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ヤンデレ系乙女ゲーの世界に転生してしまったようです  作者: 花木もみじ
番外編『舞台幽霊のカプリチオ』
56/69

第八話


「私は人形なのです」

 と、彼女は言った。


「でも、人間の母親から生まれたのは確かです。本当の名前も、マリ、といいます。……ついに、バレてしまいましたね。私、実は貴族の方にお会いするたびに恐ろしかったんです。本当の魔法について知る誰かが、きっといつか私の嘘を暴いてしまうだろうと思っていました」

「私は、嘘を暴こうと思っているのではないわ。あなたの真意を知りたいと思っただけ。秘密にしてほしいというなら、真実はお墓まで持っていくし、もしも話したくないようなら――」

「いいえ。全て、お話します。どこから話せばいいか分からないのですが。よろしければ、初めから」



 ミリア――いや、マリ・ガラントの母親は、やはり彼女に辛く当たったようだ。彼女はほとんど放っておかれて、たまに顔を合わせれば攻撃的な言葉をぶつけられたという。

「私はまったく泣かない、笑わない、しゃべらない子供だったそうです。母はただでさえ、死産だった一人目の子供を――私の父親違いの姉を恋しがっていましたから。そんな、欠けたところのある子どものことは自分の娘と認めたくないと、はっきり私に言いました」

 そんな心ない言葉をぶつけられた彼女は、いったいどんな思いがしただろう。

 彼女が泣かなかったのは、泣いても慰めてくれる手がなかったからではないのか。笑わなかったのは、喋らなかったのは、近くに笑い方と喋り方を真似させてくれる存在がいなかったからではないのだろうか。

「でも、祖父は、無口で無愛想な人でしたが、少しは私を気にかけてくれました。祖父にとって私よりも人形が大事なのはわかっていましたが、それでも、私にとってはただ一人の家族でした。それに、私だって子供なりに夢も持っていました。私自身は笑うのも泣くのも自然にはできなくて、でも、祖父の元に出入りしていた男の人が、私に『演劇』というものの存在を教えてくれたんです」

 彼女の少し華やいだ声。私はそれに聞き覚えがあった。

「もしかしてそれが……あの劇作家さん?」

「はい。私、あの方に『演劇』のことを教えていただいて、夢中になりました。演劇なら、たとえ口にした言葉が嘘でも、涙が、笑顔が嘘でも堂々としていればいい。大きな声で泣いたふりをして、誰かを愛しているふりをして、それを見た人が喜んでさえくれるんです。……私自身は相変わらず欠けていて、母が死んだ時も、涙の一つもこぼれませんでしたけど」

 母親について語るとき、たしかに彼女に表情はない。それは私には、どんな顔をしていいかわからないという戸惑いに見える。

「夢があって、たった一人でも家族がいて。それでいいと思っていました。私は欠けているかもしれないけど、善良に、できるだけ正直に生きていくつもりでした」

 彼女は一つ息をついて、一段低い声で言った。


「……あの時が来るまでは」



 ニバル・ガラントがその死の間際まで、彼の最高傑作たる人形制作を手がけていたのは周知のことだった。もちろん、一緒に暮らしていた彼女が知らないはずもない。

「でも祖父は、作りかけの人形を見られることをとても嫌いましたから、私も、その人形を見たことはありませんでした。祖父は工房で倒れてそのまま……。祖父の死後、私は工房に行きました。祖父が自分の死の間際まで気にしていた人形を初めて見ました。そして、知りました。祖父が望んでいたのは、祖父が望んでいたの私の父親違いの姉のほうだったと。……人形にはもう名前が付けられていて、それが『ミリア』。――死産だった姉のために、母が用意していた名前です」

 皮肉げに、おそらくは自分に対して冷笑した彼女の独白は続く。

「姉の名をもった人形は、とても優しい、穏やかな顔をしていました。……当たり前だわ。母に望まれて、祖父にあれだけの情熱を注がれて生まれてくるんだもの。そして、自動人形としての初舞台ももう用意されていました。それも、あの方が作った初めての台本で、人形歌劇座から……。はじめての舞台でもう、主演を務める予定だったんです」

 ミリアの声が、重く、熱を持った気がした。

「……私、あれほど悔しかったことはありません。泣きも笑いもしないくせに、私には人を妬む心はしっかりとあるんです。目の前が真っ赤になりました。その時もう、祖父の手ですべての部品は出来上がっていて、組み立てもほとんど済んでいました。あとは、腕を取り付けたら動き出すはずで……。その作業は、祖父の手でなくともいいのです。幸せが約束された生が始まる瞬間を、その人形は穏やかに眠って、待っているのだと思ったら……そして目を開けたら、私の欲していたもの全て手に入れてしまうのだと思ったら……」

