リナ、最凶への兆し?
隠し扉の奥にあった宝箱の中に入っていたのは、『指輪』であった。指輪と言っても高級なモノや、宝石付きの金属製のモノではない。ありふれた、小さな頃の記憶──。
「(何故──こんなモノが、地球じゃない場所にあるんだ!?)」
時折、頭の中を激しいノイズが襲い、脳内を掻き回されたように感じていた。その度に、形容し難い気持ち悪さと吐き気が、シオンの体を蝕んでいた。目の前の品が、与えている悪影響は思った以上に大きい。
「(どう見ても、材質は『プラスチック』だよな??)」
そう。揺れ動く視線の先にある指輪は、プラスチック製のオモチャであった。左耳の後ろにまだ残っている、幼き日の傷痕がズキズキと痛みを発している。何かを思い出せ!! と言っているようであった。
「(何だろう? 忘れている事がある気がする……)」
痛みが支配する傷痕にソッと触れ、少しでも痛みが治まることを願っていた。シオンのしている動作を『手当て』といい、痛みを抑制する効果がわずかながらある。(お腹が痛いときに、お腹を撫でると落ち着くアレである)
シオンの頭には、その傷痕しっかり残っていることから、当時負ったキズの深さが分かる。そして、そのキズが原因で、ケガをした当時の事を忘れてしまっている可能性は高そうである。何か大切な事があったような気がするが……と、引っ掛かっている状態であった。
リナの方も彼と同様に、思い出せない何かに引っ掛かりを覚えていた。それを思い出そうとして、更なる沼地に脚を呑まれている感じである。
このままでは、脱け出せない深みに捕らわれ、殺されてしまうだろう。その時、終末の鐘が鳴るように、小さな音が鳴り響いた。
──パタン
小部屋の中に響いた小さな音は、か細さに反発するようにリナの意識を現実に引き戻す効果が、室内で木霊して響き渡った。小箱を置いているリナの手には、一回りは大きい手が包み込んでいた。
「があ? ご主人様?」
リナがよく知っているその手は、ただひたすらに優しかった。傷付けないように、壊れないようにと、上下から小箱ごと挟み込んでいた。原因の分からない事に焦り、パニックで不安になりかけた心は、シオンの温もりで解きほぐされていった。
「この小箱は、リナが大切に保存するといい。ただ、何かを思い出したら──教えて欲しい」
「がぁ。ご主人様……」
この言葉は、優しさから言っているワケではなく、答えの鍵がリナにしかないと直感したからである。シオンが痛みと戦って勝ったあと、真っ先に確認したのはリナの安否であったのは秘密である。
「(隠し部屋のお宝は、予想以上に厄介な代物かもしれないな)」
心の中で警戒しながらも思い出すのは、先ほどのリナの表情であった。
小箱の蓋を閉めるまで、つぶらだった瞳は何も見ておらず、真っ暗で濁っていた。このまま放っておいたら、自力での帰還は不可能とさえ思い知らされたくらいである。ここがダンジョンではなく、マイルームの中であっても、安心できない状態であった。
それでも帰ったら、小箱を渡そうと思っているシオンは、リナに確認したのち【アイテムボックス】の中に回収した。隠し扉のあった場所まで戻ってくると、リナが開けた扉は無くなり、マップ上にも映らなくなった。1度限り、もしくはお宝を回収したので、役目は終わったと判断されたのかもしれない。
簡単に納得したくはないが、これ以上探索の時間を取られるのは勘弁なので、シオンはリナに声をかけ、探索の再開を告げた。
探索を再開してから十数分が経過した時、本日初となるモンスターをリナが感知した。しばらく歩くと、通路の奥から聞こええてきたのは、犬のように荒い吐息であった。
通路の角から覗き込み確認すると、いたのはコボルト2匹と、ウルフ3匹であった。ウルフは床に鼻を近付け、臭いを嗅いでいるようだ。
「(ウルフの嗅覚は、犬より強いくらいだったな。ここに獲物がいるのは、もう知られていると考えた方がいいだろう)」
その懸念通りに、ウルフは2人の臭いに気付いた。そして、周囲にいる仲間に吠えて教えた。コボルトと残りのウルフは、シオンたちの方を向き駆け出してきた!
