第七話
そんなことがあった日から、私は寮図書室に通いつめた。ぼっちの暇人と思われてもいい。背に腹は変えられないのだ。
素晴らしいことにリリィは翌日もその翌日も図書室に来てくれて、私たちはいろいろな話をした。
初めはだいたい学園生活について、授業について。
リリィはやはりかなり苦労しているようで、特に学科は授業によってまったくついていけないのだという。
それはそうだ。これまで全く下地がない上に、四年分飛ばして五年生の授業を理解しろという方が間違っている。
「先生方はついてこれないのは仕方がないと思っていらっしゃるようで、授業中は指名も課題の要求もされません」
リリィは複雑そうに言った。
高度な要求をされても困るが、完全に度外視されるのは面白くないといったところだろうか。彼女は顔に似合わずけっこう気が強いようだ。
「それは……見返して差し上げたいわね」
「はいっ」
良い返事である。意欲のある生徒というのは個人的にも好きだが、寮長としても世話のしがいがある相手だ。
「歴史については、良ければ私が教えるわ。今の授業に至るまでの大きな流れを掴めれば、細かいところの暗記は後まわしにしてもいいはずよ。語学についてはひたすら本を読むしかないと思うのだけれど……。ああ、いえ、まずは取捨選択が必要ね。全ての学科を並行して進めるのは難しいから、あなたが興味のある学科を絞って……」
話しながら、私は今後自分がすべきことを考えていた。
まずは、学科の授業時間をもっと有効に使う手立てだ。分からない授業を右から左に聞いているだけなんて時間の無駄だし、意欲を削ぐことになりかねない。これについては私の一存ではどうにもならないので、先生方に相談するしかないだろう。
それにしても、日中の時間をリリィのために割けないのは歯がゆい。
彼女に私と同じ轍を踏ませないためにも、私が構いすぎてそれを周囲に知られ、友だちから距離をとられるなんてことがあってはならないのだ。
そのため寮で互いの部屋を行き来するといった大胆な行動(他の生徒に見とがめられずこれをするのは不可能だ)をとることは出来ない。
だが、こそこそ密会するのもそれはそれで楽しかった。
色々と学習計画をたてるのも楽しい。
合間合間に語り合う雑談も楽しい。
雑談といってもどんな話題なら彼女の興味をひけるか分からなかったので、私はとりあえずヴォルフやシェイドたち、彼女の『攻略対象』について話してみた。リリィの反応に興味があったし、彼らは女子寮でもよく話題に上がるのでとっかかりやすいと思ったのだ。
リリィは楽しそうに話を聞いてくれはしたが、彼らに特段の興味を示すこともなかった。ホッとしたような、拍子抜けのような。
リリィの話で印象的だったのは、彼女の夢の話である。
自分のような庶民出で魔力を有した子供が、不当に自由を束縛されることにならないようにしたいというのが彼女の夢だそうだ。そのために彼女は協会に入りたいのだという。
立派な夢で、実際それで被害を被る子供が居るというなら捨て置けない問題だ。
それ以外にも、この話題提起で私はものすごく考えさせられた。
一つには彼女の過去のこと。『不当に自由を束縛される』というのが、彼女自身の体験ではないかと思ったのだ。実際彼女は自分の過去について、特に家族についてあまり話したがらない。
母は家にいない。父のことはあまり好きではない。それが、彼女が家族について語った全てだった。
私がリリィと呼んでいいかと尋ねた時も、彼女は少し言葉に詰まりながら言った。
「ありがとうございます。……私、クラスで自己紹介をする時『愛称はリリィです』って言ったんです。でも本当は、その名で呼んでくれる人はもう私にはいないの。昔は母が、そう呼んでくれたけど」
そう言って彼女は、胸元のペンダントに触れた。おそらくリリィにとって母親との思い出の品なのだろう。
そんな泣きそうな顔をしないでほしい。私も泣く。
ちなみにこの後私はちゃっかりと、人のいない所では『リコリス』と呼んでもらう約束も取り付けた。
リリィの話で考えさせられたこと。もう一つは、私自身の未来のことだ。
私は、自分の未来について真面目に考えたことがあっただろうか。学園の最高学年にある身として恥ずべきことだが、多分、ないのだ。
漠然と、きっとこうなるのだろうなと考えたことはある。けれどそこに私の夢や、決意というものはない。
この学園に来るまで、未来とは学園に入学するときの事だった。
リリィが来るまで、未来とはゲームの時間軸が始まるときの事だった。
その先は? 私は何がしたいのか。どういう人生を送りたいのか。考えるべきだ。
また別の日には、ものすごく興奮する出来事があった。
リリィの元に、学園周辺の森に巣を持つ小鳥が訪ねてきたのである。その瞬間私の頭を埋め尽くした言葉はというと。
な、なにこれヒロインっぽい!!
「あら。こんなところまで私を探しに来るなんて、情熱的。リコリス、紹介しますね。この子は私の昼食のお供をしてくれる子なんです」
そう言ってリリィが図書室の窓を開けると、一匹の瑠璃色の小鳥が飛び込んできた。小鳥は部屋の中を周回した後リリィの肩に止まる。
「この子、ものすごく人に慣れているみたいなんです。一度パンくずをあげたらそれ以来ずっと昼食時に催促に来るんですよ」
彼女は昼食をサンドイッチか何かにして外で食べているようだ。昼食時の食堂で彼女の姿を見ないはずである。昼食は校舎内の食堂でいただくので、私もだいたいヴォルフやシェイドと一緒なのだ。
しかし。
明るい日差しの下で昼食を食べる水色ドレスの金髪美少女。その肩ににパタパタと羽を羽ばたかせて舞い降りる瑠璃色の小鳥。
ひ、ヒロインっぽい。
乙女ゲームのヒロインというより世界名作劇場のヒロインという気もするが、とにかく私の脳内『ヒロイン的行動ランキング』上位にランクインしそうな光景である。
私は大興奮して小鳥さんを覗き込もうとしたが、避けて飛び立たれてしまった。さもありなん。調子に乗ってごめんなさい。
そんな風にして、瞬く間に時間は過ぎた。
どの一日も楽しく、充実していた。
そんなある日、私はリリィと明後日に控えたダンスの授業について話をしていて気がついたのである。学期開始後初めての、つまりリリィにとっては初めての男女合同ダンス授業だ。リリィはその場でミスをしてしまわないかと気に病んでいる。
あれ? と、私は何かしらの既視感を覚えた。
もしかしてこれって、ヴォルフとリリィの出会いイベント?




