第六話
私はばあやのタルトを手に、舞台稽古を終えたミリアの元へ向かった。
フランデルト様は今回の台詞改定に思うところがあったようで、劇場支配人を相手に議論の最中だ。
私はというと。少しでもミリアと二人っきりでお話したいな、という目論見でもって楽屋への道を急いでいた。
楽屋に近づくと、その扉が開いていることに気がついた。
(誰かいるのかしら?)
部屋の中で話をしている一方がミリアであることはすぐにわかった。彼女の声が、普段よりもどこか緊張をはらんで、そのくせどこか華やいで聞こえる。相手は男性であるらしく、対称的に低い声が聞き取りづらい。
(こ、これは……)
もしかして、恋、というやつではないだろうか。今彼女と話し込んでいる声の主。彼女にこんな声を出させるそのお相手こそが、ミリアの恋する相手なのでは。
ミリアは人形?
いや、そんなことは問題ではない。彼女にもしっかりと好悪の感情があるのは知っている。であれば、恋心を抱くことだっておおいにありうることではないか!
さあ、そのお相手は誰!?
私がウキウキと(なんとなく)物陰に隠れて待つことしばし。楽屋から出て行くその人の姿が目に入ってきた。
あまり気を使っていない感じのぼさっとした髪は、純粋な黒髪ではなく少し灰色がかっている。さわやかな印象とは言いがたいが、不潔にしているというわけではないようだ。髭はきちんと剃っているし、服も……と、思ったら。ズボンの裾が汚れている。
人間嫌い=インドア、外を歩かなそう、という考えは安直かもしれないが、それにしてももう少し身ぎれいにすれば随分と印象が変わるだろうに。
比較的近くから初めて見たその顔立ちは――驚いたことに――整っていると言っていい。しかし神経質そうに眉間に寄せられたシワの深いことといったら。
(劇作家、さん……)
私は、とても複雑な気持ちになった。
その後私は素知らぬ顔で楽屋を尋ねたが、ミリアの様子はいつもと変わりなかった。
けれど。
「あの、今そこですれ違った男の方……たぶん、劇作家の方だと思うのだけど……」
私がその話題を出すと、彼女の白い頬に少しだけ赤みが差した。これもう恋心確定ですよね。
「はい。きっとそうです。エリウス様です」
「エリウス……様?」
おもいっきり怪訝な顔をした私に、ミリアは言葉を重ねた。
「その……素晴らしい劇作家ですから。私、尊敬しています」
「それに、ミリアの好きな人だし?」
軽口のつもりで言ってみたら、ミリアはハッとして青ざめた。『え? 何その反応!?』と焦る私に向けて頭を下げる。
「……すみません。分不相応なことを……」
「分不相応なんて、まさか! 恋愛は人間の専売特許ではないわよ」
「せんばい、とっきょ……?」
「えーと、つまりね。恋をするのは、きっと人間だけではないということ」
「恋をするのは、人間だけではない……? ――そう、でしょうか」
ミリアは懐疑的につぶやき、のみならずきっぱりと首を振った。
「私は、恋愛は人間の『せんばいとっきょ』だと思います」
ミリアの言葉は断定的で、私は言葉に詰まった。
「誰かを愛するということは、人形にはできないことなのです。そうできているように見えても、それはただの真似事。人間のすることを見て、上辺だけ真似ているに過ぎません」
自嘲気味に、しかしはっきりとミリアは断言した。自分に言い聞かせるようなその言葉は、私の返事を必要としてはいない。
「……そうでした。私、あなたに聞いてみたいことがあったのです。あなたはいろいろなことを知っている方だし、魔法についてもご存知だから」
わたしは、どことなく不安を感じながら頷いた。
「なんでも聞いて。答えられるかは分からないけど」
ミリアは「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。
そして、その目に見間違いようがないほど切実な光を宿して――言った。
「人形が、人間になる方法を、ご存知ありませんか?」