地球の犬も走る速度が速いが、このダンジョンで出会う犬系のモンスターは、それよりも速くて対処が難しかったりする。
「リ……「があ! ウルフは私が倒すの!! ご主人様は、コボルトをお願いなの!!」……ああ。注意するんだぞ?」
シオンが指示するよりも先に、リナは自分からウルフの相手をすると申し出てきた。進化するだけでここまで違うのか!! と内心で驚かされたシオンであった。ただ、鬼気迫る何かに、気圧された可能性は高いかもしれない。
先頭で駆け出す勇ましい姿に、少し遅れながらも追い掛けるように続いた。駆け出してくるウルフの奥で、一際大きい個体が混じっていた。普通に考えると、この群れのボスだろうと判断できる。
「奥のウルフが1番大きい。強い可能性が高いから、戦うときは注意しろよ!」
「があ!!」
一言で返事を返し、リナはさらに加速した。先頭にいたウルフとぶつかる瞬間、正面で構えていた盾は左に大きく打ち出された。半円を描くように遠心力の乗った盾の一撃は、大きく『ガゴン!!』と音をたてて振り抜かれた。
目測で5mはありそうな、広い通路の反対の壁にウルフは頭から突っ込み、その意識を刈り取られた。その場所はちょうど灯りがあった場所だったので、壁に付いている赤い筋がシオンの目に付いた。「あれは間違いなく、ウルフの血だ。けど、気にするな!」と己の心に無理矢理言い聞かせた。
通り過ぎる瞬間、偶然にもウルフの顔が視界に入ったのだが、口からはデロリンっと舌を出しているのが衝撃的であった。地球にいた時も見たことある姿だったのだが、何故ここまで動揺したのか不思議で首を捻っていた。そんな中で思い当たった事が1つあった。
『あ~あ。そういえば、リナの戦い方って、進化前からこうだっけ?』
そう思うのは本人の勝手だが、その戦い方を教えたのは誰でもない、彼自身である。その事実を棚に上げ、元々からのモノだと言い張っているシオンには閉口する他ない。教えた事から目を反らすのは、如何なものだろうか。
2人に無視される事になった、壁に打ち付けられたウルフはピクピクしている。無視というより、忘れ去られた可能性の方が高そうではあるが……。そして、そのウルフの仕打ちを見て何か感じ取ったのか、もう1匹のウルフとコボルトの様子がおかしくなっていた。
コボルトに関しては、体がガチガチになり、その動きはロボットダンスのようであった。時々、カチカチと硬質な音が耳に聞こえていた。バッドステータスに陥っても、群れのボスと考えている大きなウルフが吠えると、突撃を再開した。
可哀想な話だが、カクンカクンと効果音を付けると似合いそうなくらい、動きが大きくてぎこちなかった。コボルトの心情を表せているのか、頭の耳がペタンと伏せている。尻尾は当然というか、垂れ下がっている。逃走が可能だったら、逃げ出しいているだろう。
あれでは、駆け寄ってくるとは言いたくないくらい、酷く歪な動きで彼を抑えることは不可能だ。シオンのステータスは、ある程度リナと戦えるように、バランスを重視して振り分けられているからだ。
コボルトとはマイルームを出たすぐのフロアでも、戦っていたので戦闘に関しては問題はなかった。目を瞑っても勝てるとは言わないが、普通に戦っても負ける事はない、それくらい安定した戦闘を展開できるくらいは戦っている。
現在のコボルトの状態から、手傷を負う可能性はかなり低い。その大きな理由は、開幕の祝砲と言わんばかりの、盾による会心の強撃である。あの鋭い一閃。そして、空気を震わせた撃音。『戦え』という指示と、自身に宿る野生の本能が『逃げろ』と激しい警鐘を鳴らせた結果、相反する命令が動きを阻害し、ギクシャクしてしまったのだ。
シオンの抜き放った剣は、コボルトの右の脇っ腹から、左の方に向かって抵抗も感じさせずに通り抜けた。鉄の剣の切れ味だけではなく、ホブゴブリン戦で『第1の壁』を乗り越えたスキル〈剣術〉の力が大きかった。
コボルトは自分が斬られた事も、死んでしまった事も知らないまま、光の粒となり空中に霧散して逝ってしまった。最初に相対したコボルトは幸運だったのかもしれない。何も知らずに死ねるとはそういう事でもある。
次に相対したコボルトは、結構悲惨だったと言える。シオンがイメージ通りに剣術を使えるかを試したからだ。斬り上げた剣をそのままに、半身になってコボルトの脇をすり抜けた。隙だらけの背中を視界に入れた時、肩と腕の付け根に向け剣を振り下ろした。
剣が通り過ぎると共に、コボルトの腕は血を撒き散らしながら宙を舞った。そして、切り口から血が噴き出した瞬間、自分が斬られた事に気付いたようで、目は血走り、口からはヨダレを垂らして叫んだ。
『ワオォォォォォ……』
しかし、その叫びは最後まで続く事はなかった。剣を構えた腕が高速でブレ、瞬きするような速度で剣を振られたからだ。その数は『4回』。スマホに出ている文字には[剣技 【四閃】を修得しました]と出ていた。
