童話パロ『シンデレラ』後編
ドン、と机を拳で叩く音が、立派な執務室の中に響きました。
部屋の中で一人、焦燥といら立ちに顔を歪めるのは、隣国の王子シェイドです。
シェイドは社交的な性格と華やかな容姿で名高い王子でしたが、今はその顔にも疲労の色が濃く、ままならない鬱屈を抱えていることが見て取れます。それもそのはず。彼は今、二年前にかどわかしにあい、行方不明になってしまった姉を探して自国を離れているのでした。
シェイドとその父カフィルは、二年間国中を探しました。隅から隅まで、出来る限り自身の足で出向いて消えた姫を探し訪ねたのです。
しかし、成果はあげられませんでした。
シェイドは心配のあまり疲弊しきった心と、同時に姉姫の死の証もまた見つからないのだという希望を抱えて、隣国を訪ねました。国を離れることのかなわない父王に代わり、隣国まで出向いて捜索の手を広げることにしたのです。
というのも、この国の王太子であるヴォルフガングは、姉姫と縁の深い相手でした。姉姫リコリスは、拐かしにあいさえしなければ、すでにヴォルフガングの婚約者として顔合わせを済ませているはずなのです。二つの国の国交は長く深く、行き来がしやすいという事情もあります。シェイドは自国の中に見つからなかった姉が、もしかするとこの国で見つかるかもしれないというささやかな望みに賭けたのでした。
一月ほど前に行われた、『王太子の伴侶を決める』という名目の舞踏会。これはシェイドのためにこの国の王が催してくれた、リコリスを探すための場でもありました。王命によって国中から集められた、リコリスと同年代の娘たち。けれど、その中にも懐かしい姉の姿はありませんでした。
シェイドに残された手段は、地道な情報収集と捜索のみ。それも、なかなか上手くは行きません。今日彼のもとに届けられた情報もまた、『該当地域にリコリス姫らしき女性の情報なし』というものでした。
『やはりもう』という言葉と、『それでもまだ』という言葉がシェイドの胸中でせめぎあいます。
そんな時でした。
執務室にノックの音が響き、背の高い青年が姿を現しました。
黒髪に紫の瞳。この国の王太子である、ヴォルフガングです。
ヴォルフガングは、意気消沈したシェイドにある一つの情報をもたらすためにここにやって来ました。
「シェイド。一月前の舞踏会に、出席しなかった者のリストは受け取ったか」
「……ああ。舞踏会の後すぐに」
「そのリストに漏れがあることがわかった」
自分の言葉を受けてシェイドの赤みの強い瞳にささやかな希望の光が灯るのを、ヴォルフガングは半ば痛々しく思いました。
一人きりの家族である父が行方不明になったら。ヴォルフガングもまた、シェイドのようにいつまでも捜索を続けるでしょう。それが、第三者から見てどれほど望みの薄い可能性でも、手繰ろうと足掻くのでしょう。
「郊外の館に住むリリィという女性だ。舞踏会の欠席について家族からの申し出がなかったためにリストから漏れていた。金髪に、緑の目だそうだが……」
「外見の特徴は変えられる。とにかく会ってみるさ」
きっぱりとしたシェイドの返答。裏腹に色濃い疲労。それを目にしてしまったせいでしょうか、ヴォルフガングの口からは「私も同行しよう」という言葉が飛び出しました。
二人は護衛も付けずに城を出ると、程なくして目的の館にたどり着きました。
なかなか大きな、けれど荒れた館でした。館を囲う柵など、へたに触れればポキリと折れてしまいそうです。
ちょうどその時、館から出てくる人影がありました。
二人の王子には知るよしもありませんが、リリィのためにリコリスの元を訪れた、あの侍女でした。片手に籠をさげて、辺りを気にしながら柵に近づいてきます。
「失礼!」とつとめて明るい声でシェイドが声をかけると、侍女はひどく驚いた様子でこちらに怪訝そうな視線を向けてきました。その様子から類推するに、あまり客の訪れない館であるのかもしれません。
「少し聞きたいことがあるのだが、良いだろうか。あなたはこの館の家人かな?」
シェイドはにっこりと人好きのする笑みを浮かべます。心中がどうであれ、表向きは実に明朗な態度でした。
「え、ええ。まぁ、そうですけど……」
警戒を解いたわけではないにしても、侍女はシェイドと会話をする気になったようでした。
「実は人を探していて……金髪に、緑の目をした、ちょうど私と同じ年くらいの女性なんだが……」
「…………どのようなご用事で?」
「実は、その……」
シェイドは困ったように首を傾げ、はにかみ笑いを浮かべて言います。
「……一目惚れの、相手なんだ。この近くでその姿を見かけて、以来彼女のことが頭から離れない。人伝えに、こちらにそれらしき女性がいると聞いて……。もちろん、無理を強いるつもりはない。でも、ひと目だけでも。せめて、一言言葉を交わすだけでも……」
ヴォルフガングは呆れるのを通り越して、感心してしまいました。よくまあここまで情感たっぷりに嘘八百を並べ立てられるものです。
