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ヤンデレ系乙女ゲーの世界に転生してしまったようです  作者: 花木もみじ
番外編『舞台幽霊のカプリチオ』
58/69

最終話

 

 私はもちろん、ミリアの舞台を観にいくために学園に休暇を申請した。人生初のサボりである。

 もとより第六学年になると生徒にはかなり自由が認められるのだが、父にもすぐにOKをもらってこれほどスムーズに休みが取れるのは、私の日頃の真面目さのおかげだと自画自賛しておく。

 問題は一つ。ヴォルフにサボりのことを話したら、止めるのではなく同行したいと言われたことである。


 たしかに、ミリアからもらった券は二人分だ。婚約者と一緒に、とも言われている。しかし私はこれをヴォルフに伝えるつもりはなかったのだ。

 なんでかというと、私、たぶん泣くから。そもそも私は普段から、ミリアの舞台を観て泣かなかったという経験がない。

 泣きはらした顔を婚約者兼恋人に見られたいか? いな、断じて否。

 過去にはヴォルフの前でわんわん泣いたこともあるのだが、私だってお年ごろなのだ。目の周りが問答無用で腫れあがった顔は、とてもじゃないがヴォルフにだけはお見せできません。 

 私は「心配しなくても大丈夫よ~」という感じで切り抜けようとしたのだが、今回のヴォルフは頑固だった。引き下がらないのである。

 正確には頑固というか、可愛かった。


「……君に甘えてもいいと、言っただろう?」


 ちょっとふてくされたような顔をして、これである。あざとい。さすがヴォルフあざとい。こういうところ、すごくお父上ラナンクラ公の血を感じる。

 ……うん。もちろん、『私に甘えてもいいのよ』なんて恥ずかしいことを言ったのは覚えています。それってあの時のことよね? 例のファーストキスチャンスだった時の。

 なるほど。ヴォルフにとって『甘える』とはこういうことなのか。

 どちらかというとエスコートしてもらう私のほうが甘えることになると思うのだけど。つまり『甘えてほしい』と言うことがヴォルフにとってのわがまま? なにそれ可愛い。ときめく。きゅんきゅんする。


「う、うん。じゃあ、エスコートをお願いします。ヴォルフにも、授業をお休みさせてしまうことになるけど……」


 私にはそう答える道しか残されていなかった。ヴォルフが嬉しそうに笑うので、こちらもつられて嬉しくなってしまう。

 泣きはらした顔は、手巾ハンカチガードの守備力を信じて徹底的に覆い隠す! そういう作戦でいこう。




 その日のミリアの舞台は、大入りの満員だった。

 舞台最終日ということもあるが、今公演されているこの舞台、とても評判がいいらしい。周囲の人の話を聞いていると、同じ舞台を観にくるのが二回目だとか三回目だとかいう言葉が拾えた。


 私とヴォルフは申し訳ないくらいのいい席について、真正面からその舞台を観ることになった。


 実際、舞台は素晴らしかった。

 特に、作中に何度か出てくるミリア演ずるヒロインの歌うアリアが素晴らしい。いい歌というのは時々歌詞ごと耳に残ってしまうものだが、この曲もそのたぐいである。


『どうか私の声を聞いて。あなたへの愛を歌う、それが私の幸せです』


 彼女の演技は相変わらず、いや、前にもまして素晴らしく、切ない表情が胸を締め付ける。

 今回の筋も、一途な愛を捧げる少女の話だった。私がミリアの過去について聞いたためかもしれないが、今回の役は特に、彼女自身に重なる部分が多いように思う。

 家族に恵まれず、だからこそ家族への強い憧憬を抱く少女。好きになった男性には献身的に尽くし、それが報われるかどうかには頓着しない。少女はただ、自分の心が真実であることを必死に、健気に伝えようと声を張る。


 そして最後の感動的なアリアの後。

 拍手がだんだんと小さくなり、ふと途切れた。

 

