第三話
ヴォルフの糾弾(?)は大きな声だったので、宿の主人が慌ててとんできた。
主人はがっつりとディオラム氏の腕を掴むと、非常に恐縮した様子でこちらに頭を下げた。
そしてディオラム氏に向き直り、「何を言った」と凄みのある声で言う。
ヴォルフに怒りをぶつけられ、更に体格のいい主人に凄まれて、ディオラム氏はしおしおとうなだれた。
私はというと、ヴォルフの先ほどの台詞について処置に困っていた。
ツッコミを入れるべき? でもなんて?
うん、とりあえず保留で。
さてそこから私たちの眼前で始まったのは、宿の主人による怒涛のお説教。あらご主人こんなにしゃべる人だったのというくらい、迫力の弁舌である。
「だいたいお前世話になった相手も顧みずに町を出ていったと思ったら――」から始まる長い話に、私たちはつい聞き入ってしまった。
なんでもこのディオラム氏、元はこの町で母一人子一人、慎ましい暮らしの中で育ったそうだ。彼が成人を迎えたあたりで、もともと体の弱かったお母様が他界。ディオラム氏はその後忽然と町から姿を消してしまったそうな。
若かりし彼は、町での暮らしをどうにも窮屈に感じていたらしい。身一つでアリウムの街に行き、そこでなんとか生計を立て、今では一つの商会の頭となれば大したものだ。
けれど、なかなかそう上手くいくことばかりではない。
ディオラム氏の商会は従業員三人の小さなもの。このほど身の丈に合わないハイリスクハイリターンな取引に手を出して、借金を背負ってしまった。それを返済するあてのないディオラム氏が思い出したのは飛び出した故郷の人々。
なんとか伝手を頼ってできるだけ安価に仕入れをし、それを売ってお金を作りたいと考えた。まぁ、客観的に見ても『それはちょっと難しいんじゃない?』と思わずにいられない目論見である。
もちろんこの町には、ディオラム氏を信じて商品を託す者はいなかったそうだ。
「この町の人間を騙して安く仕入れようなんて思ったわけじゃない! ただ、追加の代金を支払うのを少し待ってほしいってだけだ! もう、俺には後がないんだよ……。店のもんに払う賃金まで残らず空っぽだ。もう、どんだけ恥ずかしくてもこの町に戻って旧知の人間を頼るしかなかった」
「馬鹿野郎!」
ディオラム氏が椅子から転げ落ちた。
荒っぽくもディオラム氏を殴り飛ばした主人は、倒れたディオラム氏の首を両手で支えるように持ち上げる。首を絞めているのではなく、目を合わせるために持ち上げているのである。ちなみに現代日本ではこれをネックハンギングツリーと呼ぶ。
「お前はこの町にいた時から、二言目には町を出たい、裕福な暮らしをしたいとうるさいやつだったがな。商売ってのは信頼で成り立つもんなんだと、偉そうに言っていただろうが」
主人の言葉にディオラム氏は目を見開いた。
「胸を張ってこの町に戻ってきて、町のもんから『あんたの店でこれを売ってくれ』と言わせてやる、とも言っていた。でも、お前はそうはなれなかったんだ」
ディオラム氏は苦しい息の中、主人を睨みつけた。
けれどそれは、主人のまっすぐで強い眼差しに勝てない。
「……だったら、何度でも頭下げて頼むしかなかろう! 一度断られたからそれが何だ! 町のもんが今のお前を少しでも信じてやろうと思うまで、ほんの少しでも信頼を得られるまで頭を下げるしかなかろう!」
鼓膜にビリビリ来るような主人の一喝。
しびれる……。
いろんな意味で……。
「……お前がこんなことを言ってきたがどうすればいいのかと、わしに聞きに来るもんも一人や二人じゃなかった。町のもんはなにも、はなからお前を見捨てようと決めとるわけじゃない。……俺も、一緒に頭を下げてやる」
これは、ディオラム氏の心にもおおいに響いたようだった。その目に涙がたまっているのが見えた。
今更だけれど、ディオラム氏が宿の主人の行動から私たちの素性を察したことに納得がいった。この二人はたぶん一回りほど年が違うと思うのだけど、氏が強面無表情な店主の考えをある程度読めてしまうくらいには、親しかったのだろう。
兄貴分、とか。ディオラム氏には御父君がいなかったようなので、もしかしたら父親代わりだったのかも。
私はそんな二人の様子を眺めながら、そっと感動の涙を拭った。
熱い展開だった。
あとそろそろ、主人はディオラム氏の首を開放してあげていいと思う。
「じゃあ、これは少しでもその借金返済に当ててね」
やっと開放されたディオラム氏に、私は山吹色のお菓子もとい金貨を戻した。
「貴族に賄賂を贈ればうまくいくなんて思ってはいけないと思うわ。それとも、もしかしてそういうのが、商人の間では当たり前だったりするのかしら……? 賄賂とか。あと、その、接待とか……?」
「え……? ああ、いえ、そういうわけじゃありません。リーリア公爵は不正には厳しい人ですから。アリウムなんかは特に、大きい街のわりにお上の目が厳しいところで。私は、もう後が無いと必死で……。今のお代官は、まだその仕事に着いたばかりのお人なので、もしかしたら……と」
「そうなのね。でも、前任よりも更に不正に厳しい人だと思うから気をつけて」
「そうですか……。分かりました。とんだ失礼を、いたしました」
憑き物が落ちたような顔をしているディオラム氏を前に、私はホッと胸をなでおろした。
良かった。
本当に良かった。
氏の抱えた問題が解決したわけではないけれど、宿の主人が力になってくれるというならずいぶんと心強い。主人はデルフィとも知り合いなわけで、そう悪いことにはならないだろう。
加えて――この小旅行が『リーリア公爵領の暗黒面垣間見事件』にならなくて良かった。
今この場には、ご老公様はいらないようだ。そう思う。
かわりに間違った道を行こうとする人間を本気で殴り、その厚生に尽力してくれる宿屋の主人がいる。
素敵な町ではないか。
一件落着。
めでたしめでたしだ。
私は、悪代官役を強要されて右往左往していただけだったけど。
それは言わない約束だ。