【四閃】に関してだが、格下といえるコボルトにとっては、『死閃』と言った方がピッタリかもしれない。確実な『死』が訪れたワケだから……。
光の粒になり、消え去る瞬間のコボルトの表情は苦痛に歪んでいて、直視したら悪夢でうなされる可能性は高い。それを見るないようにして、ボスウルフの方を向いて驚くことになった。
リナは突貫してきた子分ウルフAを盾で殴り付け、壁まで吹き飛ばした時点で、両者の間には上下関係が刻み込まれていた。則ち、『子分ウルフA=子分ウルフB<ボスウルフ≦リナ』と刻まれていたワケだ。
この現象は、犬の縦社会に依るものであり、今回の出来事は別段特別ではない。
ボスウルフとリナが『≦』なのは、子分ウルフBが最低でも同じくらいは強い! と感じ取ったが故であったが、シオンから見れば「それは間違いだ! 『≦』ではなく、『<<』である!!」と言い切るであろう。理由は簡単で、遺憾だがステータス値に関しては、リナの方が圧倒的に上であり勝てないからだ。
子分ウルフBは床に伏せ、素直に戦うことを止め、抵抗を諦しないと行動で示した。その身代わり具合は中々のモノであるが、戦闘のスイッチが入った彼女の前では悪手でしかなかった。突進したまま、床に伏せているウルフの首元を踏み抜き、『ゴリン!』と音を響かせて消え去ってしまった。
子分ウルフBはA以上に、幸運の持ち主立ったのかもしれない。その生は痛みも、苦しみも、何も感じる間もなく死んだのだから。次いで幸運なのは、何気に子分ウルフAである。こいつは意識を失っている間に、シオンの剣で首を跳ねられたからだ。
では、1番不幸なのが誰か? と言うと、最後まで残されたボスウルフである。登場シーンでは雄々しく、雄大に見えたその姿は、現時点で完膚なきまでに無くなっていた。耳は垂れ、尻尾は後ろ足の股の間に入り込んでいる。この姿は『降参モード』でよかっただろうか?
ボスウルフの心境を言葉で表すと、『ケンカを売る相手を、間違えたかもしんない……』である。自分が最強だと思ったが故の、過ちでもあった。そんな後悔はお構い無しのリナの攻撃は、苛烈その一言しかなかった。
最初の一振りでウルフの片耳を斬り飛ばし、胴体に蹴りを喰らわせた。つま先がメリ込むと同時に『ドス!』っと重たい音が、通路に響いた。この時点で、ボスウルフはフラフラの瀕死状態だったのだが、『関係ない!』と言わんばかりに攻撃を続けた。
もう片方の耳を斬り飛ばされ、フサフサな尻尾をブツ切りにされる。これは完全に、血濡れのホラーであり、幽霊さんもビックリであろう。そして運悪く、その光景を見てしまったシオンは、小さな声で呟いていた。若干、引いている印象を受けとるのは、仕方がないかもしれない。
「あ~。原因は、アレかアレ!?」
叫びながら、頭を掻きむしりる。髪がボサボサになるが、気にしていないようだ。ピョンピョンと髪が跳び跳ねている。上だけではなく、下の……脚の方も見て欲しい。両足がガクガクと小刻みに動いている、その様子は小鹿を彷彿させるが、彼の罪を考えると格好悪い。
「~~っ! やっぱり、そうだよな……」
その顔は青くなり、額からは次々と汗が流れ出ていた。目の焦点もズレ始めていた。重そうに開かれた口から、1つの単語が漏れ出た。
「部位破壊」
狩猟系ゲームをしたことがある人なら、ピンっと来るかもしれない。そういった狩りゲーは、狩るモンスターの部位──頭、四肢、尻尾、翼など、各部位を破壊する(ゲームによっては、切り落とす)事によって、決められたアイテムがドロップする確率が上がる。
例として上げるなら、『翼』なら『被膜』(骨と骨の間に張ってある、薄い皮の様なもの)がドロップする可能性が高くなると言った感じだ。ちなみに、このダンジョンの法則には、当てはまらない。
それでも『部位破壊』を知っているのは、シオンが「こんな戦い方があるんだぜ」と興奮して話したからである。それがなければ、ボスウルフは苦しまず、楽に逝けたかもしれない。シオン自身、「怒れねぇ~」と頭を抱えているが、あんたが元凶である!!
リナは淡々と戦い続けている。原因の男はただ震えるのみという、カオスな空間が通路を支配していた。戦闘後、リナの口から出た言葉は、大いなる恐怖政治の始まりとも言えた。
「ぐ~あ! 部位破壊って、すっごいの! バヒュン、ビヒュンって飛んでくの!!」
どうやらリナは、悪い意味で部位破壊に魅いられてしまったようだ。幼さを表に出した表情で喜ぶモノだから余計、異様に感じられてしまう。その元凶は床に両手を着いて、落ち込んでいた。自分の言葉を、ここまで真に受けると思っていなかったからだ。
どうにか、不必要に斬り飛ばさないように、教え込む事に成功したが喜べなかった。もっとも、この男が余計な事を教えなければ、今回の問題は発生しなかったのだ。もう少し反省し、自重しろと言いたい。
何が原因で、リナの行動が変わったのかは分からない。可能性としては、『指輪』か『進化』の確率が高いと考えられる。他に考えられるのは、シオンと結ばれた事くらいであろうか。