 彼女が顔を上げて、胸を押さえるようにそっと両手を重ねたからである。

 ミリアのファンなら当たり前に分かる。それは、彼女が独唱を歌い出す前によくする仕草だった。しかし、楽器演奏はすでに終わっている。

 静寂の中。

 始まったのは、伴奏なし、踊りなし、ただ、彼女の声だけによる独唱だった。それがまっすぐに、観客の耳に届く。


『どうか私の、歌を聞いて。私は歌う人形です。

 あなたが教えた旋律をなぞる。それだけで幸せ。それが幸せ。

 暖かな春も冷たい冬も、あなたのつくる歌が、私の背中のネジを巻く。

 私は歌う人形です』


 作中のアリア。その歌詞を変えて、ミリアは歌っている。

 作中でヒロインは、私は歌う小鳥です、と歌い上げるのだ。

 少しずつ言葉が違うそれが、ミリア自身の心を込めた曲だと私には分かった。


(そうよ、ミリア)


 私は強く両手を握りしめる。

 愛に決まった形はない。でもそれを信じてもらうための定まった手段がある。心をこめて伝えること。

心を表にさらけ出すのは恐ろしく、否定されたらと思えば身がすくむ。それでも外に出して訴えること。 その手段が彼女にとっては演技であり、歌なのだ。


 彼女の美しいアリアは続く。


『愛を海にたとえましょう。寄せては返す波のように、私の心は幾度もあなたに寄り添うから。

 愛の歌で花が咲く。土も葉もない舞台の上に。

 愛で舞台を整えましょう。情熱も、悲しみも、悲劇も、喜劇も、それは誰かが生きた証。


 そこに私の、心があるの。


 どうか私の、声を聞いて。私は涙する人形です。あなたへの愛を歌う。それだけで幸せ。それが幸せ。

 恋に憧れた私を、愛に導いた貴方の歌を。


 私の心を知ってください。

 どうか私の、歌を聞いて。


 あなたの心を、私に教えて。

 あなたの心を、私にください』


 最後に向けて段々と声が伸びやかになって、美しいロングトーンで終わった彼女の歌。

 作中ではひたすらに愛を伝えるその歌が、今は相手の心を求める形で終わっていた。


 気付けば大きな拍手とともに、歓声と口笛とが鳴り響いていた。いつもとは違う、ただの感動ではない興奮、高揚。私ももちろん、夢中で拍手をした。

 舞台の上の彼女は、あまりに大きな声援に戸惑っている。でも私には、観客の気持ちが痛いほど分かった。


 今日の歓声は、祝福の声だった。


 観客たちは皆が信じたのだ。「ああ、はじめて彼女が演ずる、幸せな結末を迎える舞台を見たのだ」と。

 与えるばかりだったヒロインが、愛する人の心を欲すること。それが幸せな結末への欠くべからざる要素だと思ったのだ。

 観客は疑う余地のないハッピーエンドを信じた。彼女の声には、それだけの力があったから。愛に溢れて、だからこそ人の心を動かす。


 ミリアは呆然とした様子で、自分の目の前で幕が下りていくのを呆然と見ていた。

 もちろん拍手は、いっこうにやまない。


 いまここで万雷の拍手をする観客の誰が、ミリアは愛情を持たない、冷たい心の持ち主だなどと言われて信じるだろう。

 私だってもう、絶対に、信じない。

 そう、彼女自身が何と言おうとも。




 私がヴォルフを引き連れて楽屋に走りこんだ時、そこはまさしく修羅場の様相を呈していた。

 なぜかというと、劇場支配人がご立腹だったのだ。


「私がこれまでお前を強く印象付けるのにどれだけの努力をし、金をつぎ込んだと思っている! 報われないのが売りだったんだ! それが、こんな勝手な真似を……。人形の分際で人に逆らおうなどと二度と考えられないようにしてやる! 人形はお前だけではない! 好事家に高く売ってやってもいいんだぞ!」


 言語道断なこの物言いに、私は支配人に背後から急襲をかけることを決めた。腕に抱えていた二つの大切な花束で咄嗟にぶん殴ってしまわないよう、それはヴォルフに押し付ける。

 しかし私の攻撃が炸裂する前に、ミリアを庇う腕があった。


「馬鹿なことを言うな! 彼女も含めて、自動人形はすべてマリ・ガラントのものだ!」


 えっ!?

