第九話
学園の生活が始まってしまえば、ヴォルフやシェイドの手前いつまでも暗い顔はしていられなかったり。アルトが――本人そのつもりはないにせよ――私の日常を忙しくして、考えこむ時間が減ったり。
その間にも彼女はたびたび私に手紙をくれて、私も返事を返した。
けれど、私は彼女の舞台を観に行くことはしなかった。たとえ彼女に誘われても、曖昧な言葉で断ってしまった。
――怖かったから。
彼女からの手紙を開封するときも、私の手は勝手に震えた。
手紙はフランデルト様を経由してリーリア公爵邸に届けられる。その中身がいつか、『女優ミリア・ガラントの訃報』に変わるのではないかと、思わずにいられなかったのだ。
彼女からの手紙の返事ではなくて。
私自身が彼女に伝えたいことをしたためようと前向きな気持でペンをとったのは、例のゲームにまつわる、ギフトが起こした騒動の後のこと。
私が、少しでも自分を変えよう、未来の為に変わっていこうと、そう考えた後のことだ。
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いつも、お手紙をありがとう。
今日は、あなたにお伝えしたいことがあってペンを取りました。
いつものような近況報告を始めたら、それだけで便箋が何枚も必要なくらい。たくさんのことが私の身に起こりました。第六学年にあがってそれほど時間もたっていないはずなのに。本当に、たくさんのことが。
それについてはいつか、あなたに直接会ってお話したいと思います。学園で、女の子のお友達もできました。ぜひあなたに紹介したい。できれば今度、あなたの舞台を観に行った時にでも。
これまで、何度もあなたに誘っていただいたのに、観劇に行くことができませんでした。あなたに会いたくなかったわけではないけれど、私が観る舞台の上でもしあなたが倒れ伏したらと思うと、足がすくんでしまったのです。どうか、許してください。
でも今は、心からあなたに会いたいと、二年の間会うことができなかった私のお友達に、会って話をしたいと思っています。このところ私の身に起こったたくさんの出来事は、少しだけれど私を成長させてくれたようです。
心がはやって、話したいことはたくさんあるのだけれど、真っ先にあなたに伝えたいと思ったことを二つ。
一つは、最後にあなたと話をした日に、言いそびれたことです。
言いそびれたというか、その時は完全に混乱していて、何を言えばいいのか分からなかったの。でも、今思うと、私が言うべきことはこれだったのかな、と思います。
それは、私の気持ちです。あなたが偽物だと断じたあなたの愛情を、少なくとも私は本物だと信じているということを。たとえ意味はなくとも、私はあなたに伝えるべきではなかったのかと、今になって思います。
だって、私はあなたの恋においては部外者ですが、私が自信を持ってあなたに伝えることができるのは、ただ、自分の気持ちだけなのです。
私は、たった一人を見つめるあなたの恋心が、誰のものにも劣ることのない真実の愛情であると信じます。劇作家さんと話をするあなたを見たことがあるんです。あなたの声は、隠しようがないくらいに明るく弾んでいました。
その時に限らず私は、あなたと一緒にいて、ずっとあなたの心を感じていたのです。少し臆病で、繊細で、でも情熱的に舞台を愛しているあなたの心を。
どうか、あなたにもそれを信じてほしい。
こう考えることはできませんか? 舞台幽霊はきっときまぐれなの。
幽霊はずっと舞台にとりついているうちに、舞台を愛する心を思い出してしまったのでは? そして同じく舞台を愛するあなたの心に感じ入り、その恋を応援しようと思ったのでは。
無責任なことを言ってごめんなさい。あなたはあの舞台に『何か』がいると言ったけれど、それは本当に、嫉妬から人をとり殺す悪いものなのかと、疑問に思ったの。私も何度もあの舞台を見ました。でも、恐ろしいと感じたことはないのです。
それからもう一つは、あなたの呼び名のこと。
あなたはとうに気がついていると思うけれど、私はあなたを『マリ』と呼べばいいのか、『ミリア』と呼べばいいのか、悩んでいました。手紙の中では、ずっと『あなた』で通してきましたね。
あなたの言葉に従って、あなたを『ミリア』と呼べば、マリという名前の小さな女の子を否定することになるのではと思いました。
でも気がついたのです。どちらの名前で呼ぶとしても、私が思い浮かべるのはただ一人、あなただけだということ。あなたは女優だし、二つ名前があることもそうおかしなことではないのでは、と思えました。つまり、どちらの名前もあなたのものだと、私は思うのです。
私があなたにミリアと呼びかけたら、それは寂しい少女時代を必死に耐えぬいた女性のことです。あなたの中の『マリ』のことも含めてそう呼びます。だからどうか、傷つかないでください。
あなたが今後自分のことを『マリ』と呼んでほしいと思ったら、私にそう伝えてください。その時は、舞台に必死の情熱をそそぐ女性のことも含めて、マリと呼ばせてもらいますね。
あなたの舞台を観に行く日を、あなたに会える日を本当に楽しみにしています。
ミリアの友人 リコリスより
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そんな手紙に返事がきたのが、まさしく私が臨時休校明けに学園に戻った頃のことである。
始まりの一文は、いつもと同じ。
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私のたったひとりのお友達へ
お手紙をありがとう。本当に、ありがとう。
手紙を読んで、涙がこぼれました。勝手に。
そして、すぐに分かりました。あなたが変わったのだということ。あなたの身に何があったのか、とても気になります。きっといつか話してくださると信じます。
でも、もしかしたら、あなたはこの二年の間に、少しずつ変わっていたのかもしれない。そうも思いました。もうあれから二年もたっただなんて、私にはとても信じられません。
それはきっと、私が何も変わっていないから。
あなたからの手紙を読んで、自分を見て。私は、この二年間、いったい何をしてきたのだろうと思いました。
私も、変わりたい。そう強く思います。
つたない手紙でごめんなさい。あなたの手紙を読んで、たくさん考え事をしました。あなたの誠意にこたえたいと思うのです。
そして、私が考えたことをあなたにしっかり伝えられるとしたら、舞台をみてもらうことだと思いました。急な話で、もしも無理なら断っていただいてもいいのです。でも、もしできたら、あなたにみていただきたい。今公演中の舞台です。公演最終日の券を封筒に入れます。二枚。良かったら婚約者の方もご一緒に、来てください。
もしも、もしも来ていただけたら、とても嬉しいです。どうか。
あなたにミリアと呼ばれるのが好きです。だから、ミリアも確かに、私の名前なのだと思います。
ミリア・ガラント
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