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第九話<シェイド視点>

「君にそんな顔をさせる相手が誰なのか、知りたいな」


 俺の言葉に彼女は、はっとした顔で振り返った。

 彼女が視線を送っていた先では、俺の姉とおそらくは未来の義兄がいちゃついている。そこから一定の距離をおいてなにやら頬を染めながらそれを見守る者達がいるが、おそらくリコリスだかヴォルフだかのファンなのだろう。あの二人は、『二人の恋路を見守りたい』とか考える酔狂な信者を抱えているのだ。

 やめてほしいものだ。いろいろな意味で。


「君をダンスに誘っても?」

 とっておきの笑顔で誘いをかけるも、彼女――リリアムの答えはそっけなかった。

「お誘いの目的は、ダンスではなく私と話をすることでしょう?」

 頭のいい女である。


「お話は、あなたのお姉さまに近づくなということでしょうか」

「まさか。俺にそんなことを言う権利はありませんよ」

「でも、彼女があんなに慕われているのに特別な友人がいないのは、あなた方が邪魔をしているからではありませんか?」

 頭がいいだけでなく、かなり気も強いようだ。

「それこそ誤解です。俺もヴォルフも、リコリスを孤立させたいなんて思ってはいませんよ」

「でもあなたの協力があれば、彼女が周囲と理解を深める事は容易だったはずだわ」

「そこは、あれですよ、積極的に姉を孤立させようなんて画策はしませんが、それでも……」

 俺は少し声を潜めた。


「あの人が、他人にばかりかかりきりになってしまったら寂しいでしょう?」


 笑うか、咎めるか。

 しかしリリアムの反応はそのどちらでもなかった。


「そういう感情は、私にも理解出来ます」 


(お?)


 手の内を明かしたのが良かったのか、リリアムの表情は少し穏やかになった。それも『敵』に対するものから『他人』に対するものになったという程度のことだが。


「嫉妬は理解できる。では、君に理解し難い感情とはどんなもの?」

「…………」


 俺は彼女の懐に一歩近づいてみることにした。


「例えば肉親の情とか、友情とか?」

「私の過去についてずいぶん詳しくご存知のようですね」

 彼女は怒り出すでなく、挑発的に笑ってみせた。それは言葉と裏腹に『お前に分かるはずがない』と確信している笑いだった。


 リリアム・バレーの子供時代について知り得たことは、彼女が『身分不相応』の力を持ったことで、もしかするとそれなりの円満を描くはずだった人間関係が崩壊したということだ。

 彼女の能力が発覚したのは、力の暴発という形だった。当時の状況を知るものは口々に死人が出なかったのは奇跡だと言ったそうだ。

 そして、母親は娘の力への恐怖に耐えられず家を出た。親族からは関り合いを恐れて縁を切られた。友人達は恐怖か、嫉妬か、その内心は分からないにせよ全て彼女から離れていった。

 特に最悪だったのは父親だ。その男はリリアムにどのような価値があるかを見極めることに腐心した。彼女をけして協会の手に引き渡さずいずれかへ監禁し、一番高額で自分の娘を買ってくれる相手を探しまわったそうだ。


「私の過去を知っているなら、私のような人間が彼女の側にいるのは不安でしょうね」

「いや、正直なところ悩んでいる。俺には君の意図が読めないので」

 彼女は既に卒業後の進路を協会に入るものと定めている。彼女の意志と、協会側の強大な魔力保持者を監視したいという考えが合致しているのだからほとんど決定事項だ。

 協会に入る人間にとって、公爵の娘であるリコリスの友人という地位にどれほどの意味があるだろうか。もちろん権力者の友人は持って損になるものではないが。


「意図なんて、それほど大したことは考えていません。……確かに、私は彼女と会ってまだ日が浅いけれど。私、彼女にとても心惹かれたの。沢山の人に囲まれているようなのに、とても寂しそうで。彼女の周りにいる女の子たちは少し離れて彼女を見ていたがるけれど、それでリコリスが寂しく思っていることには気づいていないみたい」

「君は寂しい人が好きなんですか?」

 冗談交じりに尋ねると、殊の外真剣な眼差しが返ってきた。


「ええ、そうです。私に言わせれば、優しさだとか、愛情だとか、そんなものは簡単に翻るものだわ。私は、私を求めてくれる人が好き。切望してくれる人が好き」


 俺は彼女を笑うことはできなかった。


「……でも、彼女は本当の意味で寂しい人ではないのね。あなたがいるし、彼がいる」


 リリアムは再びリコリス達の方に視線をやると、どこか切なそうにその若葉色の目を細めた。


「ご命令なら、彼女と距離を置きます。彼女を傷つけたくないから無視なんてしませんけど、あなた方が不安にならない程度に」


 どこか悲壮な決意を感じさせる目で見つめられて、俺は少し困った。言うべきか言わざるべきかと悩んで、結局口にした。

 俺は女に甘いのだ。


「あの人は――リコリスはわりと、優しさとか愛情とかを信じさせてくれる人なんですよ」

 リリアムは虚をつかれたという顔をした。

「ですから、せいぜい仲良くしてみてはどうですか?」

「……いいの? 私が、彼女の側にいても」

「ですから何度も言っていますが、俺にそれを決める権利はないんですよ。そもそもあの人は、俺がなんと言おうと結局やりたいようにやるでしょうし」

「彼女の騎士様も、私が彼女のそばにいることを許してくれるかしら」

「ヴォルフは、姉に危害を加える人間にはそれはもう――それはもう怖いししつこく過去のことをほじくり返してネチネチ責めてきたりしますが、そうでない相手にはけっこう寛容です」

「……肝に銘じておくわ」


 リリアムは俺の元を去り際、初めて歳相応の愛らしい笑顔でもって俺に手を降った。

 手を振り返しながら、俺は思う。是非とも彼女には頑張ってほしいものだと。

 (ヴォルフ)といちゃついているところを見せられるより、(リリアム)と仲良くしているところを見るほうが俺の精神衛生上ずっといいに決まっているではないか。



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