 一時、支配人への怒りさえ忘れて呆然と彼の顔を見つめてしまった。ミリアを庇うように立って、すごい剣幕で劇場支配人に食って掛かっているのは、例の女々しい……じゃなかった劇作家のエリウス氏である。

 今は女々しいなんて形容詞を吹っ飛ばす勢いでかっこいい! この人、眉間の皺がないと本当に男前だ。

「私には、故人ニバル・ガラントの遺志を遂行する義務がある。そのような考え方であなたがこの一座を率いているなら、あなたを相手取り裁判を起こして、すべての自動人形を取り上げることも視野に入れなければならない」

 エリウスさんの主張は根拠のあるものなのだろう。劇場支配人はとたんに勢いをなくしてもごもごとなにやら不服を表明すると、足音荒く楽屋を出ていってしまった。


 ミリアや私にしてみれば、支配人のことはこの際後でいい。

「エリウス様……今のはどういうことですか? 自動人形が、マリ・ガラントのもの?」

「あ、ああ……」

 先ほどまでの勢いはどこへやら。ミリアに詰め寄られたエリウス氏は口ごもる。そうすると眉間にしわが復活して、ものすごい気むずかしげな、残念な美形の復活である。

「何か知っていらっしゃるなら、ぜひミリアに話してあげてください!」

 私もまた、ミリア同様彼に食ってかかった。

「君は……?」

「そんなことは今はいいんです!」

 私のむちゃくちゃな迫力に押されて、エリウス氏は戸惑った様子ながらも話しだした。

「……せめて多少なりと捜索に進展があってから伝えようと思っていたのだが。実は、ミリア、君には妹がいる。いや、その子は人間で、つまり君はその子の家族としてニバル・ガラントに作り上げられたということなんだが」

 この人、一生懸命話をしているときは眉間の皺がなくなるようだ。マリ・ガラントについて語る声は優しい。

「可愛い子だよ。外見も、声も、君とよく似ている。君と同じで、雪白花が好きなんだ。初めて会った時に小さな花束を贈ったら、香りがいいととても喜んでくれて……。演劇にも、興味を持っていたようだった。だから、きっと君ともいい姉妹になれると思うのだが……ニバル氏の葬儀のどたばたの後、ふと姿を消してしまったんだ。その後ずっと探しているが……なかなか、捜索が進まなくて……」

 私は一番に確認したい部分を強調するために聞いた。

「ニバル・ガラントが、『マリ』のために、『ミリア』を作ったというのは確かですか?」

「ああ。彼は自分の死期を悟っていたから。孫娘に家族を残したかったんだよ……。無口な人だったが、孫娘を心配していた……」

 エリウス氏の言葉に、ミリアが首をふった。

「信じ……られない……」

「私は信じるわ」

 断言した私を、ミリアは驚いた顔で見る。

「むしろ今の話を聞いて、私の中でいろいろと噛み合った気がするの。魔法使いにとって人形はね、『道具』なのよ、ミリア。ニバル・ガラントにとって人形はそれは大事な……道具だったのだと思うわ。特に最後に作り上げた自動人形は、『マリ』に家族を残してあげるために、とても大切な……。あなたは言っていたでしょう? その人形はとても優しい、穏やかな顔をしていたって。それこそが、ニバルがあなたに伝えたかった思いなのよ」

 私の言葉を噛み締め、ミリアは泣き出した。

 大きな声で、子供のように。私にすがりつくようにして。

 本当は彼女は私よりも年下なのだ。そういう顔を持っていてもおかしくはない。

 私は彼女を一度ぎゅっと抱きしめてから、エリウス氏を見つめた。

 過去に恋人にひどくふられたとかいう噂が事実かどうかは知らない。けれど今この時、彼のミリアを見る眼差しは格別に優しい。

 この人が本当に、全然、事態を理解していないのは確かである。でも、いい人だと思うのだ。いつか見た彼のズボンの裾が汚れていたのは、マリ・ガラントを探して歩きまわったためではないだろうか。

