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第二十話

 室内に人の気配が一気に増えても、私がもぞもぞと体の下から抜けだしても、なかば昏睡状態のヴォルフが目を覚ますことはなかった。

『聞き耳を立てたりはしていませんよ。というか、そもそも扉が厚くて聞こえませんでした。ただ悲鳴に驚いて……』と語るに落ちた弟と困ったようにごまかし笑いをする父を胡乱な目で見ながら、しかし心配をかけたのは確かなので怒ることも出来ず。



 父はそそくさと逃げていった。一応、学園長先生に用事があると言い残したのは嘘ではないはずだ。

 シェイドの方は私を女子寮まで送るつもりのようで、これもまたすたすたと歩き出してしまう。

「シェイド、あなた休んだほうがいいわよ。顔色が悪いわ」

「俺はもともと白皙の美青年なんですよ」

「……白皙の美青年が扉に耳を押し付けて聞き耳をたてているところ、さぞや絵になったでしょうね」

 皮肉を込めて言い返したのに、シェイドはなぜか嬉しそうに微笑んだ。

「やっぱりあなた、相当疲れているんじゃないの?」

 半ば以上本気で心配して言ったが、「失礼だな」と返す声もどこか弾んでいる。


「本当に元気になったんですね、姉上」


 あげく『ホッとした』という顔でそんなことを言うものだから、私は返す言葉をなくしてしまった。

 ヴォルフも時々恥ずかしいことを言って私を無言にしてしまうのだけれど。シェイドのこういう素直な態度もまた、これはこれでどう反応を返していいか困るのだ。

「ええと、今回は本当にご心配とご迷惑をおかけして……」

「らしくないのでやめて下さい」

 一刀両断である。私は話題を変えることにした。

「悪夢の被害者はけっきょくどのくらいになるのかしらね」

「さあ。自己申告を信じるにしても、ただの悪夢と魔法による悪夢の差も分かりませんしね」

「シェイドは悪夢を見たりしなかったの?」

「ええ、鍛え方が違いますから」

 鍛えるも何もないじゃないと言い返そうとして、シェイドがこちらを見ていないことに気がついた。まっすぐに前を見つめる頑なな横顔に、なんとなく違和感を感じた。

「ねえ、本当に……?」

 今度は答えが返ってこなかった。それきり口をつぐんでしまったシェイドに、私はため息をつく。

 シェイドは悪夢を見たのだ。しかしこの様子では、素直に夢の内容など教えてくれそうにない。今のところ、はっきりと体調に表れるほどではないようだが。

「強情っぱり」

 呟くも、無視された。

 シェイドはヴォルフと比べたらまだ人に甘えるということをする人間だと思う。それでも、私になにもかも相談してくれるかといえばもちろんそんなことはない。矜持とか、男のプライドとか、多分そういうものなのだろう。


 シェイドが足早に進んでいってしまうので、女子寮はもうすぐそこである。

「シェイド、なにか質問はないの?」

「質問?」

「そう。私は悪夢に打ち勝った先達でしょう? だから、何か質問があれば答えてあげるわよ」

「じゃあ一応聞いておきましょう。悪夢に打ち勝つ秘訣は?」

 相談をして欲しかったのに、必勝法を聞かれただけだった。とかくこの世はままならない。それでも私は真面目に答えを返した。


「それはね……愛よ!」


 どーん、と。

 これだけ良い事を言ったというのに、あろうことかシェイドは一拍置いてお腹を抱えて笑い出したのだ。

「笑うなんて失礼でしょう!? 私は真剣に……!」

「すみません、なんて含蓄深いお言葉だろうと思ったら……」

 神妙な顔で取り繕って、その後結局吹き出してしまう。

「何も取り繕えていないわよ!」

「い、いえ、本当に、別に文句は、ありませんよ。ただ、不意を突かれたので……」

「……そんなに笑えるほど元気なら、大丈夫そうね」

「そうかも、しれません。思ったより、俺は強いのかも。なにせあなたの弟ですからね」

 シェイドはやっとの様子で笑いの発作を収めると、わざと軟派な笑みを浮かべてみせた。

「でも念のため、俺にも姉上の愛を下さいよ」

「何を今更」と、私は鼻で笑ってやった。

「たった一人の大事な弟のこと、愛していないはずないでしょう?」

 言い切った私にシェイドは目を見張り、次いで少し明るい表情で言ったのだ。

「……どうだか」

 素直じゃない言葉に反して、頬には少し赤みがさしていた。

 もちろん。私の愛を感じたからというより、先ほど笑い転げたせいという可能性が濃厚だ。




 シェイドの様子は後でお父様に見に行ってもらおうと決めて、私は続いてリリィの元へ向かった。


 リリィは自分の部屋ではなく、女子寮の医務室にいた。

 彼女の昏睡状態は黒い霧に起因するものとは毛色が違い、回復の可能性について様々な治療がなされているところなのだという。単に相手を眠らせる魔法というだけなら方法はあるはずなのに、現在まで魔法の解呪には至っていない。ギフトの魔法というのは、とにもかくにも規格外なのが厄介だ。

「でも、今日は少し様子がおかしいの」とは、医務室の先生の言葉である。

「容態が悪化したということですか?」

 私は焦ってリリィの表情を伺ったが、特に変わった様子はない。

「いいえ、その逆。意識があるみたいなの。周囲の音に、反応しているわ」

 先生が「リリアム」と呼びかけると、幾度目かの呼びかけに反応してリリィのまつげがピクリと動いた。

「リリィ! リリィ! 聞こえるの?」

 私も声を上げると、今度はうっすらとだがまぶたが開いた。

 リリィの小さな手がまるで助けを求めるようにふらふらと伸びてきて、私はとっさに彼女の手を取る。

「リリィ、気がついたのね」

「……リ、コリス?」

 リリィの若葉色の瞳がぼんやりとだが確かに私を映した。



 医務室はにわかに騒がしくなった。リリィの目が覚めたのは朗報だが、原因も分からなければギフトの動向への警戒も必要である。

 結局、学園内に変化はないと判断されるまでしばらくの時間を要した。その際、鋭敏な感覚の生徒が幾人か『ここしばらく学園に漂っていた黒い霧のようなものが薄れている』と証言したことから仮説が立てられる。

 黒い霧の被害にあったのは主に私やヴォルフ、他にも悪夢を見た、体調が悪いと訴える生徒はたくさんいたようだ。リリィの症状はそれらと一線を画していたものの、昏睡の原因はやはりあの黒い霧だったのだろうという説だ。

 つまり主な被害者である私やヴォルフがあの霧に打ち勝つことで、魔法の効果自体が薄れてリリィも目を覚ましたのだろうと推測された。

 迎賓館の地下で進路を阻んでいた霧も、薄れているということだ。それはすなわちギフトが、他者の侵入を阻む盾を失ったということである。

 彼が次にどんな手を撃ってくるかわからないが、一つ確かなことは彼を放置したままでは学園は危険に晒され続けるということだ。

 おそらくこちらから、攻めの一手に出ることになるだろう。



次の話は本編初にして最後のリリィ視点です。

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