「(以前は、輸入品の赤肉って感じで固かったけど、今回のは輸入品の豚肉って感じかな?)」
以前より柔らかくなり、肉汁の増えた肉を噛み締めながら、シオンは肉を食べていた。しかし、男のシオンより、女のリナの方が食べ方が豪快であった。ガツガツと肉を掻き込んでいる。
正直なところ、逆じゃねぇ!? とツッコミたいところである。
「(うん。パンの方も、ランクを上げて正解だったな)」
パンの方も以前は『乾パン』であり、量はあっても固くてた食べ難かった。今朝のパンは、フランスパンやライ麦パンといったパンに近く、『固さ』といった面ではまだ固いが、まだシオンには馴染みがあっただけマシに思えていた。
しっかりとした歯応えに、噛めば出てくる味。ゆっくりとパンを味わいたいが時間をかけ過ぎると、探索の時間が足りなくなる。特に、今回の目的を考えたら、時間は貴重である。
朝食を食べ終わると、2人同時に『ごちそうさま』をして、片付けを行う。食器を洗い終わったら、探索の準備を行う。装備品に関しては、変更された点はない。昨日のアイテムは、ほとんどがダブりだったのでDPにその姿を変えている。
「よし。リナも準備はいいか?」
「があ。万端なの、ご主人様」
シオンとリナの今の関係は、恋人同士のソレに近い。それでも彼の事を「ご主人様」と呼んでいるのは、主従契約に依るものからだろうか? 答えは、リナしか知らない。
シオンは剣を直ぐに抜けるように準備し、リナは盾を正面に構える。階段周りの安全領域を信用しすぎるのは、イザという時に対応出来なくなる可能性が出てくるからだ。
階段の傍に転移した時、モンスターの気配を真っ先にリナが感知した。元々『野生の勘』というのもが強い傾向にあるリナだが、転移して直ぐに反応した事は今までない。
「ぐが。ご主人様、近くにモンスターがいる気がするの」
「!!」
その言葉に、慌てて周囲を見回したシオンであるが、いくら確認してもその姿はなかった。ダンジョンの探索を始めてから、勘も強くなってきたと思っていただけに、何も感じ取れなかった事に落胆の色は隠せないようだ。
「数と強さは予想できるか!?」
「が~ぁ。邪魔されている感じがあって、わからないの」
「分からないものは、分からないでいい。あまりにも危険だと感じたら、転移の羽根を発動してくれ!
オレはしばらくの間、調べものを行う」
「があ。お任せなの!」
剣を持っている腕を上げ、気合いを入れるリナの反対の手に、転移の羽根を握らせるシオン。触れたリナの手が、汗でシットリしていることに気付くが、その事には触れなかった。
「(──相当、ヤバい感じってところかな?)」
リナのちょっとした変化に、焦りが加速して指の動きの邪魔を始めるが、【指南書】を開き該当箇所を探しだした。似たような見出しが多く、目的の情報を得るまでに予想以上に時間がかかってしまった。
「(……やっと、見つかった)」
調べもので焦っている間はリナ任せだが、周囲の警戒は弛むことはなく、睨み付けるように通路を見つめている。時々、長めの耳がピクピクと動いている。その様子は可愛らしいが、シオンは気付いていない。
「(──これだ!! ダンジョンの異変。何々……ダンジョンは数年から十数年に1度、モンスターが大量発生する【大氾濫】と呼ばれる現象が起きる。これは、ダンジョン内の魔力の沈殿を解きほぐす、もしくは入れ換える為に行われていると考えられている……)」
説明を読んだ感想は「何て迷惑な現象だよ……」と、頭を抱える事になった。今、自分が巻き込まれている状況が、悲劇でしかないからだ。
逃げ場がない状況が、精神を追い詰める手助けをし始めていた。
スマホに表示される文面を、行ったり来たりして何度も読み返すが、先ほどの説明以上の情報はなかった。諦めきれず、探し続けていると、似たような説明があった。
──絶望に招き寄せるフラグとは知らず、確認してしまう。
「(え~っと、【大海嘯】……迷宮内に発生するモンスターの許容量が、限界に達し飽和した時に発生する大厄災。頻度としては、数十年~数百年の周期で発生しやすく、放置された迷宮であるほど発生しやすい。
大氾濫との違いは、対処法が確立している事にある。モンスターを常に駆逐し、迷宮内のモンスター数を減らすことで、発生率そのものを下げられる。元凶は【ダンジョンコア】であるとされ、コアを破壊することで発生自体を無くせると考えられている)」
その表情は「知らなきゃ、よかったよ~」と泣きかけているように見える。実際には、調べたことを後悔していた。
「(──考えたくねぇ~!! でも、現状がどうなのかを知らないと、対策が立てられないし……)」
頭をガシガシと掻きむしり、整えられていた髪はグシャグシャになっていく。スマホに書かれていた内容は、ある意味で死刑宣告のように心を締め付けてきている。
それでも現実は無情である。
「があ! ご主人様、モンスターの気配が強くなってきているの!!」
警告なのか、報告なのか。思考停止に落ちかけていた彼を、リナの言葉が現実に引き戻したが、シオンは混乱の局地であり、そう簡単には立ち直らなかった。
「があ!! ほおけている場合じゃないの!! ここで"逃げ"を選んだら、何の為に"男"なのかわからないの!!!!」
リナの一喝が、ダンジョンの通路に木霊する。この場で、最善を求めているのは、彼女ただ1人だった。生死の境、絶望の崖っぷち、どう足掻いても逃げられない場合、1番生存率が高いのは男ではなく『女』であるのかも知れない。
現状もその通りであった。女としての、それ以上に『恋人』としての絆が出来始めているのを、リナは感じ始めていた。その、まだ見えてきていない『絆』が、その小さな背中を押し、後退の文字を否定してきているのだ!
みんなの知る言葉で『母は強し』というモノがある。これこそがリナの強さの源泉とも言える。命を育み、命を産み、命を育てる……それこそが、太古の時代より引き継がれてきた、『女』としてのあり方でもある。
それと正反対と言えるのが、『男』である。歴史を紐解けば、他者を我欲で殺し、蹂躙し、支配しようとするのは、ほとんどが男である。自身に『守る強さ』が無いが故に、攻撃的になり、破壊に支配されてしまうのだ。
確かに『物』を作るという行為に対しては、男の力、体力は必要不可欠と言える。前提条件に『人力ならば』と付くだろうが。
男と女の是非は置いて、シオンが混乱の原因は、ダンジョンでの出来事を『ゲーム』のように感じ、捉えていた事であった。




