エピローグ
その後のことを、少し話そう。
最後の最後で私に特大の衝撃をプレゼントしてくれたルイシャンとオリアの主従は、この休みは我が国の王宮に滞在するようだ。
二人とはまだ話してみたいことがたくさんある。学園での再会が今から楽しみである。
アルトは自宅で一応療養中。
でも驚くべきことに、帰省の前にリリィに謝罪の手紙を残していったそうだ。私も見せてもらったそれは確かにアルトの直筆で、彼なりに今回の出来事について色々と考えたことが分かる内容だった。
ただし、手紙最後の一文がこうである。
『ぼくがすごく反省しているってことを、しっかりばっちりリコリスに伝えて』
これがなければ素晴らしかった。でも、これまでのアルトを思えば、手紙を送ってよこしたという一点だけ見ても成長は明らかだ。
アルトには、わりと鉄拳制裁が効くのかもしれない。
リリィはこの休みはずっと我が家に滞在してくれることになっている。
一緒に料理をする、乗馬を教える、ヴォルフのところに遊びに行く。予定はぎっしりと詰まっているので、一日たりとも無駄にはできない。
シェイドはこの帰省で、お父様と将来のことについて色々と話し合っているようだ。
つまり具体的には、リーリア公爵位をシェイドが継ぐかどうかということだ。
お父様は既にシェイドがどちらの選択も出来るように根回しをほぼ済ませているそうで、後はシェイドの心次第。
姉の欲目かもしれないけれど、私はシェイドなら立派に公爵としての責務を果たせると思っている。
ヴォルフは帰省してすぐラナンクラ公から愛あるお説教をくらった様子。
ギフトの一件で頼られなかったことが、やはりラナンクラ公としては切なかったのだろう。親心というものである。
ヴォルフはそれを照れた様子で私に報告してくれたので、このお説教は親子の距離を縮めるものだったのだと思っている。
私は身支度を終えると、枕元に置かれたお母様の姿絵にキスをしてから立ち上がった。
少し歩きまわって暇をつぶそうと決め、ばあやに断って自室を後にする。
今日は私の誕生日。
突然の帰省だから、パーティーはささやかなものだ。参加者はリリィとシェイドとお父様、それにヴォルフ。なんとラナンクラ公も短時間だが参加してくれる予定だ。クリナムと叔母様からは今朝のうちにお祝いの品が届いた。他にも親類や学園の生徒達から贈り物が届いているけれど、それを開ける楽しみは後にとっておくつもりだ。
私は今、パーティの企画者であるシェイドから待機を命じられているのだった。
私の足は、ふらりと図書室へ向かった。
小さいころはとても長い時間を過ごした場所で、馴染み深い場所なので時間が空くと足を向けてしまう。けれど、学園に入ってからは流石に訪れることが少なくなり、調度などが記憶よりも随分と小さく感じられた。
踏み台に乗っても一番上には手が届かなかった本棚。
危ないからとごく小さい頃は使用を禁止されていた梯子。
ページをめくるのも一苦労だった大判の辞典。
この独特の埃っぽい匂いの中、眉間にシワを寄せながら必死の表情で難解な本を読み進める当時の自分は、今思うとやはり寂しい子供だったのだろう。
「リコリス? いるかい?」
廊下から父の声が聞こえて、私は図書室を飛び出した。
「ここです、お父様」
私の姿を見とめた父は、驚いたように目を見開いた。
「リコリス! ……素晴らしく可愛らしいよ、私のお姫様!」
いつもと雰囲気の違うドレスに身を包んだ私の不安を、父が甘い言葉で取り去ってくれる。
「いや、可愛いと言うよりも綺麗だ。とても素敵だよ」
「お母様と同じくらい?」
「ああ、その通りだ」
優しく優しく目を細めた父の腕に、私は白に近いピンクの長手袋をした手を重ねた。
私の今日の装いは、アンティークピンクを基調にした柔らかいラインのドレスだった。落ち着いた色合いではあるけれど、臙脂と黒のドレスばかり着ていた私にとってはものすごい冒険だ。公式の場ではないので髪は結い上げずに顔の横に垂らして、リリィが器用にも手作りしてくれた生花の髪飾りでまとめている。
どうしても臙脂色のドレスしか自分には似合わないような気がして、生地に一目惚れしてドレスに仕立てたきりクローゼットの肥やしになっていたドレスを思い切って着てみると決めたのが昨夜のこと。リリィは庭の花を使ってそれに合う髪飾りを自作し、まごつく私の背を押してくれたのだ。
私は父にエスコ―トされて広間へ向かった。
扉を開けると、色とりどりの光が、花びらが私に降り注いだ。地面につく前に役目は終えたとばかりに消えてしまうそれらは魔法によるものだ。
次いで、皆の視線が私に集中する。
近くにいたシェイドが、驚いた様子で目を見開く。次いで高い口笛の音で称賛の意を示した。無作法だけれど、内輪の席だし弟を叱るのはやめておこう。
リリィは共犯者のほほ笑みで私と視線を交わし、秘密の合図のようにリリィの金の髪を飾る緑の薔薇の髪飾り――もちろん私とお揃いの――に触れた。
ラナンクラ公は、挨拶をする私の手をとって賞賛の言葉と優しいキスをくれた。灰色の口ひげで手の甲がくすぐったくて、面映ゆくて、そしてやっぱりとても嬉しい。
そしてヴォルフは。
私のうぬぼれでなければ、なんだが眩しそうに目を細めた。それからとても恭しい態度で、父から私のエスコートを引き継いだ。
ヴォルフが私をじっと見つめるばかりでいつまでも口を開かないので、私は照れくさくなって自分から話しかけた。
「私、実は可愛らしい女性を目指そうと思って」
ヴォルフは青紫の瞳を細めて、珍しく少し声を上げて笑う。
「私は寡聞にして、君よりも可愛らしい女性を知らないな」
彼がそれは嬉しそうに言うので、私は照れるよりもまず『幸せだな』と思った。
鏡を見るまでもなく分かる。今の私はゲームの中のリコリス・ラジアータがしなかった顔で、笑っていた。
ゲームの時間は終わり、これから先は未知なる世界。
もっと友人ができるように、努力しよう。
アルトの教育だって諦めない。
残りの学園生活、最大限に楽しんで、最大限に学ぼう。
将来のこともしっかり考えなくては。例えば、リリィに色々と教えるのはとても楽しく、やりがいを感じた。学園の教師になるのは難しいけれど、ボランティアで似たようなことが出来るだろうか。
それから、花嫁修業だって頑張る。ヴォルフよりも美味しい料理を作って、まずは父やシェイドをうならせてやるのだ。とても手先が器用だと判明したリリィから、ぜひとも手芸を教えてもらおう。
ヴォルフとラナンクラ公の、もっと親密な親子の会話をとりもつ手伝いだって出来るはず。
未知なる時間への恐れはある。
けれどそれ以上の希望で胸を満たして、私は歩き出すのだ。
これにて本編完結です。
次のページは主要キャラの名前についてとこぼれ話を少し。それとあとがきです。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。番外編か、もしくは別の話でまたお会いできることを願って。