さて侍女の方はというと、シェイドの『恋に落ちた奥手な青年』という演技を信じ込んだ様子でした。身なりを見れば、二人の青年がそれなりに良い暮らしをしている人間であることは分かります。
「まあ……。リリィお嬢様はそれは可愛らしい方だから、そういうこともあるでしょうね」
「リリィというのが、彼女の名前か……。会わせてもらえるだろうか?」
「でも、ご本人に聞いてみないことには……今は、館にはいらっしゃらないんですよ」
「いつまででもお待ちする」
「え? ああ、そうですか。でも……」
子細ありげな面持ちで何やら考え事をしていた侍女は、やがてシェイドにこう提案しました。
「今日は都合が悪いんですよ。明日、またこの時間にいらしてくださいな。それまでにお嬢様本人に、お会いになるかならないか決めていただきます」
シェイドはすぐに「分かった」とにっこり笑い、自分はこういう素性のものだからと(もちろん偽りの身分を)伝えて引き下がりました。
もちろん、そう見せただけでしたが。
さて、二人の青年に後をつけられているとは知らず、侍女が向かったのは魔法使いの家へと続く道でした。
リリィが『善き魔法使い』のもとで暮らすと決めた時、リリィの継母は反対しませんでした。
家のことをしてくれる人間が一人減ることと、家を継ぐ権利を持った娘がいなくなること。その二つを秤にかけて、厄介払いをする良い機会だという答えを出したようでした。
侍女は仕事の合間を見て、木の実や果物を探しに行くという名目で森に入るようになりました。籠にこっそりと、おみやげのパンを忍ばせて。
この一月の間何度も行き来した道は、侍女にとってはもはや慣れたもの。リコリスからもらった匂い袋を持っていれば、森のなかで獣に襲われるようなこともないのです。
侍女の足取りは弾んでいました。先ほど会った二人の青年についてリリィ達に報告するのが楽しみでなりません。彼女もまた、美しい青年や恋のお話を愛する一人の女性なのです。
森の道も半ばというところで、侍女は二人分の人影がこちらに歩いてくるのを見つけました。『魔法使いの正装』だとリコリスが言う、フード付きの長いマントを着た二人組。
実のところ、その色気も素っ気もない格好が侍女にはずいぶんと不満でした。侍女の大切なお嬢様、リリィだけでなく、リコリスだって若く綺麗な女性です。もう少し華やかな格好をしてもバチは当たらないと侍女は思うのです。
「お二人とも!」と侍女が声をかけると、二人がこちらに気づいて手を振りました。
「いまからお宅に伺おうと思っていたんですよ。これからどちらに?」
まだ少し距離のある二人に向けて、侍女は大きめの声で話しかけました。
「お仕事の依頼があったの。私も弟子として同行するのよ!」
リリィが少しはしゃいだ様子で答え、リコリスもにこにこと微笑みます。
「色々な依頼に挑戦したいと思っているの。心強い弟子ができたことだしね」
その声を聞いて、じっとしていられなくなったのはシェイド王子です。
「姉上!」
シェイドは木陰から飛び出すと、一直線にリコリスの元に走り寄ろうとしました。その胸中に溢れる喜びはいかばかりか。
しかしこのシェイドの行動に対し、誰よりも素晴らしい反応を見せたのが――もしかしたら年の功、というものなのかもしれませんが――年配の侍女でした。
リコリス達に向けて走りだそうとしたシェイドに足を引っ掛け、たまらず倒れた彼の上にどんと乗っかると言いました。
「呆れた! 後をつけてきたんだわ! 好青年だと思ったのに!」
憤慨した様子で言うと、リコリス達に向き直って警告します。
「逃げてくださいなお嬢さんたち! この不埒者は私が何とかしますから!」
侍女の頼もしい様子に背を押されて、二人は踵を返します。
しかし王子たちも、ここで二人を逃すわけにはいきませんでした。ヴォルフガングが二人の背を追って走りだします。
状況はよく分からないながらも、リコリスとリリィには地の利がありました。撹乱のために、二人は別の方向に逃げることにします。
さて、実はここに一つの問題がありました。
問題を抱えていたのはヴォルフガング王子です。
彼は、自分の婚約者になるはずだった相手の姿形、声を知らないのです。
初顔合わせの前に姫がさらわれてしまったということもあります。加えて、リコリスの父親であるカフィル国王が娘の姿絵を出し惜しんだために、ヴォルフガングは絵姿ですら彼女を見たことがないのでした。
さすがに髪の色や眼の色が黒いことくらいは知っています。でも、若い女性は二人共フードを目深に被っていました。木々が光を遮る森の中で、二人の眼の色を判別することは不可能です。
とはいえヴォルフガングは、二手に分かれて逃げようとする彼女たちのどちらを追うか悩んで足を止めるような愚は犯しませんでした。
つまり、本能に従って気になる方を、全力で追いかけたのです。
追いかけられるリコリスの方は、正直たまったものではありません。