 途切れた言葉の先は、容易に想像がついた。それでも全てを話すといった彼女は、はっきりとそれを口にした。

「私は人形を完成させず、腕と体を別々に隠しました。そして、私自身が『ミリア』だと偽って、人形歌劇座に来ました」

 ここで、奇妙な人と人形との成り代わりが起こったのだ。


「劇作家さんはこのことは?」

「気づいていないはずです。私は『ミリア』としては、いつもお化粧をしてあの方の前に出ますし」

 それにしても、似ているなくらいのことは思っていいはずだ。外見は服と化粧でそれなりに変えられるにしても、声はそのままなのだから。

 いいや、でも今はとりあえず劇作家の内心はどうでもいい。

 問題は彼女のことだ。『マリ』と呼ぶべきなのか、『ミリア』と呼ぶべきなのか、それすらさだかではないが。

「……よろしければ、これまでのようにミリアと呼んでください。そちらの方がずっと、慣れていますから」

 私の葛藤を察して、彼女が先んじて言った。

「これまで『ミリア』と呼ばれたことに比べたら、私が『マリ』と呼ばれた回数なんて、本当に、お話にならないくらい少なすぎて……その名で呼ばれたら違和感を感じるくらいです」

 自嘲気味に言う彼女に、それではミリアと呼ばせてもらいますとは言えない。

「……あなたは、人間なのね?」

「誰かの手で作り上げられるのではなく、母のお腹から生まれました。でも、私、これまで一度だって、胸を張って『私は人間です』なんて言えたことはありません。人間というのはもっと感情豊かなもので、誰かを愛するすべを知っている存在のことだと思いませんか?」

「……自分の思考を持って、自分の言葉を操るならば、それは人間だと私は思うわ」

「そうでしょうか? あなたは、優しいからそんな風におっしゃるんだと思います。……私も、人形歌劇座の舞台に初めて立つときは思いました。欠けたる所があるとはいえ、自分は人間だから。もしかしたら今日この場所で死ぬのかもしれない。そうでなくとも、私の嘘のせいでこの公演は失敗に終わるのかもしれない。……でも、舞台は大成功でした。私はきっと、幽霊から見ても人間ではないんだと、人形なんだと思いました」

「あなたは、舞台幽霊を信じているの?」

「ええ。信じています。過去に何人も死んだからとか、公演が失敗したからとか、そういうことだけではありません。私自身が、あそこに立つたびに感じるんです。ここには何かが……いるんだって。いえ、あると言うべきかもしれませんが。それが魔法でないのなら、やっぱり幽霊なのだと思います」

 幽霊の有無についてここで議論する気はなかった。私が聞くべきことは一つ。

「じゃああなたは、あの場所が危険だと思いながら、幽霊に殺されるかもしれないと思いながら、毎日のように舞台に立つの?」


「殺されるかもしれない、ではなくて。いつか、殺されたい・・・・・って、思っています」


 私は、絶句した。


「私の、今となってはたった一つの夢です。私がもし、舞台で死んだら。その時こそ舞台幽霊は、私を人間と認めてくれたということだと思うんです。人として誰かを。いいえ、あの方を愛することができたのだと、その時に証明されるんです。今はまだ、私の気持ちはきっと、偽物で……。私は演技をすることばかり上手で、自分でも自分の心が分からなくなってしまうことがあるから。でも、人と違って、幽霊なら私の演技にもきっとごまかされません」


 彼女の声は少し弾んで、まさしく希望を語る乙女そのもの。


「……泣いてくださるんですね」

 彼女に言われてもなお、私は自分の頬に涙が伝っているとは気づけなかった。それどころではなかったから。

「……私、他のみんなにするように、あなたを騙してしまいました。ごめんなさい。人間のふりをして、あなたのお友達になるなんて言って――。それを知ってもあなたは、私のために泣いてくださる。そんなお友達ができるなんて、私、思ってもみませんでした」

 だったら――、と私が言いかける間もなく、彼女は言った。

「いつか私が舞台の上で死んだら、あなたはきっと私のために泣いてくださるんだわ。でも、涙は少しだけでいいんです。その時きっと私はとても満足しているでしょうから。少しだけ泣いたら、どうぞ、私を祝福してください」



 私は返す言葉を必死に探した。


 死によってではなく、愛を証明する方法。それを彼女に提示できたなら。

 歌劇の中で登場人物たちは、確かに死をもってその愛を永遠にする。でも、生きている者にだってその愛を証明するすべがきっとあるはず。そうでなければ、悲しすぎるではないか。

 彼女は劇作家を愛しているのだ。祖父のことも、愛していたのだ。今の話を聞いた私にとって、それは判然としていた。でも、部外者たる私の考えなどこの場では何の意味もない。

 彼女自身が、それを信じられないならば。

 演技などではない、それが真実だと、彼女自身に証明できなければ。


(……私は、役立たずだわ。いま、彼女に呼びかけることさえ、できない。どちらの名前で彼女を呼ぶのが正しいのか、そんなことさえ、わからない……)


 その時の私の頭には、彼女に返す言葉などただの一つも浮かばなかったのだ。


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