 私はエリウス氏にむけて頭を下げた。

「お願いします。彼女と、話をしてください。どうか、あなたの知るニバル・ガラントについて、彼女に教えてあげて。そして彼女の話を、聞いてあげてください」

 エリウス氏は、戸惑いながらもしっかりと頷いた。

 ミリアは大人しくエリウス氏に連れられて去り際、涙にかすれた声で私に言った。


「ありがとう、リコリス」


 彼女に呼び捨てられるのは、初めてだった。




 私はその足で、楽屋騒動の間に人気のなくなった、劇場のホールに向かった。

 目的は、舞台に花を捧げること。


 花束の一つはミリアの楽屋に置いてきた。それとは別の、もう一つの花束を舞台に乗せていると、後ろから声をかけられた。


「お嬢さんも、舞台幽霊を信じているのか」


 久しぶりに会ったいじわるじじ……もとい批評家ロナルド・ベレは、私のことを覚えていてくれたようである。

「……いえ。実は、今でも幽霊の存在は信じていないんです。ミリアはここに『何か』がいると言いましたが、私はそれが幽霊だとは思えなくて」

「幽霊でなければ、何かな?」

「たとえば、舞台にかける情熱とか。訪れた人が感じた熱狂の、残滓みたいなもの……?」

 ロナルド氏は私の感傷的な言葉を笑った。しかし、笑い終えると真顔になった。

「わしも幽霊は信じとらん。こんなに会いたいと思って通っておるのに、一度だって会えたことはないからな」

「幽霊に、会いたいのですか?」

「妹に会いたい。昔、この舞台の上で死んでしまった」

 この舞台の上で? その言葉には引っかかるものがあった。

「妹さんというのは、もしかして……」

「ああ。舞台幽霊になったと世間で言われとる女優だよ。よくここに舞台を見に来た。本人にバレるのが恥ずかしくて、いつも後ろの方の席だったがね」

 私はいま、おそらくはロナルド氏が王都劇団組合の組合員となった、その理由の一端を知ったのだと思う。

「当時、この舞台で何があったのか、ご存じですか?」

「実際には、たいして珍しいことは起こっとりゃせん。有名な女優が、病気に侵されても最後まで舞台にいたいと望み、望み通りに死んだ。そしてその抜けた穴を埋める代役について二人の女が揉めて、もともと痴情のもつれもあったものだから一人の男を巻き込んで……悲惨なことになった。二人が殺され、一人が自殺したな」

「そんなことが……」

「それで優しいあの子が幽霊にされたんじゃ浮かばれんよ」

 昔を懐かしむロナルド氏の顔は、とても寂しそうだった。私はわざと、少し大きな声を出した。

「今日の舞台についての批評、楽しみにさせていただきます。私は実は、あなたの書かれる批評のファンなので」

「ふん」

「嘘じゃありません。あなたの批評に出会ったのは、私が初めて観た舞台についての記事でした。読むたびに、舞台を観た時の感動が蘇ったわ。あなたの舞台批評、最後が少しお説教みたいになりますけど、そこも含めて大好きなんです」

「わかったわかった。恥ずかしいからやめてくれ。……何を心配したか知らんが、元気づけてもらわにゃ記事も書けんほど老いぼれてはおらん。まだまだ、素晴らしい舞台を、役者を見足りんからな。……まったく、真顔で言うからたちが悪い。こういうお嬢さんを恋人にすると男は苦労するな。なぁ色男」

 ロナルド氏はニヤニヤ笑ってヴォルフに絡む。しかしヴォルフが大まじめに頷くのを見て、からかいがいのない相手と判断したのかすぐに舞台の方へ向き直ってしまった。

 そして手に持っていた花束にそっとキスをして、それを舞台に放った。

「……今日は随分と豪華だ。今日の舞台にはふさわしいな。なかなかいい、舞台だった」

 ロナルド氏は満足気な溜息とともに言った。

「女々しい劇作家も、これでたまには悲恋以外の筋も書くようになるかな? ミリア・ガラントが恋人役と幸せそうに二重唱なんぞ歌うとなれば、また王都が湧くだろうよ」

 その声がとても嬉しそうで、私はふと、彼が本当に『ツンデレ』だったのではと思い至った。

「もしかして舞台の評が厳しかったのは、ミリアにたまには幸せな女性を演じてもらいたかったから、とか……?」

 ロナルド氏はもう一度「ふん」と言う。

「……まあ、女々しい男にいつまでも振り回されてちゃいかん。男のケツをはたいてやるくらいでいいさ」

「そうですね。劇作家エリウスの、幸せなお話にも期待しましょう」

「ふん。……とはいえ、先のことは先のことだ。まずは今日の舞台だ。観に来なかった奴らを、悔しがらせてやるとしよう」

 確かな予感があった。この人が今日書く記事は、きっといつまでも人の記憶に残るような、素晴らしいものになるのではないか。




 劇場から外に出た所で、フランデルト様を見かけた。

 彼はものすごく浮かれた様子で、迎えに来たニルダさんになんと、人目も憚らずかすめるようなキスをした。

 既に劇場前の混雑も去り、あまり人もいないとはいえ公共の場である。なにより私はバッチリ見てしまった! 私は挙動不審になって思わず柱の陰に身を隠したが、ヴォルフは平然としている。