長身黒衣の見も知らぬ青年が、脇目もふらずにこちらを追いかけてくるのです。
正しく恐怖体験。心臓が止まりそうでした。悲鳴をあげる余裕もありません。
やがてコンパスにも運動能力にも差のある二人が走る間隔はどんどん狭まっていき、ついにヴォルフガングは逃げるリコリスの腕を捕まえました。
それとほとんど時を同じくして、森に大きな悲鳴が響き渡ります。
「リコリスに触らないで!!」
悲鳴の主はリリィでした。
少しひんやりとした森の空気を一瞬で押しのける、強い強い風が吹き荒れます。才能はバッチリ。しかし習い始めてたった一ヶ月とあって、コントロールには不安の残るリリィの魔法です。
強い風に煽られて、ヴォルフガングとリコリスはバランスを崩しました。正確には、より大きくバランスを崩したのがリコリスでした。
二人の横にはささやかながら段差あったものだからさあ大変。とっさに目をつぶったリコリスは、ヴォルフガングが自分をかばうように抱き込んだということも認識できないままに、段差を転げ落ちました。
もつれて転がった二人は、木漏れ日の差し込む草のじゅうたんの上で止まりました。
そうして転がる間にフードが外れてしまったリコリスとヴォルフガングは、初めて至近距離で互いの顔を見ることになったのです。
軽く上半身を起こした状態で動きを止めたヴォルフガングの右手は、リコリスの首を庇うためその後ろに伸びています。おかげで、ガチな至近距離でした。まさしく呼吸が触れ合うほどの距離です。出会ったばかりの年頃の男女としては明らかに不適切な距離感なのですが、なぜか互いに離れようとしません。
というのも、リコリスはヴォルフガングの青紫の瞳を覗きこんだことによって、思考を奪い去るほどの強烈な既視感に襲われていたのでした。
『吸い込まれそうな、紫色の瞳』
そんなフレーズを、確かにいつだか口にしたことがあると、リコリスは思いました。
先程はヴォルフガングのことを『見も知らぬ青年』と思ったリコリスですが、実は過去にその肖像画を何度となく見たことがあるのです。
この国の王は息子の肖像画を出し惜しんだりはしませんでしたから、たびたび息子ヴォルフガングの肖像を描かせてはリコリスへと送っていたのでした。
リコリスは絵に描かれた少年が、だんだんと大人びていくのをその目にしながら、胸に生まれた小さな恋心を育てていたのでした。
そんな折のことです。先代の『善き魔法使い』が、リコリスを見つけたのは。
先代もまた、運命に従い弟子とするべき相手が目の前の少女――リコリスであることを見抜きました。そうして、老い先短い身に宿る魔法使いの知恵をリコリスに受け継がせんがために、彼女を連れて帰りました。
リコリスの家族には、無断で。
つまるところ誘拐でした。
『悪しき魔法使い』と人に言われても仕方のない所業です。宿命的なものが時に人様に多大なる迷惑をかける、その好例と言えるでしょう。
魔法使いはリコリスに、過去を忘れる魔法をかけました。もちろん魔法使いとて人の子。過去を消し去る魔法ではありません。何かしらのきっかけがあるまで、強いて過去を思い出すことがないようにという魔法です。
それから二年弱の短い間にも、記憶力だけはやたらといいリコリスに多くの知恵を授けた先代の魔法使いは、つい三月ほど前に天寿を全うしたのでした。
さて、リコリスがヴォルフガングの目を見つめながらもの思いにふけっている間、もちろんヴォルフガングもまたリコリスの目を見つめ続けていました。
黒い髪に黒い瞳の彼女が隣国の姫であることは、もはや間違いないと思われました。出会うまでは、いまいちピンとこなかった自分の婚約者。その彼女を目の前にして、ヴォルフガングは戸惑っていました。
視線が、外せないのです。
自分の腕の中に大人しく収まっている彼女に対して、言い知れぬ感情が湧きおこってくるのです。それはヴォルフガングにとって未知のものでした。
強いて言葉にするならば、「もう絶対何があってもこの手を離したくない」とかそんな感じです。
そしてまたヴォルフガングは、実行力にあふれた人間でもありました。
「おいヴォルフガングふざけんな離れろ! お前みたいなでかい瘤をリコリスにくっつけて帰ったら、父上が今度こそぶっ倒れるだろうが! てめえ今の今まで婚約者に対してお義理程度の関心しかありませんって面だったくせにこのムッツリ!」
言葉が荒れに荒れている隣国の王子。
「ごめんなさいリコリスごめんなさい! 許してください! 嫌いにならないで!」
自分の魔法にリコリスを巻き込んでしまったことで、なかば恐慌状態の魔法使いの弟子。
この場が収まるのはずいぶんと先のことになりそうですが、物語はこのあたりで締めくくっておくことにいたします。
めでたしめでたし。
アルトはたぶん、リリィの家ですくすく育ったかぼちゃ役です。
黄色だけに。
もし話に登場していたら、すごくうるさい馬車だったはず。




