第四話
私はその日、ウキウキしながら家を出た。
今日の目的は観劇ではなく、舞台稽古の見学である。
ミリア自身が!
『もう私たちお友達なんですから、手土産はいりません。稽古に興味があるなら、どうぞ見に来てください』と!
そう、私を誘ってくれたのだ!!
私はもはや声を大にして言いたい。
プレゼント攻勢でも友情は得られる! 十分な誠意があれば!
私はばあやが朝から焼いてくれたタルトを手に、人形歌劇座へと意気揚々向かったのである。
だいたい予定通りの時間に劇場の前に馬車を停めると、すぐに朗らかな笑顔の若い男性が近寄ってきた。
すでにかなり見知った顔である。
フランデルト・ヴェルヌス。二十二歳。
父の知り合いであり、現在私がこれほど足繁くこの劇場に通うにあたって多大な協力をいただいている相手でもある。
彼は私の同士なのだ。
父を介して知り合った彼と私は、初対面の時からミリア・ガラントがいかに素晴らしいかという話題でおおいに盛り上がった。そして彼は今では忙しい父に変わり、観劇に訪れる私のエスコート役――というか保護者役をかって出てくれている。
今日は時間に余裕をみて出発したはずが、彼が先にこの場にいたことに驚いた。
「フランデルト様。お待たせして、申し訳ございません」
あわてて馬車を降りようとした私の手をとって、彼は明るい笑顔を浮かべた。
「いえ。お恥ずかしながら、私が早く来すぎてしまっただけです。気が急いてしまって……」
照れたように頭をかく、彼の感情表現はとても素直だ。
国内の芸術振興への貢献で有名な伯爵家に生まれたから、というわけでもないと思うが、芝居のようにころころと表情が変わる。優しげな容姿に加えて、明るい笑顔と素直な性格。これで彼は社交界の女性たちに愛されているそうだが、なるほど納得。
とはいえ本人はむやみに浮いた噂もなく、いたって真面目。美しい婚約者がいて、その人をとても大事にしているそうである。
「それに、一人ではありませんでしたから。婚約者が今そちらの馬車に」
そう言って彼が指さした先には、一つの立派な馬車がとまっていた。
「まぁ! 今日はお二人で見学に? フランデルト様の大切な方を、わたくしにもご紹介いただけるでしょうか」
美人と噂の婚約者さんに会えそうなことに、ミーハー心丸出しで喜んでしまった。
「いえ、彼女はこの後大事な用事がありまして」
「そうでしたか。残念ですね」
「でも、よろしければご紹介いたします。彼女もあなたに会いたがっていましたので」
ウキウキと婚約者さんの乗る馬車に近づいていくと、その馬車から一人の女性が降りてきた。
健康的な肌色の、快活そうな美女だった。キビキビと歩いてこちらに歩み寄ってくる姿は、スレンダーで背が高い。
(い、意外……でもステキ!!)
かろうじてフランデルト伯爵令息よりも少し背が低い、という程度のその女性は、ニルダさんとおっしゃるそうである。腰回りにあまりふくらみのないドレスの形が、凛とした印象の彼女にはとても良く似合っている。
婚約者の女性が商家の出身であるとは聞いていたが、お金持ちの深窓のご令嬢を想像していたために面食らってしまった。むしろ、男装などして商船に乗っても違和感のないような女性である。
「噂の公爵令嬢にご挨拶できて、光栄です」
声は意外に柔らかい印象なのがまた素敵だ。
「こちらこそ、お会いできて光栄です。でも噂……ですか? フランデルト様から?」
「はい。それに、お父上とも面識がございます。リーリア公爵様のおかげで、我々は不自由なく諸外国との交易をさせていただいておりますから」
なるほど、外国領を行き来する商人の仕事と外交の仕事は切っても切れない仲である。ここで『我々は』というあたり、ニルダさんはご実家のお仕事にも関わっているのかもしれない。働く女性。かっこいい。
「……ありがとうございます」
思わぬ所で、しかもこんなステキな女性から父を褒められたのが嬉しくて、口元が緩むのが抑えきれなかった。そんな私を見て、ニルダさんはどこか母性的な笑みを浮かべた。
と、ときめく。私は母親についてあまり覚えていないということもあって、こういう母性的な表情をされると弱い。
「今日はこれからちょっとした用事がございまして、私はここで失礼させていただきます。フランデルト様、リコリス様のエスコートをよろしくお願いいたしますね」
「はい。分かっています」
おお。ニルダさんは婚約者のことを『フランデルト様』と呼ぶのね。身分差を考えればそれが自然なのかも。でも、もしかしたら二人きりの時はお互い呼び捨てとか、愛称で呼び合うとかしているのかもしれない。
お二人とも明るい感じにニコニコ笑い合っていて、いい感じのカップルだ。
「ニルダさんともご一緒できないのは残念ですわ」
すでにこれは私にとって社交辞令でもなんでもなかった。純粋に、彼女ともう少し話をしてみたい。私は少々諦め悪く、「ご用事はお仕事の関係でしょうか?」と聞いてみた。用事がすぐに済むようなことならば、ぜひ後からでも合流していただきたいものである。
「いいえ。今日は私事で。王都の中心街にある仕立屋に、ウェディングドレスを受け取りに参ります」
「まあ、どなたか近くご結婚されるのですか?」
「ええ。私とフランデルト様です」
………………は?
何でもなさそうな様子でニルダさんが言った。慌ててフランデルト様を見やると、彼も気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「あと……そう、十五日ほど先ですね」
いやいやいやいやいやいや。
あと十五日ほど先ですねじゃありませんわよフランデルト様。
それでは何か? 彼は結婚を約二週間先に控えた身で、私のエスコートなんぞしながら連日劇場に通いつめていると?
「い、言ってくださったら、ご遠慮しましたのに!」
私の剣幕に二人は顔を見合わせた。
しかしニルダさんはすぐに私の懸念が理解できたようだ。
「……ああ。どうぞお気になさらず。今日はただドレスを受け取りに行くだけですし。むしろエスコートについてはフランデルト様から言い出したことだとうかがっています」
それは確かにそうなのだけれど。
え? それでいいの?
私が納得していないのを見てとって、ニルダさんは婚約者を庇うように続けた。
「元々、フランデルト様に何か趣味を持つようにお勧めしたのは私なのです。一つのことにのめり込むと、そのことばかり考えてしまう方ですから。気晴らしにと」
でも気晴らしというにはちょっと……むしろ観劇の趣味の方に一直線のめり込んでしまっているのでは?
ニルダさんはあくまで朗らかで、事態を深刻には受け止めていない様子である。う~ん。単に私が考えすぎているのだろうか。
ニルダさんと分かれて私は、フランデルト様と並んで歩き出した。
私の心には、どうにもモヤモヤしたものが残っている。
隣を歩くフランデルト様。
彼は私の同士である。
言い換えればこの人は、『五歳ほど年下の女優の大ファンを公言し、足繁くその公演に通う人』であるわけで。
……これまでは自分を棚上げして、人の行動を非難するつもりなど全くなかったのだけれど。
婚約者との結婚を二週間後に控えている、という情報が追加されると一気にダメな感じがする……?