 フランデルト様は、私たちに気づいた様子もなく話を続けていた。


「ああ、ニルダ。今君に会えて良かった。今日の舞台がどれほど素晴らしかったか、舞台が終わって私が、どれほど君にキスしたいと思ったか。幸せな恋の物語だったんだ! 夜通し話しても足りないくらいだよ! きっと付き合ってくれるだろう? 愛しい人」

「夜通しはかんべんしてほしいけれど、ちゃんと聞いてあげますわ可愛い人」

「次はぜひ一緒に観劇をしてほしいんだ。君の苦手な片恋の演目ばかりではなくなるはずだから」

「そうね、幸せな結末を迎える劇なら、一緒に観てあげてもいいですよ」

「やった!! 本当に今日は、なんて素晴らしい日なんだろう。一つの恋が実った夜だし、わが奥方はいつにもまして優しく美しい!」

「私も嬉しいです。あなたが幸せそうで。昨日は遅くまで仕事だったのに、今日は朝からずっと興奮し通しで。まぁ舞台がある日はいつもそうですけど。舞台が終わったら倒れているのじゃないかと、心配で来たんですよ」


 結婚して二年近く立つはずだが、完全にラブラブ新婚カップルの体である。かつて私がこの二人の仲を心配してしまったことなど、もちろん彼らに知る由はないが。

 二年前、ウェディングドレスをニルダさんが一人で取りに行ったこと。今なら分かるが、それは本当に、ふたりにとってささいなことだったのだろう。大切なことは人それぞれだ。

 フランデルト様も、ただ素直なばかりの人ではなかった。少なくともミリアの恋について知って、おそらくは応援していたのだろう。その恋が実ったことを確信し、それを喜んでくれている。

 私なんかよりもずっと、ニルダさんはフランデルト様のことを知っているのだ。二人は恋人同士なのだから、当たり前のことだけれど。

(私の心配なんて、ぜ~んぜん無意味だったってことね!)

 私は口元がだらしなくニヤついてしまうのを、それとなく手巾で隠した。


 それにしても、今日はヴォルフがいてくれて良かった。もし今日のエスコートをフランデルト様にお願いなどしていたら、馬に蹴られるところだ。



 

 私は、弾む心を抑えきれない、そんな気分だった。

 多くの人が今日のような舞台を待ち望み、それが実現した喜びを、大切な人と分かち合っていた。


 私の頭の中では、今もあの素晴らしいアリアが響き渡っているようだ。


『どうか私の声を聞いて。あなたへの愛を歌う、それが私の幸せです』



 私はヴォルフの手を引っ張って馬車まで急ぐと、馬車の扉が閉まるなりまくしたてた。


 ヴォルフ、恋って素敵よね。誰かを好きになって、さらにその誰かが自分を好きになってくれるなんて、奇跡みたいなことだと思うのよ。でも世界にはそんなことがわりとたくさんあって、だからってひとつひとつの価値が薄いなんてことも全然なくて、つまり世界は素晴らしいのだという結論に達したわ。何が言いたいかというとね、つまり私、すっごく感動したの。それで今、こんな気持ちのままあなたと一緒にいられて、嬉しくて、胸が苦しいくらい。ほんとうに幸せだなって思うの。だからねヴォルフ、私、あなたにキスをしたい。してもいい?





 チャンスの神様からヴォルフに出題。

 恋人がキスしてもいいかと聞いてきました。あなたはどうしますか?

   『とにかく事情を聞く』

   『せっかくなので、してもらう』

  →『がっつく』




 題名の『カプリチオ』は奇想曲のこと。イタリア語でcapriccio、「気まぐれ」という意味だそうです。

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