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第十四話

 無責任な噂は、人伝えにどんどん尾ひれがついた。

 最終的には『リリアム・バレーに関わると怪我をする』などとまことしやかに語られる始末。


 この噂に生徒たちの一部が震えあがってしまった。

 特にまだ寮生活に慣れない新入生たちが不安を訴え、中には泣きだしてしまう子もいて監督生も私もてんやわんやである。

 彼女たちを落ち着かせようとなだめたりすかしたりしながら、私はどうしてもリリィが心配だった。

 結局私は、申し訳ないが新入生たちの世話を監督生たちに任せて抜け出した。早足でリリィの部屋に向かうと、案の定こちらはこちらで問題が起きていた。



「魔法を私欲のために使って人に怪我をさせたのなら、それはこの学園の生徒にあってはならないことだわ」


 部屋の外まで響く声でリリィに言ったのは、聞き覚えのある声だった。私と同年、つまり最高学年のウィオラという生徒だ。昨年度、私と一緒に監督生を務めた人でもある。

 彼女には少々思い込みが激しくて向こう気の強いところがある。そう言ってしまうと監督生に相応しからざる人物のようだが、ウィオラは同時に真面目かつ面倒見のいい女性だ。彼女のお祖父様が大富豪で、男爵位を授かっているが世襲ではないいわゆる一代貴族。身分だけで言うなら学園の中ではけして高い方でない彼女が監督生となったのは、彼女自身の才覚と人望によるところが大きい。

 私は少しホッとした。相手がウィオラであれば、興奮で話が通じないなどということにはならないだろう。


 リリィの部屋の入口は野次馬に塞がれていたが、中の様子はかろうじて見ることが出来た。

 部屋の主に対するのは三人、ウィオラとその友人二人だ。ウィオラよりも一歩後ろからリリィに厳しい視線を送るこげ茶色の髪の女生徒は、たしか妹がアルトの取り巻きをしていた。妹が怪我をさせられていてもたってもいられずというところなのだろうが、下級生の部屋に三人で怒鳴りこむというのは流石にひどい。


「……私は、あの時魔法なんて使いませんでした」


 小さな声ではあるが、毅然と言い返したリリィの言葉に被さるようにウィオラの友人が声を上げる。


「信じられるわけがないでしょう! あそこにいた全員が怪我をしたのよ? リリアム・バレー、あなた以外の全員がよ!」


 興奮気味の声は甲高く、聞く耳を持たない様子だ。ウィオラよりもこちらのほうが難物のようである。

「失礼。通していただけるかしら」

 私が声を上げると、全員がこちらを見た。野次馬たちは一様に『しまった』という顔をして申し訳なさそうに道をあけてくれる。

 部屋に踏み込んだ私と目が合うと、リリィは複雑そうな顔をして俯いてしまう。その反応は切なかったが、今はとにかくこの騒ぎを何とかしなければならない。


「まずは、最上級生たるあなた方がこんなところで騒ぎを起こした理由を教えていただきたいわ」

 私はリリィを背に、ウィオラ達に向き直った。

 三人の力関係と性格を鑑みるに、ウィオラを説得するのが一番効果的だろうと考える。

 入浴の前にここに訪ねたのだろう。彼女の金髪は日中と全く変わらず一部の隙もない縦ロールである。もう一回言っておくが金髪で縦ロールだ。もう一回くらい言っておこうかな金髪・縦ロール。

 彼女は魔法学園一のゴージャス美人である。黒髪に比べたら絶対に主張が弱くなるはずの金色のまつ毛はしかし、ただでさえ大きな紫の瞳を際立たせて余りある。マッチ棒が五本くらい乗りそうなのでいつか是非試してみたい。

 ツンと尖った鼻が印象的で、気が強そうな表情と合わさって可愛い系の顔立ちを勝気に見せている。身長は高くないのに堂々とした立ち居振る舞いのせいで存在感がある。

「わたくしは最上級生として、この学園にいらして間もないリリアムに魔法を使うことの意義を説こうと考えただけです」

「それならなにも三人がかりでいらっしゃることはなかったのでは?」

 ウィオラは痛いところを突かれたという顔をして自分の背後に目をやった。

 彼女には少々猪突猛進のきらいがあるが、もともと徒党を組んで誰かを貶めるような人ではない。おそらく友人に泣きつかれて義憤に駆られてしまったのだろう。

「それは……確かにその通りだわ。このようなやり方は良くありませんでした」

 ウィオラは早々に我が身を省みてくれたようである。

 うんうん良かった良かったと私がほくほくしていると、なぜかウィオラにキリッと睨まれた。

「ですけれど、寮長であるあなたを差し置いてわたくしがここに来た理由を、あなたきちんと把握してらして?」

「え?」

「寮内の噂ですわ」

「リリアムに関する噂なら知っています。根も葉もないことだわ」

「それだけではありません。あなたに関する噂もありましてよ。わたくしに言わせれば、そちらの方が深刻かもしれないわ」

 私が驚きに目を見開くと、ウィオラは我が意を得たりとばかりに頷いた。

「ご存知無いようね。噂はこんなものです。『リコリス寮長は、リリアム・バレーとごく親しい友人であるために彼女を庇っている。贔屓があるから、リリアムに公正な処断はくだされないだろう』」

 私は苦々しい思いでその言葉を聞いた。

 野次馬たちはウィオラの言葉に私がどう答えるかと固唾を飲んで見守っている。その様子を見れば、ウィオラの言う噂が彼女達の共通認識として広がっている事がわかる。

 もちろん、思い当たるフシはある。私は今日のガラス落下事故の時、『リリィ』と口にした。そうでなくとも、もしかしたら寮の図書室でリリィと私が会っていることに気づいていた者がいてもおかしくはない。

 彼女たちは、『えこひいき』という言葉に敏感なのだ。そして私を頼れないと判断したために、ウィオラが担ぎ出されたということだろう。

「どうなんですの?」

 ウィオラに促されて私はリリィを見たが、彼女は何か思いつめた様子で顔を伏せたままだ。私はひとまず、寮長として言うべきことを伝えることにした。

「……わたくしとリリアムとの友情に関わらず、『疑わしきは罰せよ』という態度を改めていただきたいわ」

 私は周囲を見回した後、ウィオラの後ろに立つこげ茶色の髪の生徒に視線をやった。

「リリアムの魔法適正は治癒に特化しています。彼女に窓ガラスを割ることができたとは思えません」

「そ、それは……リリアムの魔法は、特殊だから……」

 それで全てに説明がつくのだと言わんばかりに彼女はそれだけ口にした。妹を心配する気持ちは分かるが、すなわちリリィを責めて良いということにはならない。

「だからリリアムに罪を押し付けるのだと言うなら、まさしく『疑わしきは罰せよ』という考え方ではないかしら。それこそが、魔法学園の生徒として相応しからざる行動だとわたくしは考えます。それでは、魔力所有者に全ての不幸の理由を押し付けた歴史上の人々と変わりがないわ」

 古い歴史の話、今のこの国ができる以前の話ではあるが、魔力所有者が迫害された過去がある。魔力を持つものとして、それはけして他人ごとでは済まされない話である。

 野次馬をしていた女生徒たちもあわせて、私の言葉に俯いた。しかし、ウィオラだけは別だった。

「おっしゃることは分かりましたわ。わたくしも、下級生の部屋に押しかけるなど浅慮だったと思います。でも、一つ答えを聞いていませんわ。結局、リコリスさんとリリアム・バレーの間に友情はありますの? 下手に隠し立てなさるからこのような噂が立つのではなくて?」


(うっ……)


 痛いところを突かれて私はうろたえた。確かに、ここまで来たら下手に隠すほうが怪しい。

「確かに、リリアムは――リリィは私の友人です」

 私の言葉に、生徒たちがざわつく。……いや、ここはそこまで驚く所ではないと思う。私に友達がいたらおかしいのだろうか。

「大切な友人だから、私は彼女を信じます。でも、同じ思いをあなた達に強要などしません。ただ、冷静になってほしいと思うだけです」

 言ってから、リリィの反応が気になってそちらをちらりと見た。怒っていたら誠心誠意謝ろうと思ったが、彼女は若葉色の目を見はってこちらを凝視していた。そこに怒りは見てとれない。困惑と、そして私の自惚れでなければ、喜びの色があった。


 彼女とはっきり目があうのは本当に久しぶりだ。

 困った騒動ではあったが、久しぶりに彼女と心が通じたような思いがして私は嬉しかった。


 そんな、油断に弛緩した私の心臓に冷水を浴びせるように。

 変化は起こった。


 何の前触れもなく唐突に、リリィの目の色が変わった。

 比喩ではない。

 明るい若葉色から、凝るような濃い緑色へ色が変わったのだ。

 

 驚く私の前で、リリィは自分の目を両手で押さえるようにして蹲った。


「……やめて! 来ないで! い、いやぁぁ!!」


 尋常ならざる声で、リリィが叫ぶ。野次馬たちも、ウィオラもぎょっとしてリリィを注視する。


「逃げて! リコリス!」


 リリィに必死な声で懇願されるも、この状況で彼女を置いて逃げられようはずもない。

 わけがわからないながらも生徒たちに部屋から出るよう指示した。

「ウィオラ、誰か先生を呼んできてもらえる?」

「え、ええ。分かりましたわ」

 走りだした彼女の背を見送って私がリリィの側に寄ろうとした時、ガシャンとリリィの部屋の窓ガラスが割れた。私は日中の事故を思い出して身構えたが、ガラス片がこちらへ降り掛かってくることはなかった。

 代わりに、こちらの動揺などまるで意に介さないとばかり優雅に部屋に飛び込んできた小さな瑠璃色の影があった。既に闇に覆われた外から現れたのは、夜目がきかないはずの小鳥。


 訝しく思う私の目の前で、それは不意に姿を変える。


 瞬きの次の瞬間にそこに立っていたのは真っ青な髪の、人にあらざる美貌の主。瞳の色は黒に近いほど濃い緑色。先ほどリリィの目が変化したまさにその色だった。身にまとう服はどこか時代錯誤で、その横顔の作り物めいた造形と合わさって彩色がされた彫刻を見ているような気分になる。

 しかし何より異質なのは、彼の向こうの景色が透けて見えることだ。彼は半透明だった。だが幽霊ではない。私はこの男の正体を知っていた。

 背筋を伝う悪寒とともに、私は心のなかで絶叫した。


(か、隠しキャラーー!!)




*隠しキャラとは

隠れキャラクターとも言う。ゲームで一定の条件を満たすと登場するキャラクターのこと。乙女ゲームではだいたい『実はこんなキャラとも恋愛できるよー』という開発側の小粋なサプライズだが、作中のヤンデレ乙女ゲーにおいては『実はこんなヤンデレも襲ってくるよ―』という一種の嫌がらせである。


パソコンが完治してご帰還なされましたー!これで更新頻度も戻るはず!です!

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